第301話 彼方とラズイム
「お初にお目にかかります。私はラズイム。デスアリス様の忠実な部下です」
ラズイムは樽のような体を曲げて、丁寧に挨拶した。
「まずは、お見事です」
「お見事って?」
彼方は宙に浮かぶラズイムから視線を外さずに唇を動かした。
「私たちの罠を何度もかいくぐり、この場所を発見したことですよ」
「運がよかったんだ」
「いえいえ。あなたの実力ですよ」
針のように細くなった目でラズイムは彼方を見下ろす。
「ザルドゥ様を倒したあなたが弱いはずはありませんが、人を使った暗殺さえもかわすのは予想外でしたよ。しかも、まだ、秘薬には余裕がある」
「…………どうして余裕があるってわかるの?」
「あなたの目ですよ。恐れがなく、冷静に私を観察している。ザルドゥ様を滅した呪文を使う相手かどうか、見定めようとしてるんでしょうね」
「…………へぇ」
彼方はラズイムと視線を合わせる。
――僕と似たタイプか。会話には注意したほうがよさそうだな。
「秘薬に余裕があるのがわかってるのに姿を見せていいの?」
「ええ。あなたと戦えるのは私だけのようですから。ここはデスアリス様のためにも命をかけるしかありません」
「命をかけるか…………」
彼方は、わざと右手で魔法のポーチに触れた。
――秘薬を使おうとする動きにも特別な反応はないか。逃げる手があるんだな。
「…………んんっ? 秘薬は使わないのですか?」
「使ったとたんに逃げられそうだから」
「なるほど、なるほど。節約を考えるってことは秘薬の量はそこまで多くなさそうですね」
ラズイムの唇が三日月の形に変化する。
「それとも秘薬がなくても私を倒せると考えましたか」
「…………まあね。秘薬なしで上位モンスターを倒したこともあるし」
「倒したこともある…………ですか。ふーむ」
ラズイムは太いあごに手を当てて、首を傾ける。
「…………少し気になりますね」
「気になるって?」
「あなたの言葉にウソが紛れてる気がするんですよ。ただ、それが何かわからない」
ラズイムの瞳孔が縦に細くなる。
「私は人の心を読むのが得意なのですが、あなたは難しい。ウソをついてるはずなのに表情にも声にも変化がない」
「ウソなんてついてないよ」
「いやいや。あなたは何かを隠してます。私の予感は当たるんです」
ラズイムは大きく開いた目で彼方を見つめる。
「自分の思考を他者に読ませない。それがあなたの強さを支える根幹ですか。やはり、あなたは殺しておかないといけませんね」
「は、はははっ!」
ヨゼフが笑い声をあげた。
「終わりだ、氷室彼方。お前は罠にかかったのだ」
「罠って?」
「この広い空間なら、ドラゴンが召喚できるということだ。そうですよね? ラズイム様」
「いいえ。ドラゴンなんて召喚しませんよ」
「…………え?」
ラズイムの言葉にヨゼフの口が大きく開いた。
「…………どっ、どういうことですか? ここでドラゴンを召喚して氷室彼方を倒すのでは?」
「それはウソです」
ラズイムは、にっこりと笑った。
「本当の作戦を伝えたら、あなたたちが嫌がるでしょうから」
「嫌がる?」
「はい。あなたたちを犠牲にする作戦ですから」
その時――。
彼方の背後の通路から、大量の水が流れ込んできた。水は一気に広がり、彼方の足を濡らす。
「ラズイム様っ!」
ヨゼフが甲高い声で叫んだ。
「まさか、私たちも…………」
「ええ。死んでもらいます」
ラズイムは丁寧におじぎをする。
「ありがとうございます。あなたたちがいてくれたから、氷室彼方は罠にかかった。素晴らしい成果です」
「そんな…………」
カーリュス教の信者たちの顔が蒼白になった。
「待ってください! ラズイム様。私は死にたくありません」
「私もイヤです。助けてください!」
「せっ、せめて、私だけでも」
信者たちの声を無視して、ラズイムは彼方に視線を戻す。
「それでは氷室彼方さん。あなたに安らかな死が訪れることを祈っております」
ラズイムが喋り終える前に亜里沙が動いた。
水の中にあるサバイバルナイフを拾い上げ、宙に浮かんでいるラズイムに向かって投げつけた。サバイバルナイフはラズイムの左胸に突き刺さる。
「ほーっ。これは油断しましたね」
ラズイムは笑顔でサバイバルナイフを引き抜く。
「ですが、刃物で私を殺すことはできませんよ」
「えーっ! それって、私と相性最悪じゃん」
亜里沙が不満げに頬を膨らませる。
「しかも、浮かんだままで下りてこないしさ」
「近づく理由がありませんからね」
ラズイムは呪文を唱えながら、両手を斜めに上げた。天井に亀裂が入り、数百キロの岩が次々と落ちてきた。
信者たちが岩に潰され、周囲の水が赤く染まる。
彼方は水に浸かっていたミランダを抱き上げた。
「ミランダさんっ! 大丈夫ですか?」
「…………」
――意識を失ってるのか。
大きな音がして、彼方の頭上から巨大な岩が落ちてきた。
彼方は素早くカードを選択する。
◇◇◇
【呪文カード:オーロラの壁】
【レア度:★★(2) 指定の空間に物理、呪文、特殊攻撃を防御する壁を五秒間作る。再使用時間:2日】
◇◇◇
彼方の頭上に白、赤、緑に変化する半透明の壁が現れた。その壁が巨大な岩を止める。
――この状況はまずい。水で動きにくいし、ミランダさんも守らないといけない。
――とにかく、ラズイムをなんとかしないと。
彼方は新たなカードを選択した。
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