第264話 ナグチ将軍と……

 二日後の夜、ウロナ村の南西にある砦の一室で、ナグチ将軍は報告書を読んでいた。


 ――予想通り、赤鷲騎士団のガーグ団長はウロナ村から動かないか。金獅子騎士団のディラス団長が死に、白龍騎士団のリューク団長も重傷ならば、この砦を取り戻そうとは考えないだろう。もともと、守り重視の戦い方をする老人だからな。


 ――そろそろ、西の湿地帯に潜伏させている第十三師団を動かすか。ヨム国の注意も、こっちに向いてるし、頃合いだろう。


 机の上に置かれたグラスを手に取り、中に入っていた果実酒を口にする。


 ――今の戦力と第十三師団の二万人が加われば、強引に攻めることもできる。相手がガーグ団長なら、そのほうがいい。早く決着をつけられるしな。


 扉がノックされ、女の兵士が部屋に入ってきた。

 ナグチ将軍の青い眉がぴくりと動く。


「どうしました?」


 兵士はナグチ将軍の質問に答えずに数歩前に出た。

 兵士の表情と動きに違和感を覚えて、ナグチ将軍はイスから立ち上がった。


「何かに操られているようですね」

「…………」


 兵士は無言で右手を前に出した。その手のひらには直径五センチ程の水晶玉が乗っていた。

 水晶玉が白く輝き、兵士の前に十代前半の少年が現れた。少年は背丈が百五十センチ、肌は病的に白く、髪は銀色だった。服は白く金の刺繍がしてある。


 笑みの形をした少年の唇が開いた。


「こんばんは。ナグチ将軍」


 男か女かわからないような声が少年の口から漏れた。


「あなたは…………」

「警戒しなくていいよ。これは光で作ったニセモノだから」

「…………人じゃありませんね。モンスターですか?」

「あ、わかるんだ? 外見は人間の子供そのものなのに」


 少年は首を動かして、自身の体を見る。


「まあ、いいや。別に正体を隠してるわけじゃないし。僕の名前はゲルガ。ザルドゥ様に仕えていた四天王だよ」

「ゲルガっ!」


 ナグチ将軍の声が大きくなった。


「どうして、四天王が?」

「有益な情報を教えてあげようと思ってさ」

「有益な情報?」

「そう。氷室彼方のね」


 少年――ゲルガの言葉にナグチ将軍の右頬がぴくりと反応した。


「…………どうして、四天王が氷室彼方を知ってる?」

「そりゃあ、知ってるよ。ザルドゥ様を殺した異界人だからね」

「…………それはヨム国の主張だ」

「事実だよ。サダル国のウソと違ってね」


 マジックアイテムの水晶玉で作られたゲルガの幻影が笑った。

 部屋の中が静まり返り、窓から射し込む月の光が強張ったナグチ将軍の顔を照らした。


「…………本当なのか?」

「ウソをつく理由なんてないだろ」


 ゲルガは銀色の髪をかきあげる。


「氷室彼方は見たことのない高位呪文でザルドゥ様を消滅させた。それが、どんなにありえないことかわかるかい?」

「ありえないこと?」

「そう。ザルドゥ様は究極の存在だった。強大なパワーに無限の魔力。再生能力もあったんだ。なのに…………氷室彼方が使った高位呪文に耐えられなかった」

「そんな呪文を氷室彼方が使えるはずがない!」


 ナグチ将軍は荒い声を出した。


「氷室彼方の情報は集めてる。たしかに奴は高位呪文を使うが、魔神を消滅させる程の呪文ではない!」

「使わない事情があるんだよ。多分、特別な秘薬だろうね」

「…………その秘薬がなくなったか」

「または量が少ないから、温存してるってところかな」


 ゲルガが楽しそうに言った。


「まあ、氷室彼方は僕たちだけじゃなく、サダル国にとっても危険な相手ってことだよ。底が見えないしね」

「…………なるほど。私たちに氷室彼方を殺させようとしてるんだな」

「当たり。頭の回転が早いね」


 パンパンとゲルガが拍手をした。


「実はさ、こっちもいろいろと問題が発生してるんだよね」

「問題とは?」

「マゾン島…………いや、君たちには関係ないことだから」


 ゲルガは、もごもごと口を動かす。


「それより、早く氷室彼方を殺したほうがいいよ。あいつが本気になったら、サダル国の首都バルジリアに潜入して、ダリエス王を暗殺することだってできるだろうし」

「バカなことを。そんなことできるわけが…………」


 ナグチ将軍の言葉が途切れた。


 ゲルガは、にんまりと笑う。


「はっきり言って、氷室彼方は一万人の軍隊より危険だと思うよ。軍隊なら、動きがわかるけど、ひとりで行動する氷室彼方の動きは気づきにくいからね」

「…………お前の策に私が乗ると思ってるのか?」

「僕は忠告してるだけだよ。このままじゃ、サダル国が戦争に負けることになるから」

「氷室彼方ひとりで、この戦況を変えると?」

「その可能性があるってこと。油断してたとはいえ、氷室彼方がザルドゥ様を殺したのは事実だし、ネフュータスを殺したのも氷室彼方だから」

「ネフュータスはヨム国の軍隊と戦っている最中に部下のモンスターに殺されたのではないのか?」


 その質問にゲルガは首を左右に振る。


「ネフュータスを殺せるような部下なんていなかったし、そんなことをやる意味もないよ」

「…………本当なのか?」

「信じないなら、それでもいいけどね。ただ、氷室彼方を甘く見ないほうがいい」

「甘く見たつもりはない。氷室彼方が強者だと私も認識している」

「強者? 氷室彼方はザルドゥ様を殺した規格外の存在だよ。強者なんて言葉で表せるようなものじゃない」


 ゲルガが甲高い笑い声をあげる。


「そんな化け物をほっといて、ウロナ村なんて攻めてていいの?」

「放っておいたわけではないのですが…………」


 ナグチ将軍の言葉遣いが普段通りに戻った。


「それで、有益な情報とは?」

「さっき、僕の部下から、連絡があってさ。氷室彼方の仲間をミフジ高原で見かけたらしいんだ」

「ウロナ村の北にある高原ですか…………」

「うん。いっしょにパーティーを組んでる猫耳のハーフとDランクのシーフ、異界人の女。他にも僕たちを裏切ったサキュバスやダークエルフがいるみたいだ」

「モンスターも仲間にしてるのか」


 乾いた声がナグチ将軍の口から漏れる。


「でも、戦力的には、たいしたことないよ。すぐに捕らえられると思う」

「…………それは、たしかに有益な情報ですね」

「喜んでもらえて嬉しいよ」


 ゲルガはぺろりと舌を出す。


「じゃあ、そろそろ、お喋りはおしまい。僕の情報、役立ててね」


 ふっとゲルガの幻影が消え、水晶玉を持っていた兵士が床に倒れた。


 ナグチ将軍は倒れた兵士に歩み寄り、彼女の呼吸を確認する。


「命に別状はなさそうですね」


 兵士をソファーに寝かせ、ナグチ将軍は窓際に移動する。巨大な月を見上げながら、唇を真っ直ぐに結んだ。


 ――四天王ゲルガの思惑通りに動くのは不本意だが、氷室彼方は早めに殺しておくべきだ。ヨム国の奴らが彼の本当の強さを知る前に。


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