第300話 ラズイム

「…………ほぅ。氷室彼方が、この洞窟にいるかもしれないと?」


 ラズイムは太いあごに手を当てた。


「それは予想外ですね。こんなに早く、この洞窟が見つかるとは」

「どうすればいいのでしょうか?」


 ヨゼフが心配そうな顔でラズイムに歩み寄る。


「氷室彼方は魔神殺しの英雄です。ここにもBランクの冒険者がいますが、勝てるとは思えません」

「でしょうね。アレと正面から戦って勝てる人種ひとしゅはいないでしょう」

「では、ラズイム様が自ら?」

「そんな危険は冒せませんねぇ。私が勝てると断言できませんから」


 ラズイムは肩をすくめる。


「それに、もっと安全な方法がありますし」

「安全な方法…………ですか?」

「はい。とりあえず、下層の広間に移動してください。そこで氷室彼方を罠にかけましょう」


 そう言って、ラズイムはヨゼフの耳に顔を近づけた。


 ◇


 彼方と亜里沙は曲がりくねった狭い穴を進んでいた。頭上から水滴が落ち、二人の上着を濡らす。


 やがて、彼方の視界が広がった。そこは縦横百メートル程のスペースで、周囲の壁が発光する緑色の苔に覆われていた。奥には数十人の男たちが二列に並んで立っている。

 真ん中に灰色のローブを着たヨゼフがいて、その足元に縄で縛られたミランダが横倒しになっていた。


 ――よかった。ミランダさんは無事みたいだ。


 彼方は前にいた亜里沙の背中に触れた。


「亜里沙、右端にいる金髪の男に注意してて。プレートの色が銀色だから、Bランクの冒険者だ。それなりに強いと思うよ」

「了解。で、どう攻める? 隠れて近づくのは無理そうだけど?」

「この地形なら…………」


 その時、彼方の頭上から、甲高い金属音が聞こえた。


 ――この音は…………探知系の呪文か。


 彼方は数歩下がって、腰を落とす。


「二人の侵入者よ…………」


 ヨゼフの声が聞こえてきた。


「いや、氷室彼方。ミランダを殺されたくなければ出てこい! 召喚した女といっしょにな」

「気づかれたか」


 彼方は上下の奥歯を重ねる。


 ――こうなるとミランダさんを助けるのが厳しくなるな。それに…………。


 男たちの表情を確認する。


 ――緊張はしてるけど、余裕も感じられる。何か策があるみたいだ。


「出てこないのなら…………」


 ヨゼフは右足でミランダの腹部を蹴った。ミランダの顔が苦痛に歪む。


「とりあえず、腹の中の子供から殺すか」


「…………」


 彼方の目がすっと細くなった。


「わかりました」


 彼方は立ち上がって、ゆっくりと男たちに近づいた。


「止まれっ!」


 ヨゼフが鋭い声を出す。


「女も出てこい!」


「はいはい」と言いながら、亜里沙が彼方の隣に立った。


 動かない二人を見て、ヨゼフはにやりと笑った。


「どうやら、人質は使えるようだな」


「氷室男爵っ! 私のことはいいから逃げ…………」

「お前は黙ってろ!」


 ヨゼフはミランダの腹部をもう一度蹴る。


「いいか、氷室彼方。まずは武器を捨ててもらおう。もちろん、隣の女もだ」

「お断りします」


 彼方は腰を落として、短剣を構えた。


「依頼を受けたから、ミランダさんを助けに来たけど、自分の命を捨てるわけにはいきませんから。それに僕を殺したら、ミランダさんも殺すんじゃないんですか?」

「…………安心しろ。お前もミランダも殺すつもりはない」

「信じられません」


 彼方は暗い声で言った。


「あなたたちの目的は僕を殺すことですよね? そのために何度も暗殺しようとしたんだし。となると、あなたの言葉はその場限りのウソだとわかる」

「…………ならば、何故出てきた?」

「他の形で交渉できないかって思ったんです」

「他の形?」


 ヨゼフは首をかしげる。


「ええ。わかってると思いますが、僕はあなたたちを全員殺せます。五分以内にね」


 その言葉にヨゼフたちの顔が強張った。


「もし、ミランダさんを解放してくれるのなら、あなたたちの命は保証します。でも、これ以上ミランダさんを傷つけるのなら、皆さんの命は今日で終わりです」

「そんな交渉に俺たちが応じると思ってるのか?」

「応じなければ死ぬだけです」


 彼方は鋭い視線をヨゼフに向ける。


「僕が魔神ザルドゥを呪文で倒したことは知ってますよね?」

「…………もちろん知っている。それ以降、その呪文を使ってないこともな」


 ヨゼフが片方の唇の端を吊り上げた。


「ザルドゥ様を倒せるような高位の呪文には特別な秘薬が必要なはずだ。それが、もうなくなっているのではないか?」

「では、ここで使ってみましょうか?」

「いっ、いや。待てっ!」


 ヨゼフは顔を強張らせて、一歩下がる。


 その姿を見て、彼方は微笑した。


 ――自分の命が最優先なら、ここで『使ってみろ』とは言えないだろうな。


「ふっ、ふふふっ」


 突然、頭上から笑い声が聞こえてきた。

 視線を上げると、そこには茶髪の太った男――ラズイムが宙に浮かんでいた。

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