その日、モブが消えた。

亜麻色ひかげ

第1話

 ああ、なんでこんなにどうしようもなく襲われているのだろうか。俺は、そんな感覚に侵されながらも。必死に虚空を見つめる。どこまでも広がる真っ白な地は、まるで汚してくださいと言わんばかりに俺を見つめているようだ。

 

 俺は、見た目こそチャラチャラしていて、人からはあまり良いように見られないが、実際のところ、俺は奥ゆかしい性格で、荒くれごととは無関係の人生を送っていた。別に真面目というわけではない。至って普通の生活を送っていた。だが、それも今日で潰えるかもしれない。俺は『消えてしまうのだろうか』と頭の中でふとそんなことが過ぎる。

 

 十八年。長いようで、とても短い生涯だった。目的を完遂する前に途中で諦めてしまうし、何か一つのことをやり切ったこともない、中途半端で非日常なんて一度も味わったことのない、ただのモブだった。初恋だとか恋愛だとか、青春をしてみたかった。こんな男に惚れる女なんて居ない。況してや、今、消えてしまうような、弱い男を好きになるのは、かなりの性癖の持ち主ともいえる。

 

 俺は辛うじて動かせる右手を精一杯伸ばすが、全く意味をなしていない。『見た目だけ』のチャラ男を助ける義理なんて無いかと心の中では少し悲しくなりながらも、またその時が来ないかと目を泳がせる。周りの人間たちは、俺のことなど構わず、自分の信じた道を進み続けているというのに、いまだに俺の目の前にある道は閉ざされていて、右も左も見えない。

 

 自分が如何に弱い人間か、モブであることが分かる。モブは物語に干渉しない。ただそこにいるだけで主人公との接点もなければ、何もかもがどこにでもいる人間だ。俺が消えても気付かないと心の中では思いつつも、俺はそこに居る事が使命であって。俺が消える事はモブとしての役目では無い。俺はモブの一覧から消えてしまうのだ。

 

 ああ、どうしたものか。そうこうしているうちに、刻一刻と時間が過ぎていく。[主人公]は、もうとっくに道を決めて突き進み、ゴールまでたどり着いている気がする。オーラからもそれは窺えるように、手を止めて暇を持て余しているようだ。その横にいる[ヒロイン]は、そんな[主人公]に見惚れているのか、[主人公]に寄り添うように道を決めている。

 

「おい、そこの[ヒロイン]!」

 

 それは突如、静寂を破るように荒げた声。俺からの声では無い、ではどの『モブ』が規律違反を犯したのだろう。モブはこの世界の喋らない人間という規律を。俺は、声の主を探す。今の衝撃で、少しは消えにくくなったような気がするが。

 

「えー?なんですか?[先生]ー?」

 

 妙に甘ったるい女の声は、俺をまた消える側へと持っていく。モブはそこに居るだけで良いはずなのに、別のイベントを起こしてはいけないというのに。

 

「お前、[主人公]を見ていただろう?幾ら分からないからと言って、[主人公]を見るのはダメだぞ」

「だって……分からなかったんだもん」

「だがなぁ、その一応決まっているんだ」

 

[ヒロイン]と[先生]の一悶着。この世界で許されているロール持ちによるイベントだ。俺らモブには許されていないイベントを俺らの前で華麗に披露していく。俺はそんな二人の押し問答を見ながら、自分の限界を感じた。もう、消えてしまいたい。

 

「罰として、これ、全部やってもらうぞ」

「えー?」

「仕方がないだろう?」

 

 まだ時間はあるというのに、公開説教。モブは自我を出してはいけない。自分の道を突き進むだけ。このイベントにも干渉してはいけない。おかしいと思ってしまうのが負けなのだ。

 

「はぁ……」

「お前、今すぐ職員室だ」

「はぁい」

 

 そう言って[ヒロイン]は、席を立つと、後ろの方に座っているモブたちの間を通っていく。容姿端麗で誰が見ても思わずうっとりしてしまう顔立ちに、少し良い匂いのする制服。極めつけの甘い声。どれをとってもまさしく、物語の[ヒロイン]なのだ。そして俺は役無しだ。

 

「……、[先生]。モブがなんだか体調悪そうですよー?」

 

 俺の目の前を通った[ヒロイン]は、[先生]にそう告げる。モブとしてこれはあってはならない事態である。モブは[ヒロイン]に声をかけてもらってはいけない。そんな道理くらい全員がわかっている事だ。案の定、周りのモブも俺を一斉に見る。イレギュラーなイベントが始まったと言わんばかりに。

 

「……、[先生]ー?明らかにモブの顔青いし、紙も白紙だし、保健室連れて行った方が良くないですかー?」

 

[ヒロイン]は、俺の方をじっと見つめる。それは、俺に一度でも来たことのない青春の匂いがした。だが、それと同時に俺は『モブ』という役無しからの卒業を意味する。いや、モブでありたいわけがない。俺だってなれるならみんなの[主人公]になりたかった。みんなから慕われるあの、[主人公]のようになりたかった。

 

 そう決意し、気が緩んだ瞬間、俺は今までの努力が水に流されるような感覚に襲われた。

 

 俺が守り続けていたダムは決壊した。

 

 

 

 ーー俺という『モブ』はその日消えた。

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その日、モブが消えた。 亜麻色ひかげ @Amairo_hikage

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