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私、真白彩白が好むボーカルというのは昔からある程度決まっている。
まずは女性的な色を多く含むこと。これは大前提だ。何故かは具体的に説明はできない、理屈ではない私の好みだからだ。
そして力強く、若干ハスキーだと素晴らしい。少しだけしゃがれた声は、時にノイジーに響き倍音が多くなる。その不安定にも思える声が奏でる音階は、鋭く叫べば心の隙間に入り込み、優しく囁けば翳りがみえるのだ。
歌にのせれば、声だけで人の心を動かすことができる。これを才能と呼ばずになんというのだろう。ギターを弾くことしかできない私は持っていないものだ。それに、音量がアンプによって強制的に引き上げられるロックとは相性がいい。これらがいつでも私の想像の中にしかない理想の音。
で、そんな声を持つ待てる人は全てが特別なはず。私よりも背が低くて、人懐っこい女の子で、声とギャップがある快活な性格で、バンドのフロントとして、みんなを、私を引っ張ってくれて……。
だけど、私は私の理想と出会ったことはない。
当たり前の話だ。こんな人間がそこらに居るなら、憧れや理想などとは呼ばない。世界という人の海から理想を探しだすという行為は、白馬の王子様を待つ夢みがちな少女と本質的には同じだ。諦める前に、存在しないと頭では理解している存在。それが私にとっての理想のボーカル。
だから、私は機械音声に頼ってきた。調声すればある程度は思い通りになるから。だけど、聴く人が聴けば一発で機械だとわかる音では全く満足できなかった。
ところが理想は突然、目の前に現れた。茜に連れてこられた部室と呼ばれているスタジオに、理想は居た。歌声を聴いたこともないはずなのに、想像通りだと確信できる音を持つ人。そんな人といつの間にか向かい合うように座り、世間話をしているのだ。
これは夢なんだろうか。日向恋青と名乗った二つ上の先輩は満面の笑みと理想の声質で親しげに話しかけてくる。
「学校には慣れた?」
「はい。おかげさまで」
「ははっ! まだ私は何もしてないでしょ? 彩白ちゃんが私にお世話されるのはこれからだよ!」
「……はは。そうですね」
短い間、話しただけでも思う。とても愉快な人だと。
きっと先輩の周りに人が常に集まって、暖かい場所を生み出しているんだろう。何もかもが、偽物の私とは違う。
「茜先生から聞いてるかもしれないけど、私達はバンドをやってるんだ」
「はい」
知ってる。はじめて遠目から見た時、隣にいた同級生が興奮気味に説明してくれた。MyName。音楽関係のリサーチは欠かさないから、名前だけは聞いたことがある。確か数ヶ月前に少しだけ話題になっていたはずだ。ただ、音源を聴いたことはなかった。
「……上手く人が集まらなくて。スタジオ代もバカにならないし。それでね、部活を作れば全部解決じゃねってことになって、でも結局部員は私しかいなくてね、バンドにはリードギターもいないし、作詞作曲も上手くいかなくて、なんか色々と困ってたの!」
「はぁ……」
さっきからすごい勢いで喋ってる。正直、大半を聞き流してる私は半分ぐらいしか情報として入ってきてない。相槌を打つ暇すらないぐらいだ。
「これから部活とバンド活動、一緒に頑張ろうね!」
「あ、あの。まだ、入るとは……」
「え? 先生から入部届も受け取ってるよ?」
後で茜に文句を言って、回収後に即破り捨てよう。
「彩白ちゃんはギター弾けるんだもんね!」
「それは……」
「先生から聞いてるよ!」
「いや、……私は下手くそですよ」
「……後で聞かせてね!」
どうせお試しがなんかのつもりなんだろう。茜が私について本当のことを話すとは思えない。
顧問としてせがまれたから紹介だけはする。きっとそんな感じなんだと思う。
適当に弾いて、使えないとわかれば解放してくれるはず。頼みの茜は、さっきから会話にも入ってこないで宙を見つめている。はやくこの状況をなんとかしてほしい。
「彩白ちゃんはどんな音楽が好きなの?」
唐突に会話の内容が明後日の方向へと飛ぶ。
「え……?」
「あっ! 別に深い意味はないよ。彩白ちゃんの音楽の好み知りたいじゃん!」
「あー……、JPOPとかですかね」
間違いなく、今の笑顔は引き攣っている。
「そーなの? てっきりロックだと思ってたけど……」
その答えに若干の違和感を覚える。
「……なんで」
「ん?」
「なんで、そう思ったんですか?」
あからさまに語気が強くなってしまった。
「んー、そだねー」
「あっ、単純に気になっただけ……で……」
すぐさま取り繕う。これは普通の人間が目上の先輩に対する態度ではないはずだ。
「あー、いやね」
何か言葉を発そうとしていた先輩の遮るように部室のドアが勢いよく開き、髪色がピンク色の変人と大人っぽい黒髪ロングの二人が入ってくる。
「あいー。戻ったよー。あっ! 茜さん来てんじゃん!」
「あー。遥、空奏は遅刻だー」
散々と黙りこくっていた茜が口を開く。ウザいぐらいの棒読みだ。
「ずっと前から来てたよ! 茜さんが遅いから外出てたの!」
「……来るの遅すぎ」
「まぁまぁ。いいじゃん、どうせ暇でしょ?」
「……そうだけど」
このやり取りだけで察する。後から来た二人は茜と随分親しいらしい。少しだけ、ほんの少しだけモヤモヤする。
「ほら、約束通りに昨日言ってたの連れてきたから」
「……この子?」
「そうだよ」
いつものように口角を上げて、目を細めて、軽く会釈をする。
「ふーん……」
「へぇ……」
流し目で探るように見つめられる。
「ほら、彩白。自己紹介」
二人の態度に少しだけ思うところはあるけど、できるだけ丁寧に挨拶をする。
「真白彩白です。今年、この学校に入学しました」
私は立ち上がり腰を九十度に折って頭を下げる。
よろしくお願いします、は言わない。
「乾空奏」
「橘遥」
……。どうやら自己紹介は終わりらしい。この二人はピンク頭と黒髪ロングに決めた。
そして訪れる嫌な静寂。私はなんでこんなことしてるんだろう。よし、もう帰ろう。その事を伝える為に口を開こうとした時だった。
「……で? やるんでしょ? 準備してよ」
「え?」
「あなたのギター。聴かせて」
この人達、いま、なんて言った?
「茜さん、本当に何も伝えてないの?」
「うん。事前になんか言ったら面倒そうだったし」
「……はぁ」
私を置いてよくわからない会話が進行していく。
「あ、あの。どういうことですか? 私はギターが下手で、これから勉強を……」
「それ本気で言ってんの? 何百人規模のハコでやってる私達が、下手クソなギターを一から使い物になるまで教えるとでも?」
確かにそんなことをするわけがない。なら、なぜ?
「……いや、そういう話では、……なくて……」
困惑している私の言葉を、後ろから先輩が遮る。
「あー……、ごめんね。私達、知ってるんだよ。彩白ちゃんが相当なレベルでギターを弾けること」
「……は?」
私は思わず先輩を見た後、茜を見つめる。だけど、黙ったまま私の方を一瞥もしない。不安な気持ちが心を覆いそうになる。
「でね。ここからはお願いなんだけど、さっきも言った通り私達のバンドにリードギターとして入って……、作曲もしてほしいんだ」
「……え?」
「彩白ちゃんが作詞作曲もできて、ギターも上手いって先生に聞いてたから……。お願いっ! 一緒にバンドしてほしいの!」
手を合わせて頭を下げる先輩。
ここに来る前にした、茜との会話を思い出す。
だから、あの時にバンドのことを聞いたんだ。抗議を茜にぶつけようと口を開こうとした。けれど、周りに人がいる事を思い出して思い留まる。
気づけばピンク頭と黒髪ロングが目の前にいた。二人は私のことを見下すように見つめてる。
「ねぇ、さっきまでの気持ち悪い笑みはどうしたの?」
「この程度で、もう余裕ない?」
「……っ!?」
私は咄嗟に下を向き、右手で顔を覆う。
「へぇ、それが素なんだね。美人はどんな顔をしても映えるもんだ」
「……だね」
意味がわからない。何でこんなことを言われなきゃならないんだ。じわじわと不快感がお腹の下に溜まっていく。落ち着いて、落ち着いて。冷静に。
「……私に何をして欲しいんですか? ちょっと、話が見えてこなくて」
「それは恋青がいま言ったでしょ。今はとりあえず、ギター弾いてよ」
「いや、私は……」
既に準備を終えたらしい黒髪ロングが口を開く。
「嘘はもういい。かなり演れるのは知ってる」
「なんで……?」
「映像を見たから、茜さんから聞いてたから」
茜が話した? 私のことを? なんで、なんで、なんで?
そもそも、何かに誘う奴の態度ではない。こんな高圧的な態度で頷くとでも思っているんだろうか。そもそも、なんで、こんな目に私が合わなきゃならないんだ。
「最初から……、その作り物みたいな笑顔に違和感しかなかったよ」
空奏と呼ばれてたピンク頭に睨まれる。
とても攻撃的な目だ。でも、意志を感じる。お前は誰だって問いかけられているような、そういう気持ちにさせられる。
「そう感じたのは映像を見てたってのもあると思うけどね。挙げ句の果てには私は下手ですって? ……正直、心底イラついたよ。なんでだよって思った」
違和感? イラついた? なんで? どうして?
だって、これまで誰にもバレてこなかった。
これが私だって、真白彩白だって。
みんながそう言ってくれた。こんな彩白が好きだって肯定してくれたんだ。
でも、目の前にいるピンク頭の変人は、こんな私を。
「もう話はいいでしょ? さっさと演ろうよ」
「嘘吐きと話すのは、飽きた」
振り返ったピンク頭はドラムセットに向かい、スローンへと乱暴に腰を下ろした。黒髪ロングはスタンダードな四弦のジャズベースを引っ掛ける。
「いや、だから私は――」
「煩い」
ベースを肩にかけた彼女の声は、とても透き通っていて、私の言葉を遮っていく。戸惑っている私を流し見ながら、ピンクが鋭い目でドラムスティックを私に向けてくる。
「お前の本当を、私達の音で引き摺り出してやるよ」
「隠し通せると思わない方がいい」
この期に及んで、マーシャルアンプの前に座らされている私は動けない。帰ろうと思えば帰れるはずだったのに、目の前の光景に期待が募っていく。
「……彩白ちゃん。これ」
いつの間にか側にいた先輩が抱えていたのは、照明の光りで輝く青いテレキャスター。
とても丁寧に磨かれているのに、ところどころに打痕がある。その美しい姿が、このギターがライブで使われてきた証明だ。
「本当は嫌かもしれないど……、私は純粋に彩白ちゃんのギターを聴きたいな!」
すぅーっと心に入り込んでくる声。そして、先輩の表情に目を奪われる。私は自然とギターを受け取ってしまった。
でも、これを手にとって私はどうするんだろう。何をしたら正解なんだろう。
だって、私が人前で弾いてしまったら、また繰り返してしまう。
双葉彩白である私は、人を傷つけるから。
だから、何か言わないと。否定しないと。そう思って口を開こうとした、その時だった。
ハイハットの突き刺すようなツーカウントから、リズム隊だけの曲が突如始まる。
そして、私の前に海のように広がったのは、間違いなく本物のビートだった。
彼女の振り下ろす腕がスネアを捉える度に耳が弾け飛ぶ。ドラムの意図を汲み取ったベーシストが少しだけ歪んだ音で曲の形を主張してきた。あまりに大きな空気の変化に、私は眩暈を覚える。
――あぁ、狂っていく。
正気を失い何もかもがおかしくなりそう。
金属が砕けるように弾けるハイハットのビート。鼓膜を引き裂くように煌めくスネア。肺が押し潰されるようなエレキベースの低音。
本物だ。これが久しぶりに感じる本物。濃密な低音で室内にあるすべてのものが震える。忘れかけていた感覚が蘇る。
シュミレーターの中で私が作る偽物じゃない。何もかもが本物。その全てで、自分の中に刻まれた拍が塗り替えられていく。
この2人の奏でるリズムで、心臓の鼓動が無理変えられていくような、そんな感覚。
胸がどうしようもなく高鳴って、鼓動は早くなり、全身が揺れて目を離せない。
すると、二人がほぼ同時にこちらを少し見た。
――はやくこい。
そう、目線が言ってる。
先輩から渡されたギターのネックを強く握り、自然とアンプに手が伸びる。
既にスタンバイスイッチは押下されていて、パワースイッチを押し込むだけで音が鳴る。熱を帯びた真空管アンプの音がじわじわと響いた。
吐き出す息が震える。ギターの音を作る為に耳を澄ませた。
聴こえる。私の大好きな、愛してる音だ。
アンプのつまみを回していると、音作りとは関係ない余計な気持ちが入り込んでくる。
それは、この二人は上手いということだった。
リズム隊の上手さというのは、楽器をやったことのない人間にもある程度はわかる。
何故なら、人間という生き物は常に心臓が拍を刻んでいるからだ。人という生き物は、誰しもがリズムを刻みながら生きている。
だからこそ、少しでも走ったり、遅れたりした場合、すぐに違和感に気がついてしまう。誤魔化しようがない。だからこそ、バンドの全てはドラムとベースに詰まっているのだ。
でも、彼女達は上手いというじゃない。人間である以上は技術では補えない、完璧にはならない部分まで二人で個性に変えている。
少しだけ、ほんの少しだけ、裏が強いドラムに合わせて丁寧に音を注ぎ込むベーシスト。
癖のあるフィンガリングに細かく繊細に寄り添うドラマー。
間違いなく、この音は二つでひとつだ。何度も、何度も、気が狂う程に重ねてきたんだろう。聴くだけで、目線を切りながらでも伝わってくる。
だけど、アンプのつまみを弄り、音の奔流の中で消え入りそうなギターをなんとか耳で捉えながら思う。
――煩い。
こう鳴らせ、こう奏でろ、私達に合うのかお前を試してやる。
この二人の演奏は私にはそう聴こえる。
私だって頭ではわかってる。
そんなことはないって、違うってことぐらいわかってる。これはただの思い込みで妄想だ。
それに、バンドにとって最も重要なのはリズム隊だ。それは間違いない。ベースとドラムが上手ければ、大体のロックバンドは成立する。これだけの実力を持ってれば、自分が試す側だと思うのも当然だ。
所詮、私は上物なのだから。
実際に体験してきた私はわかってる。
一人で音楽を作る私はわかってる。
今に満足してない私はわかってる。
知ってる、わかってる、経験してる。
でも、心がこう主張してくるんだ。
――音楽の全てはギターだ、と。
体験してきた事実を、心が理解したくないと喚いてる。
この場にある音楽の全てをこの手で支配したい。
だって、コイツらは私の音作りを邪魔してる。私に音を強制してくる。私を計るようにビートを刻んでる。さっきの態度も相俟って、思えば思うほどにウザったい。
わからせて、見せつけて、従わせて、屈服させたい。この音を私のモノにしたい。綺麗な旋律を掻き乱したくなる。思考がぐるぐる回って、理性を失いそうだ。
「……だめ」
落ち着いて、一度、深く空気を吸い込む。一旦視界から外して、ゆっくりと吐き出す。
入り込みすぎてる。まずは冷静にならないと。
もう一回顔を上げて、目の前にある物を視界に入れた。
そこで私が見たのは、心に焼きつくほどの美しい光景。
「ま、もう無理かな……」
頭を真っ白にして見つめても、やっぱ、思う。
「うざい」
「……え?」
こうしてる間にも私を挑発するように二人の音は踊り、リズムを心に刻まれていく。
出来上がったサウンドを確認する為、ローコードを一発鳴らす。甘く、苦く、優しく歪んでる。これで大丈夫。思い悩んでる暇なんてないらしい。それならばやることは一つ。
とりあえず、耳障りなノイズを全て掻き消すことにした。
「先輩。耳、塞いで」
「……彩白ちゃん、どした?」
「いいから、はやく」
先輩に淡々と告げる。最後に少しだけ残った理性で、ただ淡々と。
横目で確認すると、目を丸くして、驚いた顔をしている彼女は言う通りに耳を塞いでくれた。何もしないよりはマシだろう。
よし、これで気にするものは何もない。私は思考を手放した。
音作りを終えたアンプのチャンネルを切り替えて、ゼロになっていたボリュームとゲインを最大まで捻る。
――そして、私は躊躇いなくピックで弦を引っ掻く。
刹那、音の振動で空気が爆発する。
キャビネットから吐き出された音は人の耳では抱えきれないほどの音量となり、この空間にあるもの全てを揺らす。それはまるで、機械であるはずのアンプが悲鳴を上げているみたいだった。
もしかしたら、これを音とは呼べないかもしれない。きっと、多くの人にとってはそうなんだろう。
だけど、私には聴こえる。
ハーフトーンのテレキャスターが奏でる鉄を叩き割ったような音の煌めきがマーシャルアンプの暖かさで甘く歪み、遮音された空間を壊すように揺さぶる。
私は音を、全身で感じている。
そして、徐々に、ゆっくりと、弦の振動と共に小さくなっていく。これはたった数秒間の出来事。けれど、永遠だと思えるほど堪能した。弱くなる弦の振動をピックアップが吸い込み、残り香のように響くフィードバックサウンドがたまらなく心地いい。
ロックに満ちた音は何ものにも変えられない。最高の刺激と興奮をもたらしてくれる自傷行為だ。
受け止めきれない程の振動が身体中を引き裂き、全身がぐちゃぐちゃの血みどろになる。鼓膜は泣き叫び、それでもなお突き刺してくる音は脳の処理を軽々と超えていく。
でも、だけど、どれだけズタズダになっても次へ、また次へって求めてしまう。
この快感は何にも変えることはできない。
ああ、そうだ。私は既に手遅れだったんだ。
ようやく、双葉彩白を思い出せた。
私は数年分のマーシャルを堪能し、ゆっくりと弦をミュートして振動を完全に止める。
もう一度アンプのスイッチを押して、真剣に音を作ったチャンネルへと切り替えた。
すると、さっきまであったはずの煩い音は消えていて、様々な機械から鳴るホワイトノイズだけがこの場に残っている。
もう一度、二人を見る。
そこにあるのは、目を丸くして驚く顔と心底うざったそうに私を見る顔。
二人は、耳障りだった低音を発することもなく、ただ耳を塞いでいる。
目の前の光景は快感を更に膨れ上がらせる。
そうだよ。私の方だ。実力を測るのはお前らじゃない。
しばらく静寂を堪能していると、ドラムセットから覗くピンク頭の口が動こうとするのが見えた。
きっと、抗議かなんかをするつもりだろう。
だけど、それを許すことはない。声が音になる前、私は唇に人差し指を充てる。
ただ、黙れ、と。そう示す。
すると、何かを言いかけていたピンク頭が口を噤む。
ここにいる人間が共有しているテンポをリセットする。今はその時間で誰にも奪わせない。
かっこいいのはギターで、バンドの中心で、全ては私のモノだ。矛盾も何もかも知ったことではない。
余裕を失った心に、過去が顔を覗かせる。
『……かっこいい』
何かに憧れたかった幼い頃、光の中で輝くパパを観た。
『あかね! あかね! 私も、あかねみたいになりたい!』
音楽を少しだけ理解できた頃、茜が奏でる音を心臓に刻まれた。
あの頃の自分が覚えている。何もかも変わってしまった私なのに、心の中にある憧憬だけは変わってない。
「……Eで」
永遠にも思える静寂を破って、これから奏でる曲のキーを告げる。
この二人にはそれで十分だとわかってる。
ついてこいよって、後はそれだけでいい。
先輩から借りたギターのネックを握り込む。
弦高は少しだけ高い。そして太くて丸い、握りやすいネックが主張してる。
これは間違いなくボーカルのギターだ、と。
私には十分だ。この素晴らしいギターなら何も問題ない。
浅く吸った空気をゆっくりと吐く。
私はカウントもとらず、自然と独りで走り出した。
親指を使った六弦のグリッサンドから音楽が始まり、すかさず余った四本の指でメロを奏でる。
記憶できないほど使い倒したスケールが私の指を導いていく。もはや考える必要もない。感覚と経験が私の指を動かして、それは音楽となる。
低音弦でベースを、ブラッシングでリズムを、高音弦でメロディを。切り裂くようなカッティングで音を積み重ねる。これは私の一番好きな奏法。ギターは全てを兼ね備えてる。これなら私の全部を証明できる。
薄いプラスチックのピックが鉄の弦を弾く。けれど、弦が本来奏でる筈の生音は聴こえてこない。私の鼓膜を揺らすのは忘れかけていた本物のマーシャルだけ。
いつものコード進行に、即興のメロディをステップを踏むように合わせていく。踊るようにほとばしる音階が呼吸して、空気を揺らし、音楽の為に作られた空間へと広がっていく。
――楽しい。
この瞬間は全てを忘れられる。自分だけにしかわからないリズムで、他人には見せたことのない拍子で、私が奏でる孤独は進んでいく。
ほらね。ギターなら、私なら全部できる。なんだって独りで出来てしまう。
それで……? お前らは必要なの? 私にとって、そこで立ち尽くしてるお前らの音は本当に必要?
――示してみろよ。
バンドだって?
一緒にやってほしい?
私にお前らのサウンドの一部になることを求めるなら魅せてみろ。私を納得させてみろ。
また、二人の顔を見る。そこには、さっきのような驚きはなかった。
ベーシストの指がリズムを求めて弦を撫でる。ドラマーの足がビートを求めて疼いてる。そこには私が求めている音楽家としての姿があった。
だけど、何も言わない。必要がないってわかってるから。
貴方たちならわかるよね。わかってくれるよね。音楽に取り憑かれた、お前らならわかってくれるはずだよね。こんな私を理解してくれるよね?
さぁ、はやく演ろうよ。
とってつけた言葉なんていらない。綺麗な演奏なんて聴きたくもない。音楽家としてのプライドから溢れ出した、反吐の出るような本音をぶつけてほしい。
私を説得したいなら音で語れよ。
お前らを、この私が試してやる。
今にも沸騰寸前の頭を振って、大きく手を振り上げる。そして、その勢いのままピックをギターに叩きつけた。
掻き鳴らされた弦の音をピックアップが拾い、電気信号へと変換されシールドを通り抜けていく。それはアンプの中へと入り込んだ後に私の音となり、キャビネットから光の中へと抜けていった。陽だまりのようにたなびいていくオープンコードが鼓膜を揺らす。
さっきまでの暴力的なモノとは違う。人へ聴かせるために、曲にするため作り出した私の音だ。心臓、耳、指。全身の細胞が昂るのを感じられる。
そして、弦の振動はやがて終わりに近づいていく。その長く引き伸ばされていくコードの残照は、マーシャルアンプから出ているとは思えない程消え入りそうになりながらも響き続ける。
けれど、静寂と喧騒の間から確かに聴こえてきた。いつもを取り戻そうとしているこの空間に、エフェクターのペダルを踏む金属音とバスドラムの硬いビートが顔を覗かせている。明らかにこの場の空気が変わった。今度こそ、完全に弦の鼓動を止める。
今の私達に言葉なんて必要なかった。そして、顔を合わせる必要もない。
一小節、空白をあける。
私はミュートした弦をストロークし、4カウントを鳴らした。
ゆったりとはじまったのは、ハッキリと音の違う三つの楽器によるセッション。はじまりはとても静かだ。ドラムはなんの飾り気もないバックビートで走り出し、ベースはルートをオクターブで弾きこなす。そして、私のギターでコード進行を再度提示した。
初めて合わせた、この一瞬で決める。本能が理解してしまった。二人に低音とリズムを明け渡す、と。そして、なんの遠慮が必要ないことも理解できた。
進行がループした二巡目からオブリガードをコードの隙間に挟み、私が指揮棒を振りかざして激しく曲調を変化させる。ここだけは絶対に譲らないことを主張する。それに応えるように、直後の小節からは十六分裏にキック、低音には五度の赤色と七度の橙色を感じる。
直後、私は音に話しかけられた。それは、負けたくないという絶望的なまでの欲望の塊。その叫びが、ゆっくり、ゆっくりと、私の曲を侵食する。まるで真綿で首を絞められているみたい。あぁ、苦しくて気持ちがいい。
ロックのセッションは、まるで打ち上がる花火のようだと思う。その場の即興で奏でられる音楽は、空で瞬く光の華と同じようにパッと散って、人の心に興奮と哀愁を刻む。そして、もう一度は二度とない。
けれど、私達は一瞬で消えてしまう光のために、また火薬を詰め込むんだ。淡く儚い光が人の心に残るよう。積み重ねた経験と溺れるような時間を消費して。何度も、何度も、何度でも。
また、私達の音が衝突した。でも、構わない。これは間違いなんかじゃない。お互いを引き裂き、時には寄り添い、時には奪いながらひとつに重なっていく。それがセッションでロックの本質だ。何を奏でてもいい。どうなったっていい。私達は優等生ぶってる現代に叛逆する者たちだ。
我を忘れたドラムの5ストロークが暴走し、曲を支えることが抜け落ちてしまったベースラインが濁流になって殴りつけてくる。私は何も考えずに受け止めて、耳から入ってくる情報を使ってギターの指板を叩き、音階を空間に映し出す。
人に聴かせる必要もない。これは私達だけの音楽だから。でも、まだここじゃない。この曲の到達点はここじゃない。
酸欠で意識を失いそうになる。脳が危険だと警告してるか関係ない。だって、音を介して声が伝わってくるんだ。
――次の次。そこからをサビにしよう。
何もかも、伝わってくる。
まるで、言葉のない会話をしているみたいだ。
終わらない、終わらせたくない。
顔を少しだけ上げる。ほら、目があった。
ここでしょ? 大丈夫、わかってるよ。
三人で共有した場所、そこで全員が音の振動を止める。
すると、音楽の全てが止まった。一瞬だけ、一拍だけ。だけど、確かな音の間。刻んできた曲の鼓動と和音の残響が意識の中に残る。
……ここ。
再度、腕を振り抜こうとした瞬間だった。
「Shiro……?」
先輩の声を確かに耳が捉えて、私の手からピックがするりと指から抜け落ちた。
プラスチックが地面を叩く、からんと乾いた音がやけにハッキリと聞こえてくる。
声のした方向を見ると、先輩が困惑した目で私のことを見つめていた。
「ぇ……、あっ、ごめん」
そして、突如、主旋律を失った音楽が止む。
勢いを急速に失っていく音楽。響くのはスネアを乱暴に叩きつける音が数回。それには中途半端に終わった怒りが込められていた。
「……は? これからでしょ?」
その声に振り返ると、ピンク頭からは非難、黒髪ロングには冷めた瞳を向けられる。
でも、今はそれどころじゃない。確かめなければならないことがある。
もう一度、今度はゆっくりと先輩を見つめる。
「せんぱい、いま、なんて……?」
「あっ、いや、ごめん。ほんと、邪魔する気はなくて。でも、ギターの弾き方がね。凄くShiroっぽいなって……」
「ぁ……、ぇ」
今度はやけにはっきりと、その名前が聞き取れた。
知られてる? この人に? なんで? どうして?
自問自答を心の中で繰り返し、周りの声が遠くなっていく。
「Shiroってインターネットの中では何万人も登録者のいる有名人でしょ?」
「そう! ほんっとカッコいいの!」
「へぇ……。知らなかった」
「えぇ!? 遥! もったいないよ!」
「こら、恋青。急に叫ばないの」
「ご、ごめん」
三人が話す断片的に聞き取れた情報から思う。
終わった、と。
この音を、この声を持ってる人達に私を知られている。でも、まだ私だとバレたわけじゃない。なにか、何か考えないと。
「あのね! あのねっ! 全部凄いんだけど、特にコードストロークがね、ほんとかっこいいの! めっちゃ真似してるんだから!」
みないで、聴かないで、言わないで、やめて。自分を偽って、誰かを真似て、多くの人を騙してきた、恥ずかしい私をどうか許して。
何よりも、その声で私を褒めないで。
「サビ前とか、盛り上がる直前に腕をあげる仕草が好きすぎてつらい! こうだよ! こうっ!」
「あぁ、恋青がよくやってるね〜。それ、真似だったんだ」
「そう! でもね、ギターソロのコピーはまだ無理なんだ……」
「ま、まぁ、まだギターはじめて2年だし、その内できるようになるんじゃない……かな?」
「あとね、あとね! 曲もほんと良くて、鬱屈とした歌詞が刺さるって言うか! ほぼボカロなんだけど……」
「ハル〜。ステイ、ステイ。いつものがでてるよ。ボーカルなんだから、突然叫ばないの」
「あっ、空奏、ご、ごめん」
「こはるは、それでいいよ」
「えへへ〜、遥は優しいね。それで……」
はつらつと話していた先輩の笑顔がこちらを向く。
「彩白ちゃんもShiroのファンなの?!」
キラキラとしていて期待がこもった目。
何かこの場を何とかする適切な回答はないか。
でも、答えはこの短い間には出てこない。
私は下を向いて、答えを拒否する。
「絶対にそうでしょ! 仕草も、プレイスタイルも、そっくりってレベルじゃないもん! コピーだよ、まさにコピー!」
何も声が出てこない。堪らず空気を喰み、声として吐き出そうと試みる。けれど、懸命に吐き出したものは言葉になってくれない。
「……いやー、恋青はほんと凄いよ」
ビクッと体が反応する。
「見る人が見れば、結構わかるもんだ」
突然、そう、突然だった。散々黙っていた茜が喋り始めたのは。そういえば茜に言われてこの場所にきたことを思い出す。忘れていた。茜もここに居たんだった。
「彩白。約束通り、背中を押してあげるよ」
「……え?」
こっちを全く見てくれない。
いつもは私を安心させてくれる声。だけど、いつもの面影は感じない。さっきよりも更に低くて冷たく感じる。
「まぁ、ストロークが何となく似てるとは思ってたけど、まさかファンとはね」
私にとっての茜は、唯一の甘えられる存在だった。
「それなら、これから恋青達と一緒に活動してくわけだし黙ってるのはよくないよね」
「何を言って……」
「一瞬で信用も得られる。まさに一石二鳥だ。よかったね、彩白」
一番信用していて、大切で、私を想ってくれて。なんだって許してくれる。
「ま、バレてたみたいなもんでしょ」
「ま……って……」
そのはずだったのに。
「何を隠そう、そこにいる真白彩白がShiro、本人でーす!」
そんな人が簡単に、私の汚点を他人にバラした。
「な、んで……」
茜はこちらをチラッとみて、すぐに目線を外す。
三者三様の困惑した目線が私に突き刺さる。
「え……? それって本当なんですか?」
「本当だよ。ねぇ……? 彩白」
「いや、違う、ます……」
うまく舌が回らず、言葉を思い通りに発せない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。先輩にだけは知られたくない。
「何言ってるの? 違わないでしょ?」
「いや、あの……」
「なんで最初から言ってくれなかったの?」
「まぁ、一応有名人だし。プライバシー的な?」
「何それ。ほんとテキトーだなー」
「……ふーん。有名人ね」
私に向けられる黒髪ロングからの冷めた目線。
「ちがっ!」
「ねぇ、どうしたの? 彩白……?」
「どう、したの?」
「なんか慌ててるみたいじゃん」
言葉を遮られ、茜から煽るような挑発的な目線を向けられる。私はそこで耐えきれなくなった。
「ふざけんなよ……!」
私は立ち上がってから茜の胸倉を掴み、壁に押し付けて顔を睨みつける。
「ちょっ、ちょっと! 彩白ちゃん!」
先輩の声が聞こえてきたが関係ない。
だけど、そこにあった顔をみて少しだけ力が緩んでしまう。
私を見つめていたのは、いつものように小馬鹿にして、子供扱いするような表情じゃない。何かを悟ったような、諦めたような冷めた笑顔。
「私はいつも通り、弱い彩白の背中を押しただけだよ」
「……は?」
理解不能な言葉の数々と、いつもとは違う茜の表情に思考が麻痺する。
「別にいいでしょ? 事実なんだし。大切なことを黙っているのは、これから演っていく三人に失礼だよね」
「やってくって、……なにを」
「惚けるの? あんなに楽しそうにギターを弾いてたじゃん」
「……それは」
そうだ。楽しかった。
誰かとは久しぶりで、まるで昔みたいで、楽しかった。
「それに、バレたのも私のせい? 隠したい割には随分と調子にのってたみたいだけど」
「ちがう!」
「なにが違うの? それに、偶々この場にファンがいたっておかしくないよね? なにせ彩白は……有名なんだから」
「やめてっ!」
胸倉を掴んでいた手を咄嗟に離して距離をとる。
けど、茜は臆せずに詰め寄ってきた。
「世間ってのは思ったよりも狭いものだよ。特に音楽みたいな界隈はね。またひとつ、大切なことを学べてよかったじゃん」
「うるさい!」
「全く、彩白は本当に子供だね」
違う。こんなのいつもと違う。今の茜が本当に怖い。
いつもだったら軽く冗談を言って終わるのに、いつまでもそういう雰囲気にはならない。
「か、かえる!」
踵を返して、急いで出口に向かう。
すぐにでもこの場所から逃げ出したい。
扉の前まできて、ドアノブに手をかけようとした。その時、力のこもった茜の声が耳を通り抜けた。
「また、逃げるの?」
「……ぇ」
私のものとは思えない、痩せ細った声が喉から発せられる。
咄嗟に声の方向を見た。
すると、茜の顔を見て息を呑む。そこにあったのは私をモノとしか見てなかった、いつかのあの人と同じ目。
「私との約束を破って、今度は嘘までついて、同じ失敗を繰り返すつもりなんだ?」
「ちがう」
「どこが違うの? ここへ来る前に約束したよね?」
「それは……」
「また、私を泣かせたいの?」
「ちがう!」
「少なくとも、今の私にはそうとしか思えないんだけど」
「……な、んで」
「またそれ? なんでは禁止って、さっき言ったばかりだよ。彩白は本当になにも学ばないね」
少しずつ、けど確かに、私に近づいてくる。
私は咄嗟に距離をとろうと、後ろへと足を動かそうとした。けれど、何かに左足が引っかかって尻餅をつき、ばたんと大きく音が鳴る。でも、暫くしたら訪れる筈の痛みは感じない。
「い、や……」
楽譜やら機材やらを蹴り飛ばしてぐしゃぐしゃにしながら後ろへともがく。
私の足が床を擦る音、白紙の楽譜が宙を舞う音、重たい機材が地面を叩く音。多くのノイズが反響する。
「ほんと、無様だね」
だけど、空気すら密閉されているこの場所からは何をやっても逃げることなんかできない。
気づけば既に茜は目の前にいて、へたり込む私を見下ろすように立っている。そして、いつもの茜とは思えない無表情に身体が固まり空気を喰む。
「彩白には、毎回がっかりさせられる」
「……なん、で」
「はぁ……、また?」
「ちがっ……!」
今度は身体が震えはじめた。全身が言うことを聞かない。怖くなった私は頭を抱えて自分を守る。
「あの時も、そうやって私の前で震えてたよね」
そうだ。私はいつだって繰り返している。
パパがいなくなってしまった時、失敗に気がついた時、手遅れだと気づいてしまった時。
そして、あの人が新しい男と再婚すると言った時。
大切な人が家族とは思えなくなった日。
どんな時でも、私はいつも茜の腕の中で無様に震えていた。
『大丈夫。彩白には私がいる』
だけど、この言葉に救われて、ただ茜に抱きついていた。大切で忘れられない思い出。
「泣くわけでもない、喚くでもない。ただただ震えて、私の言葉を待つだけ」
ずっと昔から涙は流れなくなっていて、いつの間にか感覚を忘れてしまった。
「彩白は、今日も泣かないんだね」
茜に責められても、それは変わらなかった。
だけど、いつか思い出せると背中をさすってくれたのも茜だったはずなのに。
「あの頃から、彩白はなんも変わってない」
違う。そんなことない。パパがいなくなって、いろんな人に見捨てられて、独りになっても一生懸命に進んできた。
私は変わったはずなのに、否定する言葉は見つからない。そのことは、何よりも茜が見てくれていると思っていたから。
「……何も言わないんだ」
そうだよ。何も言えない。
だって、茜は見てきたんでしょ?
こんな私を見てくれたんでしょ?
私のことは、きっと私よりも知ってる。
「彩白はその歳で、音楽で食えるようになったよね。でも、その道は私が教えたものだ」
そうすれば、先に進めると思ったから。
茜が言うなら間違いないと信じてた。
「私が色々と教えたせいで沢山傷ついて、遂には日常生活で下手くそな別人の演技を周りに振り撒くようになった」
私という存在を他人に晒すのが恐ろしくなったから。
私の言葉で誰かを傷つけるのが怖くなった。
「それなのに、私にだけは、とことん甘えて、素を出して、気を引くために反抗的な態度をとったりして。だけど、最終的には言われたとおりに従うだけ」
こんな私でも受け入れてくれると思ったから。
私には茜しかいないって思ってた。
「進路だって決めたのは他人だ。私が言ったからこの学校を選んだ。そして、今日ここに来ることだって……、自分では選んでない」
独りになるのは怖いから。茜が側にいれば独りにはならないと確信してた。
「大きな失敗をしたはずなのに、結局、大切な判断は私に、ただの他人に委ねてる」
誰よりも信用していたから。私は自分で選択するのが怖くなっていたんだ。
「いかにも、私は大人で周りと違うって態度に出してた癖に、小さな頃から本質は何も変わってない」
結局、茜には全て見抜かれていたらしい。
「誰かに、……いや、私に選ばせた道を歩いて、本当はこんなはずじゃなかった。こうなったのは他人のせいだって頭の中では言い訳ばかりなんでしょ?」
私という人間の全てを。
「今だってそう。他人の私が選んだ道のせいで自分は辛いです。だから、なんとかしてください。また選んでくださいって態度に出てるんだよ」
だって、唯一、わかってくれて縋りつけると思っていた。
「それだけじゃない。バンドはやらないなんて口では言いながら、作る音楽は全てバンドサウンドのロックだ」
無くしてしまった楽しかった日々が忘れられないから。
「Shiroの存在を隠したいと口では言いつつも、演奏が楽しくなれば我を忘れて何もかもを曝け出す」
失ってしまった楽しかった日々を取り戻せると思ってしまったから。
「自分を見せつけて、相手を支配しなきゃ気が済まない」
ギターが私の存在意義の全てだから。
「辛い過去を言い訳にして、何より、自分自身から逃げ続けている」
そんなこと、わかってるよ。
「だけど、彩白がそうなってしまったのも私のせいなんでしょ?」
それだけは少し違う。二人に憧れたんだ。パパと茜の二人に。だから、二人のせいだ。
「今日も、私がここに連れてきたから失敗したと思ってるんだろ?」
だって、茜のせいにしないとおかしくなりそうだった。
「彩白……。お前が選んだものってなに?」
そんなもの、ない。
「ずっと見てきた私がハッキリ言ってあげるよ。……あの頃から、お前は何もかも全てが中途半端な子供のまま成長してない」
そうだよ。その通りだ。私は何も変わってない。パパを失ったあの日から。間違え続けたあの日々から。
本当は自分でもわかっていた事を、一番大切な人に突きつけられる。
「あぁ、そう言えばひとつだけあったね。自分自身で選んで、進んできたモノ」
だめ、言わないで。
「ね、そうでしょ? ……Shiro」
違う。私は双葉彩白だよ。
「音楽の才能だけは持ってしまった」
違う。
「Shiroとしての音楽だけは、自分で選んで進んできた」
違う。
「結果として、お前がShiroとして歩んできた道は間違いなく正しかったよ。何より、この私が保証してあげる」
違う、違う、違う。
「彩白。お前は天才だ」
そうじゃない、はずなのに。
「でも……、だから、ね」
距離が縮まっていく音がした。ふと顔を上げると、大好きな顔が鼻先にある。
あぁ、安心する。その顔はいつもの茜だ。いつものように茜の左手が頬を包み込んで、優しく、本当に優しく、大好きな声が耳元で囁く。
「――だから、彩白は全てを壊すんだよ」
その言葉で目の前が真っ白になり、過去が一瞬にして脳裏を通り過ぎた。同時に、感情が抜け落ちていく。
視界は揺れて、いつの間にか地面を見つめていた。思考全てが停止して、行動と言動を本能に委ねる。
全部、もう、どうでもいい。
でも、茜にだけは見捨てられないように、必死に声を絞り出す。
「……ごめんなさい」
「違う。彩白、そうじゃないでしょ?」
「はい。全て茜の言う通りです」
「うん、そうだね。……それで?」
「なんでも、やります」
「その言葉は信じられる?」
「信じてください」
「でも、バンドはやりたくないって言ってたよね?」
「やります。全て茜の言う通りにします」
「作曲も、編曲も、彩白にやれること全部だよ?」
「はい。わかってます」
「この子達のために頑張れる?」
「大丈夫です。茜が求めてることを全力でやります」
「でも、明日から私はいない。ここに顔を出さない。活動に影響が出ないように、学校でも彩白に極力関わらないようにする。それでも大丈夫?」
「大丈夫です。茜のために、私はしっかりやれます」
「……私は、彩白を信じていいんだよね?」
「茜を失望させるようなことは、もうしません」
「よし! それならいいんだ。今日は帰っていいよ。音源は今日中に送る。あ、明日の朝にギターやエフェクターボード等は部室に入れといてね。鍵はベンチ横の鉢植えの下だから」
「はい」
「間違っても、音楽関係の物は教室には持ってこないこと」
「わかりました」
「じゃ、行っていいよ」
私は急いでを立ち上がり、先輩方に頭を下げる。
「先輩方、お騒がせして申し訳ありませんでした。明日からよろしくお願いします」
彼女達の顔は見られない。今はただ、怖いから。
自分の荷物を掴みドアノブに手をかける。
扉は私を拒むこともなく、がちゃっと簡単に捻ることができる。さっきは重くて開きそうもなかった扉は、やけにすんなりと外への道を空けてくれた。
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