3


「今の見てどう思った?」

 

 彩白ちゃんを見送った後、先生から目の前で起こった事の感想を求められた。

 正直なんとも言えない、としか言えない。ただ、何度も豹変していく彼女の姿は少しだけ怖いと思った。

 

 だけど、それ以上に感じるものがあるのも事実で、彼女がShiroだという事に場違いな興奮する気持ちもあって。

 辛うじて心から出力された応えは、なんとも言えない、ということだけ。

 

 いつもはうるさい空奏と真っ先に空気を読まず茶化しそうな遥も沈黙を貫いている。

 

「……先生は、私たちに何を求めてるんですか?」

 

 答えに困った私は、質問に質問で返す。何もわからないのなら聞けばいい。そうする権利があるはずだ。

 

「んー。それで言うと何も求めてはないよ」

 

 黙りこくっていた空奏が口を開く。

 

「いや、それは無理があるでしょ。茜さん……、これから私達はどうしたらいいの? さっきから色々と見せられて、何もわかんなくなっちゃった」


 もっともだと思う。

 

「どうしたら、ね」

「答える義務がある、と思う」

「そうね……」

 

 遥の問いに、先生は考える素振りを見せる。

 

「ま、いい感じに何とかしてよ」

 

 先生の口から飛び出したのは、無責任としか思えない発言。先生の言葉を聞いた空奏と遥は、溜まっていたであろう不快感を隠そうとしなくなった。

 

「……茜さん。昨日から、私達のこと舐めてる?」

「そんなつもりはないけどね」

「なら、ちゃんと答えて」

 

 演奏後の興奮もあるんだと思うけど、二人の言葉は重ねるごとに強くなる。私は再度、先生に問いかける。

 

「先生……。彩白ちゃんはこのまま私達とバンド活動をして、楽しくできるんですか?」

「ま、本当のところ、彩白がどう思ってるかはわからないよ」

「なら……!」

「だけど、バンド活動をあの子はちゃんとやるよ。今の彩白は、私に言われたことを絶対に守るからね」

「それはそうなのかもしれないですけど。あんな強引なやり方をを見たら……」

 

 私は震える彩白ちゃんの姿を思い出す。

 

「ま、色々と理由はあるけどね。全部、あのセッションが答えだよ。だからあいつはここに来るし、私も大丈夫だと思ったから嗾けた」

「……え?」

「そこら辺について、実際に演った空奏と遥は何となくわかってるんじゃない?」

 

 二人は先生を睨みつけていた目を逸らした。

 私は何となく、気づく。あの場所で音を合わせた三人は私にはわからない何かを共有したんだ。

 どうしようもない、もやもやした気持ちが心に広がる。

 

「ただ……」

「ただ?」

 

 言葉に詰まった先生の言葉を、私はオウムのように返す。

「今の状態じゃ、恋青達が望む形になるかはわからないってだけ」

「だから、それじゃ意味が……」

「私は言ったよ。最初だけは何とかする、後は本人達同士でって」


 確かに言っていた。だけど、このままでは何一つ納得できない。

 目標とか、夢とか、それ以前の話だと思う。私はバンドの為に誰かを傷つけて、嫌がってる事を押し付けたいわけじゃない。最後にはみんなで楽しく笑っていたいだけだから。

 私は先生の目を強く見つめる。先生は驚いたように目を丸くした。

 

「はぁ……、わかったよ恋青。少しだけ本音を話す」

 

 しばらく黙った後、先生は眉を下げ、観念したように首を少し振った。神妙な面持ちのまま話し始める。

 

「彩白はね、子供なんだ」

「……それ、さっきも言ってましたよね」

 

 震える彩白ちゃんを見下ろすようにして、先生が吐き捨てた言葉だ。

 

「うん。私も色々あったからっていうのは理解してる。でもね、いつかは成長しなくてはいけない。……いつまでも、私が側にいられるわけじゃないからね」

「それで私達……、ですか?」

「そう。あの子は多くの、そして大きな闇を抱えてる」

 

 座り込んで震える彩白ちゃんが脳裏によぎる。とても私と同じだなんて言えない。だけど、風のように過ぎ去っていく、普通の人生と名前のついた日々の中で絶望していた頃の私を思い出した。

 

「だからね。私が信用してる人達の側で、それが叶うならって思ったんだ。それが私のエゴだったとしても」

 

 先生の信用してる人。その枠組みの中に私達が入っているのは嬉しい。だけど少し、ほんの少しだけ引っかかる。

 

「もしかしたら、恋青達なら何とかしてくれるかもしれない。気持ちとしてはそういう事だよ。ちょうどいい理由もあったし」

 

 先生が嘘を言っているようには見えない。だけど、少しだけ……。多くを語る先生に不信感を覚えた。

 けれど、そう感じているのは私の思い込みかもしれない。だから、これ以上追求することはできなかった。

 

「その、色々あったっていうのも教えてくれないの?」

「そうだね。これから仲良くなって自分達で聞けばいいじゃん」

「……無責任」

「はは。私がどういう人間かは知ってるでしょ?」

 

 全てに納得できたわけじゃない。だけど、先生には救ってもらった恩もある。返すチャンスが転がり込んできたと思い込もう。

 それにギターとか作曲とか、そういう部分を抜きにして彩白ちゃんが気になっているんだ。

 

「……わかりました。私達なりにやってみます」

 

 決意をもって答えた私に続くように、空奏と遥が口を開く。

 

「わかったよ。茜さんの頼みだもん」

「ソナタはあの子のギター、気に入っただけでしょ?」

「……うっさい。失敗しても恨まないでよ」

「わかってる」

 

 部室はいつもの軽快な空気を取り戻す。

 なんとか、ここだけはいい方向に向かいそうだ。

 

「でも、まさか有名人とバンドやるとはね」

「人生はわからない」

「恋青はファンなんでしょ?」

「うん。まぁ一応……だけどね」

 

 嘘です。

 プレイリストは彼女の曲ばかりで、本家よりも弾いてみたを再生してるぐらいのファンです。

 でも、知り合えたとなると彼女の前でしたリアクションが恥ずかしく思えてきた。気づかなかったのも恥ずかしい。

 

「あの子はプロなの?」

 

 遥が先生に何気無く問う。

 

「違うよ。どことも契約はしてない」

「マジ?! それで登録者と再生数が凄いってことはさ!」

「……稼いでる」

「遠くに遠征とか行けるかもしれないよね!」

「普段払ってる私達分の移動費とかが浮く、かも?」

 

 きっと、何気ない冗談のつもりだったんだろう。普段の二人を考えても絶対に本気では言ってない。

 だけど、これは流石によくない。私が注意しようと口を開こうとした時だった。

 

 先生が冷たく二人を睨んだ。先生の横顔に私は思わず息を呑む。そして、ゆっくりと確かめるように私達に伝える。

 

「彩白に無理矢理お金を出させたら……、ほんとに殺すよ?」

 

 この二年間、聞いたこともないほど低い声色に自然と身体が強張る。

 

「……すいません。無神経だった」

「ごめん、なさい」

 

 ごく偶にしかない、本気の反省を見せる二人。

 

「いいよ。わかればいいんだ」

 

 二人からの謝罪を聞いて、いつもの笑顔に戻る茜先生。私はふーっと息を吐く。この日は最初から最後まで、奇妙で微妙な雰囲気のまま活動は終わった。



 翌日、学校で彩白ちゃんの姿を見かけた。

 授業の為に教室を移動してる最中だったんだと思う。真っ白で真新しい廊下に反して、懐かしさを覚える教科書とノートを抱えながら凛として歩いている。

 私は気まぐれで少しだけ遠目に彼女を観察することにした。

 容姿も相まって、明らかに人気者であろう彩白ちゃんは複数人の友人に囲まれていて、誰に対して分け隔てることなく笑顔を振りまいている。

 ダメだ。観察なんて行為は性に合わない。とりあえず、何も考えずに話しかけることにした。

 

「おーい。彩白ちゃん!」

「……あ、日向先輩。こんにちは」

 

 彼女の周りにいた友達が騒ついた。でも、気にならない。彼女の表情に目がいく。今の顔は昨日も見た気がする。茜先生に連れられてきて、私と話している時はこの表情だった。

 

「今から授業?」

「はい。前の授業が移動教室だったので、今から帰るところです」

「そっか。今は……、三時間目だっけ」

「そうですね。あと少しでお昼です」

 

 昨日の事なんてなかったみたいに、彩白ちゃんは自然に会話を続ける。

 

「もう時間か。彩白ちゃん、授業頑張ってね」

「ありがとうございます。先輩、放課後はよろしくお願いします」

 

 確か、今の時間は十分休憩だから長く話していられない。私が手を振りながら見送ると、一礼して振り向く彩白ちゃん。友達、と言うか取り巻き? に、私との事について質問責めされながら去っていく。まるで芸能人と記者みたいだ。

 

 なんか、なんかなんだよなー。

 

 きっと、あの光景を知らない人がみたら完璧なんだろうと思う。美人で、丁寧で、お行儀正しい。それが私の目に映る、今の彩白ちゃんだった。

 

 もし、昨日より以前に出逢っていたら? そのまま数週間過ごしていたら? 今のように何かを疑問に持つことなく、これを当たり前として接していただろう。

 

 だけど、知ってるからこそ思う。今の彼女の姿は息苦しそうに感じる。音を奏でていた彼女はすごく傲慢で、独善的で、自由に見えたから。

 

 どちらが本物なのかは、本当のところ知らない。だって、出会ったばかりだ。だけど、私は知ってる。本能を剥き出しにした人間の姿を、あの特別な空間で何度も観ているんだ。

 

 私は、言葉にできない違和感と引っ掛かりを感じながら部室を目指した。

 その日の放課後。彩白ちゃんが加入して、初めての練習。私達は愕然とすることになる。

 

 六月にしては蒸し暑く、私達はクーラーの効いた部屋でダラダラとしていた。すると、控えめな音を立てて部室のドアが開く。

 

「こんにちは!」

 

 そこにいたのは、さっきまでの真白彩白ちゃん。特に緊張した様子もない。

 

 まばらに集合し、三人が揃った後、彩白ちゃんが「本日からよろしくお願いします」と改めて頭を下げた。

 

 私達は三者三様のよろしくを返した後に黙りこくる。

 そして、切込隊長の空奏が気まずさを払拭するように「とりあえず合わせよ」と言った後、私達は一曲だけ合わせた。

 

 曲が終わり、遥のベースがミュートされた直後、私達三人は同時に彩白ちゃんの顔を見つめる。

 

「……彩白ちゃんどうしてそんなに弾けるの?」

 

 まるでいつも通り、全く違和感がなかった。だけど、何かが違う。その正体は楽曲を静かに底上げする彩白ちゃんのリードギターだった。元からそこに存在していたみたいに、曲の中に溶け込んでいる。なんていうんだろうか、言葉では表せない事を体験した。

 

「茜先生に貰った音源を昨日のうちに全部聴いて、リード入りのアレンジ考えてきました」

 

 彼女の顔は昨日の出来事がなかったみたいに自然で、抑揚を持って答えている。

 さっきほど同級生にも見せつけていた笑顔そのままで、さも当然と言わんばかりに彩白ちゃんが話す。

 

「マジ……?」

「……」

 

 空奏と遥もさすがに引いている。

 私だってそうだ。二年間の活動で、それなりの曲数はある。それを、全部? この曲だけじゃなくて?

 彼女はたった一晩で、十曲以上のアレンジを作ってきたのだ。

 

「申し訳ありません。私なりに頑張ってみたんですけど、何か変なところがありましたか?」

 

 コテン、と首を傾ける彼女の顔は人形のように綺麗で、私達はさらに言葉を失う。

 

「これではダメですよね。本当にすみません。明日までに全部作り直しを……」

「いい! いいって!」

「そ、そうですか? できるだけ、先輩方の特徴を殺さないように心がけたんですが……」

 

 彩白ちゃんは眉を下げ、戸惑った表情をする。

 

「何それ」

 

 今の言葉に空奏が噛み付く。

 

「えっと……、私なりに頑張ってみた――」

「そっちじゃない。いや、そっちにも言いたいことはあるけど。まず、その顔と喋り方は何?」

 

 空奏がドラムセット越しに、憤りを隠すこともなく彩白ちゃんを指差す。

 

「顔と喋り方、ですか?」

「昨日言ったよね。それ、イラつくって」

「申し訳ありません。これがいつもなので……」

 

 空奏が顔を引き攣らせて、遥が舌打ちをする。

 

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて……」

「こはるが言うなら、そうする。とりあえず、何曲かやろう」

 

 遥の言葉と共に練習を再開する。だけど、その後の練習でいつもの興奮を得られることはなかった。


 どうしようもない雰囲気のまま、あっという間に一週間という時間は過ぎていった。

 土日を含めて、毎日集まった私達。でも、空気は完全に地獄だった。状況が好転する兆しすら見えてこない。

 

 痺れを切らしはじめた空奏がどれだけめちゃくちゃにしようと、似合わず感情を露わにする遥が乱しても、彩白ちゃんは決まったフレーズを淡々と弾き続ける。


 その結果、空奏と遥は日を追うごとに怒りを募らせていく事になってしまった。

 

 私はというと、昼間は三人の仲をとりもち、夕方から夜にかけては空奏と遥の愚痴を聞く。そんな毎日に疲れていた。声も本調子とは程遠い。

 

 なんか違う。だけど、彩白ちゃんが見せる完璧なリードギターに文句をつけられない。きっと、だからこそ二人はイラついているのだろう。

 

 この一週間、学校で彩白ちゃんを見る機会はたくさんあった。授業中の姿を見にいってみたり、昼休みにクラスメイトとご飯を食べるところを覗いたり、体育で運動をする姿に目を奪われたり。

 

 だけど、何かがおかしいんだ。でも、彼女の内面を憶測して違和感だなんだなんだ言ってる私は、本当におこがましいことを考えているのかもしれない。


 でも、おかしいものはおかしいんだ。彼女の笑顔が心を揺さぶってくる。この気持ちに名前をつけられない。

 

 言葉として形にならない違和感を持ってる私達の、特に空奏と遥の不満は溜まっていく。

 これでは新曲どころの騒ぎではない。

 

 今日まで、慣れない役割をこなしていた私は疲弊していた。だからかもしれない。私が気を抜いていた時、ついに空奏と遥が爆発した。

 

「いい加減にしろよ!」

 

 空奏が叫んだ。ヤバいと思って止めようと身を乗り出そうとした時に見てしまった。

 

「何がですか?」

 

 この一週間見てきた、いつも通りの笑顔だ。怒鳴られても、その表情は全く崩れない。

 

「ほんとなんなんだよ。その顔と、お行儀のいいギターは!」

「空奏さん、どうしたんですか? 私の演奏に問題がありました? なら、修正をして……」

 

 怒鳴りつけられても動揺すらせず、ロボットみたいに決まった答えを繰り返す。いつも通りの彩白ちゃんを見せつけられて、空奏は言葉を失う。

 

「……ねぇ、楽しい?」

 

 半ば呆れたように遥が問う。

 

「はい。私は先輩方と演奏できて楽しいです!」

 

 その言葉に、目を見開いた遥が彩白ちゃんの胸倉を掴み上げた。

 

「遥!」


 私は叫んだ。これ以上は本気で止めなきゃヤバい。

 だけど、動かそうとした身体が自然と止まる。

 彩白ちゃんの笑顔は一ミリたりとも崩れていなかったからだ。

 

「なに、その顔?」

「なにとは、どういうことですか?」

「それが、怒鳴られて暴力を振るわれてる人間の顔?」

「暴力……ですか? 遥さんはミスを犯してる私を叱責してくれているんですよね? 先輩からのアドバイスですから、聞くのは当然だと……」

 

 あの遥が呆気に取られている。握られていた拳は力が抜けていき、彩白ちゃんは解放される。

 そして、すぐさま踵を返し、ベースをギグバックに入れてしまう。

 

「もう無理……。こはる、なんとかしといて」

「私もパス」

「ちょ、ちょっと!」

 

 気怠そうに二人は出ていってしまった。止める為に前へ突き出された私の手は空を切る。

 彩白ちゃんはニコニコと笑ったままだ。次のライブは三週間後。もう、どうにもならない気がしてきた。



 あの後、昨日はすぐに解散とした。これ以上続けても意味がないと思ったからだ。私は問題を明日へ先送りにした。

 

 けれど、どれだけ来るなと思っていても今日という日はやってくる。私はたった一人、静かな校舎を歩いていた。


 みんなが授業をしている間、私は暇になる。何故なら授業に出なくてもいいと言われているからだ。それなら学校そのものに来るなよって思われるかもしれない。

 

 だけど、登校日数の関係で校長先生に出席だけはとってくれと言われている。

 だから毎朝、自転車で長い坂道を登り学校にはとりあえず来て、教室で名前を呼ぶ先生の声にやる気なく返事をする。後は教室を飛び出して学校の中を練り歩くか、部室に篭ってひたすらにギターを弾く。そんな日々をここ一年ぐらい過ごしている。

 

 今日は、なんとなくギターを弾く気分じゃない。だから、お気に入りの曲を聴きながら校内を歩き回り考え事をすることにした。

 

 当然、彩白ちゃんのことを思い浮かべる。私はどうしたらいいんだろう。すぐ解決するような簡単な問題だったらいいなと思う。でも、絶対にそんなことはない。

 

 きっとあの二人は、純粋にもう一回演りたいんだと思う。全身がひりつくようなセッションを、彼女とのもう一回を求めている。

 

 でも、今の彩白ちゃんも、間違いなく彩白ちゃんなんだ。私にはその事を否定なんてできない。出会ったのだって、たった一週間前の話だ。

 

 でもなー、引っかかるんだよね。答えのない問いを、ひたすらにぐるぐると考える。

 そうして私が道のど真ん中でうんうん唸っていると、後ろから肩を叩かれた。私はイヤホンを外しながら振り向く。

 

「バンドやりはじめてからは孤高の恋青様だったのに、誰かを気にかけるなんて。あの子はそんなに特別なんですか?」

 

 悩める私に話しかけてきたのは、小中高と学校が同じで腐れ縁の夏希だった。

 この学校では、唯一気さくに話しかけてくる人となった親友でもある。

 

「あー、まー、そんなとこ」

「あら、やけに素直に認めるんですね。まだ誰とも言っていないのに」

「夏希を相手に今更何を誤魔化すのさ。どうせ見てたんでしょ?」

「そうです。ちゃんと見てました。噂にもなってましたよ。恋青が彩白さんの授業を見にきてるーって」

「はぁ? まじですか……」

 

 気の抜けた私は近くのベンチに勢いよく腰掛け、脚をばたつかせる。


「恋青、はしたないですよ」

「いいじゃん。誰も見てないよ」

「はぁ……、今日も授業には出ないのですか?」

「意味ないし、出てどうするの?」

「さすが、授業料無償の学年一位は余裕ありますね。既にテストだけ受けてれば卒業できるんですもの」

 

 眉を下げた夏希が私を皮肉る。

 

「……まぁね」

 

 私は宙を見ながら、てきとーに返す。それを聞いた夏希はまた溜息だ。

 

「で、あの子は?」

「真白彩白ちゃん。ほんと可愛いでしょ」

「それは知ってます。彼女、有名ですからね」

「……え?」

 

 夏希の方に首を振る。

 まさか、Shiroのことがバレているのか?

 

「あの容姿で注目を集めるなと言うのは無理でしょう?」

「あー、そっち」

「それ以外に、どっちがあるんですか……」

 

 私は胸を撫で下ろし、また夏希から目線を外した。

 すると、懲りずに夏希は話しかけてくる。

 

「彼女、気になるんですか?」

「うん」

「一日中追い回すほど……?」

「うん」

「どうしてかは、聞いてもいいんですか?」

「……だめ」

「私でも?」

「うん。夏希がどうとかじゃなくてね。言えないんだ」

「ふーん……」

 

 夏希はいつにも増して問い詰めてくる。こんなに深入りしてくるのは珍しい。

 

「ま、いいですよ。それで、どうするんですか?」

「……どーしようね」

 

 本当にどうしたらいいんだろう。

 昨日、空奏と遥はめちゃくちゃ怒ってた。一週間だ。二人にしてはよく我慢したと思う。彩白ちゃんと上手くやりたいって気持ちも少なからず伝わってきた。まぁ、結局最終的には私に丸投げなんだけどね。

 

 だけど、私も二人の気持ちがわかるんだ。

 あのセッションを見ていただけの私ですら、今の彩白ちゃんは物足りない。


 剥き出しになった彼女は、ギターで暴れて、音で引き裂いて、バンドとして調和していた。目を逸らしていてもどうしようもなく心に残ってしまう。そんな演奏だった。

 

 だけど、今のアレンジスタイルでもバンドとしては問題ない。性格や表情云々も他人が立ち入っていい場所じゃない気がして……。

 いつの間にか、私は地面の燻んだタイルを見つめていた。

 

「何かに悩むなんて、恋青らしくないですよ」

「……え。私らしくない?」

 

 夏希は私を射抜くように見つめてる。

 

「そうですよ。他人の迷惑なんて考えない、やりたいと思ったら即行動する。それが私の知る恋青という人です」

「……私、そんな人間に見えてるんだ」

「どれだけ一緒にいると思ってるんですか? 何度嫌気が刺したかわかりません」

「はは」

 

 乾いた笑いしか出てこない。また、俯く。

 

「でも……」


 私が顔を上げると、夏希は笑顔を私に向けている。

 

「そんな貴方に救われてきた人もいる」

「……そうなの?」

「はい。何よりも、目の前にいるでしょう?」

 

 胸に手を当てた夏希が私の顔を覗き込む。

 

「恋青が思うようにやったらいいですよ」

「……ほんとに?」

「はい。どうせ責任をとるのは私じゃないですし」

 

 夏希の思いもよらない発言に言葉を失う。

 あれだけいいこと風に言っていてこれだ。

 しばらくすると笑いが込み上げてくる。

 

「あはは! そうだね!」

 

 夏希の言葉を聞いて、何かが吹っ切れた。

 両手をベンチについて、勢いよく飛ぶように立ち上がる。

 

「行くんですか?」

「うん。もう考えるのは面倒だなって」

「……本当に、あなたは変わらないんですね」

「ありがと。褒め言葉としてうけとっとくよ」

「褒めているんですよ。……偶には授業に出てください」

「気が向いたらね」

 

 夏希の横を通り過ぎた。そして、少し先で止まる。

 

「夏希、背中を押してくれてありがと」

「……うん」

 

 夏希の返しに昔を少しだけ思い出す。

 幼い頃に夏希の手を無理矢理引っ張り、何も考えずに前を歩いた時間のことを。

 私は懐かしさを感じながら歩き出す。

 そういえば、私は我慢なんて嫌いだった。

 二人と同じく、一週間が限界だったらしい。

 


 私は校舎の最上階へと設置された音楽室にいる。

 茜先生と顔を合わせるのは一週間ぶりだ。元々、先生はあまり部活には顔を出さないから違和感とかはない。


 だけど、新メンバーという名の知り合いを放り込んでおいて、まさか本当に私達を放置するとは思わなかった。だからかな、今日は少しだけ緊張した。

 

 私は音楽準備室と書かれた金属製のドアを三回ノックする。すると中から「どうぞー」という軽い声が聞こえてきた。

 

「失礼します」

 

 ゆっくりとドアを開けて、ゆっくりと閉める。

 中に入ると楽器やら楽譜やらが乱雑に置かれていて安心する。ここは部室と同じ音楽の匂いがした。

 一番奥の角に先生の机はある。

 

「あぁ、恋青か。もう泣きつきに来た?」

 

 先生の表情は明らかに面白がっている。その表情は少し癪だってので、精一杯強がることにした。

 

「……違いますよ。ようやく楽しくなってきたところです」

 

 自分でも顔が引き攣っているのがわかる。

 

「へぇー。どんなところが?」

 

 にやにやと鼻につく表情だ。明らかに煽られている。少しだけムカっときた。私は一歩前に踏み出して声を上げる。

 

「彩白ちゃんと、どうやってもっと仲良くなろうかなって。……久々に落とし甲斐のある子ですよ」

「そうなんだ。彩白のどんなところが気に入ったの?」

「ギター上手くて、可愛いし……」

「他には?」

「約束は、守るし。優しいし……」

「それで?」

「あ、いやー。顔が可愛いし、素直だし……。ね?」

「ふーん」

 

 この時間は一体何なんだ。

 謎の質問を続けていた当の本人は、既に興味を失ったと言わんばかりに私から目線を外している。

 そして、先生は私の顔を見ずにさらっと言う。

 

「ま、いいや。それで何のよう?」

 

 私は深呼吸をする。そして、躊躇いなく言い放った。

 

「アコースティックギターを貸してください」

 

 その言葉は予想外だったんだと思う。先生はもう一度、ゆっくりと私をみる。

 

「それは……、どうして?」

「だからですね。彩白ちゃんと仲良くなろうと思って。私、アコースティックギターなんて持ってませんし」

 

 私から続く言葉には、さらに驚いたのだろう。先生は目を丸くしている。だけど、ちゃんと答えるつもりは最初からない。

 

「でも、バンドの練習はちゃんとしてるんでしょ?」

「ですね。まぁ、一応」

 

 全く形になってる気はしないけど。

 

「……バンドの練習で使うの? もしかして新曲の話とか?」

「違いますよ。新曲の話なんて一回も出てないです」

 

 先生に部室の空気を見せてやりたい。そんな和気あいあいとした雰囲気になったことは一度たりともない。

 そもそも、既存の曲すらおかしな感じになってるくらいだ。


「なら、どうしてなの?」


 不思議そうに首を傾げる先生。だけど、素直に答えてやるつもりなんてない。私が抱えている、ぐちゃぐちゃな気持ちだけの部分だけを伝える。

 

「……私、考えるのとか嫌いなんです」

「どういうこと?」

 

 先生の意味がわからないという目線で射抜かれる。だけど、私は強く見つめ返した。

 

「言葉通りの意味ですよ」

「うーん……。わからん」

「簡単に言うとですね。もう面倒だなぁって、ただそれだけの話です」

「面倒ねー」

「そうですよ。あっ、そこは先生と同じかもですね」

 

 私は両手をひらひらと振る。私の態度に、先生は呆れたように笑いながら話す。

 

「それで、面倒くさがりの恋青が彩白と仲良くなるにはアコギが必要だと?」

「ですです」

「で、なんでなの?」

「色々と考えるのが面倒だからです」

 

 先生は少しだけムッとした表情を見せる。

 

「……さっきから、まともな回答を貰ってない気がするけど」

「ですね。わざとです」

 

 私は間髪入れず、わざと挑発するように答えた。

 

「それは……どうしてって聞いたら、答えてくれる?」

「なんでは禁止、じゃなかったんですか?」


 私はうずくまる彩白ちゃんの姿を思い出す。

 驚きを隠そうともしない先生の目線が私に注がれていた。

 

「はは、やっぱり恋青は面白いな」

「でしょ? こんな自分でも、こんな私を気に入ってます」

 

 先生は徐に立ち上がり、音楽準備室のさらに奥にある楽器倉庫へ入っていった。……と思ったらすぐに出てくる。


 先生の右手には埃ひとつついてないアコースティックギターが握られていた。先生はどこも抑えることなく弦を鳴らす。とても綺麗な音だった。

 

「ほら、持ってきな」

「……ありがとうございます」

 

 やけにあっさりと私に手渡してきた。まぁ、断られるとも思ってなかったけれど。

 

「しばらく弾いてないからなー。恋青はアコギの調整方法知ってたっけ?」

「いえ、でも大丈夫です」

「どうして?」

「弾くのは私じゃないんで」

 

 今日何度目かの先生が驚く表情。

 

「その子、私が出会ってきた人の中で誰よりもギターが上手いんです。だから、大丈夫かなって」

 

 本当に、とても気分がいい。今なら何だってできる気がした。




 時計を確認すると、今、三時間目の授業に入ったばかりらしい。私はアコースティックギターが入ったソフトケースを背負いながら、一年生の廊下を進む。

 

 一年六組。ここが彼女の教室だ。

 中からは見えないように、透明なガラス越しに教室の中を伺う。外の窓側、後ろから二番目に彼女はいた。

 

 シャープペンシルを握ることもなく窓の外を眺めていて顔は見えない。でも、彩白ちゃんだとすぐにわかる。失礼だとは思うけど、彼女は周りの有象無象とは違う。

 少し距離が離れていても、顔が見えなくても、すぐに真白彩白だとわかった。

 

 何分経っただろうか。しばらくその光景を眺めていると、ふと、彼女が黒板を見た。

 そこにあったのは、いつもの彼女からは想像もできない無機質な目だった。何もかもがつまらなく、全てが面倒だと思ってそうな冷え切った表情。

 

 ジワっと心の中に暖かい何かが広がる。

 何かを見つけてしまったという感覚が心の中を覆っていく。

 やっぱ、やっぱそうなんだ。同じだ。私と同じ、彼女と私は似たもの同士。なんの根拠もない。

 

 だけど、間違いなくあの頃の私も同じだったから。

 だから、彼女の気持ちがわかる。

 そう思った直後、教師に当てられて立ち上がった彩白ちゃんはいつもの笑顔に戻り、教科書を読み上げはじめた。


 きっと、そのまま座り込んだら、またさっきみたいな表情をするんだろう。そして放課後は、綺麗な笑顔を貼り付けたまま、お行儀よく丁寧なギターを鳴らすんだ。

 あぁ、そんなんじゃだめだよ。

 

 そんなの――、嫌だ。

 

 堪らなくなった私は教室の扉を開け放つ。

 

「失礼しまーす!」

 

 ずかずかと中に入り込む。一瞬だけ時間が止まった後、ざわざわと雑音で満ちる教室。呆気にとられ注意も忘れた教師を横目に彼女の元へと向かう。

 そして、立ちつくしたまま目を見開いている彩白ちゃんの前まで行く。

 

「……せ、ん、ぱい」

 

 壁という障害物のなくなった彼女の声は透き通るようによく聞こえた。

 

「彩白ちゃん、いくよ」

「え……、は?」

 

 私は彼女から教科書を奪いとり、机の上に叩きつける。机の横に引っかかっているスクールバックを掴んで、彩白ちゃんの手を握った。私はそのまま歩きはじめる。

 

「ちょ、ちょっと! 先輩!」

 

 私はその声を無視する。私は彩白ちゃんを引き摺るようにして外に連れて行く。

 

 そして、ドアが閉まる直前に「彩白ちゃん、早退するんで!」と名前すら知らない教師に伝える。

 何かが始まる予感と共に、私は彩白ちゃんを引っ張った。

 


 自棄になったのか、彩白ちゃんは抵抗することなく手を握られたまま黙ってついてきてくれる。私達は長い廊下を抜けて下駄箱まで来た。

 

「逃げないでよ!」

 

 そう念押しすると彩白ちゃんはこくんと頷く。

 安心した私は自分の場所まで走って靴を取りに行き、彼女の元へすぐに戻る。一方的な約束の通り、彩白ちゃんは靴を履き替え待っていてくれた。

 

 再度、私は手をとり引いていく。

 だけど、彩白ちゃんは一言も喋ってはくれない。

 駐輪場へ向かう前にやることを思い出した。

 空いている手でスマートフォンを操作してLINEを開く。MyNaneのグループをタップしてメッセージを打ち込む。

 

『今日はなし』

 

 すぐに既読が付き、ポンっと効果音が鳴って言葉が連なっていく。

 

『なんで?もしかして 昨日のこと、怒ってる?』

『こはる、ごめん』

 

 やっぱり気にしてたんだと少しだけ笑いが込み上げる。困ったのは事実だけど、二人を責める気持ちはどこにもない。

 

『怒ってないよ』

『大丈夫』

 

 私は二つ連続でメッセージを送る。建前とかじゃなくて本心だ。

 

『よかった』

『なら、なんで?』

『そうだよ!』

 

 空奏が抗議するカエルのスタンプを送ってきた。二人の顔が思い浮かんだ。ああ、この二人とも最初は上手くいかなかったなって。昔を思い出して懐かしくなる。

 私は嘘偽りない、だけども意味不明で脈略のない宣言を送る。精一杯の強がりと、どうにでもなれって気持ちを込める。

 

『明日、楽しみにしといて』

 

 ただそれだけを送って、スマートフォンの電源を落とした。気づけば、駐輪場は目の前だった。

 

「私、自転車通学だからさ」

「え、あ、はい……」

 

 会話に困り、下手くそな世間話をしようとしたけど思いの外失敗したらしい。彩白ちゃんは消え入りそうな声を出しながら俯く。

 

「あの、これから何処に」

「彩白ちゃんと、遊びに行こうと思って」

 

 彼女の顔が上がる。驚きと困惑が半々って感じ。今、畳み掛けよう。

 

「ほら、後ろ乗って! これは背負ってね」

 

 アコースティックギターの入ったギグバッグを手渡し、二人分のスクールバックをカゴに突っ込む。

 

「あの、二人乗りは……」

「いいのいいの! 誰も見てないって!」

 

 彩白ちゃんは戸惑いながら、通学用のカッコ悪い自転車の後部に座った。私の腰を抱くように捕まる。

 

「よし! いこー!」

 

 私は自転車を勢いよく漕ぎ出した。学校に来る時は鬱陶しい事この上ない長い坂道。

 だけど、帰りは一度もペダルを回す事なく進んでいく。ぐんぐんと上がるスピード。私は後ろに向かって声を張り上げた。

 

「彩白ちゃん、 怖くない?」

「はい……!」

 

 耳元で彼女の声がする。ほんの僅かにラベンダーの香りがした。……あまりにもいい匂いだった。

 私は何かを誤魔化すようにもう一度声を張り上げる。

 

「とりあえず、いきつけの楽器屋さん目指すね! 用事があるんだ!」

 

 後ろから、彩白ちゃんの声は聞こえてこなかった。



 私達の学校から近くにある楽器店は一つしかない。

 スタジオ『ミュージック・サロン』。少し前まで、私が毎日のようにバイトをしていたところだ。

 よく言えば趣のある、悪く言えば汚い。そんな外観はまさにロックの象徴だ、と店長が言っていた。

 

 練習用のスタジオが複数と、二十人程度が収容可能なライブスペースと音楽系の商品を扱う本格的な店舗も備え付けられている。ザ・田舎って感じのスタジオ。それが『ミュージック・サロン』。

 からんからんと、まるで喫茶店のような音を鳴らす扉を開ける。

 

「お邪魔しまーす」

「はーい」

「やっほー。店長、来たよ!」

「お、きたねー!」

 

 無骨なお父さん。それが最初からの印象だった。

 

「学校はどしたの?」

「サボった!」

「ったく。恋青ちゃんは本当に変わらないね」

 

 店長は困ったように私を見る。

 

「ま、そんなことはいいじゃん! それよりも、ほら!」

 

 私は彩白ちゃんを前に出す。

 

「真白彩白ちゃん! かわいいでしょ!」

「おぉ、これは……」

「……真白、彩白です。よろしくお願いします」

 

 やっぱり、彩白ちゃんの声に元気はない。

 ジロジロと彩白ちゃんの顔を見る店長。

 自分から見せといてなんだけど、ちょっとだけ嫌な気持ちになる。

 

「……セクハラですよ」

「いや、そういうわけじゃなくて……」

「はい、もうダメ!」

 

 私は彩白ちゃんを後ろに隠す。

 

「はぁ……、で? 今日は何しにきたの? どうせなんかあるんでしょ?」

 

 店長は後ろを向き戸棚を弄り始めた。ピックやら弦やらを開封している。

 

「いや、彩白ちゃんを自慢したかったのと……」

「なんで恋青ちゃんが、その子の自慢をするんだよ」

 

 店長は呆れた声を出して、こちらを見ようともしない。

 

「……また、車借りていい? まだ機材車のレンタル頼んでなくて」

 

 ライブは近い。今後のためにも、やるべきことはやっておかないと。まあ、これを思い出したのはつい数十分前なんだけどね。

 こういう面倒事はついでに済ましておいた方がいい。

 

「いつ?」

「六月最後の土日!」

 

 カレンダーを確認している。何の丸もついていなさそうだった。

 

「いいよ」

「ラッキー、レンタル代が浮いた!」

 

 私の発言に、店長がジトーっと睨んでくる。

 

「……お金とってもいいんだよ?」

「いやいや、感謝してます! 店長様!」

「わかればいいんだよ」

 

 私が手を合わせて拝むと店長は腕を組んでふんぞり返った。よし、用事も済んだし次行こう。

 

「じゃあ、また来るね!」

「わかったよ。当日は連絡してな」

「はーい!」

 

 私達はお店を出る。私は自転車を跨ぎ、後ろを振り返った。

 

「彩白ちゃん、次のところ行こうか」

「……え? 次って……」

「着いてからの、お楽しみ!」

 

 本命の場所へ向かう為に、私は彩白ちゃんを乗せた自転車を漕ぎ出した。

 


 私達はなんの変哲もない公園にたどり着いた。

『ミュージック・サロン』から、この公園は大して離れていない。私の住む家の近くで、よく夏希と遊んだ場所だ。大切な思い出がいっぱい詰まってる。ここに彩白ちゃんと来てみたかった。

 

 私は自動販売機で飲み物を二つ購入して、彩白ちゃんが座るベンチまで戻る。

 

「ごめんね、疲れたでしょ。はい、ジュース」

「ありがとうございます……」

 

 私は彩白ちゃんと同じベンチに腰掛けた。

 

「なんで、こんなことをしたのかって思ってる?」

「……はい」

「彩白ちゃんは、どうしてだと思う?」

 

 純粋に今の気持ちを知りたかった。彼女はどう思ってるのか、聞いてみたいと思った。

 

「私が、全然上手くやれなかったからですか?」

「……どういうこと?」

「最後にお前はいらないって伝えるためですか……?」

「えぇっ、と」

「だから今日は練習がなくて、私が先輩達を怒らせたから。……Shiroという名前で音楽を汚したことに失望しているんですよね」

 

 何を言ってるのか本当にわからない。だけど、彩白ちゃんの表情は不自然な程に強張っていく。

 その表情に私はすぐ何かを答えられず、数秒の間が開く。そして、彩白ちゃんは何かから自分を守るように両腕を抱きながら捲し立てるように喋り出した。

 

「先輩、ごめんなさい。私、もっと上手くやります。ギターも作曲も期待に応えられるように、ちゃんと。……茜に言われた通り、私はできるから!」

「え。待って待って。彩白ちゃん、落ち着いて?」

「私はできます。もっとちゃんとやって、期待された真白彩白になります……。何だって言われた通りに、先輩達のいうことなんでも聞くから……」

「ちょいちょい。一回深呼吸しよ?」

 

 突如取り乱した彩白ちゃんを宥めようと肩を抱く。顔を上げて私をみる彼女の目はとても弱々しくて、胸を抉られそうだ。

 

「だから……」

 

 彼女の表情に心が吸い込まれていきそう。

 

「……私を、捨てないで……。また、独りになっちゃう」

 

 彼女の言葉に頭が真っ白になりそうだった。怒りとか悲しみとか、喜怒哀楽が混じり合って頭の中はめちゃくちゃだ。

 

 どうしてなんだろう。貴方は何を抱えているの? 心の中を覗き込めたら楽なのに。私は震える喉で、精一杯の息を吸う。

 

「なんか歌いたくなってきた」

「……え?」

 

 私はベンチに立てかけてあったアコースティックギターを取り出す。

 

「なんでも言うこと、聞いてくれるんでしょ?」

 

 私は無理矢理にでも口角を上げる。今は必要だと思ったことをしようと、そう思ったから。

 

「……はい」

 

 彼女は弾くことを選んでくれた。私はスマートフォンを開いて、無料のコード譜配布サイトを表示する。

 

「じゃあ、これ!」

 

 最近人気のバラード曲だ。当然、私はShiroがカバー動画を上げたことを知ってる。これならちょうどいいと思った。

 

「は、はい! じゃあ、その曲を……」

 

 まただ。人形のような笑顔。昂った気持ちが急速に冷めていく。

 

 私はその表情が本物じゃないって断言できる。

 

 昔から得意だったんだ。私は常に周りの機嫌を伺っていたから。誰がどう思ってるとか、こう感じているだろうとか。考えて想像して、常にビビりながら気を配って生きてきた。

 

 だから、伝えたいと思ったんだ。

 

「その顔、もうやめない?」

 

 今まで怖がっていた言葉を口に出す。壁を取っ払うために、私が一歩を踏み出すんだ。

 

「いや、これがいつもで……」

「誤魔化さなくていいよ。違うってことは、なんとなくわかってるから」

 

 彩白ちゃんの顔が困惑の色に染まる。下を向き、表情を隠してしまった。

 

「でも、みんなはこれがいいって。そんな私が好きだって、みんなは言ってて……。だから、これがいつもで、私で」

 

 適切な言葉を探すように彼女は語る。それはまるで、正解を見つけようとしてるみたいだった。

 

「みんなって誰?」

「え。いや、クラスメイトとか……、先生とか……」

「たったそんだけ?」

「え、ええと、あの」

「なら別にいいでしょ。その人達は嘘の彩白ちゃんで満足なんだよ? とりあえず媚びとけばいい。私が許可する!」

「……嘘」

「でも、私には必要ないから。勿論、空奏と遥にもね」

 

 自分勝手に本音の言葉を並べると、彩白ちゃんは俯きながら下を向く。しばらく静寂が続いた。

 すると、彩白ちゃんが口を開く。

 

「……どうしてですか?」

 

 私が何も答えられないでいると、彩白ちゃんは重ねるように問う。

 

「なんで、私が嫌いな、みんなが嫌ってきた私を見せてほしいんですか?」

「そうだねー……」

 

 その答えに私は辿り着いていた。だから、思うがままに伝える。怖がる必要なんて何もない。

 

「私が気に入らないから」

 

 彩白ちゃんが目を見開く。

 

「私が気に食わない。ただ、そんだけ」

「どう、して……」

 

 声が震えている。余裕をなくした表情からは悲しみが溢れ出ている。ちょっとだけ可哀想だなと思う。だけど、同時に満足している自分がいた。

 

「あんなセッションを私達に刻んどいて何言ってんの。このままじゃ生殺しだよ」

「いや、あれは……」

「演ったあの二人は、私以上に感じてたと思うよ。そもそも最初からおかしいって思ってたみたいだし」

 

 怒りに満ちた二人の顔を思い浮かべる。無性に腹が立って、彼女の右頬を優しく抓って少し持ち上げた。

 

「いはい……」

 

 彩白ちゃんは上手く喋ることができずにマヌケな声を出す。あまりにもシュールで笑いが込み上げてくる。

 

「ねぇ、少しずつでいいよ」

 

 私は頬から手を離して、ゆっくりと赤くなっていた部分を撫でた。

 

「最初から全部預けろなんて、無理なのはわかってる。今すぐに信用しろだなんて無茶も言わない。私達は出会ったばかりなんだから」

 

 まるで私達の周りだけ、時間が止まってしまったみたい。

 

「勿論、本当に私達の勘違いなら言ってほしい。今してることが私の自己満足なのは理解してるつもりだから」

 

 なんで違和感があったのか。考えてみれば簡単なことだった。この子が普通の中で消費されていくことが許せない。

 私達も自分勝手で、本質は周りと同類だ。いや、強要してる分さらに酷いのかも。

 

「だけど、聴きたいんだよ」

 

 私達を選んでほしい。本当のところ何が本物かなんて本人にしかわからないし、決めるのも本人だ。

 

「彩白ちゃんの本当を聴きたい」

 

 だけど、私達は本能をぶちまけた姿を知ってるから。

 

「ただ、あの時に見た彩白ちゃんと音楽がしたいんだ」

 

 私も恐れずに本音を曝け出す。

 

「私は、あの彩白ちゃんが欲しい」

 

 気持ちを全部、全身全霊で伝えた。


 これで無理なら、別の方法を考えよう。諦めるなんて選択はハナから存在していない。

 彼女は少し困ったように笑う。そして、私から目を逸らさず重く閉じていた口を開いた。

 

「先輩って……、」

「ん……?」

「本当に自分勝手で、我儘なんですね」

「よく言われる!」

 

 ついさっき、親友に指摘されたばかりだ。

 

「私がどう思うとか、結局はどうでもいいんですね」

「別にそういうわけじゃないけど」

「そもそも、本当の私なんて自分でもわからないですよ」

「まぁ……、ね」

「ずっと、ずっと悩んできたんですから……」

 

 うーん。そういう受け取り方になっちゃったか。

 これはまだ時間がかかりそうかも。

 困らせたいわけじゃなかったんだけどな。

 

「……彩白って呼んでください」

「え?」

「名前にちゃん付けされるの嫌いなんです。私の事は彩白って、呼んでください」

 

 顔を赤くしながら、目を逸らして懸命に気持ちを伝えてくれた。歩み寄ってくれた。それなら、私は答えないといけない。

 

「……わかったよ。彩白」

「はい。恋青先輩」

 

 私達は顔を合わせ、思わず吹き出す。

 彼女の膝に抱えられたアコースティックギターが目に入った。そういえば、歌おうって言ったのを思い出す。

 

「難しい話は終わり! 彩白、早く弾いてよ!」

「……はいはい。わかりました」

 

 彩白はチューナーを使う事なく、まるで当たり前だと言わんばかりに音をレギュラーチューニングに合わせていく。

 

「できましたよ」

「うん!」

「じゃあ……、いきます」

 

 そう言って、彼女はボディを四回軽く叩いた。

 彩白は優しく包み込むように弦を爪弾く。

 アコースティックギターから滴る音の雫が、公園に吹き込む六月の風にのって波紋のように広がっていく。

 その繊細なアルペジオで心が洗われるようだ。

 本当に涙が出そう。どれだけ積み重ねれば、こんな風にギターで歌えるんだろうか。

 私が思わず見惚れていると、彩白が口を開く。

 

「恋青先輩、歌ってよ。……私に歌声を聴かせて」

 

 私はハッとする。思わず何かを言いかけて、口をつぐんだ。今は言葉なんていらない。何よりも彩白が私の歌を求めてる。心を落ち着かせ、涙になるはずだった気持ちを音符に変える。

 

 次の頭、そこから入ろう。そうして私達は同じ空間の中で一つになった。入りの部分で彩白のアルペジオがコードストロークに変わる。

 静かだった水辺を突然掻き鳴らすような音がひどく情熱的だ。胸が熱くなる。これからずっと、こんな時間が続けばいいのに。

 

 私は祈りと願いを込めて息を吸い込み、涙の粒を音の水溜りに放り出した。

 

 


 

 

 


 

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