第53話 あるバイト門番の儀式②
「たっだいま!!」
開かれた扉から、アーチが元気な声を共に、顔を覗かせていた。
「姉御かっ? どこ行ってたんだよ?」
「何処って、助っ人を呼びに行ってたんだよ!」
「「「はぁ?」」」
「それじゃあ、入場頂きましょう!葡萄踏みの達人、助っ人のゲホゲホ君です!!」
「ゲホゲホ?」
「きゅうううー!!」
アーチが扉を全開にすると、ゲホゲホに跨ったアーチが、浴槽目掛けて突っ込んできた。
飛び込んだゲホゲホの衝撃で、浴槽から溢れた葡萄が、風呂場に散乱する。
「あぁー!! 俺の十万が飛んでいく!!」
「セルド、ちょっとぐらい我慢しなさい! ゲホゲホなら十人力よ!」
アーチはゲホゲホに振り回されながらも、何とか堪えて、浴槽の中を練り歩いていた。
ゲホゲホが加勢した事もあり、葡萄はどんどんと、潰れて、果汁が溜まっていく。
この調子なら、案外、簡単に完成まで持っていけそうだ。
「アーチ。何で、ゲホゲホ連れて来たんだよ?」
「あんたが、置いてくから可哀そうだったのよ! それに、馬車から離して、一緒に散歩したら、あたしに付いて来る様になったから可愛かったのよ!」
「そうか、お前の気持ちも考えずに、ごめんなゲホゲホ」
「きゅうううーー」
ゲホゲホを宥めながら、皆で足踏みを続ける事、三十分程経っただろか。
気付けば、足の感触が、個体から完全に液体に変わっていた。
「そろそろいいんじゃないか?」
トーマスが、一足先に浴槽に上がり、状態を確かめる。
「そうだな。じゃあ、一度試飲してみるか! ワインに詳しい奴いるか?」
「飲んだ事はあるが、詳しくは無いな」
「俺も」
「あたしも正直、味の善し悪しは自信ないや」
セルドは、試飲役を探しているが、掛かっている金額が金額な為、責任が重大な事もあり、簡単に名乗り出る者は居なかった。
「じゃあ、皆が思う、一番ワインに詳しい奴に試飲を頼んでみようぜ!」
「だな。ってなると、やっぱり、あいつだよな……」
トーマスは、脳裏に俺と同じ人物を浮かべているのか、余りいい顔をしていない。
「まあ、メリサだろうな」
「だろうな、大体、ワインに詳しい奴なんて、一人しか知らないからな」
「俺も、自分で判断するよりも、メリサの意見を聞くべきだと思ってた所だ」
「なら、あたしが呼んでくるよ。部屋に居ると思うし」
「頼んだ姉御」
「アーチ、お前、ちゃんと足洗ってから行けよ!」
「分かってるって!」
俺の忠告通り、アーチは風呂場で、足を洗った後、メリサを呼びに行き、再び風呂場に戻って来た。
「や、休みの日に、風呂場で、な、何やってるんですか?」
突然アーチに連れてこられたメリサは、風呂場に足を踏み入れると、紫色に染まった浴槽を見て、呆然としていた。
「分かんないのか? 見ての通り、ワイン作りだ」
「せ、セルドさんの仕業ですか」
「仕業って言うなよ。ただ、メリサに手伝って欲しい事があってな」
「ア、アーチさんに呼ばれて来てみれば、トーマスも居るのね」
「居ちゃ悪いのかよ?」
「別に、ちょっと空気が不味いだけだよ」
「そんな嫌がんなよ。今回はお前の好きなワインが飲めるんだから、我慢しろよ」
「えっ飲んで良いの?」
「ああ、是非、俺のワインを飲んだ感想を聞かせてくれないか?」
「分かりました!」
ワインが飲めると知ったメリサは、トーマスを睨んでいた顔を豹変させ、明るい笑顔を浮かべていた。
最近分かった事だが、メリサは、お酒で釣ってしまえば、第三警備隊の中で、一番扱い易い人間なのだ。
今回も、味の保証は無いが、タダでワインが飲めるなら、これ以上、文句は口にはしないだろう。
「カーマ、そこの風呂桶で、試飲用に掬ってみてくれ」
「了解!」
俺は、セルドに言われるがまま、床に放置されていた、風呂桶を使って、少量のワインを掬い、メリサに手渡す。
「ありがとう、カーマ君。それじゃあ、頂きます」
皆が食い入るようにメリサの様子を見守る中、風呂桶を傾けて回し、匂いを嗅いだ後、恐る恐る口を付けると、そのまま、入っていた分を全て、飲み干した。
「どうだ?」
「……あれ? ……何かこれ? ……」
「どうだった?」
「遠慮しないで、メリサの樽キープしている物と、比べてみてよね!」
「どうしたメリサ? 口に合わなかったか?」
メリサは、大好きなワインを飲んだ筈なのに、どういう訳か浮かない顔をして、首を傾げていた。
「いや、これ、味とかの前に、……凄いジャリジャリするんですけど……」
「どういう事なの?」
「アーチさんも飲んでみて下さい」
メリサに促されて、アーチも浴槽に溜まったワインに、自ら口を付けると、メリサと同様に首を傾げていた。
「うーん……確かに、ジャリジャリするわね」
「ジャリジャリってどういう事だよ?」
セルドは、十万ロームを掛けたワインの行方を気にしているのか、真面目な顔つきで二人に問いかけるが、返答は無い。
「何でだ?浴槽の底に果実の茎や皮が溜まっているなら分かるが、カーマが掬ったのは、上っ面の筈だぞ」
その後、疑問を解決する為に、全員で、試飲してみるが、皆の感想は変わる事が無かった。
だが、製造過程を思い返していた俺には、心当たりがあった。
「なぁ、アーチ一つ良いか?」
「何よ?」
「お前、もしかしてだが、ゲホゲホを室内に連れて来る時、足を洗ったか?」
「きゅう?」
「え? ……洗った様な、洗って無い様な……」
アーチは、俺の質問の意図に気付いたのか、明らかに動揺を隠せていない。
アーチの事だから、隙を見せれば、また、女子寮が火事になった時の様に、言い逃れ様とするだろう。
それで、犯人に仕立て上げられるのだけは避けたい。
「カーマ、急に姉御を疑って、どうしたんだよ?」
「どうしたも何も、俺は普段から、ゲホゲホを寮に居れる時は、濡れ雑巾で、しっかり足を拭いてから、中に入れてんだよ。つまり、このジャリジャリは、ゲホゲホの足に付いてた砂じゃないのか?」
「な訳ねーだろ! 姉御はそんな馬鹿じゃねーって!!」
「そ、そうだよ、カーマ君。飲み物を作ってるのに、そんな事、アーチさんが、する筈ないよ!」
「じゃあ答え合わせと行こうか。どうなんだよアーチ?」
アーチは、俺の問いかけに、堂々と答えて見せた。
「安心しなさい、勿論、洗って無いわよ!」
「やっぱり、お前の所為じゃねーか!!」
「すみませんでした!! セルド、許して!」
「ふざけんなよ! 俺の十万をどうしてくれるんだ!!」
とうとう、自白したアーチは、十万の重みに耐えかねたのか、珍しく土下座をするも、セルドは、憤りを抑えきれない。
「で、でもね、セルドさん。このワイン、ジャリジャリ以外にも問題があると思うんだけど……」
「どういう事だよ? もしかして、姉御を庇ってんのか?」
「ち、違います。ただ、皆ジャリジャリを気にしてて、気づいて無いかも知れないけど、そもそもこれ、寝かして無いから、アルコールが無くて、ただの葡萄ジュースになってますよ」
「「「え?」」」
俺は、慌ててワインを掬い飲んでみると、口にはジャリジャリした感触と葡萄の甘味と酸味が口に広がるが、ワイン特有の苦みは感じられなかった。
「ホントだ。普通のジャリジャリする葡萄ジュースだ」
俺の確認で、メリサの告げた事が、逃れようの無い真実になってしまい、唖然としているセルドは、静かに膝をついて、天井を見上げていた。
「お、終わった。今月も借金生活か……」
「わ、私も、聞いた事しかないですけど、ワインって、熟成させるのが大事なんじゃないですか?」
「あっ、そういや発酵とか、諸々、踏んでたら全部忘れてたわ! セルドすまん!」
「お前もか、トーマス!!」
これ以上、取り乱しているセルドは見ていられないので、何とか、助け舟を出さなければ。
「でもよ、トーマス。ここで、このまま熟成させる事は出来ないのか? せっかく作ったんだし、数日ならフェイさんも許してくれるだろ」
「そ、それもそうだな。トーマス、熟成はどれくらい掛かりそうだ?」
「うーん、……記憶が確かならば、大体一年って所かな?」
「絶対、無理じゃねーか!!」
「か、完全に終わった。俺の汗と涙の十万が……」
セルドは、浴槽に写る、ワインに成り損ねた葡萄の残骸を見て、目に涙を浮かべていた。
俺も、人の金とはいえ、ここまでワイン制作に始めから関わると、責任を感じてしまう。
俺が見ていて感じた、セルドの誤算は、大きく分けて、二つあると言える。
一つは、セルド自身の知識不足。
トーマスに頼らずとも、自分で製法を把握出来ていれば、俺の出した浴槽で作ろうという愚策を却下出来ていたのだから。
二つ目は、恐らく、仲間の選別ミスである。
まず、どこからでも、問題を運んでくるアーチをメンバーに選んだ時点で、何を作っても、途中で大きな失敗は避けられないからだ。
あくまで、他人事ではあるが、セルドの成功に懸ける思いを知ってしまった分、俺にも何か出来る事をしなくては。
今度、新製品を開発する時は、アーチを出来るだけ遠ざけるくらいの手助けはしてあげようと思う。
俺が失敗を糧に、決意を新たにしていると、浴槽の前では、敗北を確信したセルドをアーチが慰めていた。
「まあ、楽しかったから良いじゃない! 来月また良いの出来るわよ!」
「半分は、姉御の所為なんだぞ!」
「まあ、悪かったって! だからさ、せめて、このワイン(仮)を有効活用してやろうよ!」
「有効活用?」
「うん! あたしこの前、カッタルに聞いたんだけどさ、ワインって美容にも良いらしいって評判なのよ」
「だから、何だって言うんだよ。これはワイン(仮)なんだぞ」
「せっかく、浴槽で作ったんだから、これで、ワイン風呂(仮)を作ってみようよ!」
「出来るのか、そんな事?」
「分かんないわよ、そんなの。所詮、あたしの思いつきなんだし。でも、面白そうだから、やるに決まってんでしょ!」
「そうだな! せっかくだし、やってみるか!」
ワイン作りの事は吹っ切れたのか、セルドはこの紫に染まった浴槽で、新たな挑戦を始める様だ。
「カーマ、手伝え! 具現出力、【
セルドは、浴槽の三分の一程になっていた、ワインに、水を足して、水量を調節する。
となれば、俺のやる事は一つだ。
「任せろ。具現出力、【着火】!」
右手の人差し指に火を灯した俺は、浴槽の底にある、魔石に火を灯す。
魔石は、一度作動すると、誰かが止めるまで、一定の火を保ち続けるので、このまま時間が経てば、良い具合に温める事が出来るだろう。
「セルド、火の番は俺がやっとくから、お前は、皆を呼んどいてくれ!」
「ああ、火の番は頼んだぞ! 警備長とかに声掛けてみるわ!」
セルドは、紫に染まった足をしっかりと洗い流してから、他の皆と一緒に風呂場を後にした。
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