第303話 一瞬の休息
キルハ城に戻った彼方は、ミランダを客室で休ませた後、自室にミュリックを呼んだ。
「ミュリック。君に頼みたいことがあるんだ」
「はいはい。色事じゃない頼みね。わかってるから」
ミュリックはくびれた腰に手を当てて、ため息をつく。
「別にさー。私だけを愛してなんて言わないんだから、気軽に抱いてくれればいいのに」
「カーリュス教の情報をなるべく多く知りたいんだ。幹部の名前とか、隠れ家の場所とか」
「ちょっとっ! 私の話聞いてる?」
「それと関わりのある商人や貴族の情報も知りたいな」
「…………あのぉ。私の話…………」
「君なら空も飛べて、王都まで早く移動できるし、人間に化けることもできる。情報集めも得意だしね」
「…………わかった。わかったわよ」
ミュリックは頬を膨らませた。
「王都の風俗街に行ってみる。あそこなら、カーリュス教の情報も手に入りやすいし」
「うん。よろしく頼むよ」
「じゃあ、すぐに準備するから」
「あ、ちょっと待って」
歩き出したミュリックを彼方が呼び止めた。
「んっ? 何?」
彼方はミュリックに歩み寄り、金の首輪を外した。
「え…………?」
ミュリックの紫色の瞳が丸くなる。
「なっ…………何?」
「もう、君を拘束する首輪は必要ないから」
「…………いいの?」
「うん。僕が死んだ時に君を道連れにしたくないしね」
「そういうことじゃなくて、私が裏切ったら…………」
「君は、もう裏切らないよ」
彼方は柔らかな笑みを浮かべて、ミュリックを見つめる。
「マジックアイテムの首輪なんてなくてもさ」
「でも、私、ザルドゥに仕えてたモンスターで…………」
「今は僕の仲間だろ?」
「…………」
ミュリックの瞳が潤み、体が小刻みに震え出した。
「う…………ぐっ…………」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ち、ぷっくりした唇から嗚咽が漏れる。
「か…………彼方。私…………がっ、頑張るから」
「無理はしないで。危険だと感じたら、すぐに逃げていいからね」
「わっ、わかってる! 私は…………自分の命が一番大事なんだから!」
そう言いながら、ミュリックは子供のように泣きじゃくった。
◇
ガリアの森の北側に円形の盆地があった。盆地は緑黄色の葉が生えた広葉樹に覆われている。
その盆地の地下にカーリュス教の神殿があった。天然の鍾乳洞の中にある神殿は光沢のあるダークグレーの石で作られていて、周囲の壁には白く輝く石――白輝石が均等に配置されている。
神殿の中央に鎮座している巨大なカーリュスの像の前に上位モンスターのラズイムがいた。
ラズイムは目を細くして、巨大な像を見上げる。
「太古の魔神カーリュスですか。もし、復活したら、大変なことになりますね」
「ラズイム様!」
カーリュス教の信者の男がラズイムに駆け寄った。
「キルハ城を監視していた仲間より連絡がありました。氷室彼方は生きています!」
「…………生きている?」
ラズイムの眉がぴくりと動いた。
「まさか。私は氷室彼方が岩に潰されたところを、この目で見ました。召喚呪文の効果も消えましたし」
「ですが、複数の仲間が城に入る氷室彼方の姿を見ているんです」
「…………そう……ですか」
ラズイムの唇が歪んだ。
――そうか。あの時、岩に潰されたのはニセモノだったのか。そして確実に死んだと見せかけるために召喚呪文を解除した。
「…………やってくれますねぇ。そんな手も使ってきますか」
楽しそうにラズイムは笑った。
「ふふふっ。本当に面白い相手ですよ」
――今回は上手く騙されたが、状況は変わってない。カーリュス教の信者たちを使い、安全に氷室彼方を狙う。最終的に勝つのは私ですよ。
「エルシェ司教」
ダークグレーのローブを着た三十代の女――エルシェ司教がラズイムの前で頭を下げた。
「私は何をすれば?」
「あなたは、今すぐにヨム国の王都に行ってもらいます。そして…………」
ラズイムはエルシェ司教の耳元で三日月の形をした口を動かした。
数分間の話が終わると、ラズイムは周囲にいた数十人の信者たちを見回す。
「皆さんにも動いてもらいますよ」
「しっ、しかし…………」
商人らしき五十代の男が口を開く。
「氷室彼方の暗殺は何度も失敗しています。奴は洞察力に優れていて、罠にかかりません」
「ええ。でも、仲間の女たちは違う」
ラズイムは、にやりと笑う。
「氷室彼方は仲間を大事にする欠点があります。上手く人質に取れば、我らの優位な場所に氷室彼方を呼び寄せることも可能でしょう」
ラズイムの言葉に信者たちは首を縦に動かす。
「皆さんには期待してますよ。英雄である氷室彼方を殺し、邪神カーリュスの恩恵をみんなで受けようではありませんか」
――そんな恩恵があるとは思えませんがね。
瞳を輝かせている信者たちを見て、ラズイムは邪悪な笑みを浮かべた。
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