第97話 医務室にて

 医務室は冒険者ギルドの一階の端にあった。

 中は縦横七メートル程の正方形で、壁際に並んだ棚には、多くの小瓶や壺が置かれている。窓はなく、天井には光る石を利用した照明があり、ぼんやりと部屋を照らしていた。


 彼方が扉を開けた音が聞こえたのか、奥の部屋から、三十代の女が現れた。

 女は栗色の髪に栗色の瞳をしていて、白いローブを着ていた。肌も白く、胸元には緑色の宝石をあしらったネックレスをつけている。


「あら、また、ケガ人なの?」


 女は抱きかかえられたミケに視線を向ける。


「まあ、いいわ。とにかく、そこのベッドに寝かせて」


 彼方は部屋の隅にあったベッドにミケを寝かせる。


「えーと…………名前は?」

「ミケです」


 ミケの代わりに彼方が答えた。


「ふーん…………ノドに腫れがあるわね。後はお腹か…………」


 女は躊躇なく、ミケのつぎはぎだらけの服をめくり、腹部を確認する。


「お腹は…………皮膚の下で少し出血があるかな。まあ、このぐらいなら…………」


 女はミケのノドと腹部に手を当てて、呪文の詠唱を始めた。

 女の両手が緑色に輝き、赤くなっていたノドと腹部に、その光が移動する。


 痛みに顔を歪めていたミケの表情が穏やかになった。

 数十秒後、女はミケから離れて、彼方に向き直る。


「これで、もう大丈夫。隣に仮眠室があるから、少し寝かせておくといいわ」

「ありがとうございます。えーと…………」

「私はCランクのアルミーネ。魔法医よ」

「魔法医?」

「そう。回復に特化した役職ね。こうやって、回復呪文も使えるし、薬の調合もやれる。まあ、その分、戦闘は苦手だから、冒険に出ることもないけどね」


 女――アルミーネは彼方のベルトにはめ込まれたプレートを見る。


「あなたたちもFランクのようね。試験官は誰?」

「バザムって剣士です」

「ああーっ、あいつはサディストだからね。前にも試験官をやった時にも、ケガ人をいっぱい出してたし」


 アルミーネは深く息を吐いて、ミケの頭部の耳を撫でる。

 ミケはすやすやと寝息を立てている。


 その時、扉が開いて、二人の冒険者が腕を押さえながら、医務室に入ってきた。


 彼方は、すぐにその二人がFランクの冒険者だと気づいた。


「えーっ、またなの」


 アルミーネが二人の冒険者に歩み寄る。


「ケガは二人とも腕?」

「は、はい」


 若い冒険者が苦しそうな顔でうなずく。


「わかった。じゃあ、こっちのベッドは使ってるから、隣の部屋に行って。私もすぐに行くから」


 そう言って、アルミーネは栗色の髪をかき上げる。


「この調子じゃ、まだまだケガ人は増えそうね」


「…………すみません」


 彼方がアルミーネに声をかけた。


「ミケを、このまま寝かせておいてもらえませんか?」

「あ、う、うん。それはいいけど、あなたはどこに行くの?」

「昇級試験をやってる中庭に戻ろうと思って」

「そう。なら、バザムに伝えといてよ。少しは加減しろって、魔法医が言ってたって」

「…………わかりました」


 彼方は暗い声で答えた。


 ◇


 彼方が中庭に戻ると、バザムの前で女の冒険者が足を押さえていた。


「こ…………降参します」


 女は足を引きずりながら、壁際に移動する。


 彼方は、唇を真一文字に結んで、バザムに近づく。


「おっ、お前、戻ってきたのか」


 バザムが嬉しそうな顔をした。


「よし! 特別に失格を取り止めてやる」

「…………試験は失格で構いません」


 彼方は抑揚のない声で言った。


「んっ? なら、どうして戻ってきた?」

「僕もあなたと戦いたくなったんですよ。試験なんか関係なく」


 彼方は両手にはめていたネーデの腕輪を外して、魔法のポーチの中に入れる。


「おいっ! マジックアイテムは使わないのか?」

「Bランク相手に使う必要なんてないですよ」

「…………あぁ?」


 バザムはぎらりとした目で彼方を睨みつけた。


「今、何て言った?」

「あなた相手に、マジックアイテムを使う必要はないって言ったんです」


 彼方は近くに落ちていたロングソードを拾い上げる。


「それに、あれを使ったら、あなたに大ケガをさせてしまうかもしれないし」

「…………ほう」


 バザムの体が小刻みに震え出した。


「…………お前、覚悟はできてるんだろうな?」

「何の覚悟ですか?」

「一ヶ月以上、医務室のベッドで過ごす覚悟だよ」


 片方の唇の端だけを吊り上げて、バザムは笑う。


「俺の本気を見せてやる! かかってこいっ!」

「…………じゃあ」


 彼方は両手でロングソードを握り締め、ゆっくりとバザムとの距離を縮めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る