第274話 報告
その日の夜、ナグチ将軍は砦に戻り、外壁の修復をしながら、周囲に兵を配置した。
それは氷室彼方より、ヨム国の軍隊を警戒したものだった。
光を発する白い石――白輝石の入ったカンテラを持った兵士たちが歩き回り、その光が兵士たちの鎧と武器に反射している。
「全員、油断するなっ!」
千人長らしきハーフエルフの兵士が叫んだ。
「ヨム国の騎士どもが夜襲をかけてくるかもしれんぞ。気を緩めるなっ!」
兵士たちは真剣な顔で首を縦に動かす。
◇
砦の上階にある一室でナグチ将軍とカルミーラ師団長は伝令兵の報告を聞いていた。
「ウロナ村より、約三万の部隊がこの砦に向かっています。指揮しているのは赤鷲騎士団のガーグ団長です」
「…………ついにガーグ団長が動きましたか」
ナグチ将軍は指先でメガネのブリッジに触れる。
「氷室彼方の仲間がウロナ村の騎士たちに情報を伝えたんでしょうね。あのエルフの女騎士あたりに」
「三万か…………」
カルミーラ師団長の眉がぴくりと動く。
「主力のようだが、こちらの兵力は四万以上だ。ぬるいっ!」
「いっ、いえ…………」
伝令兵が額の汗を拭う。
「それだけではなく、ウロナ村の東にある砦からも約一万五千の騎士が出撃したようです」
「なっ! 銀狼騎士団も動いたのか?」
カルミーラ師団長は驚きの声をあげる。
「…………ほぅ」
ナグチ将軍は首を傾けた。
「ならば、ウル団長が指揮してるんでしょうね。あの男は先頭に立って戦うタイプですから」
「どうします? ウル団長が指揮するのなら、銀狼騎士団の精鋭部隊と予想しますが」
「…………」
ナグチ将軍はまぶたを閉じて沈黙した。眉間にしわが刻まれ、右手の人差し指と中指を上下に動かす。
やがて――。
「バカなことをしましたね。氷室彼方は」
細く目を開いて、ナグチ将軍は微笑した。
「補給庫を破壊したことでヨム国の軍隊に希望を与え、最終的には絶望を与えることになります」
「戦うのですね?」
「ええ。チャンスですから」
「チャンス?」
カルミーラ師団長は首をかしげた。
「私たちの目的はウロナ村を落とすことです。しかし、赤鷲騎士団のガーグ団長は守りに徹して、負けない戦いを続けていました」
「…………あぁ。そういうことですか」
「はい。ヨム国は欲が出たんです。ウロナ村を守るだけではなく、サダル国の英雄である私を倒そうとする欲が」
ナグチ将軍は木製の机の上に置かれた地図に視線を動かす。
「彼らの狙いは、明日の朝、二つの部隊で砦を囲むことでしょう」
「そして、食糧断ちを狙うと」
「その通りです。ウル団長はわかりませんが、ガーグ団長の狙いはそれです」
「ならば、囲われる前に、こちらから攻めましょう」
カルミーラ師団長は片方の唇の端を吊り上げる。
「守ることしかできぬガーグ団長など、我が第七師団の敵ではありません」
「いえ、攻めるのは銀狼騎士団です。好戦的なウル団長のほうが早く倒せますから」
ナグチ将軍の指先が地図に触れる。
「明日の朝、ウル団長が陣を敷く前に三龍の陣で仕掛けます」
「三龍の陣を使うのですか?」
「ええ。一気に銀狼騎士団を殲滅し、ガーグ団長の部隊と対峙します。そして、こちらに向かっている第十三師団を使って後方を遮断すれば、それで終わりです」
「第十三師団を隠し続けたかいがありましたね」
カルミーラ師団長がにやりと笑う。
「彼らのおかげで食糧もなんとかなりそうですし」
突然、扉が開き、女の兵士が部屋に入ってきた。
「たっ、大変です。第十三師団の補給部隊が氷室彼方に襲われましたっ!」
その言葉にナグチ将軍の顔から表情が消えた。
「…………補給部隊が襲われた?」
「は…………はい。森の中を移動中に側面から襲撃を受けました。巨大なゴーレムが大砲で食糧を焼き、百人以上の兵士が殺されました」
「食糧はっ? 食糧はどのぐらい失った?」
ナグチ将軍の口調が変化した。
「しょ、食糧は八割以上を失いました」
「バカな…………」
ナグチ将軍は口を半開きにしたまま、小刻みに体を震わせる。
――氷室彼方め、第十三師団の存在に気づいていたのか。
――しかも、こっちが一番嫌がる手を使ってくる。これでは食糧が二日もたない。
動揺を抑えるためにナグチ将軍は深呼吸を繰り返した。
「…………カルミーラ師団長、兵に指示を出してください。この砦を捨てます」
「捨てる?」
カルミーラ師団長が目を大きく開いた。
「戦わずに逃げるのですか?」
「こちらに余裕がなくなりましたから」
一瞬、ナグチ将軍は唇を強く噛む。
「…………先程の作戦を実行して、銀狼騎士団を殲滅させても、ガーグ団長の三万と戦う時に不安が残ります。少しでも戦いが長引けば食糧断ちの策で一気にこちらが不利になるでしょうし。しかも」
「しかも、何です?」
「氷室彼方はリシウス城からこちらに向かっている補給部隊を狙うはずです」
「補給部隊の動きを知ってると?」
「それはわかりませんが予想はしてるはずです。リシウス城から食糧を輸送してくると。そして、彼の仲間には空を飛べる者がいます。森の中とはいえ、頭上からなら、軍隊の動きはわかりやすいでしょう」
ナグチ将軍は広げられた地図に視線を動かす。
「まずは補給部隊に連絡を! 最大限の警戒をするように伝えてください。そして、私たちは一秒でも早く補給部隊と合流します。食糧の問題さえ解決できれば、まだまだこちらが有利ですから」
「わかりました」
カルミーラ師団長は早足で部屋を出て行く。
伝令兵に指示を出した後、部屋にはナグチ将軍だけが残った。
どこからか入り込んだ蛾が、ゆらゆらとナグチ将軍の周囲を飛び回る。
「異物が…………」
ナグチ将軍の右手が動いた。斜めに振り上げた黄金色の短剣の刃が蛾の体をすり抜ける。
蛾は何もなかったかのようにナグチ将軍の周囲を飛び続け…………六秒後に二つに分かれた。
ひらひらと落ちる紙のように蛾が床に落ちた。
「…………氷室彼方」
地の底から響くような声が唇から漏れる。
「こんなに心から殺したいと思った相手はいませんよ。ふっ、ふふふっ」
小刻みに体を震わせながら、ナグチ将軍は笑い続けた。
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