第105話 訓練学校

 五日後、西地区の外れにある『ユリエス流魔法戦士訓練学校』の訓練場で、彼方は床掃除をしていた。


 固く絞った雑巾で、丁寧に木の床を拭いていく。

 窓から差し込む夕陽が磨かれた廊下に反射し、彼方の白い頬を照らしている。


 訓練場は縦横二十五メートル程の広さがあり、天井も五メートル以上の高さがあった。

 既に生徒たちの訓練は終わっていて、彼方以外に人の姿はない。


 広い床を全て拭き終え、彼方は額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。


「とりあえず、これで仕事は終わりか」


 ――日本の道場と違って、土足で訓練してるから、掃除はそれなりに大変だな。


「おーっ、ごくろうさん」


 突然、訓練場の入り口から、男の声が聞こえてきた。

 振り返ると、そこには生徒のカールとダニエルがいた。


 二人は十代後半で髪は金髪、背が高く貴族の家系だった。

 声をかけたカールが、にやにやと笑いながら彼方に歩み寄る。


「あいかわらず、お前は真面目だなー。掃除の仕事を、ここまで真剣にやる奴は初めて見たぞ」

「仕事の合間に訓練を見学させてもらってるからね。感謝の気持ちもあるんだ」


 彼方はにっこりと笑う。


「みんなの戦い方は、すごく勉強になるよ」

「ほーう。俺たちの戦い方が勉強になるのか」


 カールは彼方のベルトにはめ込まれた茶色のプレートを指差す。


「お前、Fランクだよな。それに、魔力もない」

「魔力のこともわかるんだ?」

「そりゃあ、俺たちは魔法戦士を目指してるからな。相手の魔力の量ぐらいは予想できる」


 カールの隣にいたダニエルがうんうんとうなずく。


「ねぇ、君は無駄なことをしてるってわかってるのかな?」

「無駄なこと?」

「うん。ここはね、あのSランクの冒険者ユリエス様が魔法戦士を育てるために作った学校なんだ。つまり、呪文を使うことを想定した訓練をしてるってこと」

「それはわかってるよ」


 彼方は足元に置いてあったバケツに雑巾を入れる。


「なら、魔法が使えない君は、剣士の戦い方を勉強したほうがいいんじゃないかな」

「ダニエルの言う通りだ」


 カールがダニエルの意見に同意する。


「戦闘が苦手なお前のために教えてやるよ。魔法戦士と剣士の戦い方は、まったく違うのさ。剣士は素早く相手に近づき、武器を使って戦う。だが、魔法戦士は相手に合わせて、近距離でも遠距離でも戦えるからな」

「だから、この学校では防御に力を入れてるんだね」

「ああ。魔法戦士は攻めよりも守りこそが大事なんだ」


 カールは彼方の肩をぽんと叩く。


「ただ、お前の場合は、攻撃呪文も防御呪文も使えないからな。防御にこだわっても、じり貧になるだけだ。つまり、俺たちの訓練を見学してても無意味ってことさ」

「そうかもしれないね」


 ふっと彼方は笑みを漏らす。


「ここで、君たちの訓練を見せてもらって、防御の大切さが、より理解できたよ。魔法戦士の強さもね」

「なら、俺と訓練してみないか」

「えっ? 君と?」


 彼方はぱちぱちと目を動かす。


「そうさ。もちろん、訓練だから、こっちは最弱の呪文しか撃たない。それがお前の体に当たれば、俺の勝ちだ」

「君たちがやってる訓練と同じだね」

「魔法が使えないお前は、当然、アグの樹液に包まれた武器で俺を攻撃して構わない。なんなら、普通の武器を使ってもいいぞ」

「うーん…………」


 彼方は腕を組んで考え込む。


 ――この二人が訓練をしてるところは何度も見た。正直、強くはない。武器の扱いはDランクのレーネのほうが上だし、呪文攻撃だって時間がかかりすぎる。それに、戦闘のくせもわかってるから、カードの力を使わなくても簡単に倒せる。


「…………いや、止めておくよ。公平な戦いじゃないし」

「あーっ、たしかにそうだな。そっちは魔力のないFランクだし」


 彼方の言葉を誤解して、カールは笑った。


「なら、呪文は使わずに戦ってやろうか?」


「いいねーっ!」


 ダニエルが唇の両端をにゅっと吊り上げる。


「それなら、君もカールに勝てるかもしれないよ。チャレンジしてみなよ」

「うーん…………」


 彼方が困った顔で頭をかく。


「カールっ!」


 凜とした女の声が訓練場に響いた。


 声のした方向に視線を動かすと、オレンジ色の髪をしたポニーテールの女が立っていた。

 女は年齢が二十代前半で、銀の胸当てと金の刺繍を施した白い服を着ている。身長は女にしては高く、百七十センチ近くある。目は切れ長で、唇は薄く、左右の耳は僅かに尖っていた。


「ゆ、ユリナ様」


 カールが震える声で女の名前を口にした。


 ユリナは早足でカールに近づくと、端正な唇を動かした。


「どうやら、訓練が物足りなかったみたいだな。それなら、私がお前の相手をしてやる」

「そっ、それは…………」

「どうした? 本気でかかってきていいんだぞ」

「い、いや…………」


 カールの額から、だらだらと汗が流れ出す。


「これで、彼方の気持ちがわかっただろ」


 ユリナはカールの頭を軽く叩く。


「たとえ、彼方が魔法を使えなくても、魔法戦士の戦い方を勉強するのは悪いことではないからな」

「すっ、すみません」


 カールとダニエルはユリナに向かって頭を下げる。


「謝る相手が違うだろ?」


 ユリナがそう言うと、二人は彼方にも謝罪した。


「気にしないでください」


 彼方はユリナたちに笑顔で対応する。


 ――カールとダニエルもSランクの冒険者ユリエスの一人娘のユリナさんには、頭が上がらないか。まあ、ユリナさんは冒険者ギルドにも登録してて、Aランクだからな。それに、この学校の師範代だし。


 彼方はユリナを見つめる。


 ――ユリナさんは間違いなく強い。今まで戦った、暗器のリムエル、魔法戦士のイリュート、剣士のバザムより、一ランク上の強さがある。訓練だから、本気の呪文は見てないけど、話を聞くかぎり、相当強い複数の属性の呪文が使えるらしい。


 ――多分、カードの力を使わずに初見で戦ったら、僕が負けるだろうな。


 その時、何かの気配を感じて、彼方の体がぴくりと反応した。


 素早く視線を動かすと、訓練場の入り口に白銀の鎧を着た体格のいい男が立っていることに気づいた。


 男はオレンジ色の髪をしていて、耳はユリナと同じで僅かに尖っていた。背は百八十センチ近くあり、腰にはマジックアイテムらしきロングソードを提げている。


 ――この人…………とんでもなく強い。ユリナさん以上だ。もしかして…………。


「父上っ!」


 ユリナが笑顔で男に駆け寄った。


 ――やっぱり、この人がヨムの国に八人しかいないSランクの冒険者。魔法戦士のユリエスか。


 彼方の両手が自然にこぶしの形に変化した。

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