第254話 アン千人長
「アン千人長か…………」
彼方は赤毛の千人長のノドに短剣を寄せた。
「お願いがあるんだけど、いいかな?」
「願いだと?」
アン千人長は首をひねって、背後にいる彼方を見る。
「たいした願いじゃないよ。君たちの利益にもなることだし」
「…………どんな願いだ?」
「キルハ城から部隊を撤退させて欲しいんだ」
「ばっ、バカなことを言うなっ!」
アン千人長の青い目が大きく開いた。
「それのどこに利益があるっ? 軍法会議にかけられて死罪もありえるではないか」
「だけど、この提案を断ったら、今、死ぬことになるよ」
その言葉にアン千人長のノドが大きく動いた。
「お前こそ、ここから生きて逃げられると思ってるのか? 下には千人の兵士がいるんだぞ」
その時、廊下から兵士の声が聞こえてきた。
「くそっ! 何だ、この草の壁は? 斬っても斬っても生えてくるぞ」
「壁の向こう側に女がいるぞ!」
「なんだとっ! アン千人長は無事かっ?」
「わからん! とにかく兵士を集めろ! 絶対にアン千人長を助けるんだ!」
――草の壁での時間稼ぎは上手くいってるようだな。
彼方は視線をアン千人長に戻す。
「部下に慕われてるようだね」
「それがどうした?」
アン千人長が声を荒げた。
「私を人質にしようなど考えても無駄だからな」
「じゃあ、逆はどうかな?」
「逆とは何だ?」
「僕がドラゴンと巨大なゴーレムを召喚できることは知ってるよね? 中庭にドラゴンを召喚したら、多くの兵士が死ぬことになる」
「きっ、貴様っ!」
「怒ることじゃないだろ? この城はもともと僕の城だし、ヨム国とサダル国は戦争してるんだから」
彼方はアン千人長の手首から手を離した。
「むしろ、感謝してもらいたいな。君たちを無傷で逃がそうとしてるんだから」
「…………何が目的だ?」
アン千人長は窓を背にして、彼方をにらみつける。
「金獅子騎士団が近くにいるのだろうが、ここにお前だけがいる理由がわからん」
「僕が金獅子騎士団といっしょに動いてるって思ってたんだ?」
「ごまかそうとしても無駄だ。お前が金獅子騎士団の部隊と組んで、ティルキル様を殺したことはわかってるからな」
「…………なるほど」
彼方は口元に親指の爪を寄せる。
――浮遊島の戦いではサダル国の兵士を全滅させたから、正確な情報が伝わってないんだな。まあ、僕だけで第九師団の兵士とティルキルたちを殺したとは考えにくいか。
――それなら、間違った情報を利用するか。
「バレてるのなら、しょうがないね。たしかに金獅子騎士団は近くに待機してる」
「ならば、何故攻めてこない?」
「攻めてくるよ。明日の朝には」
「明日の朝…………」
「そう。今夜、撤退しなかったら、君たちは全滅する。工兵部隊じゃ、金獅子騎士団二千人と戦えるはずもないしね」
「わけがわからん」
アン千人長は首をかしげる。
「どうして、お前は私たちを逃がそうとするんだ?」
「…………僕はこの城の主だからね。金獅子騎士団ではなく、僕が取り戻したことにしたいんだよ」
その場で考えた理由を彼方は口にした。
「そうすれば、また、恩賞をもらえるかもしれないからね」
「…………お前、恩賞のために、こんな無茶なことをやってるのか?」
「無茶ってほどじゃないよ。金獅子騎士団の力を借りたけど、ティルキルを倒したのは僕だからね。」
彼方の言葉にアン千人長は沈黙した。
数十秒後、閉じていたアン千人長の口が開く。
「…………その話、信じていいんだな?」
「信じたほうが君たちの部隊にとって利益があるってことだよ。この交渉が決裂したら、僕は君を殺して、金獅子騎士団と合流する。そして、君たちの部隊を全滅させることになるだろうね」
「わっ、わかった」
アン千人長は両手を胸元まであげた。
「たしかに、ここでお前と争っても我々は勝てないだろう。部下の安全を保証してくれるのなら、撤退しよう」
「よかった。机の下にある武器を使われたらどうしようって、思ってたよ」
「なっ、何故、ナイフのことを知ってる!?」
アン千人長の目が大きく開く。
「僕との会話の最中に、ちょくちょく視線がそっちに向いてたからね。右手も少し反応してたし、呼吸にも乱れがあった」
「呼吸だと?」
「うん。何か狙ってる相手はいろいろと不自然な動きをするからね」
「…………そうか。氷室彼方は召喚呪文だけではなく戦闘能力も高いと聞いていたが、事実だったようだな。所詮、工兵部隊をまかされている私の勝てる相手ではなかったか」
アン千人長は唇を強く噛んで、両手のこぶしを震わせた。
◇
キルハ城を去っていくサダル国の兵士たちを彼方は塔の上から見下ろしていた。
隣にいるドリアードのプラムが口を開く。
「全員、生かして帰すなんて優しいんだね」
「工兵部隊なら、交渉できると思ったんだ。彼らの仕事は戦闘ではないから」
彼方は淡々とした口調で言った。
「でも、次は戦闘部隊が攻めてくるんじゃないの?」
「半々ってところかな」
「あれ、そうなの?」
「ナグチ将軍はウロナ村を攻めようとしてるからね。リシウス城に第三師団の師団長がいるみたいだけど、積極的には攻めてこない可能性も高い。リシウス城を守ることが最優先だろうし」
彼方は視線をウロナ村がある東に向ける。
「それにウロナ村を落としたら、キルハ城の戦略的価値は、ほぼなくなるから」
「ふーん。それなら、楽でいいね」
「ただ、油断はできないよ。ナグチ将軍は策士だし、僕の裏をかくような動きをしてくるかもしれない」
唇を真っ直ぐに結び、彼方は思考する。
――とりあえず、領主としての仕事は果たせたか。これで、ナグチ将軍が戦力をこっちに向けるのなら、ウロナ村の戦いをサポートできたことにもなる。
「…………プラム。もう一仕事してもらうよ」
「んっ? 何をするの?」
「城の周りをトゲのある草で囲って欲しいんだ。君が消えても、それは残るんだろ?」
「うん。そういう種類の植物を使えばね」
「じゃあ、頼むよ。早めに城の守りを固めておきたいから」
「色気のない頼みだなぁ。せっかくだから、もっと楽しいことすればいいのに…………」
不満げな表情で、プラムは自身のふくよかな胸に手を当てた。
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