第36話 元勇者の視点

 ――この辺りも、ダメか……。


 男は、ふつりと足を止めた。

 眼下にしげる城山の緑と、角度によってかろうじてかい見える市街地を、無感動に眺めながら。


 ――俺はいまどこにいるんだ?


 異世界への扉ゲートを探して山中をただやみくもにうろつくうちに、またしてもこんなところまで来てしまった。

 案内板もロープ柵も、とうにありはしない。

 獣道すらおぼつかず、迷い込みでもしなければまず誰もやってこないであろう場所だ。


 うっそうとした山奥。


 むせるほどに新緑の匂いが濃く、ときおり季節を狂わせるように虫たちがすだく。

 日暮れにはまだ早い気もするが、草木にさえぎられ陽光はか細い。


 ――いったい、何合目付近だ?

 いや、どうだっていい。

 扉がなければ同じことだ。


 頭はやけに熱っぽく、男の思考はろくすっぽ働いていない。

 あごをつたう汗に無意識に手をやると、しょうひげ越しに固い頬の感触があった。

 全身が汗臭く、薄汚れたシャツとスラックスが肌にまとわりつく。


 きっとこんな自分を誰かが見ても、かい学園の理事長だとはとうてい思うまい。

 ましてや、などと。

 だがそれもまたどうでもいいことだ。

 山中をさまようその男――かいひでが抱えているのは、けっきょくのところ、ただひとつのもうしゅうに過ぎないのだ。


 ――愛しい人に、もう一度会いたい。……愛するマーシヤに。


 10年、違う、もう20年近く前のあの日、自分はこの城山のどこかで落雷に打たれた。

 さえない18歳の夏。

 わけもなくむしゃくしゃして、悪天候も気にとめずでたらめに歩きまわったこの山中で。


 そして落雷を浴びたひんのはてに、異世界へ転生した。

 精霊王に魂を召喚され、加護を受けた勇者となって。

 青のマントをまといし、聖剣の使い手として。


 ドワーフとハイエルフの素晴らしい仲間に出会い、共に旅をし、闇の魔王を打ち倒した。

 そして、とらわれの姫君を救いだした。


 若きうるわしの姫君――マーシヤ。

 で一番美しい、運命の人。


 彼女と恋に落ち、愛しあった。

 たまのような赤子、ユーシヤをさずかった。


 だが、その行いはきん

 転生者と異世界人のハーフには、神罰が下る。

 異種異質なる魂のこんこうから生まれたその者には、神々さえおよばぬ絶大な《世界を変える力》が眠るともいわれ……。

 なればこそ、神々によって罰せられる。

 神々の免罪を得るため、愛するマーシヤは魂を煉獄へ捧げてしまった。

 この自分と娘ユーシヤを、転移門から逃げのびさせて。


 ――俺はいまどこにいるんだ?


 くりかえし、かいひではおのれに問う。

 目覚めれば戻ってきてしまっていたこの世界で。


 マーシヤの遺志をむだにせぬよう、生きのびてはきた。

 さいわいなことに、娘ユーシヤは勇気凛凛と育ってくれている。

 誇らしい仲間であるふうぞうふうのおかげで、学園の経営も順調だ。


 だがそれでも。

 どうしても、彼女を求めてしまう。

 ただ会いたくて、あるともしれぬ異世界への扉を探し、こんな風に城山をさまよってしまう。

 何度でも。

 どんなにバカげた《願い》でも。


 ――マーシヤ。



 ……ふと、かいひでの視界に、誰かが立った。

 唐突に。気付くとすでに、そこに。

 音さえたてず、姿が現れた。


 それは一見どこにでもいる、ごくごく普通の少女だった――。

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