第212話 雨のキルハ城

 しとしとと小雨が降る深夜、彼方は飛行船の操縦室で、元領主のクラーク伯爵の日記を読んでいた。


 意識を集中させると、リグワールドの文字が日本語に変換される。


 ――こうやって、文字が読めるのは有り難いな。これで飛行船の操縦方法も理解できたし。


 彼方はイスから立ち上がって、操舵輪に触れる。後方にある赤紫色の宝石の輝きが強くなる。


 ――連動してるってことか。ある意味、魔法って科学より優れてるな。魔力のある宝石の力で、こんな大きな船を浮かせているんだから。


 その時、扉が開いて、ダークエルフのエルメアと有翼人のニーアが操縦室に入ってきた。


「彼方っ! 金獅子騎士団の奴らが戻ってきたぞ。今、香鈴とミケが対応してる」

「わかった。エルメアはニーアといっしょにここに隠れてて!」


 彼方は操縦室を出て、城に向かった。


 ◇


 城の一階に戻ると、七人の若い騎士たちが床に倒れ込んでいた。全員がケガをしていて、重傷を負っている騎士に、香鈴が回復呪文をかけている。


「イタイノ…………イタイノ…………トンデケー」


 香鈴の手のひらが緑色に輝き、騎士の傷が塞がっていく。荒くなっていた騎士の息が穏やかになった。


 白銀の鎧をつけた女騎士が彼方に歩み寄った。女騎士は十代後半で金色の巻き毛を短く切っていた。背は低めで、茶色の目が僅かに吊り上がっている。


「氷室男爵、私は金獅子騎士団、十人長のコロンです」


 女騎士――コロン十人長はぴんと背筋を伸ばした。


「アモス千人長は?」

「…………戦死しました」


 コロン十人長は悔しそうな顔をして、体を震わせた。


「崖の近くで待ち伏せされ、一時間で九割の騎士が殺されたのです」

「九割も?」

「敵の中に、Sランクの魔法戦士ティルキルと剣士イゴールがいたんです。奴らさえいなければ、ここまでの損害は出なかったはずなのに…………」

「生き残ったのは、ここにいる七人だけ?」

「いや。ヨゼフ百人長が四十人の騎士たちと西に逃げています」

「西ですか? 東じゃなくて?」


 彼方の質問にコロン十人長はうなずく。


「ヨゼフ百人長は、私たち十代の騎士を逃がすためにおとりになってくれたのだ。まだ、私たちが死ぬのは早すぎると…………」


 コロン十人長の瞳が充血し、声が掠れる。


「氷室男爵、仲間を頼みます」

「頼むって、まさか…………」

「はい。私はヨゼフ百人長を助けに行きます!」


 きっぱりとコロン十人長は言った。


「ヨゼフ百人長は高潔なお方だ。もう高齢ではあるが、あの方こそ、ヨム国に必要な人材なのです」


「無駄よ」


 突然、女の声が広間に響いた。


 全員が振り返ると、扉の前にミュリックが立っていた。ミュリックのピンク色の髪は雨に濡れていて、光沢のある黒い服からも、水が滴り落ちている。


「何だ、お前は!」

「大丈夫。このサキュバスは味方だから」


 彼方はロングソードを構えたコロン十人長の手に触れる。


「特別製の首輪で僕に逆らえない状態なんだ」

「首輪なんてなくても、あなたに逆らう気なんてないって」

「そんなことより、無駄ってどういう意味?」

「逃げてた金獅子騎士団の騎士たちは、やられちゃったってこと」


 ミュリックは両手のひらを上に向けて、肩をすくめる。


「ジエ川の近くまで逃げてたみたいだけど、そこで包囲されちゃってね。指揮官っぽいお爺ちゃんはオーガみたいな人間に殺されてたかな」


「そ、そんな…………」


 コロン十人長の顔が蒼白になる。


「ミュリック、他の騎士たちは、みんな殺されたの?」

「何人か捕まってたかな。多分、情報を引き出すつもりなんでしょうね。でも、それが終わったら、殺されるんじゃないの」


 他人事のようにミュリックは答えた。


「それより、重要なことがあるの。そこの巻き毛ちゃんたちは別働隊に追跡されてたみたいね」

「ここにサダル国の兵士が来るってことか…………」


 彼方は視線を城門に向ける。


「数はわかる?」

「三十人ぐらいかな。後、十分ぐらいでここに来ると思うよ」

「わかった。君は七原さんと騎士たちを守ってて。僕は城門に行くから」


「私も行く!」


 コロン十人長が、走り出そうとした彼方の肩を掴んだ。


「私は軽傷だし、あなたひとりではどうにもならない」

「でも…………」

「頼む! 私も戦わせてくれ!」


 コロン十人長は深く頭を下げた。


「…………わかりました。ついてきてください」


 彼方とコロン十人長は中庭を抜けて、城門に向かった。


 ◇


 城門を開くと、冷たい雨が彼方の頬に当たった。

 斜面の先にある暗い森は風に揺れて、ざわざわと音を立てている。


 ――月がないせいで、いつもより視界が悪いな。


「氷室男爵、私の後ろに」


 コロン十人長は彼方の前に立って、ロングソードを構える。


「失礼だが、あなたはFランクの冒険者だと聞いている。戦いには不慣れでしょう」

「いや、ほどほどには戦えるようになったよ」

「ほどほどとは、どの程度ですか?」

「四天王のガラドスと一対一で戦えるぐらいかな」

「…………冗談を言ってる場合ではありませんっ!」


 コロン十人長の眉が吊り上がった。


「サダル国の兵士は躊躇なくあなたを殺す気です。緊張感を持ってください!」

「ご、ごめん」


 思わず、彼方は謝った。


 その時、下方の森から数個の白い光が見えた。


 ――周囲を照らす呪文か。奇襲ではなく、素直に攻める気か。


 彼方の周囲に三百枚のカードが出現した。

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