第275話 戦略

 砦を捨てたナグチ将軍は南西に向かって移動していた。

 既に日は昇り、朝露が兵士たちの鎧を濡らしている。


 列の中央にいるナグチ将軍に伝令兵からの情報が次々と入ってきた。


「銀狼騎士団が後方十五キロまで迫っています。先頭にウル団長の姿を確認っ!」

「ガーグ団長は部隊を二つに分けました。主力は第十三師団と戦闘開始! 別働隊約八千が我らを追ってきます。指揮するのは白龍騎士団のゴルバ千人長です!」

「補給部隊より連絡! 指示通りに部隊を三つに分けて移動中。本日、夜に峡谷の橋を越える予定」


 ナグチ将軍は歩きながら、伝令兵に新たな指示を出す。伝令兵たちは真剣な表情で指示を復唱し、それぞれの部隊に戻っていった。


 ――ぎりぎりだが、補給部隊との合流はできそうだ。となれば、峡谷の手前にある草原で銀狼騎士団を潰しておくか。上手くいけば、その後に白龍騎士団も迎撃することができるだろう。


 ――やはり、警戒すべきは氷室彼方だ。奴は少数で動いているから、斥候に見つかりにくい。パルビス百人長の部隊に捜させているが、発見できる可能性は五分五分か。


 ナグチ将軍は奥歯を強く噛んだ。


 ――氷室彼方の強さは理解していたつもりだった。しかし、軍隊を翻弄するレベルとは思わなかった。本人を狙えば、なんとでもなるが、こちらが攻められる立場になると、奴の能力は危険すぎる。


「少しでも早く、奴を見つけなければ…………」


「ナグチ将軍っ!」


 カルミーラ師団長が走り寄ってきた。


「前方の低地に壁ができてます」

「壁? 壁とは何です?」


 ナグチ将軍は首をかしげる。


「低地全体に高い壁が作られていて、道が塞がっているのです」

「…………直接見て確かめます」


 ナグチ将軍は険しい表情を浮かべて走り出した。


 森の中を十分程進むと、ナグチ将軍の瞳に巨大な壁が映った。その壁はダークグレーの立方体が積み重なってできていて、高さは二十メートル以上あった。


「この壁は…………」


 ナグチ将軍は唇を半開きにして、巨大な壁を見上げる。壁は道を塞ぎ、一直線に左右に広がっていた。


 ――見たことのない石で作られた壁か。土属性を極めた魔道師でも、これだけの規模の壁は作れん。氷室彼方の仕業だな。


「こんな能力まで使えたのか…………」


 ナグチ将軍の口中が乾く。


 ――こんな能力を持っているのに、今まで使っていなかったとは。


「…………化け物ですね。氷室彼方は」


「ナグチ将軍っ!」


 獣人の兵士がナグチ将軍の前で口を開く。


「報告します。この壁は南北に一キロ以上伸びていて、迂回するには時間がかかりそうです。今、周辺の木を切り、簡易の階段を作っているところです」

「…………どのぐらいで階段はできますか?」

「四時間で完成するそうです」

「わかりました。ならば…………」


 その時――。


 ナグチ将軍の頭上に灰色の立方体が具現化された。一辺が二メートル以上ある灰色の石が落下する。


「くっ…………」


 ナグチ将軍はつま先だけを動かして、右に移動した。

 灰色の石は獣人の兵士を押しつぶす。


「あーっ! 惜しいっ!」


 壁の上部から女の声が聞こえた。


 ナグチ将軍は視線を上げる。

 そこには十五歳ぐらいの少女が立っていた。

 少女は茶髪のセミロングでダークグリーンの服を着ていた。右手には色とりどりの宝石が埋め込まれた杖を持っている。


◇◇◇

【召喚カード:立体の魔道師 マイン】

【レア度:★★★(3) 属性:土 攻撃力:100 防御力:300 体力:800 魔力:7100 能力:土属性の呪文で立体物を作り出す。召喚時間:1日。再使用時間:9日】

【フレーバーテキスト:私が本気を出せば、一夜で城を作っちゃうんだから】

◇◇◇


 少女――マインは壁の上からナグチ将軍を見下ろす。


「ねぇ、あなたがナグチ将軍よね?」

「…………ええ。あなたは?」

「私はマイン。彼方様に召喚された立体の魔道師だよ」


 マインはぺろりと舌を出した。


「攻撃力はいまいちだけど、役に立つ女なの。こうやって、軍隊を足止めすることもできるしね」

「…………たかだか、四時間ですけどね」

「それはどうかなぁ?」


 マインは宝石が埋め込まれた杖を振る。

 灰色の立方体が兵士たちの頭上に具現化され、それが落下する。

 下にいた兵士たちが慌てて、立方体を避けた。


「こうやって、階段作りを邪魔することもできるからね」

「あの魔道師を殺せっ!」


 カルミーラ師団長が叫ぶと、弓兵と攻撃呪文を使える兵士が動いた。無数の矢と炎の玉がマインを狙う。


「あーっ、話の途中なのになぁ」


 マインが杖を真横に振ると、目の前に半透明の壁ができた。その壁が矢と炎の玉を跳ね返す。


「甘いなぁ。この程度の攻撃で私を倒せると思ってるの?」


 杖を持った兵士が全長五メートルのワイバーンを召喚した。


「ギュアアアア!」


 ワイバーンは飛び上がり、空からマインを狙う。


「おっと、ヤバい」


 マインは壁の上を走りながら、ナグチ将軍に手を振る。


「じゃあ、頑張ってね」


 マインの姿が壁の奥に消えた。


「くっ! ハシゴをかけて、あの女を追えっ!」


 カルミーラ師団長は周囲にいる兵士たちに指示を出す。


 ナグチ将軍は両手をこぶしの形に変えた。


 ――氷室彼方め。私たちを足止めして、ヨム国の軍隊と戦わせるつもりか。


 ――この場所は低地で木々が多く、陣を敷くには不向きだ。それも計算して壁を配置したな。


「…………見事なものですね。氷室彼方」


 唇の両端を吊り上げて、ナグチ将軍は笑った。


 ――だが、この程度の策で私を追い詰めたと思うなよ。追ってくる部隊を全滅させて、お前の戦略を無意味なものにしてやる!

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