4


 私が彩白ちゃんを彩白と呼ぶようになったあの日。

 その、あの日から三週間が経った……。


 うん。経った。気づけば明日はライブ。この三週間、頭にはひたすらに演奏していた時間だけが残ってる。光の速さで時間は溶けていくとはまさにこの事だ。原因は……、勿論あの子。

 

 二人で学校を抜け出して遊んだ日の翌日、部室に現れた彩白はもう凄かった。

 

「空奏さん、早く座って。遥さんもアンプの準備。……遅い。あ、恋青先輩はゆっくりで大丈夫ですよ」

 

 今までのお利口さんはなんだったのか。彩白は抑揚の少ない声で、淡々と指示を出す。空奏と遥は目をひん剥いて驚いていた。

 

「あんた、どうしたの?」と空奏が困惑して「……意味不明」と遥が目を見開いている。

 

 歳下からの圧に怯えて言われた通りにしながらも、二人は彩白に訊いた。

 

「恋青先輩が嘘は必要ないって言ったので。……変でしたか?」

 

 俯きながら目を逸らし不安そうな顔をした彩白に空奏と遥が伝える。

 

「ま、いいんじゃない? ……昨日よりはだいぶマシ。ハルもそう思うでしょ?」

「うん。マシ」

「……ありがとうございます」と彩白は、はにかむように笑った。

 

 二人は本当に素直じゃない。きっと、まだ本人としてもしっくりときていないんだろう。だけど、時間をかけて解決していこうと思った。彼女のいう通り、彩白の本物なんて私達も知らないんだから。それが何なのかわかる時は、これから積み上げて過去を振り返った時だと思う。

 

 その日は初めてマトモな練習になった。さすがにセッションの様にはいかない。一応、プロを目指しているわけだから曲を届けないと。

 

 だけど、支えるようなギターが支配するギターに変わっていた。彩白の変化について、音作りとか、フレーズとか、音楽理論としては何か名前は付くんだと思う。けど、感覚が明確に違うと伝えてくる。

 結局のところ、音楽は文字や言葉じゃなくて音なんだと思い知らされた。そして、その日から私達は頭がおかしくなる。

 

 それから毎日、四人で狂ったように合わせた。持ち曲だけじゃない。私達は色々な時代の曲で一緒に旅をした。

 

 今をときめく流行りのJPOP、ジョンメイヤーやコリーウォンと言った現代のギターヒーローのセッション、2000年代前半のJ-ROCK、1970年代後半に流行った日本のシティポップ、ジャズ、カントリー、一番古くてエリック・クラプトンやジェフ・ベックまで遡った。

 

 譜面と映像を見ながら、あーでもない、こーでもないと言いつつ、今までは楽曲として聴いていた曲を私達の形で演奏する。実現できたのは間違いない彩白がいたからだ。久しぶりに英語で歌う歌詞は新鮮で刺激塗れだった。


 毎日、六限までキチンと受けてくる彩白に笑いながら文句を言ってすぐさま四人で演る。


 気づけば、彩白の音作りは遥が好き勝手やるようになっていた。彩白は最初「違う、もっとハイが強く」とか「音抜けが悪い」なんて文句を言ってた。だけど、いつの間にか何も言わずに空奏から真っ白のストラトを受け取るようになっていく。

 

 私達の音楽は一度始まれば止まらない。気づけば下校時刻なんてとっくに過ぎていて、見回りにきた先生から毎日のように怒られる。あまりにも楽しすぎて、次の日が待ちきれなくなる。まさに中毒の末期患者だった。リードギターが入るだけでこんなに変わるなんて思わなかった。


 ――違う。わかってるよ。


 そのリードギターが彩白だからだ。

 

 そうしている内に、気がついたら三週間も経っていた。過ぎていく日々はまるでダイジェストを見ているかのよう。四人で演奏していた以外の記憶がない。きっとみんなも同じ。二週間に一回は変わる空奏の髪はまだピンクのままだったし。

 

 私が時間の感覚を取り戻したのは、ライブハウスからの事前連絡が来た土曜の午前中。それまで、ひたすら四人で奏でる音楽のことだけを考えていた。

 だけど、その打ち合わせメールをみて私達は顔を見合わせる。

 

「……どうするの?」

 

 相変わらず、遥はマイペースだ。焦ってる様子すら感じられない。

 

「どうするもこうするもないよ! 早くレンタカー借りないと!」空奏はスマートフォンを操作しようとする。

 

「あ、それは大丈夫。そういえば店長に機材車は頼んでた」

 

 私は『ミュージック・サロン』に電話をする。

 ワンコールで繋がった。いつも思うけど、早すぎだろ。

 

『あー、恋青ちゃんね。今から持ってくところだよ』

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

『何畏ってんの。別に車くらいいつでも貸すよ!』

「はい! 待ってます」

 

 そこで、つーつーと電話が切れる。何もかもがはやい。ビジネスマンという人種ら皆そうなのだろうか。とにかく、会話の内容を皆んなに共有する。

 

「来てくれるって!」

「よし! 恋青、ナイス」

 

 空奏にわしゃわしゃと頭を撫でられる。

 

「で、セトリはどーすんの?」

「……明日はこの人がいる」と彩白の方を指差す遥。

「お前は希望とかあるの?」空奏は問いかけた。

 

 でも、彩白はつーんと斜め上を見て会話を拒否する。

 

「ま、まぁ、そこら辺はあとで決めよう」

「とにかく、色々と準備しないと」

「だね。とりあえず買い出し行ってくる」

「うん! なんかあったらLINEして」

 

 空奏が部室を出て行こうとした時だった。

 

「……そういえば、新曲どうするの?」

 

 遥の呟きに皆が黙りこくる。忘れていた。ここにいる全員が同じことを思っているだろう。

 重苦しい雰囲気を破ったのは、今まで一度の発言もしなかった彩白だった。


「私は知りませんよ。何も言われてませんし」

「まー、そうなんだけどさ」空奏が頭を掻く。

「……私達と同じく、忘れてた責任がある」と遥が責任転嫁をしようとした。

 

 彩白に責任をなすりつけるような二人の態度にも、彩白は我関せずといった顔だ。

 

「と、とにかく今は明日の準備しよう!」

「……だね」

「うん」

「恋青先輩が言うなら、そうします」

 

 本当に纏まりはない。合わせる時は息ぴったりの癖に。

 

「空奏と遥は買い出し、私は先生へ許可貰いにいくから。彩白は……、ごめん! 重いかもだけど、とりあえず機材の運び出しをお願い!」

「でも、私は具体的に何運んだらいいかわかりません」

 

 彩白は片手の腕を組み、そっぽを向く。

 

「何となくわかるっしょ? 最悪、わかんなかったらLINEすればいいじゃん」

 

 空奏が何を当たり前のことをって呆れてる。しかし、私達は忘れていたのだ。

 

「私、先輩達のLINEなんて知りません」

 

 そういえば、一度も連絡したことがなかったことを。私、空奏、遥が顔を見合わせる。ゆっくりと彩白の顔をみると、私達の方向を一瞥もせずに立ち尽くしてる。

 

「彩白、ごめん……」

「いいですよ。どうせ、私はまだ余所者です」

 

 彩白は明らかに拗ねている。これは後でフォローが必要だ。

 

「い、彩白。ごめんって……」

「いや、まずお前も言えって!」

「……聞かれてないですし」

「この人、私よりもコミュニケーション不足」

 

 突然、彩白が空奏と遥に視線を向ける。

 

「その、お前とかこの人ってやめてください」

 

 明後日の方向へ飛んでった彩白の言葉に空奏は驚いて、遥は訝しげに小首を傾げる。

 

「私は真白彩白です」

「……どゆこと?」

「私は真白彩白です。この人やお前じゃありません」

「は? もしかして、名前で呼べってこと?」

「だから、拗ねてた?」

 

 空奏がにやにやとしながら彩白との距離を縮める。遥はまじまじと顔を覗き込んでる。彩白は何とか視線を交わし続けるが、観念して足を床に叩きつける。

 

「違います! 私は人として、最低限の礼儀だと思っているだけで……!」

「何だよ! 可愛いとこあんじゃん!」

「へぇ……」

 

 空奏が彩白の肩に腕を回した。

 

「ねぇ、私達に何で呼ばれたい?」

「希望を聞く」

 

 二人とも本当に楽しそうだ。彩白は顔を真っ赤にしながら答える。

 

「空奏さんと遥さんに決めて……、ほしい」

 

 その彩白の態度に、空奏と遥は更に調子にのる。

 

「なになに!? ほんとどうなってんの?」

「私はどうもしてないですけど」

「それは無理があるでしょ!」

 

 空奏はとても楽しそうだ。こういう時に彼女の性格は助かる。

 

「彩白って呼び捨ては?」

「それはダメです。恋青先輩がそう呼んでるので」

「へぇー……。特別?」

「はい」

 

 遥の言葉に、彩白は迷いなく断言した。

 

「じゃあ、イロ」

「それもダメですね」

「……なんで?」

「ダメだからです」

「ふーん。追求は色々とあるけど、後にするとして……」

 

 空奏が意味深に間を空けた。

 

「……シロ、は?」

 

 そして、軽々しく爆弾を落とす。

 

「ちょ、空奏!?」

 

 ある種のタブー的な扱いで誰も触れていなかった話題だ。私は動画上のShiroの顔は見えないから彩白として接することができた。だけど、改めて言われると意識せざるを得ない。

 

 それに、先生に名前を出されて、あれだけ取り乱した姿を見ている。でも、私の心配を他所に、彩白は顔色ひとつ変えることはなかった。

 

「いいですよ。空奏さんが付けてくれた名前なら、私は何だって」

 

 空奏の表情は予想通りと言わんばかりだ。

 

「ふふっ。本当にお……、シロは面白いね」

 

『シロ』の部分を強調する空奏。

 

「ありがとうございます」

 

 私を置き去りにして、何かしら通じあう彩白と空奏。顎に手を当てながら、ぬぼーっと真上を見続けていた遥が口を開く。

 

「姫」

「……え?」

「いいでしょ。ぴったり」

 

 急に喋ったかと思えば、真白彩白の名前に全く関係のない渾名をつける。それを聞いた空奏が愉快そうにころころと笑う。

 

「いいじゃん最高! お姫様、似合ってるよ」

「……遥さんがそれでいいなら」

 

 彩白の反応的に、ちょっと微妙そうだ。

 

「うん。……ずっと、そう呼ぶ」

「はい。よろしくお願いします」

 

 私は胸を撫で下ろす。最初はどうなるかと思ったが、彩白がそれでいいなら何も言うまい。

 

「シロ、これがLINEのQRだよ!」

「姫、私のも」

「え? わ、私も私も!」

 

 危ない。乗り遅れるところだった。みんなでスマートフォンを突き出し合う。全員で彩白のスマホを覗き込むと、ほとんどアプリ類はない。だけど、唯一目立っているLINEのアイコンには五千以上の通知が溜まっている。

 

「シロ? 何この通知の量は。公式に登録しまくってるとか?」

「違います。クラスメイトとか、よくわからない人とか。そういう人達です」

「なんでそんなことしてんの?」

「別に苦じゃないんで」

「いや、それにしても数が……」

 

 空奏が画面と彩白の顔を交互に見る。

 

「いつもは空いた時間に毎日返していたんですけど、この三週間は全くスマートフォンを触ってなかったので。気がついたらこうなってました」

「これ、どうしてた?」

「一つ一つ返してました。みんながそうしてほしいって言ってたので」

 

 彩白はここ最近見せるいつも通り淡々と答えるが、私達は絶句することになった。



 機材の詰め込みは案外早く終わった。店長にも手伝ってもらって、ざっと二時間程度。今日はまだ半分近く残っている。

 

「このまま、部室でやるでしょ?」

「うん。そうしよかなって」

 

 あの焦りは何だったのか。意外と時間的な余裕ができてしまった。この調子ならセトリなんて余裕で決まるだろう。

 

「あの……」

 

 彩白が申し訳なさそうな顔をしながら話しかけてくる。

 

「彩白、どした?」

「曲、作りませんか?」

 

 ここ最近の彼女に似合わず、おどおどしてる。

 

「いいじゃん」と何も考えてなさそうな空奏が乗り「うん、いいよ」頷く遥。

 

 だけど、今から曲作りを始めるには大きな問題がある。

 

「……まぁ、私としても別にいいんだけどね」

「ん? 恋青は乗り気じゃない?」

「いや、そうじゃなくて」

 

 私以外の三人が首を傾げる。

 

「機材運んだから、今日やるのは無理でしょ」

 

 私の指摘に黙りこくるメンバー達。本当に忘れていたんだろう。いい感じだった雰囲気に水を差すような発言になってしまった。

 

「……あの」

 

 彩白が私の裾を引っ張る。

 

「よかったら私の部屋、来ませんか?」

 

 彼女は自身なさげに私へと言った。


 

 彩白の家は結構遠かった。


 大体、学校から車で二十分くらい。普段はあまり意識することないが、すぐ隣の市に住んでいるらしい。

 私達が通う学校は私立である為、様々な場所に生徒がいる。電車で山を越えて、別の県から通う人もいるらしい。だから、隣の市から通学していること自体、珍しくも何ともない。

 

 彩白の案内で機材を乗せたままの車を遥が運転し、着いたのは何処にでもありそうな普通の家だった。

 

「少しだけ待っていてください」

 

 鍵を開けて扉を開けた彩白は、私達を置いて二階へと上がっていく。

 ふと、私は玄関を見渡した。壁には笑顔の家族写真や下手くそな似顔絵。靴箱の上には小物が置かれている。なんて事のない、普通の家の、普通の玄関。

 

 だけど、彩白しか知らない私にとっては違和感しかなかった。何故なら、飾られている家族写真には彩白の姿はどこにもなかったからだ。

 

 コルクボードに何枚も貼り付いてる写真に映るのは、眼鏡をかけた厳格そうな男性、優しい笑みを浮かべてる女性。そして、間には小さな女の子。

 本当にどこにでもありそうな、幸せな家庭の形を鮮明に映している。でも、だからこそ思う。彩白がこの中に混じることが想像できない。

 

「すいません。これ履いてください」

 

 小走りで戻ってきた彩白が私達にスリッパを用意してくれる。玄関にはスリッパ置きが設置されていているのに、わざわざ二階から持ってきたらしい。

 

「ありがと」

「シロ、意外とセンスあるね」

 

 空奏と遥は殆ど何も言わずに彩白の家に上がり込んだ。既に二階へと消えている。でも、私は写真から目を離すことができない。

 

「恋青先輩……?」

 

 少しだけ先を行った階段の近くから彩白が私を見ていた。

 

「ごめん! 今いく」

 

 そう言って、私は彩白の近くまで行き彼女の後を追う。

 

「どうしました?」

「何でもない」

 

 前を歩く彩白が振り返り、怪訝そうな顔をしている。だから無理矢理にでも話題を変えることにした。

 

「彩白の部屋ってどんな感じなの?」

「それは見てからのお楽しみってことで」

 

 案内されたのは二階の奥、一番端っこ。ここが彩白の部屋らしい。彼女の手によって扉が開く。私にはやけにゆっくりと見えた。


「どうぞ」

「お邪魔します」

 

 部屋の中は一面の白だった。カーテンも、机も全て真っ白。そして、仄かに淡いラベンダーの香りがする。あの時に彩白から感じた匂いそのままだ。

 

 広くも、狭くもない部屋にはほとんどものがなかった。寝具すらも置かれていない。

 だけど、ギターが数本スタンドに立てかけてあって、奥の壁にべったり張り付いている机にはPCと撮影機材などが置かれている。

 右手の壁にはボロボロの黒のストラトキャスターがぶら下がっていて、白い部屋の中で、より存在を主張している。何と言うか異質な部屋だった。

 

 だけど、所々見たことがある。それは散々見てきた、動画の後ろに映っていた部分だったからだ。


 ここで、この場所でShiroが活動している。その事実に気付いた時、叫び出しそうだった。私は必死に興奮を抑える。

 部屋の中央では既に空奏と遥が我が物顔で床に座り、折り畳み式の机を囲んでいる。

 

「はやくやろ!」

 

 そう言う空奏はやる気満々らしい。部室から持ってきた予備のドラムスティックで厚めの雑誌を叩いている。遥は既にベースを抱えていた。

 

「今、パソコンつけますね」

 

 彩白がShiroのパソコンを立ち上げている。キラキラと光りながら起動するパソコンはSNSで何度もみた物、そのままだ。そして、彩白の手には白のテレキャスターが握られている。あれはいつも使ってる……、もう無理だ。

 

「い、彩白!」

「恋青先輩、どうしました?」

「そのギター、持たせてくれない!?」

「……はい。いいですけど」

 

 彩白は困惑した表情を浮かべながら、ギターを手渡してくれる。これが、Shiroのギター……。私のテレキャスターよりネックが薄くて弦高はベタベタに低い。


 所々塗装が剥がれていて木が露出していた。動画に映っていた、Shiroのメインギター。そして、これがリードの為のギターなんだ。私はぺたぺたとギターの色々な箇所に触れる。

 

「恋青先輩……?」

「は、はい!」

 

 体がビクッと震えた。そんな私を見て彩白はくすくすも笑う。

 

「それ、持ってていいですよ」

 

 流れる様に彩白は別のギターを手にとる。まるで海の色みたいな青色のギターだ。PRSのカスタム24。三ヶ月ほど前、ロック調の曲で使用していたギターだ。

 

「……ありがとう」

 

 少しだけ恥ずかしかったけど、私は素直にお礼を言うことにした。

 

「これハムバッカーなので、いつもとは音が変わっちゃいますけど……。大丈夫ですか?」

 

 彩白が私達に確認をする。

 

「ま、いいでしょ」といつも通りの空奏。

「あのギターは?」

 

 遥が壁にかかっている、黒色のストラトキャスターを指差した。確かに、彩白はいつもストラトを使っている。

 

「……あれは、ダメなんです。ごめんなさい」

 

 彩白の綺麗な顔に少しだけ影が刺す。ここじゃない遠くを見つめている。私はそう感じた。

 

「そう。……ならいい」

 

 遥は素直に納得する。少しだけ、空気が重くなった。


「とりあえずセトリからいきますか! 余ったら新曲ってことで!」

 

 こういう時に、空奏はいつも何とかしてくれる。

 

「どうせ、明日はできないけど」

「ハル……、いい雰囲気のところに水刺すなって!」

 

 いつもの様に戯れ合う二人。

 ふと彩白を見ると、遠巻きに二人を見つめている。その姿はとても寂しそうに見えた。

 

「ほら、彩白! やるよ!」

 

 私は彩白の背中を押した。

 

「えっ……。あ、はい」

「シロも、はやくしてよ」

「私達は姫に合わせなきゃならない」

 

 軽口を叩き、受け入れる二人。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 そう言って笑った彩白に、さっきまでの翳りはどこにもなかった。


◻︎


「彩白ぁ……」

「はい。恋青先輩、どうしました?」

「歌詞ってどう書けばいいの?」

「とりあえず、好きなようにやってみてください」

 

 彩白は縋る私を突き放す。私は溜息をついた後、目の前の紙に視線を戻した。

 

 セトリ決めは速攻で終わった。考えてみればそれもそうだろう。初日の時点で彩白は全曲のリードパートを作ってきていたのだ。


 それに、三週間でかなりの時間を四人で合わせてきた。つまり彩白は、私達の曲を何だって弾ける。最初から彼女のことを考慮する必要はどこにもなかった。

 

 対バン相手は違うが前回と同じハコということもあり、インストからはじめる変化球ではなくオーソドックスな曲順を組んでいく。

 

「これでよくね?」という空奏の一言に全員が頷く形でセトリ決めは十分程で終了してしまった。

 

 じゃあ次は新しい曲となり、私は何故か歌詞を書くことになったのだった。何やかんや言われて三人から言いくるめられた私は、かれこれ二時間以上唸っている。

 

「何で私が歌詞を……」

 

 同じ愚痴を彩白にぶつける。「歌詞がないと私達は何もできないよね」と言った空奏は、遥を引き連れてタバコを吸いに外へ出ていってしまった。

 彩白は普段から座っているであろう椅子に腰掛け、エレキギターを生音で爪弾いている。

 

「理由はさっきも言いましたよ。歌詞はバンドの顔が書くべきです、……って」

「いやー、まぁ、理屈はわかるんだけどさ」

「それに、プロになった時、歌詞を書いていた方が得ですよ」

「え……?」

「印税。いい響きだと思いませんか?」

 

 よくわからないけど歌詞を書いておけばプロになった時、お金を多くもらえるらしい。

 それを聞いた二時間前の私は意気揚々と作詞を承諾した。まぁ、既に後悔しているわけだけど。そもそも、作詞作曲を彩白がするという話ではなかったのか?

 

 でも、それを言っていたのが茜先生だという事を思い出した。


「ふぅー」

 

 脱力した私は話題を探そうと辺りを見渡す。すると、モニターの横に置かれている一つの写真が目を引いた。

 

 そこに映っていたのは、日本人とは思えない男の人に幼い彩白が抱きついている姿。だけど、右側は不自然に切り取られている。

 

「彩白、その写真……」

 

 気になった私は、思わず口に出していた。

 

「あぁ……、これはパパとの写真です」

 

 彩白は優しい手つきで写真を撫でる。

 

「……私が小学生の時に、死んじゃいました」

 

 私は言葉を失う。気軽に聞いた数秒前の自分を殴り飛ばしたい。でも、そんな私の表情を見てか、少し困った顔をした彩白が続ける。

 

「パパは日本と外国とのハーフだったそうです」

「そう……、なんだ……」

「ほら、私の目。気づいてますよね」

「うん。色が……」

「そうです。右はパパの色、なんですよ」

 

 はにかむように彩白は笑った。

 

「本当に大好きでした。ギターもパパの影響で始めたんです」

 

 彼女は懐かしそうに語る。

 

「目と写真と……ギター。パパが私に残してくれたました」

 

 私は黙りこくることしかできない。

 

「そのギターはずっと欲しいって強請っていたいたんですよ」

 

 黒のストラトキャスターを指差した。

 

「大人になったら、くれるって言ってたんです。だから、大人になるまで弾かない。……パパとの大事な約束だから」

 

 涙を精一杯堪える。私が泣いたら、ダメだ。

 

「ずっと遠くに行っても、私はパパと繋がってる。だから、恋青先輩はそんなに気にしないでください。哀しそうな顔をしないで」

 

 私は下唇を思いっきり噛んだ。どうして何だろう、この子はどうして。

 

「仕方ないですね……」

 

 椅子から立ち上がった彩白が私の近くに腰を下ろした。

 

「適当に弾くので、頭に言葉を思い浮かべてください」

「……え?」

「適当に弾くので……」

「いや、それはわかったんだけど……。いきなり何で?」

 

 首を傾げる私を彩白はまっすぐに見つめてくる。

 

「気持ちを言葉にするって難しいんです」

「えー、ああ。うん」

 

 よくわからないけど、私は頷く。

 

「本当のことは何も言えなくて。だけど、どうしようもなくて、心に抱えるしかなくて。……小さな頃はあんなに自由だったのに」

「あぁ……」

「昔はできたことが、遠くなっていく」

 

 何となく、わかる。世の中を知れば知るほど、世界が狭くなる感覚。

 バンド活動をしていても、その気持ちはずっと付き纏っていた。初のライブ、会場に二人しかいなかった二年前。その時に言われた『所詮、お前らはそんなもんだよ』って言葉を思い出す。

 

「だけど、私は音に乗せて、全部吐き出してきたので……」

「うん」

「これしか、歌詞の書き方を知らないんです」

 

 彩白は申し訳なさそうに俯く。いつの間にか、彩白は歌詞の事について話してる。

 

「何か教えられたらよかったんですけど、それは難しいので弾こうかなって」

 

 徐々に小さくなっていく言葉に、私は堪えきれなくなった。


「あははっ。あれだけ偉そうにしてだのに、結局彩白も知らないんじゃん!」

「……そうですよ。わるい、ですか?」

「悪くないよ。ただ、可愛いなって」

「わたし、かわいい?」

「う、うん」

 

 不自然に首がかくんかくんする彩白。右手で目を擦っている。

 

「彩白、もしかして眠い?」

「……うん」

「あっ、危ないって」

 

 私は地面へと落としそうになっていたギターを取り上げて、近くのスタンドに置く。危うく五十万円以上するギターに傷がつくところだった。

 

 すると、彩白は私に向かって倒れ込んでくる。太腿に飛び込んできた彩白は、綺麗な顔を私のお腹にくっつけて腰を腕に回す。

 

「おーい、彩白ちゃーん?」

「その呼び方、嫌い」

 

 いつの間にか敬語が抜けている。

 

「疲れた。……寝る」

「……はいはい。本当にもう」

 

 今日は朝から演奏して、重たい機材を運んで、私達を家に連れてきて。色々と疲れていたはずだ。自分の部屋に来て安心したのだろう。

 

「……ちょっとだけだよ」

 

 彩白の髪を撫でた後、頬をツンツンとつつく。もう、何の反応もしない。私は再度、真っ白な紙を見つめる。今なら書ける気がした。

 

「よし!」

 

 彩白を起こさない様に小さな声で気合を入れる。

 

 ペンを持つと、彩白と出会ってからの一ヶ月が、自然と言葉になる。私は幸せな出会いをすることができた。私はそれを確信している。そして、今、同じようにこの瞬間にも誰かと誰かが出会っているんだ。だけど、出会いはすぐに終わってしまうのかもしれない。儚く散って、思い出として過去に消えていくのかも。

 

 でも、もしかしたら何年、何十年と死ぬまで続くのかもしれない。未来の答えは、今、この瞬間にはなくて。あるのは願いだけなんだと思う。この関係が一瞬でも長く続いてほしいという、言葉にすると気恥ずかしくなる大それた願い。

 

 私が彩白との出会いに感じていることを伝えたい。今、同じような出会いをした人達向けて。そして、これから素敵な出会いをしていく人達が沢山産まれるようにと願いを込めて。同じような想いをした人の言葉を私が詩にして、私達が曲にして届けたい。

 

 だって、勿体無いじゃないか。文字にしたら「出会い」で括られてしまうなんて、本当に悲しいじゃないか。言葉なんてただの文字の発声で、私達の一ヶ月は三文字で収められる訳がない。だけど、一から十までを文章になんてできない。

 

 だから、その為に音楽があるんだと思う。自由に奏でられる私達は幸せ者だ。鼓膜に何種類もの音を届けて、未来で今を思い出す。精一杯の形を音楽にして、この先、ずっと思い出せるように。幸せが始まりそうという今の昂りを形に残して「出会い」を思い返せるように。


「……できた」

 

 出来上がったのは五百にも満たない文字の羅列。

 だけど、ここには私しか入ってない。

 でもこれから、四人で命を吹き込むんだ。これから私達は四人で一つになる。この詩はその宣言。この文字列がどんな曲になるかは、今の私にもわからない。だけど、そんなことは当たり前の話だ。

 

 だって、私「達」なのだから。

 

 没頭していて、周りを全く見ていなかった。既に一時間半程が経過している。全く気が付かなかった。

 そして、知らぬ間に帰ってきていた空奏と遥が、覗き込むように私の歌詞を見ている。

 

「ん? 恋青。やっと気づいた?」

「すごい集中力、だった」

 

 少しだけ驚いたが、自信満々に歌詞をみせる。

 

「できたよ」

「知ってる。見てた」遥が鼻を鳴らす。

「なんか、妬けちゃうなー」と空奏が茶化した。

 

 私はもう一度、歌詞を見る。

 

「ま、いいでしょ。今の気持ちを書きたかったんだよ」

「そこで寝てるお姫様のこと?」

 

 空奏が私の太ももで熟睡してる彩白を指差す。

 

「そう。彩白のこと」

 

 今の私の顔は、完璧なドヤ顔だろう。

 

「……ったく。はやく起こして作ろう」空奏が立ち上がる。

「うん。もう待てない」遥がベースを持ち上げた。

「わかった」

 

 二人の言葉に私は素直に頷き、彩白を優しく揺らした。

 

「彩白、起きて」

 

 彼女はうんうん可愛く唸りながら、更に私の腰を強く抱く。

 

「おーい、ちょっとだけって約束だよねー」

「……いや……、ママ」

 

 思いがけない彩白の言葉に私達は顔を見合わせる。そして、一斉に笑いはじめた。その声に彩白が目を覚ます。ゆっくり身体を起こした。起き上がっても、ぼーっと宙を見ている。

 

「シロ、やるよ……。ぷぷ……。ほら、ママが待ってまちゅよー」

 

 空奏が笑いを堪えながら彩白に言う。もう、ほとんど笑ってるけどね。私は苦笑いを浮かべることしかできない。

 

「ずっと膝を貸してた、ママ、が待ってる」

 

 ママの部分をやたらと強調する遥。

 ぼけーっとしてた彩白は、ハッとした後に顔を真っ赤にする。

 

「……私、何か言いました?」

「何でもないって、ね? ママ?」

 

 私の方を見ながら空奏が言う。

 

「ま、まぁ、言い間違いは誰にでもあるし」

「ママ。こまってる姫を助けてあげて」

 

 私は何とかフォローしようとするが、遥が追い討ちをかける。

 

 「あぁー、やっぱりなんか言ったんだ」と頭を抱える彩白。

 

「お遊びはこれくらいにして、はやく作ろ?」空奏の言葉に「……はい」とまだ顔を赤くしている彩白が答える。

 

「それ」

 

 遥が私の歌詞を指差した。彩白がノートを手にとる。すると、目の色が変わった。

 それは驚いているような、困惑しているような、喜んでいるような。どれとも言えない表情。だけど、彩白すぐに立ち上がってギターを握る。

 

「やりましょう」

 

 そうして、私達は共に音楽の沼に沈んでいった。


 私達なら何があっても大丈夫。明日のライブだって、その先だって。今日で私はその確信を得られたと、そう思っていた。

 

 だけど、私は思い知らされる。彩白のことを何も知らなかったんだって事を……。

 だって、翌日。彩白は待ち合わせの場所に現れなかったのだから。



 

 

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