5.2


 照明の光が完全に消えて、薄く聴こえていた恋青先輩の声が消える。どうやら、私抜きでこれからライブが始まるらしい。でも、仕方ない。だって私は投げ出してしまったんだから。

 

 興奮を隠そうともしない観客がステージに向かって一斉に駆け出した。空奏さん、遥さんの順で姿を現し、その度に大きな歓声が響く。

 

 そして、最後に恋青先輩が姿を現した時――揺れた。壁を突き破りそうな歓声。

 

 やっぱり、そうなんだ。恋青先輩は私のような偽物とは違う。これからも、この場所で多くの人を救うんだろう。

 また、私は捨てられるんだ。でも、よかったと思う。茜、恋青先輩。二人に見捨てられるなら諦められる。

 

 ふと、まだ暗いステージ上にいる恋青先輩と目が合った。わからないけど私を見てると確信できた。そして、私を見ながら薄暗いフロアに向けて話しはじめた。

 

「今日はみんなにじゃなくて、一人に向けて演ります」

 

 疎な拍手と戸惑う声。だけど、恋青先輩は臆する事なく続ける。

 

「私はただの恋青として歌う。だって、今の私達はまだ三人で、MyNameじゃない」

 

 誰かに届けって叫んでる。

 

「……救いたい人がいるんだ!」

 

 その言葉は私の心に染み込んできた。ステージの上には私のストラトキャスターが見える。恋青先輩は身体を振りながら、キラキラと光るテレキャスターでオープンコードを掻き鳴らす。

 

「だから、みんなの力を貸してほしい! 優しすぎる、大切な子が私達を選んでくれるように!」

 

 照明が一斉に光を灯す。フロアの熱が爆発した。

 

「私は歌うことしかできない! だから、私を受け取ったみんなの熱をどうか彼女に届けてほしい!」

 

 でも、私は瞬きすらできない。あのステージに目が奪われる。涙を散らしながら、恋青先輩が叫ぶ。

 

「私達を助けて! ……みんなの力で、この場所が一つになれるように! 」

 

 その言葉と共に音楽が走り出した。あの時に決めたセットリストとは全く違う曲。三人は最初から全力だった。忘れていたはずのライブハウスを身体が思い出す。三人から流れ出す音の壁が全力で私を殴りつけてくる。膨張する歓声で今にもフロアが破裂しそう。

 

 だけど、この場所の中心にいるのは、空奏さんのドラム、遥さんのベース。そして、恋青先輩の歌。フロアとバンドが一体となる。あまりにも幻想的な光景に目を奪われた。

 

 だけど、何かが足りない。何度も聴いたはずなのに、外から見たら全くの別物だ。違う、そうじゃない。足りないよ。全然、何もかも、全く足りてない。あるはずのない隙間が聴こえて仕方がないんだ。

 

 脚が震える。前へ出したいのに張り付いて動かない。この期に及んで私は動かない。下を向き床を見つめる。これ以上は本当に惨めだ。もうやめよう。そう思った時だった。

 

「……いかないの?」

「え?」

 

 声がした。聴き覚えはあるけど思い出せない音。私は少しだけ顔を上げる。


 そこにいたのは……、双葉彩白だった。


「はは……」

 

 私は自重気味に笑う。結局そうなんだ。私はずっとそう。こんな時にすら私じゃない誰かに、理想だった過去の幼い自分に縋ってる。理想の幻影を作り出して、そんな彼女に助けて貰おうとしているんだ。惨めすぎて逆に笑えてくる。

 

「ねぇ、いかないの?」

「……いけないよ」

 

 私は子供を諭すように答える。

 

「なんで?」

「私は人を不幸にしてしまうから」

 

 双葉彩白は笑いながら答える。

 

「そうなの?」

「そうだよ。そうなんだ」

 

 私は存在してはいけなかったんだ。ここにいるだけで、誰かを傷つける。だから、最初からダメだったんだ。

 

「そんなの、みんなそうでしょ? 私だけが特別なんじゃないよ」

「……は?」

 

 心の中で言い放った言葉に対する彼女の答えに、私は目を丸くする。

 

「だって、私も誰かのせいで傷ついているもん」

 

 私は空気を喰む。

 

「人間関係って、そういうものでしょ? 時には笑って、時には傷ついて。そうやって育んでいくものだよ? ……私と茜がそうだったように」

 

 茜の顔を思い浮かべる。怒られて、喧嘩して、時には殴って。だけど、思い浮かべるのは笑って過ごした日々ばっかりだ。

 

「そんな事も忘れちゃったの? やっぱり私ってダメだなー」

 

 全くその通りだよ。

 

「どうせ、恋青先輩達とも茜みたいになるかもってビビってるだけでしょ?」

 

 だけど少しだけ、ほんの少しだけ腹が立つ。

 

「お前は……」

「ん?」

「お前は子供だから知らないだけだよ」

 

 彼女は目をまんまるに剥いた後、お腹を抱えて笑い出す。しばらく笑った後、私の目が私を射抜く。

 

「知ってるよ。だって、私の事だもん」

 

 ……そうだ。目の前にいるのは私だ。

 

「パパがいなくなって、色々な失敗をして、茜を傷つけて、自分も傷ついて……。そんな歩みの上に私は立ってる」

「でも、あの頃の私は……、ずっと自由で……」

「私だって、私の歩いた道の一部でしょ?」

 

 私の思考が溶けていく。そうだった。過去の私だって、私だったんだ。

 眩い光の中に見えるのは、必死に音楽を届けている新しい出会い。待っていてくれている。あぁ、私はあそこに行きたいんだ。抱きしめて欲しかったんだ。

 

「何も忘れてなんてない、失ってなんかない! だって、私が目の前にいる。それが何よりの答えでしょ?」

 

 そうだ。幻なんてない。目の前にいるのは私だ。

 

「……うん。そうだね」

「それで……? いかないの?」

 

 挑戦的な目つきだ。やっぱり、私って生意気だな。

 

「私、いくね」

 

 遅いよ。

 

「本当にありがとう」

 

 うん。でも、最後だからね。

 

「わかってる。もう頼らない」

 

 ……それだけ?

 

「もう憧れない」

 

 そうしてくれると嬉しいな。

 

「私は前に進むよ」

 

 きっと心配なんてないよ。

 ま、根拠なんてないけどね。

 

「頑張るから」

 

 ずっと見てる。

 

「うん。見ていて」

 

 大丈夫。ずっと一緒にいるよ。

 

「うん。いつまでも一緒だ」

 

 私は脚を前に動かす。もう、震えは止まった。

 そして、双葉彩白の横を通り過ぎる。少し進んだ先で振り返らずに止まった。

 

「じゃあ、ね」

 

 ――うん、バイバイ。


 私は過去を振り切って、もう一度歩き出す。

 

 飛び跳ねる人達を自分の手で掻き分けてステージを目指す。熱い。火傷しそうだ。近づいていくたびに人の波は増えて動きづらくなっていく。だけど、止まることなんてない。訝しげに私を見る顔を無視して、ただひたすらに前へ。

 

 柵が見えてきた。オールスタンディングの観客を抑え込む柵。スタッフがダイブしている観客を受け止めている。

 そして、ちょうど曲が止み、ステージが暗転した。まるで私を待っていたかのように思える。それは思い込みが過ぎるかな。

 

 顔を上げると、私を見つめる恋青先輩。笑顔の空奏さんと私はわかってた風のドヤ顔をしている遥さん。

 私は右手を三人に向かって伸ばす。恋青先輩が私を受け取り、ステージへと引っ張り込む。

 

「彩白、遅いよ」

 

 頬に涙の跡を残す恋青先輩。

 

「シロ遅すぎ! もう、後一曲だよ!」

 

 私を茶化す空奏さん。

 

「姫、待ってた」

 

 優しい顔で迎え入れてくれる遥さん。

 どうしよう。なんて言えばいいかな。そうだ、一言だけ。思ってることを口に出そう。

 

「ごめん」

 

 私の言葉に三人が笑う。遥さんが私にギターを持ってくる。真っ白のストラトキャスター。

 

「はい。ちゃんと作っといた」

「ありがとう」

 

 私はギター受け取って、ストラップを肩に通す。一番大好きなストラトキャスター。それは憧れのパパと茜の音が鳴るから。セレクターをフロントとセンターのハーフトーンの位置にした。

 そして、ボリュームとトーンノブを最大にして、弦を何も押さえずにストロークする。

 Em7add11。これまで死ぬ程聴いてきた和音だ。音がズレたって何回でも合わせてきた。諦めずに上を見て、……茜を目指してきた。

 

「大丈夫?」と恋青先輩に聞かれる。

「はい」

 

 私が答えると恋青先輩が手招きする。私は迷う事なく近づく。空奏さんのドラムセットを中心に四人で輪になった。そして、三人は左の拳を突き出す。

 

「ほら、彩白も!」

「……はい」

 

 私はこつんと拳を合わせる。

 

「何を演るか、わかってるよね」

 

 恋青先輩の言葉にみんなで頷く。

 

「楽しもう」

 

 私達はそれぞれの場所に散った。ふと顔を上げる。フロアに蔓延っていたのは困惑と不審だ。これは私が作ってしまったモノ、だったね。

 

 私は足元にあるエフェクターボードのオーバードライブを踏む。そして、オープンコードを一発、放った。


 刹那、暴力的な光が押し寄せる。静かだった照明が闇を抉りとり、オーディエンスの空気が変わる。


 でも、まだ足りない。私はブースターのスイッチを潰すように足で押し込みギターソロを走らせる。私の音が観客の隙間を這うように切り裂いて、観客一人一人の鼓膜をズタズタにしながら天井まで駆け抜けていく。

 

 私は指板から目を離しフロアをみる。そこにあったのは、ぽけーっと口を開けているオーディエンス。

 

 そうだ、それでいい。私の音を讃えるように聴け。そうすれば、お前たちに最高のギターを刻み込んでやる。安心してよ、今はただの挨拶だ。

 

 ふと横を見ると、呆れたように笑う恋青先輩がいる。後ろの空奏さんは目を輝かせていて、遥さんはうんうん頷いている。私はニヤッと笑った。

 そして、フロアに向かって恋青先輩が口を開く。

 

「日本一高い山の麓から来ました、MyNameです。今日、このハコをぶっ壊します!」

 

 恋青先輩が言葉を言い終わるのとほぼ同時に、空奏さんが4カウントを鳴らす。

 

 私は迷わずギターリフを解き放った。

 それは昨日思いついたばかりのフレーズ。恋青先輩の歌詞をみて、指板に導かれるままに生まれた、私がこのバンドで奏でる最初の閃光。今までとは違う私をフロアに解き放つ。無限にも思える組み合わせの中で、ギター弾いてきた時間が形にとなり音として出力されていく。ずっと、気が狂うほど練習してきた。時間を積み上げてきたんだ。そんな私をバンドの中に曝け出す。

 

 私のギターと遥さんのベースと噛み合っていく。あからさまに譲ってくれている。後ろには、私の背中を支える空奏さん。でも、そんな気遣いはいらないよ。演ろう。ずっと、いつまでだって。

 

 そして、恋青先輩が解き放った。甘い、とても甘い声だ。恋青先輩が感情の隙間に入り込んできて頭がおかしくなりそう。やっぱり好き。恋青先輩の声が大好き。私の理想なんてチャチなモノで、恋青先輩のライブは想像なんて超えていた。これを毎回、いや、毎日だって聴いていたい。

 

 私達四人はこれまで違う場所で生きてきた。どこかの知らない場所で、誰とも知らない人達と過ごして、今ここにいる。性格だって違うし、音楽の歴だってバラバラだ。私は何も知らない。まだ、私は自分のことしか知らない。モニターだけが私を照らす暗い部屋の中、死んだ目をしながら一人でギターを弾いてきた日々しか知らないんだ。

 

 だけど、そんな私達の音が溶け出して一つとなり曲になっていく。余分なことを考えて立ち止まっていた時間がバカみたい。そうだね、私は馬鹿だ。


 昨日、形にしただけのものとは違う。私も、空奏さんも、遥さんも。歌う恋青先輩すら好き勝手に演っている。だけど、何も言わずとも私達は一つになっているんだ。ここまで合わせてきた呼吸を感じとって、未完成だった曲は完成へと進んでいく。

 

 遥さんが高音を混ぜてきた。私は競うようにその音域を奪い返す。空奏さんの突き上げるようなビートに反応して、プリングとハンマリングを細かく混ぜていく。必死に紡ぐ恋青先輩のハスキーボイスが私のギターに華を添えた。まるで、みんなで私を引っ張り上げてくれているみたい。ずっと、永遠に続けって思う。だけど、音楽は終わってしまうものだ。だから、人の心に残るんだと私は思う。

 恋青先輩が最後を出し切り後ろを向く。私達は空奏さんを囲うように円になった。

 

 空奏さんのドラムに合わせて頭を振る。髪をかき乱しながらひたすらに。きっと、ミュートはめちゃくちゃだ。家で音楽を作る時はあれだけ気にしているのに、でも、今は全く気にならない。私達が奏でる魂の叫びに、細かい考えは全くの不要だ。

 

 汗を撒き散らし、ギターで光を斬る。私達は何回も重なる。四人とも終わりたくないと思っているんだろう。だけど、恋青先輩がフロアの方を向き直す。私はネックから左手を離す。

 私達は様々な雑音を曝け出しながら、彼女の合図を待った。そして、マイクを通さずに恋青先輩が叫ぶ。

 

「MyNameでした!」

 

 恋青先輩の声と同時に私はコードをかき鳴らした。全員の音が一つに交わる。そして、スモークの光に乗ってどこまでも伸びきっていく。

 

 私はハッとしてフロアを見た。気づけば割れんばかりの歓声が私達を包み込んでいる。モッシュは止まる気配すらない。もうめちゃくちゃだ。本当に笑える。この素晴らしい光景を私達が作り出したんだ。

 

 私達は各々のタイミングで音を止める。感情に浸ってる私を置き去りにして、空奏さんと遥さんは肩で息をしながら舞台袖に履けていった。

 残ったのは、私と恋青先輩。私は恋青先輩に手を差し出す。

 

「恋青先輩。連れてってください」

 

 彼女は目を丸くして、下を向きクスッと笑った。

 

「はいはい。お姫様」

 

 恋青先輩が私の手をとって暗闇の中に連れ込んでいく。すぐ先に待つ二人。

 

「最高だったよ」と優しく微笑む空奏さん。

「興奮した」遥さんの顔は真っ赤だ。

 

 私は胸を張り、斜め上から見下ろすようにして応える。

 

「当たり前。だって私が弾くんだもん」

 

 きっと、予想外の答えだったんだろう。私以外の三人が笑った。すると、遠くから手拍子と足を踏み鳴らす音が聞こえる。STAFFと書かれた黒いTシャツを着た男の人が寄ってくる。

 

「アンコールいけます!」

 

 その言葉に私達は目線を合わせる。

 

「シロ、どうする?」と空奏さん。

「姫」遥さんは一言だけ言う。

 

 真横にいる恋青先輩を見つめると、ニマッと笑い「彩白が決めてよ」と答えがわかりきったことを言ってくる。

 

「当然、やるよ」

 

 私は気恥ずかしくなって、斜め下の光を見つめた。

 

「はは! そう来なくっちゃ!」

 

 空奏は勝手にステージに向かっていった。高まりきった歓声を独り占めにしている。

 

「……待ってるね」

 

 恋青先輩が行ってしまう。私が後を追おうとした時、突然肩が掴まれた。遥が私の目をまっすぐに見つめている。

 

「姫、ライブどうだった?」

 

 いや、もうわかりきってるでしょ。散々音で会話した。だけど彼女は私の言葉を聞きたいらしい。だから、なんとなく思ったことをそのまま口に出す。

 

「あぁ、クスリとかやってる人ってあんな気分なのかな」

「……えぇ」

 

 私の答えを聞いた遥はドン引きしていた。


 

 


 

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