第100話 彼方とミケ

数時間後、彼方はミケを背負って、オレンジ色の夕陽に染まる街の中を歩いていた。


「…………にゃ」


 背中から、ミケの声が聞こえてきた。


「あ、起きたみたいだね」

「ここは…………どこにゃ?」

「西地区の裏通りだよ」


 彼方は優しい声でミケの質問に答える。


「もうすぐ、裏路地の三角亭に着くよ。残念会しようと思ってさ」

「残念会?」

「うん。僕がいた世界では、試験に失敗した時にも、飲んだり食べたりすることがあるんだ。次は頑張ろうってね」

「…………にゃあ」


 ミケは頭に生えた猫の耳を彼方のうなじに押しつける。


「彼方…………ごめんにゃあ」

「ん? ごめんって?」

「ミケのせいで、彼方もEランクになれなかったにゃ」

「何言ってるんだよ。ミケらしくないなぁ」


 彼方の頬が緩んだ。


「昇級試験は、また、来月受ければいいよ。それに、Fランクだって仕事はあるから」

「…………そうだにゃ。次はがんがるにゃ」

「うん。今日は僕のおごりでいいから。ミケの好きな黒毛牛のステーキも食べていいよ」

「にゃっ! 黒毛牛かにゃ」


 ミケの紫色の瞳が輝いた。


「本当におごってくれるのかにゃ?」

「ただし、黒毛牛は二切れまでかな。あとはチャモ鳥のクリーム煮と…………」

「ポク芋のバター焼きも食べたいにゃ」

「じゃあ、それと食後にタピの実のミルクティー頼もう」

「にゃあああ! すごいごちそうにゃあ」


 ミケのしっぽがぱたぱたと動き、彼方の太股に当たる。


「彼方といっしょのパーティーになれて、よかったのにゃ」

「僕もそう思ってるよ」

「彼方もかにゃ?」


 ミケは不思議そうな顔をした。


「でも、ミケは強くないにゃ。彼方なら、もっと強いパーティーに入れるはずにゃ」

「僕にとっては、強さよりも信頼できる仲間のほうがいいんだ」

「信頼かにゃ?」

「うん。同じパーティーの仲間が信頼できないと、気が休まらないから。でも、ミケなら、僕を裏切ることなんてないし」

「うむにゃ。ミケは彼方のことが大好きだからにゃ。しっぽだって、触らせてるのにゃ」

「う、うん。たしかに何度か触ったかな」

「もしかしたら、ミケのお腹に彼方の赤ちゃんができてるかもしれないのにゃ」

「できないよ!」


 背負ったミケに向かって、彼方は突っ込みを入れた。


 ◇


 十分後、Y字路の真ん中に建てられた三角形の店が見えた。扉の前の看板には『裏路地の三角亭』と書かれている。


 彼方が扉を開けると、カウンターの奥から獣人の店主――ポタンが現れた。ポタンの外見は後ろ脚だけで立っている黒猫で、白いエプロンを身につけていた。


 ポタンは金色の瞳でミケを背負った彼方を見つめる。


「どうした? ミケがケガでもしたのか?」

「うん。でも、魔法医に回復呪文をかけてもらったから、もう大丈夫みたいだ」

「うむにゃ。ミケは元気にゃ!」


 ミケは彼方の背中から飛び降りると、丸テーブルの近くにある木製のイスに腰をかける。


「マスター、今日は彼方がおごってくれるのにゃ」

「ほう。何かいいことでもあったのか?」

「残念会なのにゃ」

「残念会?」

「次はがんがるための会にゃ」

「何だ、そりゃ」


 ポタンは首をかしげる。


「とりあえず、野苺のソーダーを二杯もってくるにゃ。まずは乾杯にゃ」

「…………注文してくれるのなら、何だっていいがな」


 ポタンは金属製の箱を開けて、ソーダ水の入った樽を取り出す。


「よろしくお願いします」


 彼方はポタンに頭を下げてイスに座る。


 ポタンが、シュワシュワと音を立てる野苺のソーダをテーブルの上に置いた。


「それで、料理は何にする?」

「黒毛牛のステーキを四切れとチャモ鳥のクリーム煮、ポク芋のバター焼きを」

「バターはたっぷりで頼むにゃあ」


 ミケがポタンに注文をつける。


「それと、食後にタピの実のミルクティーを…………」


 その時、扉が開いて、十代後半の女が店内に入ってきた。


 女はセミロングの黒髪で、金の刺繍の入った白い服を着ていた。手足は細く、右手の人差し指に不思議な模様が刻まれた指輪をしている。


 ――見たことのない女の人だ。新規のお客さんかな。


「あ、あのぉ…………」


 女はぷっくりとした唇を開いた。


「ここに、氷室彼方さんって名前の冒険者はいらっしゃいますか?」


 突然、自分の名前を呼ばれて、彼方の目が丸くなった。

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