第29話 モブ、あるいは悪魔の視点Ⅲ

(ほ、本当にこれで《悪魔ひょう》できてるのかな? み、見た目はそこまで変わってないみたいだけど……)


 デーモン属性の転生徒になったもんは、腰から生えたかぎのとがったしっのほかに自分が特にかわり映えしないことにやや不安をおぼえながら、足音を忍ばせ転生徒会室のドアへすり寄る。


 いま室内では、かいユーシヤをはじめとする転生徒たちが放課後のテスト勉強に取り組んでいるはずだ。

 ときおりにぎやかな話し声が、彼のしゃがみ込む外廊下まで聞こえてくる。


 自室の本棚に置いてきたあのしゃべる魔導書グリーモザによれば、もんには忘れ妖魔インプという悪魔がすでにひょうしているはずなのだが……。


『忘れインプってのは一種の上位睡魔でな、睡眠魔法で人を眠らせているあいだにその記憶を喰っちまうのよ。お前が忘れインプを自分にひょうさせて、ぞっこん惚れてるそのかいユーシヤとかいう娘の、テスト勉強以外の余分な記憶を喰ってやればいい。そうすりゃその娘の脳にたっぷり空きが出て、テスト勉強とやらもすこぶるはかどることうけあいだぜ、ヒャッヒャッヒャ』

 

 昨夜、魔導書グリーモザはそうたか笑い、なおこう続けた。


『どんな記憶を喰やいいかって? そりゃ、テスト勉強以外のなるべく新鮮な記憶だろうな。古い記憶はクソまずい。前日に見た夢の内容とか、今朝シャワーを何時に浴びたかとか、そういうどうでもいい記憶を喰ってりゃまずバレねえさ。睡眠魔法で眠らせて、かるく娘の頭に手をかざしゃ、ものの数秒でサクッと喰えちまうだろうよ、ヒャッヒャッヒャ』


「で、でも、目の前で睡眠魔法を使ったりしたら、は、犯人が僕だって、わ、わかっちゃうじゃないか」


『アホか、もん。悪魔の魔法をナメてんじゃねえよ。壁越しだろうがドア越しだろうが、姿を隠したままだって忘れインプの睡眠魔法はバッチシくぜ。お前はただ念じりゃいいのよ、(ね・む・れ)ってな、ヒャッヒャッヒャ』


 ――とにかくいまは、魔導書グリーモザの言葉を信じるしかない。


 こうして実際、転生徒会室のドアの前まで来てしまったんだから。

 すべては、あのかいユーシヤさんを、僕の運命の人を助けてあげるため。

 彼女のテスト勉強が、少しでもはかどるようにしてあげるために。

 

 募る想いと決意を胸に、もんはドアの陰からこう念じた。


(ね・む・れ)


 …………。

 するととたんに、転生徒会室に完全な沈黙が訪れる。

 奇妙なまでの静寂。

 いや、かすかに何人かの寝息が聞こえるか。


 そっと慎重にドアを開けると、睡眠魔法の効果があらわになった。

 かいユーシヤやほかの転生徒たちが、ひとり残らず長机に顔をふせてスヤスヤと寝息を立てている。


 だが驚いている暇はない。

 なるべくわずかな時間でかいユーシヤの記憶を喰らい、この場を離れなければあやしまれてしまう。


 もんは急いで眠れる青髪の少女に近寄り、その頭に手をかざした。


 魔導書グリーモザの言った通り、本当にそれだけで、もんは狙い通りの記憶を喰らうことができた。


 眠りこけるかいユーシヤの青髪をすり抜けるようにして、ささいかつ新しい記憶が霧状のすじとなり彼の手の中へ、そして身内へと流れ込んでくる。

 それはまさに、喰らうという表現がピッタリな感覚だった。

 胃があたたかくなり、腹が満たされていく気さえした。


 せつなのこうこつからハッと我にかえると、もんはすぐさま慌てて退散した。

 睡眠魔法の解き方を魔導書グリーモザにうっかり聞きそびれていたが、閉めたドア越しに青ざめながら(お・き・ろ)と念じるとどうにかうまくいった。


 冷や汗で背中をぐっしょりと濡らしながら、ひとしれずもんの作戦はこうして幕を切った……。



        ♢



 それからテスト本番まで、土日をはさみ平日は同じことを毎日くり返した。


 忘れインプをおのれにひょうさせたもん。彼の作戦は、誰にもあやしまれず順調に運んだと言っていい。


 ただ――。

 いよいよ中間考査を翌日に控えたその放課後だけは、いささか予想外のことが起こった……。


 いつものように睡眠魔法で転生徒たちを眠らせ、かいユーシヤの頭に手をかざしその余分な記憶を喰らう。

 そして自分の存在がバレぬよう、早々に退散する。

 それが手順だ。

 

 しかしどういうわけか、最後の最後になってもんは自分でも思いもよらぬ行動に出た。


 もっと記憶を喰いたくなったのだ。


 一刻も早くその場を離れなくてはならないのに、彼は湧き起こる衝動を抑えられない。


 えたいの知れない感に操られるように、試験範囲に関わるかいユーシヤの新鮮な記憶まで喰らいはじめる。

 それは、彼が手をつけてはいけないはずの記憶だ。

 さらにはほかの転生徒たち全員の頭にも手をかざし、試験範囲の新鮮な記憶をむさぼり喰らう。


 満腹感とともにハッと我にかえると、もんは自分がしでかしてしまったことにせんりつし、今度こそ大慌てでその場を後にした。


 閉めた転生徒会室のドア越しに(お・き・ろ)と念じるとき、彼は絶望のあまりさけびだしたい気分だった……。

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