5.1


「で、どうすんの?」

 

 スマートフォンを片手に空奏が言う。

 

「もう、二時間は待ってる」

 

 遥は少し不安そうだ。

 

「何度も連絡してるけど帰ってこない」

 

 翌日、部室の前に集合した私達。珍しく遥と空奏は待ち合わせの十分前に来ていた。


 だけど、彩白はいつまで経ってもこない。すれ違う恐怖で動けず、時間がただ経過してしまった。完全に判断ミスだ。送ったLINEもずっと未読のまま。昨日送ったLINEの既読は四つになっていたから、今日の連絡は見られてすらいない。

 

「……リハって何時から?」

「タイムテーブル上は十五時過ぎくらい? でも、私達は最初だから一時間前ぐらいなら、ギリいけるかも」

 

 もう、お昼を回っている。ライブハウスは県の中部にある。ここからなら車で一時間くらい。機材を下ろす時間も考えて、そろそろ出ないと間に合わない。

 

「入り時間的に、もういくしかない……よね」

 

 空奏が下を向く。

 

「どっちにしろ。機材は下ろさなきゃならない」

 

 迷う私達に遥が現実を突きつけてくる。そんな二人を見て、気持ちを確認しないとって思った。

 

「二人は……」

 

 私の言葉に、空奏と遥が同時に私を見る。

 

「彩白がライブをすっぽかしたって思ってる?」

「ありえないでしょ」笑みを浮かべ即答する空奏。

「ない」と続く遥。

「だよね……」

 

 よかった。わかっていたけど、二人も同じ気持ちだ。

 

「……私、見てくる」

「は? シロの家まで行くってこと?」

 

 空奏は驚きを隠そうともしない。

 

「うん。心配だし……」

「間に合うの?」

 

 眉を下げた遥が私の肩を掴む。

 

「自転車で限界まで急げばギリ、捕まえたら電車で行く」

「それなら車で行けば……」

「ダメ、それじゃ絶対に間に合わない」

 

 遥の提案に私は首を振る。

 

「リハにドラムがいないとヤバいし、遥には運転がある。それなら私が行くしかないでしょ?」

 

 あれだけ焦ってたくせに、空奏がニヤけながら私を見る。

 

「諦めるって選択肢は?」

「ない」

 

 私は即答する。彩白はもう私達の一部だ。何かあったなら、状況だけでも確認しないと。病気とか寝坊なら、後でみんなで笑えばいい。

 

「遥……」

 

 私は目をしっかり見て、託す。

 

「彩白の音、頼んだよ」

 

 遥は目を見開いた後、私を見据える。

 

「任された」

 

 力強く頷く。遥の頼もしい姿を見て私は走り出そうとした。その瞬間、右ポケットが震える。私は足を止めて、画面を凝視した。

 

『佐藤茜』

 

 ディスプレイには、ここ最近全く顔を出さなくなった元凶の名前が表示されている。

 

「恋青、どうした? もしかして、シロ?」

「いや……」

 

 私はスマートフォンを二人に向ける。

 

「呼ばれた」

 

 私は確信した。この人は知っている、と。



 先生に呼ばれた場所は、また彼女の根城である音楽準備室だった。


 いつも通りノックを三回すると「はい」という言葉と共に部屋に招かれた。私が中に入ると先生は立ち上がり、真ん中まで寄ってくる。私は足を前に進めた。人三人分の距離まで近づく。


 だけど、先生は一向に口を開こうとしない。私は痺れを切らして、口を開いた。

 

「知ってるんですよね……」

「なにが?」

 

 先生は顔色ひとつ変化させない。

 私は怒りを込めて、先生を睨んだ。

 

「嘘。そんな怒んないでよ」

「ならはやく話してください。暇な先生とは違って、私は予定が詰まってるんで」

 

 ふふっと先生が笑った。

 

「そうだね、どうしよ。どこから話そうかな」

 

 先生は私から目線を外し、遠くを見る。

 

「まずは昨日、何があったのか教えてください」

「ああ、そだね」

 

 先生は私にスマートフォンを私に見せる。それは着信欄で『彩白』と表示されている。

 

「昨日、彩白から電話があったんだ」

「……なんて?」

「あぁ、助けてとかなんとか言ってたよ。いっぱい喋ってたけど、大体はそんな感じ」

 

 え、は? なんで、どうして?

 

「ああ、恋青達の事じゃないよ。まぁ、関係はしてるみたいだけど」

 

 違う。そうじゃない。私は、あっけらかんとなんでもないことのように語る貴方が信じられないんだ。

 

「……どうして、そんな軽々しく語れるんですか?」

「え?」

「助けを求められたんですよね? なんで、そんな表情で語るのかって聞いてるんです」

「だって、私には関係ないし」

 

 頭の中が白に染まった。

 

「なに言ってんだよ! あれだけ、彩白はあれだけ先生を慕ってたのに!」

 

 先生は冷たく私を流し見る。もう、我慢なんてできない。

 

「バンドも先生の為に頑張りますって、あんなに傷ついた顔で言ってたじゃんか! 一番に助けを求められたのに関係ないだって? ふざけてるんですか?」

 

 私は思わずに声を荒げる。

 

「なに? 怒ってるの?」

「当たり前だ!」

 

 私は壁を思いっきり殴りつけた。後からヒリヒリとした痛みがやってくる。

 

「ふーん。優しいね」

「……バカにしてるんですか?」

 

 本当に限界だ。どうにかなってしまいそう。

 

「あの子の隣にいるべきなのは私じゃない」

「は?」

「聞こえなかった? 私にはあの子の隣にいる資格がない。それだけだよ」

「いきなり、なに言って……」

「恋青はあの子の為、本気になって怒ってくれた。だから、私の本当を話そうと思ってね」

 

 先生はいつものように笑ってる。でも、なんの意味もわからない。隣? 本当? なんの話をしてるんだ。


「昔の私はね、勘違いしてた。私が彩白を導けばいいってね」

「かん、ちがい……?」

「そうだよ。でも、失敗だったんだ。……結果としてあの子は孤独になって、一人で音楽をする様になってしまった。そして、私はあっという間に置いていかれたんだよ」

 

 先生は私の言葉を待つことなく自身の気持ちを吐露していく。とても苦しそうだ。

 

「でも、一人では限界がある。どこかで必ず行き詰まると思った」

「……限界」

「どうにかしたかった。惜しいって思ったから。……だから、教師になった」

「彩白の、為に……?」

「そうだよ。あの子の歌を声にするボーカルがどうしても必要だと思った。……例え、彩白の気持ちを蔑ろにしてでも」

 

 突然、先生は淡々と他人事のように語る。普段は見せない表情の変化。言葉の意味もうまく理解できない。

 

「音大なんて堅苦しいところを出ていてよかったよ。お陰でここら辺では一番大きな高校に引っかかった」

 

 まって、これはなんの話をしてるんだ?

 

「そして私は見つけた。それが恋青。お前の声だよ」

「……私?」

「音楽の授業で聴いた恋青の声は、本当に衝撃だった」

 

 褒められたはずなのに、心が動くことはない。なんだか不思議な感覚だった。

 

「彩白といい、恋青といい、私は本当に運がいいよね。偶々三年と一年で被ってたし、二年間もバンドを育てる時間があった。ベースとドラムはいいのがいたから」

 

 これが、本当に私達の二年間の正体なの?

 

「恋青なら、恋青の声なら、彩白の音楽をホンモノにできるって思った」

 

 ……いや、なんかおかしい。

 

「もし、先生の思った通りに行かなかったら……?」

「お前達がダメだと思えば途中で辞めていたよ。また、彩白の為に場所を探してた。だけど、結果は見ての通りだ」

「なんで……、そこまで?」

 

 混乱した頭で、なんとか言葉を絞り出す。

 

「あの子は特別だったから」

「……特別」

「そう。私にとってだけじゃないよ。わかるでしょ? 恋青もShiroのファンなんだから」

 

 そうだった。私も彩白のギターに、曲に取り憑かれた一人だ。だけど、でも、おかしい。そんなわけない。

 

「あの才能が朽ちていくのは見過ごせなかった。一緒に歩く人がいない人間は……、どこまでも壊れていくものだよ」

 

 先生は表情を変えない。それはまるで……、彼女みたいで。

 

「ずっと、ずっと見てきた。あの子は本物だ。私は音楽に取り憑かれてるから、あの子の為なら誰を傷つけてもいいって思ってたよ。それが例え、彩白自身だとしてもね」

 

 私にはわかる。同じなんだ、あの子と……。

 

「だから、彩白の信用を得る為に色々した。父親が死んだ事にすら付け入ってね。そうそう、手痛い失敗もさせてトラウマも植え付けたね。より私へ依存するようになったよ。……あいつの気持ちとか、最初からどうでもよかったよ。全ては自己満足だった。そして、次を見つけて役目を終えたから、今はどうでもいい」

 

 目の前にいる、この人は嘘をついてる。こんな多くを語る人じゃない。……何かを誤魔化してる。

 

「……これで話は終わり。満足した? ほら、行っていいよ。彩白は絶対に部屋で篭ってる。いつもそうだったからね。あとは恋青が連れ出せばいい。それで全部、解決だ」

 

 先生は踵を返して机に戻ろうとしていた。これで終わり? そんなの絶対に許さない。


「ぺらぺらとよく喋りますね。よくもまぁ、そんな嘘がすらすらと出てくるもんだなと感心しましたよ」

「は?」

 

 ドスの効いた低い声。でも、私は足を前に踏み出す。

 

「……先生は嘘つきだ」

 

 はじめて見る先生の顔。その顔は恐怖と困惑の間。やっぱり、そうなんだ。

 

「どうせ、ほとんどが偶々とかなんでしょ?」

「違うよ。ずっと考えてきたことだ」

「いーや、……嘘だね」

「……根拠は?」

 

 私は自信満々に答える。

 

「ないよ」

「……は?」

「そんなものないですよ。強いていえば信用と信頼、かな?」

 

 先生が目を見開いている。

 

「ほんと、先生は優しいですね」

「……なに言って」

「そうやって先生が全部仕組みました。恨むなら先生を。そして、先生が消えれば全部オッケーですか?」

 

 先生の口元が引き攣っている。私は溜め込んでいたものを全て吐き出す。

 

「ほんと、あまり舐めないでくださいよ」

 

 わかるけど、その気持ちもわかるけど。彩白が求めたのは先生なのに。その事実はとても苦しい。

 

「だけど、もう本当の事とかどうでもいいです。先生の顔をみて興味もなくなりました。だから、答えなんて要りません」

 

 思いの丈を全てぶつける。この人は彩白の大切な人で、彩白を大切に想ってる人だから。

 

「……先生が諦めて、彩白から離れようっていうなら」

 

 私は自分の右手を胸に当てる。

 

「私達が一緒にいる。私が……、あの子を幸せにする」

 

 先生の顔から表情が失われた。……あぁ、本当にそっくりなんだな。

 

「あーあ、最初に出会ったのが先生で彩白が可哀想だよ。私達と真っ先に出会ってれば、こんな人に振り回されず済んだのに」

 

 私は煽るような笑顔をわざとらしくぶつける。でも、先生はずっと黙ったままだ。

 

「まぁ、全部が嘘だとは思ってないです。きっと本当の部分もあるんだと思いますよ。今までの彩白に対して思う事もあるんでしょう。だけど……、」

 

 私は先生を指差す。

 

「私の知っている先生は優しいです。だから、優しい先生は嘘をついているって思った。それだけですよ」

「……は」

 

 先生から発されたのは、声にならない音。

 

「気づいてないですか? 私達はみんな先生のこと好きなんですよ。それも、相当ね」

「なんで……」

「当たり前じゃないですか。嫌な顔せずにギター教えてくれて、どんなに忙しくても曲を作ってくれて……。そうそう。空奏と遥と出会えたのも先生のお陰ですよね」

 

 先生が一歩、後ずさった。

 

「私達が、いや、私がライブハウスで演奏できているのは全て先生のおかげなんです」

 

 私は一歩を踏み出す。

 

「そんな人が、ずっと一緒にいる彩白の才能に惚れ込んで、その為になら何でもして、実は人を傷つけてましたって? ……そんなのを信じろって方が無理ですよ」

 

 更にもう一歩、距離を詰める。

 

「そもそも、そんな神様みたいに運命をいじれるならこんな回りくどいやり方なんて必要ないですよね」

 

 明らかに、先生の顔が歪んだ。

 

「そんなこと、きっと誰にもできない。辻褄は何となくあってたし、余りにも感情的に話すから騙されるところでした」

 

 先生は眉を下げ斜め下を向く。

 

「でも、先生の考えとか、何が嘘で何が本当か、とか。そういうの全部どうでもいいです」

 

 私は歩を進める。大切な人から、大切になっていく人を受け取るために。

 

「理由はどうあれ彩白が笑って私達と一緒にいてくれるなら。後のことはどうでもいいって、今の私は思っちゃってます」

 

 気づけば、私と先生の距離はゼロになる。

 

「……私が彩白を笑顔にする。何か文句あります?」

 

 鼻先にいる先生は小さく息を吐いて笑う。その先生の顔はとっても綺麗だと思った。憑き物が落ちたみたいな、そんな表情。私は続ける。

 

「でもね、彩白にはいつかちゃんと謝ってもらいます。今のままじゃダメです。先生が心の底から反省したときにね。あれはさすがに酷いですよ」

 

 寂しく、柔らかく、優しく。私を見ながら微笑む。先生はゆっくりと口を開き、たった一言だけを私に残す。

 

「きっと、そうだった」


◻︎


 ようやく彩白の家に着いた。何キロも自転車を漕いで息は上がっている。でも、問題ない。まだ間に合う。

 

 私はチャイムを押そうと人差し指を伸ばそうとした。でも、引っ込める。横を向くと車が置いてあった。それは昨日帰りにすれ違った車だ。今、私の頭に最高の考えが浮かんだ。やばい、本格的にイカれ始めたかも。だけど、気分は最高にハイだ。

 

 私は家と外を隔てる扉を思いっきり引っ張った。想像通り、鍵は開いている。

 

「お邪魔します!」

 

 私は靴を乱暴に脱ぎ捨て、二階への階段を目指す。

 

「え、え?」

 

 彩白の母だろうか、玄関にある写真で見た女の人がリビングから出てきた。当然のように困惑している。

 

「あ、あの。なんの用で……」

「彩白を連れて行きます」

 

 彼女の質問には答えず、一方的に用事を伝える。呆気に取られたその人は、二階に上がる私を見送る。

 そして、彩白の部屋の目の前までやってきた。ドアノブに手をかけようとした時「あ、あの!」と可愛らしい声が聞こえてきた。

 そこにいたのは、小さな女の子だった。

 

「いろを……、わたしのおねえちゃんを助けて……」

 

 その子は大粒の涙を流しながら懸命に私に伝える。私の答えは一つだ。

 

「うん。任せといてよ!」

 

 私はドアノブを捻り、扉を開け放った。部屋の中は昨日と変わらない。もの一つ動いていなかった。でも、スマートフォンが転がってる。

 そして、部屋の角で蹲る彩白。扉が開いたというのに彼女は反応することすらない。構うことなく私は近くまで行き、そばに寄り添う。

 

「彩白?」

 

 私の声にビクッと身体を震わせる。彩白はゆっくりと顔を上げた。正気が失われた目。だけど、頬に涙の跡はない。彩白は死んだように私を見つめる。その表情は泣きじゃくった後よりも、よっぽど一層悲惨に映った。

 

「彩白、どうした?」

 

 私は子供をあやす様に彩白の頬を撫でる。彼女は固く閉ざしていた口を開く。

 

「私が人をいっぱい傷つけて、……でも茜が知らないって。私は茜に、見捨てられて」

 

 消え入りそうな声が部屋に溶けていく。

 

「そう……か……」

 

 どうしたらいいかわからず私は頭を掻いた。あの人より私達を選んでほしい。一言、そう言ってしまいたい。

 でもきっと、言葉なんかじゃ何も伝わらない。それに私が手を引いて、こっちへ来いって言って何かが解決するのかな、と思う。色々と考え込むと頭が痛くなってきた。

 

「ああっ! もういい!」

 

 私は彩白の手を強引にとって立ち上がらせる。

 

「せ、んぱい……?」

 

 どうしたらいいか、わからないって表情だ。

 

「……行こう」

 

 ただ、黙って部屋から連れ出す。今はそれでいい。見て聴いて、それで選んでもらうんだ。私達は全力で示せばいい。


 部屋を出ると、廊下の先にはさっきの女の子が不安そうに私達を見ている。

 

「大丈夫」

 

 そう言って、横を通り過ぎた。

 階段を降りた先には、彩白の母親だろう人が玄関を塞ぐ様に立ち塞がっている。横目で見るリビングには、厳格そうな男が私の顔を鋭く見つめている。きっと、あれが義理の父親だ。

 

「彩白をどこに、連れていくつもり?」

 

 立ち塞がる彼女は、明確な敵意を持って私に問う。

 

「……ライブハウスまで」

 

 私の言葉に彼女は目を剥く。

 

「ダメよ、行かせないわ。……バンドはダメ。あの人みたいに、彩白が不幸になっちゃう」

 

 彩白は母の言葉聞き脚を小刻みに震わせる。俯いた顔は強張っていた。

 不幸? ……不幸だって?

 私は怒りの感情が沸点まで振り切りそうになる。一度、落ち着くために深呼吸をする。

 

「なんで、彩白の部屋まで来なかったんですか?」

 

 ずっと疑問だった。彩白の部屋には鍵なんてない。誰でも入れるはずなんだ。だけど、部屋はほとんど昨日のまま。変化はなかった。そして、この人達は私を追ってはこなかったんだ。

 

「……え?」

「彩白がこうなってること、多分貴方は知ってたんでしょ?」

「そ、れは……」

「変な奴が家に来て、止めもせずに部屋まで行かせて、貴方たちは後ろから追っても来ない」

 

 母親の表情に動揺が広がっていく。

 

「踏み込む覚悟もない癖に、バンドは辞めろって? パパに憧れてるっていう彩白に、なんでそんなこと言うの?」

「だから、あの人はバンドのせいで……」

「……Shiro。親を演ってる貴方達が知らないわけないですよね? 結局、彩白が別の形で音楽やってる事だって知ってるんだろ? で、それは止めたのかよ」

「それは……、だって……」

 

 口出しはできませんでしたって?

 

「何もかもが無責任なんだよ! 他人の言葉で優しい彩白はこんなにも傷ついているのに。あんたは自分のことばっかりだ!」

「で、でも……」

「でも……? でも、なんなの?」

 

 彩白の母親は推し黙る。私は飛び出しそうになる暴言を抑え込むために下唇を思いっきり噛んだ。そして、彼女にはっきりと視線を向けて口を開く。

 

「彩白は貴方達の人形じゃない……!」

 

 その言葉と共に、私は目の前にある障害物を押し除けた。もう、この人と会話をしたくない。黙って脱いだ靴を履く。私は彩白の靴を探すがどこにもない。

 すると「これ!」と言って優しい女の子が持ってきてくれる。

 

「ありがとう。……お名前は?」

 

 私としたことが、あまりにも余裕がなくて聴いていなかった。

 

「あやか!」

「そうっ! あやか、ありがとうね!」

 

 私はあやかを抱きしめる。いつの間にか靴を履き終わっていた彩白に裾を引っ張られる。

 

「ほんと、しょうがないなー」

 

 私は迷うことなく玄関のドアを開けた。



 私達はここまで乗ってきた電車から降り、見慣れない駅の構内に出る。スマートフォンで地図アプリを開きながら音声案内に従って歩く。


 前来た時は車だったから電車でくるのは初めてだ。表示されている情報だと二十分程で着くらしい。ライブが始まるまで結構ギリギリだ。空を見ると所々がオレンジ色になっている。もう少しで夜だ。

 

 LINEグループには『リハ、大丈夫だったよ。そっちはどう?』という空奏からのメッセージが届いている

 私は『大丈夫、捕まえた』と返信すると、すぐに『ナイス』と書かれたカエルのスタンプが返ってきた。

 

 私は二人分の切符を駅員さんに渡して駅を出た。ただ黙って彩白の手を引く。道に出ると海が近いからか潮の匂いがする。

 横断歩道を渡り、歩行者専用の道路に入ったところで黙っていた彩白が口を開いた。

 

「恋青先輩、怒ってますか……?」

 

 叱られた子供が母の様子を伺って出す声。私にはそんな風に聞こえた。でも、顔は見ない。見てしまったら決意が揺らぐと思ったから。私は振り返ることなく嘘偽りない本音を吐き出す。

 

「怒ってるよ。当たり前でしょ」

「ご、ごめん……、なさい」

 

 消え入りそうな声が街の中に溶けていく。

 

「彩白は、私がなんで怒っていると思う?」

 

 私の言葉に彩白の身体が揺れる。右手からでも感じられた。

 

「それは……、私が約束を破って、人を傷つけてる人間だから……」

 

 違う。違うよ。そうじゃない。何もかもが間違ってるよ。

 ただ、頼って欲しかったんだ。茜先生じゃなくて私達を。……いや、誰よりも私を頼って欲しかった。

 

 だけど、喉まで出かかった言葉を仕舞い込む。彩白の問いには答えない。私達に必要なのは、絶対に言葉じゃない。答えない私の手を彩白は強く握ってきた。

 

 すると、今日、ライブする会場がみえてきた。真横に聳え立つ古ぼけた大衆向け施設。その利用者が使う駐車場の一階にある、県内でも有数のライブハウスだ。

 考え事をしながらだと二十分なんてすぐだった。歩道橋の下に長い列が連なっている。今日のオーディエンスだ。もう入場は始まっているみたいで、ゆっくりと前に進んでいる。

 

 列を勢いよく追い越してライブハウスの中に入る。女性のスタッフさんに止められるが「……出演者です」というと、顔を確認されて「こちらまでお願いします!」と控え室まで案内しようとしてくれた。でも、私はそれを断る。

 

「すいません。少しだけフロアに入れてもらってもいいですか?」

「は、はい……」

 

 困惑した表情を浮かべるスタッフさんを横目に、空いている左手で人を掻き分けてフロアへと入り込んだ。

 

 入り口を潜ると右手側にステージが見える。薄明るいフロアの床は木製で、バックミュージックには私達の曲が流れていた。中には数十人程度はいて、前の方で疎に集まっている。こちら側からの景色は初めて見た。二回目なのに、床の色すら知らなかったんだ。まだ、私達は知らないことばかり。

 

 私はそのまま彩白の手を引き、入り口とは逆の、ステージから見て一番後ろの角に向かう。

 彩白は素直についてくる。そして、誰もいない場所についた。きっと、ここはライブ中でも人がいないんだろう。絶対によく見える。

 

 私は彩白の手を勢いよく引っ張り、その場所に向かって彼女を放り投げた。壁に叩きつけられた彩白は、角へ収まるようにして片手を抱く。私は彼女の顔を見る。その顔は淡い光に照らされて揺らいでいた。本当に、今すぐにでも壊れてしまいそう。

 

 私は悲しくて、哀しくて、唇が震える。こんな顔をさせたいわけじゃない。まだ慣れてなくて、はにかむように笑う彩白がみたい。これから、色々な表情を見てみたい。

 

 だから、今は言葉じゃないんだ。

 でも、たった一言だけ言ってやりたくなった。あまりにも腹がたっていたから。

 

「ずっと……、ずっとそこで……。後悔しながら縮こまってればいいよ」

 

 私は言い捨ててその場を去る。今度こそ、控え室に向かった。絶対に私達を選ばせてみせると誓って。


 

 

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