第298話 カーリュス教

 ――何やってるんだ!


 彼方は素早くニックに駆け寄り、意識を集中させる。


 周囲に三百枚のカードが浮かび上がった。

 呪文カードの『リカバリー』を選択しようとした時、彼方はニックが既に死んでいることに気づいた。


「あ…………」


 彼方の手が止まった。

 ニックの胸元から血が流れ出し、周囲の地面を赤く染めた。


「…………バカなことを」


 彼方は強く奥歯を噛んだ。


 ――ニックさんはミランダさんを人質に取られてた。仕方なく僕を襲ったんだ。だから、死ぬ必要なんてなかったのに。


 ――あなたが死んだことを知ったら、ミランダさんがどんなに悲しむか…………。


 両手のこぶしを強く握り締め、彼方は強く唇を噛んだ。


 ◇


 キルハ城の広間に彼方と仲間たちが集まっていた。

 全員の視線が床に横たわったニックの遺体に向けられている。


「彼方…………」


 彼方の隣にいたティアナールが口を開いた。


「この男と知り合いだったのか?」

「…………はい。名前はニック。Dランクの冒険者です」


 彼方はニックとミランダのことをティアナールに話した。


「なるほど…………な」


 ティアナールはため息をついて、ニックの遺体を見下ろす。


「カーリュス教め。イヤな手を使ってくるな。知り合いに彼方を殺させようとするとは」

「四天王のデスアリスかゲルガが関わってる可能性があります」


 彼方が暗い声で言った。


「最近、デスアリスの軍隊を壊滅させたから。ガデスを使って」

「スケルトンを生み出す死霊使いか…………」


 金色の眉がぴくりと動く。


「あいつなら、多数のモンスターとも戦えるだろうな」


「ねぇ、彼方」


 レーネが彼方の上着を掴んだ。


「ミランダさんを助けに行く気でしょ?」

「…………うん。ニックさんの最後の願いだからね。依頼料も受け取ってしまったし」


 彼方は祈るように目を閉じた。


 ――ニックさんが僕の暗殺に失敗したとわかったら、ミランダさんは殺されてしまうだろう。カーリュス教の信者に気づかれる前に助け出さないと。


「ティアナールさん。兵士を十人選んでもらえますか」

「十人か…………」


 ティアナールは腕を組んだ。


「カーリュス教の奴らが何人いるかわからないし、攻めるなら、もっと数を増やしたほうがいいのではないか?」

「いえ。攻めるのは僕だけで十分です。兵士には裏方の仕事をしてもらえれば」

「雇い主のお前が一番危険な仕事をするつもりか?」

「大丈夫ですよ。こっちから攻めるのなら」


 彼方は周囲にいる仲間たちを安心させるために笑顔を作った。


「わかったにゃ」


 ミケが真剣な顔でうなずく。


「ミケの手を借りたい時は、いつでも言うのにゃ。Eランクのミケはひと味もふた味も違うからにゃ」

「うん。ミケはみんなといっしょにキルハ城を守ってくれると助かるよ」

「了解にゃ。ミケパンチがあるから、安心して行ってくるといいにゃ」


 そう言って、ミケは胸元で両手のこぶしを固めた。


 ◇


 次の日の早朝、彼方とティアナール、そして九人の兵士はキルハ城の南にある低地にいた。気温は低く、周囲に白い霧が立ち込めている。


 十代で茶髪の兵士が彼方の前で片膝をついた。


「氷室男爵。洞窟を発見しました。ここから南西に二百メートルの位置です」

「もう、見つけてくれたんだ? ありがとう」

「い、いえ。仕事ですから」


 十代の兵士の瞳がきらきらと輝く。


「ヨム国の…………いえ、ジウス大陸の英雄である氷室男爵の役に立てて、僕は幸せです」


「こらっ!」


 ティアナールが十代の兵士を睨みつけた。


「そんなことを報告で話すな! 城に帰ってからにしろ」

「すっ、すみません」


 十代の兵士は慌てて頭を下げる。


「まあ、気持ちはわかるがな」


 ティアナールは視線を彼方に向ける。


「で、本当にひとりでいいのか?」

「うん。ティアナールさんたちは、洞窟の入り口を見張っててくれればいいから」

「ならば、容赦するなよ。奴らは自分の欲のためならば躊躇なく人を殺す」


 ティアナールは美しい顔を彼方に近づける。


「お前が死んだら、悲しむ者がたくさんいることを心に刻んでおけ」

「わかってます」


 彼方は真剣な表情で首を縦に動かした。


 ◇


 人の背丈を超える野草をかき分けると、数十メートル先に洞窟の入り口が見えた。その場所は大きな岩が積み重なっていて、近くに黒く汚れた沼があった。


 彼方は腰を落として、視線を左右に動かす。


 ――見張りは…………いないか。中が広いのかもしれないな。


 その時、洞窟の入り口から二人の男が現れた。どちらも革製の鎧を装備していて、冒険者の死体を引きずっている。

 男たちは冒険者の死体を無造作に沼に放り投げた。


「おいっ、女は殺さなくていいのか?」


 痩せた男が大柄の男に声をかけた。


「ああ。女は奴隷として売れるからな。ニムロス国の奴隷商人に引き渡せば、足もつかねぇ」

「ほーっ。ヨゼフ様は顔が広いようだ」

「ニムロス国のほうがカーリュス教の信者は多いからな。非合法な取引もやりやすいのさ」


 男たちは笑いながら洞窟の中に消えていった。


 彼方は沼に沈んでいく冒険者の死体を見て、両手の爪を手のひらに食い込ませた。


 ――ダンジョン探索をしてた冒険者を襲ったのか。盗賊と変わらないな。


「…………そういう相手なら、僕もやりやすいよ」


 彼方の周囲に三百枚のカードが浮かび上がった。

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