第86話 最下層の戦い4

「こ…………こんなこと、ありえない」


 モーラは彼方の持つ銀色のプレートを見て、声を震わせた。


「どうやって、イリュートを?」


 彼方は質問に答えずに、モーラに向かって走り出した。

 慌ててモーラは呪文の詠唱を始める。


 彼方とモーラとの距離が三メートルに近づいた時、モーラの前に炎の壁ができた。

 彼方は深淵の剣を振って、炎の壁を消滅させる。


 モーラの顔が恐怖で歪んだ。


「まっ、待って! 降参よ!」

「待てませんね」


 彼方は杖ごとモーラの体を斜めに斬った。


「かはっ…………」


 モーラは血を噴き出しながら、両膝をついた。


「…………わ、私はもう戦う気は…………」

「あなたに戦う気はなくても、僕にはあります。あなた、不意打ちで冒険者たちを焼き殺したんでしょ? そんなことをして、自分が許されると思ってるんですか?」


 彼方は冷たい視線をモーラに向ける。


「それに、カーリュス教は欲望のためなら、人を殺していいんですよね? それなら、自分が殺されても文句はないでしょう」

「た、助け…………」

「助けを求める相手が違うでしょう」


 彼方は呆然としているウードを見る。


 彼方と視線が合った瞬間、ウードは我に返った。


「くそっ!」


 ウードはくるりと体を回転させ、階段に向かう。


 その行く手をレーネが塞いだ。


「どけっ! シーフ女」

「どくわけないでしょ」


 レーネは腰に提げていた短剣を引き抜く。


「ザックを殺したあんただけは絶対に逃がさない!」

「なら、死ねっ!」


 ウードは二本の短剣を左右の手に握り、レーネに襲い掛かった。


 その攻撃をレーネは丁寧に受ける。


 防御に徹して、攻撃をしないレーネにウードの唇が歪む。


「どういうつもりだ!?」

「あなたを倒す必要はないってこと」


 レーネは後ずさりしながら、薄い唇を動かす。

「私はあなたを足止めできればいい。そうすれば…………」

「僕があなたを殺しますから」


 彼方がウードに歩み寄る。


「あっ、ぐっ!」


 ウードは彼方に向き直った。


「ザックさんを殺したのは、あなたなんですね」

「たっ、助けてくれ!」

「無理ですね」


 彼方は深淵の剣をウードに向ける。


「あなたはザックさんを殺した。それだけでも、見逃す気になりません」

「情けはないのかよ?」

「ないですね。僕は聖人じゃないから」

「…………くそっ!」


 覚悟を決めたのか、ウードは腰を低くして、両手に持った短剣を強く握る。


「やってやるよ。お前さえ殺せば後は雑魚なんだ。絶対に逃げ切ってやる!」

「じゃあ、終わらせましょう」


 彼方は深淵の剣の柄の部分で、自分の太股を二回叩いた。


「レーネ! 君は手を出さなくていいよ。ウードごとき、僕だけで十分だから」


 その言葉を聞いて、ウードの視線がレーネに向いた。


 同時に彼方が前に出る。


「てっ、てめぇ!」


 ウードは短剣で彼方の心臓を狙う。

 その短剣を彼方は左手にはめた腕輪で受け、深淵の剣でウードの胴体を薙ぐ。


「あ…………」


 ウードは極限まで目を見開き、魚のように口をぱくぱくと動かす。

 赤い血がウードのズボンを濡らし、床を赤く染める。


「ごっ…………が…………」


 ウードの体が傾き、仰向けに倒れた。


 彼方は氷のように冷たい視線をウードに向けた。


「あなたが使おうとした技を応用させてもらいました。文句はないですよね?」

「ちく…………しょう」


 ウードは血の気を失った顔を上げて、彼方を見つめる。


「どうして…………こんなに強い…………」

「異界人の中には、たまに特別な力を持ってる者がいると聞きました」

「お前が…………そうだと言うのか?」

「ええ。でも、あなた程度なら、そんな力がなくても負ける気はしませんね」

「ぐっ…………」


 ウードは目と口を大きく開いたまま、絶命した。

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