1.1


 十七歳にして吸いもしないタバコの味を覚えてしまった。多分、ロックバンドをやっているからだと思う。

 

 今、私がいる汚らしい部屋は明かりが少なく少しだけ薄暗い。華の女子高生が立ち入る場所ではないと思う。きっと、一般的な感性を持ってるならは気味悪がるだろう。

 

 一面がステッカーや落書きだらけの黄ばんだ壁。右手の広い面には無駄に綺麗な大きな鏡が私達を映し出してる。

 

 くたびれてしなしなの黒いソファーに座り、簡易すぎるテーブルには、名前欄に「日向恋青」と書かれた私用のステージパスが置かれている。そして、当たり前のように鎮座している灰皿とタバコの吸い殻が治安の悪さを主張していた。

 

 こんなところへ頻繁に出入りをしていればタバコの味と名称を覚えてしまうのは必然だったと思う。

 私はボーカルだから自分でタバコを吸うことはない。けれど、同じく未成年であるはずの仲間は人目も憚らずにそれを口へ運んでいる。

 

 いつだか美味しいのって聞いたら「恋青は吸っちゃダメ」って返ってきた。空奏も成人してないんだから吸ってはダメだろって思ったけど、何も言うことはない。ロックバンドといえばタバコと酒と女だから。

 でも私には声しかないから、今後もタバコ吸うことはないと思う。

 

「MyNameさん! 本番まで少しです。準備をお願いします!」

 

 ノックもなしにドアが開き、STAFFとデカデカ書かれた黒いTシャツを着ている女の人が私達を呼びにきた。

 画面がバキバキに割れたスマホを覗き込むと『6月1日 18:51』 と表示されている。本番まで、あと十分だ。

 

「はい!」

 

 最も入口に近かった私が大きな声で返事をする。

 スタッフさんは満面の笑みで首を縦に振り、駆け足で去っていった。

 

 今日は対バンのアタマ。機材のセッティングは開場前に終えている。後はステージに向かうだけ。今日やるのは、最近では一番大きなハコだ。いつものルーティンである、Shiroの十秒前後の弾いてみた動画を開く。

 大好きなギタリストの仕草をライブ前に確認する為だ。

 

「よし、いこっか!」

 

 私が画面に釘付けになっていると、ひとつ歳上のドラマー、乾空奏が灰皿にタバコを押し付けながら立ち上がる。

 今日の髪色は薄いピンク。ドラマーである彼女は長い髪をお団子のように纏めている。

 ライブまで待ちきれないのか、そわそわしていて挙動不審だ。

 今日をずっと楽しみにしていたのを知っているから、少しだけ微笑ましく思えてしまう。

 

「ソナタ。はしゃぐと前みたい転けるよ」

 

 それに続くように、長い黒髪を揺らしながら橘遥が立ち上がる。いかにも真面目そうな雰囲気で、お姉ちゃんって感じ。

 それをこの前、本人に言ったら顔を真っ赤にしながら怒られた。

 彼女は先月で二十歳になり、合法的にタバコも、お酒もできる歳になった。

 最近、音楽用の機材を運搬するために運転免許証を取得していたし、どう考えても私達バンドのお姉ちゃん的な立ち位置。何も間違ったことは言ってないはず。けれど、本人は私達にそう呼ばれるのは嫌らしい。

 

「まいどまいど、ハルはうっさいなー! 私は子供じゃないんだよ!」

「なら、それを態度で見せることだね。十九歳児」

「ムキー! ベースミスっちゃえ! こんな大きなハコで恥かけばいいよ!」

「……私はソナタの方が心配だけどね」

「もー、うっさいなー!」

 

 こうやって軽口をたたきあうのはいつものこと。

 今では大抵のことでは緊張なんてしないけど、確かに空気がほぐれて安心する。

 そんなやりとりを見ていたら、空奏が私のところに来て手を伸ばす。

 

「ほら、恋青! いこ!」

 

 その声を聴いて、口角が自然と上がる。

 私は空奏の手を迷わずに掴んだ。

 

「うん、いこう!」

 

 古びた控え室を後にすると、廊下で多くのスタッフとすれ違った。

 私達は、何度も頭を下げながらステージへと向かう。通り過ぎる度にかけられる「今日はお願いします」という期待のこもった声。

 それをプロのスタッフの人達から受けて気分が高揚した。

  

 真っ暗な舞台袖につくと、心地のいいホワイトノイズと人の声がする。間違いなく、いつもの箱よりも大きい。


 わかっていたことだけど、心が震えた。

 スモッグも心なしか濃くみえて、昂りが押さえられない。

 空奏が「おっきい〜」なんてマヌケな声を出している。

 半分くらいしか見えていない薄暗いフロアには、ここからパッと確認しただけでも百人以上の人がいて、小さなBGMには私の歌声が使われていた。

 

 最初のライブで観客が二人だったことを思えば、随分と遠くまできた気がする。

 今日のライブは県内のライブハウスを回るミニツアーモドキの最後。ツアーといってもライブ終わりには毎回、家に帰ってるからツアーモドキと呼んでる。

 SNSでそう宣伝したら、少しだけウケたと空奏が言っていた。


 そのツアーラストに大きな挑戦をするため、私達はこの対バンに挑むことを決めた。

 半年以上前に運良く多少バズったおかげで、私達にはインターネットに数万人のファンがいる事になってる。

 でも、それはあくまでも数字の話。狭い界隈で瞬間的に有名になったとしても、ライブハウスへの集客力なんてたかが知れてる。

 

 実際、何人の人が本気で私達のファンだと名乗ってくれるだろう。実数は数パーセントいけばいい方だと思う。

 今日は当然アウェイ。相手は全国のライブハウスを回るツアー中で、何年も音楽で食っているプロフェッショナル。彼らには多くのファンがついていて、名実共に人気バンドと呼んでいいレベルだ。目当てが私達の人はほとんどいないはず。

 

 私達の評価は所詮ネットの一発屋って感じだと思う。まさに前座のオープニングアクトには相応しい。

 曲も自分達ではマトモなのが作れずに人任せ。少し前に自分達で作ってみたけど、クオリティが低くてどうしようもなかった。

 結局、編曲以外は知り合いである学校の先生に頼っている分際だ。今の私達ではこれだけの人をワンマンで集められない。

 

 そんな立場でもこの人数を前にやれるだけ、様々な人達に感謝しなくてはいけないと感じてる。

 でも、もっと強くなりたい、もっと音楽を突き詰めたい、もっと自分達を伝えたい。そんな気持ちが消えてくれない。

 

 今の私達には決定的に、何かが足りない。

 だけど、そういった気持ちすら音に変える。今、それを言ってもしょうがないことだから。

 

『いつでもどうぞ』

 

 耳に押し込まれていたモニターイヤホンにPAさんの声が入る。

 私はスッポリと耳にハマったそれを外しながら、隣にいた遥の肩を叩く。

 私よりも少しだけ背の高い彼女は、少しだけ見下ろすようにこちらを見た。

 

「遥、空奏。いこう!」

 

 二人は無言で首を縦に振って、舞台袖の先頭に入る。

 私は少しだけ後ろで、スタッフさんに合図を送った。まだ、イヤモニは外したままにしておく。

 私に向けて親指を立てたスタッフさんがトランシーバーで何かを伝えている。

 広いハコだとこんな機材まで使うのかと、少しだけ感心している時だった。

 

 ――空間から音と光が消えた。

 

 刹那、まばらだったフロアが一つに固まる。

 あっという間に人が揉みくちゃになって、悲鳴のような声が聞こえてきた。

 それでも彼ら、彼女らは両手をステージに向け、唸るような歓声と手拍子で私達を迎える準備をしている。

 この瞬間はいつも興奮する。きっと、この場にいる誰もがそうだと思う。

 

 しばらくすると、スタッフに促されるようにして空奏がステージに上がった。大きかった歓声が更に膨れ上がる。

 空奏は淡い光を放つ蓄光テープを目印に、迷うことなくスローンに座った。イヤモニをつけてからペダルを軽く踏み込んで、硬さを何度か確認している。

 そして、遥がエレキベースをスタッフから受け取り、少しだけ遅れてステージに入る。

 先程よりも小さくなった声。今だ暗いステージに、期待と不安を半々に感じているであろうフロアが騒つく。準備を終えた二人が目配せした。

 二人の間に流れているであろう拍子が重なる。

 

 乾いたスティックカウントが、静まった空間に4回響いた。

 

 瞬間、ステージは強烈な光に包まれて空奏はペダルを踏み込んだ。

 何も飾られてはいない。壁のように聳え立つオープンハイハットの四つ打ちが空気を揺らして、全てを震わせる音圧が空間を包み込む。

 一定のリズムで放たれる振動に合わせて遥が手拍子で煽り、歓声と共に少しずつフロアに波及していく。

 空奏が押し出すビートとオーディエンスのクラップが、徐々に重なり合って一つになる。そんな光景を空奏は顔を上げながら楽しそうに笑顔で見ていた。

 

 ドラミングが何小節かループした後、グリッサンドから遥のエレキベースが入ってくる。

 アンプから出力される低音が空気そのものを大きく震わせて、ベースラインがフロア全体に駆け抜けていく。

 まだ序盤だからあまり動き回らない丁寧なフレーズ。けれど、力強い音が私のお腹を蹴りとばす。全身の皮膚が痺れていると錯覚する。

 

 安定し乱れることない二つの音が身体と心をどうしようもなく虜にしていく。遥と空奏の音に全身の感覚が支配されて、無意識に身体が揺れる。

 オーディエンスが目をキラキラさせて二人を見上げている。私はその光景をポケットに入っているスマホで撮影した。

 

 この二人はこれだけでもフロアを熱くさせられる。あぁ上手いなって、いつ聴いても純粋に思ってしまう。

 私達をよく知らないであろう人達ですら、一発で虜にするベースとドラムだけのアンサンブル。人間としての本能が、この二人の演奏のレベルを感じ取ってしまうんだ。

 気づけば、誰もが彼女達の音に、グルーヴに引き摺り込まれていく。

 

 嫉妬とか、負けないとか、そんなことを思えないくらい彼女達は先にいる。私のギターで、この領域に足を踏み入れることはできるんだろうか。

 きっと、演奏技術が対等になる日はこないんだなって感じてしまう。この歳で諦めるには早いだろうかと、そんなことすら軽々しく思えない。まさに文字通りレベルが違う。

 

 だけど、それでいいと思う。

 私達はバンドなんだから、三人で一つになればいい。私には2人の音が必要だし、二人は私の声を必要としてくれている。今はきっと、それで十分だ。

 

 曲が中盤に入り、少しずつ、けど確かに曲のテンポが上がっていく。

 ベースは激しいスラップに切り替わり、釣られるようにドラムの遊びが増えてストロークが強くなっていく。

 激しく、けれど繊細で、テンポが変化しても二人の間にあるリズムは一度たりとも崩れない。二人を強く照らす眩い光の中で音がぶつかるようにして重なり、華やかな曲となっていく。

 

 いつの間にか、ステージの上で争うように奏でる二人の音が、フロア全体を飲み込んでいた。

 多くの人は手を叩くことも忘れて立ちつくし、固唾を飲んで2人だけのセッションを見守っている。永遠に続いてほしいと思うようなヒリついた時間。

 でも、リズム隊だけのインストは着実に終わりへと近づいていく。

 

 劈くように響くシンバルとスネアを中心としたアクセントフレーズが高速で響き渡り、身も心も引き裂かれるようなベーススラップと共に着地点へと向かっていく。

 繰り返されるドラムのフィルインと、ベースによる激しいスライドの応酬。この空間を支配する音の振動に皆が息を呑む。

 

 つい先ほどまでは、ただ音を感じていたフロアが二人のリズムを共有しながら、まるで生き物のようにうねる。

 目の前に広がる光景が私の鼓動を早くする。もう少し、あと少しって気持ちが逸る。だけど、今はまだって昂る足を押さえつけることしかできない。はやく、はやく、はやく。今すぐにでも、あそこに立ちたい。

 スローンから立ち上がった空奏はシンバルとバスドラムをかき回し、遥がベースのハイポジションを掻きむしる。

 激しくなる音の動きと反響する歓声が、壊れた波のようにステージへと押し寄せた。

 

 空奏のドラムスティックがタムを駆け上がっていき、ビートが徐々に遅くなる。あれだけ密度の濃かった音の間に隙間が空いていく。それは、この美しい時間の終わりを意味していた。

 徐々に遅くなっていくテンポ。曲の終わりを悟ったフロアでは二人を讃える拍手や指笛が収まらない。二人は笑顔でフロアのオーディエンスに応えている。

 最後にクラッシュシンバルと主音が響き渡り、ステージが暗転した。

 

「いきましょう!」

 

 鳴り止まない歓声と拍手の中で、恐らくスタッフであろう誰かの声が聴こえた。その声は興奮して、少し上擦っている。

 私は急いでイヤモニを耳に差し込む。相棒であるスクワイヤーの青いテレキャスターを受け取り、期待に背中を押されるようにしてステージに向かう。

 

 スタッフの間を抜け、機材を交わして二人のいる場所へと急ぐ。そして、私が真っ暗なステージに踏み入れた瞬間、――揺れた。

 地震が起こったと錯覚するぐらい地面が震えてる。

 よく聞こえないけど、私の名前を呼んでくれているのかな。案外、自分達で思っている以上には有名人にはなれてるのかも。

 

 あぁ、これ以上は待ちきれない。

 

 急いでストラップを肩に引っ掛け、マイクとエフェクターボードの位置を軽く確認してから振り返る。

 地面に貼られているセットリストを横目にドラムセットを中心に三人で集まって、いつものように左の拳を合わせた。

 

「楽しもう」

 

 私が声をかけると、既に汗だくの二人は笑顔で頷き、持ち場へと離れていく。歓声によって声自体は聴こえていなくても、きっと今の気持ちは同じだ。

 

 前を向くと、暗いはずなのに何百人っている人の顔がハッキリと見える。みんな汗まみれで、顔はりんごみたいに真っ赤だ。

 誰もがイヤモニを突き破るんじゃないかって、そう思うほど声を張り上げてくれている。

 ここでは男も、女も、大人も、子供も、金も、年齢も、国籍も。煩わしい枠組みは全て関係ない。

 この場所には音楽しかないのだから。それ以外の価値観は全てゴミクズだ。

 

 暗いステージに再び光が灯る。

 観客の発する溺れそうな程の声援から、燃えるような熱が伝わってくる。

 そして、スモークによって鋭く真っ直ぐに伸びた幾つものスポットライトが目を焼いた。

 

「……あぁ、綺麗」

 

 私の呟きは誰にも届くことはない。でも、ここにいる誰もが同じことを思ってるはずだ。

 マイクの前に立つと、柵を乗り出すようにして人の波が迫ってくる。それをスタッフの人達が全力で押し返している。既にフロアの奥では激しいモッシュとダイブが起こっていた。

 今度こそ、はっきりと私を呼ぶ声が聞こえる。

 

 それは、ここで演っていいとオーディエンスに承認された証明で、また一つ大きな欲求を満たしていく。

 人のいないリハーサルとは全く違う。私が立っているのは生きているステージだ。

 それが、今だけは私達だけのモノ。その事実はたまらなく興奮する。

 

「……っし」

 

 青いテープをぐるぐるに巻いたマイクに口を近づけると、歓声が一瞬だけ退く。

 破裂寸前のフロアに、私は最初の言葉を放つ。

「日本一高い山の麓から来ました、MyNameです。今日、このハコをぶっ壊します」

 さぁ、今からだ。ここに私達のロックを刻むんだ。


◻︎


「ほらね! 私の言った通り、最初はインストでいって正解だったでしょ?」

「うんうん。そだねー」

「もー! ちゃんと聴いてよ!」

「あははー……」

 

 ライブが終わり、私達は打ち上げをする為に近くの居酒屋へと直行した。案内されたのは壁に囲まれた完全な個室で、酒飲み場独特の喧騒をほとんど感じない。

 空奏は既に出来上がっている。その顔はライブで見た観客並みに真っ赤に染まっていた。いつの間にか、遥にだる絡みをしてる。

 

「どっせーい!」

「こらっ!バカソナタ」

「あっ、ちょっとこぼれた……」

 

 この通り、既にめちゃくちゃである。

 肝心のライブは滞りなく終わった……、と思いたい。少なくとも、私達は完璧にロックを奏でたはずだ。

 けれど、序盤から発生したダイブとモッシュによって壊れてしまったフロアの雰囲気は後続のバンドにも響いてしまった。終盤、観客が疲れ切った終盤の雰囲気はなかなかにグロいものだったと思う。

 

「さいっこーに気持ちよかった! ね? 恋青!」

「あはは……。そだね」

「ノリわるい! ハルも飲めよ〜!」

「いや、私はまだ未成年だから」

「ちぇっ、今日はいいじゃん!」

 

 そんなことよりも、このままだとマズいことになる。

 空奏が酔ったら止まらない。何よりもこの二年間で学んだことだ。少し前に、店の襖を破壊したことを思い出す。

 

「そういえば、恋青って今日はバイトの日じゃないの?」

「二人が出演費を多めにくれるから、最近は週に一回もないよ。二人には感謝してる。ほんとにありがとね!」

「よかったー! 大丈夫、恋青には私たちがいるからねー!」

 

 空奏がふにゃふにゃのまま抱きついてくる。正直、結構痛い。

 

「あはは。空奏痛いって……」

「こはるに迷惑をかけない」

「うぇっ? ちょっとまって」

 

 面倒だ思ってたら、遥に引っ張られて物理的に距離ができた。こんなところまで二人は息ぴったり。少しだけ、ほんの少しだけ羨ましい。

 

「……こはる?」

「いや、今日は楽しかったなって」

「そう……。よかった」

 

 遥はほっとした顔を見せてくれた。

 ちゃんと安心したようで、空奏とのじゃれあいへと戻っていく。

 

 今日のライブ、最初の宣言通りに私達であのハコをぶっ壊してやった。気持ちよかったし、お客さんも満足してくれたはず。スタッフさん達も興奮を隠しきれてなかったくらいだし。

 だけど、ライブ終わりに対バン相手へ挨拶した時「あんたら、ヤバいな」と苦笑いされた時は少しだけ反省した。だけど、私達の責任ではないし深くは考えないでおく。私達を呼んだ方が悪い。

 

 当初の予定通りギターやベースといった背負える物以外は、機材移動用の車に詰め込んで、時間課金制の駐車場に放置してある。どうせ駐車場代は部費から出るのだから、好き放題使わせてもらうことにした。

 そうして、打ち上げの誘い等の面倒ごとから逃げるようにライブハウスを後にして今に至る。

 

「それより、茜さんは?」

「さっき、部のLINEにもうすぐって連絡きてたよ」

 

 まぁ、二時間前のことだけど。

 一応、茜先生はこの部活の顧問のはずだけど私達は完全に放置らしい。

 本来の予定では、3時間前には集合して、ライブをやった後に引率をしてくれる筈だった。

 

 だが蓋を開けてみれば、LINEで一言あった後に集合場所の地図を雑に送りつけられただけ。流石にこれは酷いと思う。私たちの扱いは段々と雑になってる気がする。

 裏を返せば、信頼されてるとも言えるのかもしれないけど。

 

「なんだよー! 私達のライブ観てないし、打ち上げにすら遅れるし!」

「きっと、学校の先生は忙しいんだよ」

 

 これは宥めるのも一苦労だ。それにしても先生がここに来いって言ってたくせに、流石に遅すぎる気がする。そして、はやくなんとかしてくれ。そう思いはじめた直後、勢いよく個室のドアが開いた。

 

「ごめん、ごめん。遅れた」

「……やっときた」

「茜さん、おっそーい!」

 

 本当にやっときた、だよ。

 口には出せない文句を心の中で唱える。

 

「いや、大切な用事があってさ」

 

 あれ? なんか、少しだけおかしい。

 言葉では伝えられない、ただの感覚。二年間もの間、一緒に頑張ってきたから感じる違和感。いつも通りの振りをしてる。なんとなく、そう感じてしまうのは気のせいだろうか。

 

「で、ライブはどうだったの」

「完璧」

「さいこー!」

 

 二人の言葉にうんうんと頷きながら、先生は最後に私の顔をみる。

 

「恋青は?」

「……よかったと思いますよ」

「そうか。それなら間違いないね」

 

 いつものように優しくて、だけど、少しだけ陰のある笑顔。何かがおかしい気がする。多分、これは気のせいじゃない。

 

「なにそれー! 私達じゃ信用できないって話?!」

「あ、タブレット貸して。私は生にする」

「無視すんな!」

「ソナタ、うるさい」

 

 普段通りの会話だ。いつも通りに空奏を揶揄って、遥にがそれを宥めて。だけど時折、今日は冷たい目をしてる気がする。流石に気にしすぎだろうか。

 

「恋青、どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「あっ、いや、先生が……」

「……私が?」

「えっと……」

 

 私が返答に困ってると、遥が話題を遮る。

 

「で、次の曲はいつできる? ずっと前からお願いしてる」

「あー、次、次ね……」

「そういえばそうだよ! 一ヶ月後にはまた演るんだから! 練習しないと!」

 

 二人が捲し立てるように新しい曲を催促する。いつもならうるさい空奏を無視して、何かてきとうに濁すはず。

 

「そういえば、今日はその話をしにきたんだよね」

 

 だけど今日は少しだけ違っていて、何故か二人ではなく私の方を向いて言う。

 

「私、もう曲作らないから」

 

「……え?」

 

 意図せず三人の声が重なった。そして、先生の顔を見つめる。遠くから聞こえてくる楽しそうな声とは裏腹に、私達は静まり返る。今日感じる1番の静寂だった。

 

「それ、なんの冗談?」

 

 沈黙を破ったのは、やっぱり遥だった。

 

「そ、そうだよ! 茜さんの曲がないと、どうやって新しい曲を作ればいいの?」

 

 その問いに満面の笑みで先生は答えた。

 

「大丈夫! ちゃんと私の替わりを用意してるから」

「……替わり?」

「そう。替わり」

 

 先生は澄ました表情で語る。

 

「だってさ、いつまでも私頼りでいいの?」

「……それは」

「私はどこまでいっても、ただの先生で顧問。まぁ空奏と遥は昔からの知り合いだけどね。一応、部活という形をとってる以上は終わりがくる。唯一の生徒である恋青は今年で卒業でしょ?」

 

 当たり前すぎて忘れていた。私は学生で先生は顧問。私が卒業してしまえば、切れてしまってもおかしくない繋がりだったこと。

 

「先生って忙しいんだよ? これから年を重ねていけば更に忙しくなる」

「それは、わかるけど……」

「私がいないと何にもできないからって言って、これから何度も立ち止まるの?」

 

 私達がずっと抱えてた問題を、私たちを一番見てくれた人に突きつけられる。

 

「プロになりたいんでしょ?」

「そう、だよ」

「音楽で食っていくんでしょ?」

「……うん」

 

 空奏が言葉を詰まらせながら答える。

 

「それなら、先に進まないとね」

「で、でも!」

「でもじゃない。私は遥と空奏の先輩で恋青の先生だから、いつかはみんなを送り出さないといけない」

 

 それはわかる。曲を自分たちで作れないバンドなんてお笑いだ。本来、歌詞や作曲は主旋律を担当する私の役割なんだろうけど、いちばんの初心者。今、この瞬間からなんてどう考えても無理。それは先生も理解しているはず。

 だからこそ、疑問に思う。

 

「なんで……」

「ん? どうした、恋青?」

 

 私は声を振り絞る。

 

「なんで、今なんですか?」

 

 だって、まだ私達には時間がある。

 それなのに、今、それを口にした理由を聞きたい。

 

「そうだね……」

 

 少しだけ、間が開く。

 

「私が今だって、そう思ったからかな」

 

 さっきの目だ。ちょっとだけ冷たさの混じった目。

 

「そう……、ですか」

「うん。そうだよ」

 

 これ以上は何も言えず、私は下を向く。

 また、しばらくの静寂。

 

「とは言っても、替わりって誰?」

「そもそも、あと一カ月しかないのにメンバーを加えるなんて無理でしょ」

 

 きっと、沈黙に耐えかねたであろう遥と空奏が先生に問いかける。

 

「それは、まぁなんとかなるよ。本当に無理だったら次のライブは抜きでやれば?」

「本当にいい加減だなぁ。……で、誰なの?」

「真白彩白っていう今年の新入生で恋青の後輩」

「……は? そんなのに茜さんの替わりが務まるの?」

「できるよ。それも私以上のクオリティで」

「なにそれ。もしかして身内贔屓……?」

 

 遥が少しだけ強い言葉を使った。

 申し訳ないけど、私も全く同じことを思ってしまう。

 去年まで中学生だった子が、音大を出ている先生の替わり、いや、それ以上だなんて言われて納得する人はいるだろうか。

 けれど、先生は眉一つ動かすことなく答える。

 

「私はそんないい加減な人間じゃないよ」

「いや、まぁ、音楽に関してはそうなんだろうけど」

「私の言うこと、信じられない?」

「……当たり前」

 

 先生は徐にポケットからスマートホンを取り出して、少しだけ操作した後に私たちの前に置く。そして、一つの動画を再生しはじめた。

 傷一つない綺麗な画面上に流れていたのは、大勢の大人に囲まれながら無表情でギターを弾く美少女。

 その圧倒的な容姿も相まって、お人形のようだと思った。だけど、それよりも目を引くのは演奏の技術。

 

「どう?」

 

 少しだけ見た映像だけでも伝わる。私とはレベルが違う、と。

 

「すごい……」

 

 何がとか、どうとかじゃない。私が遥と空奏に感じているモノと同じ。そして、何処かに感じる。憧れにも似た何か。後少しで思い出せる気がするのに思い出せない。無性にイライラする。

 

 だけど、画面に映る少女の表情はピクリとも動かない事に目が奪われる。弾いている姿は楽しそうにはとても見えない。

 

「これは、中学二年のはじめ頃だったかな」

「……それ本当なんですか?」

「うん。私は音楽のことについては嘘を言わない」

 

 私達は呆気に取られて黙りこくる。この子の演奏動画を再生しながら先生は喋り出した。

 

「当然、今ではもっと上手いよ」

 

 そう言って画面を覗き込む先生の顔はとても優しい。この子が先生にとってはどういう存在なのかわかってしまう。

 

「確か、リードギターが欲しいって言ってたよね」

「それは、まぁ……」

「この子は曲も作れる。完璧なマッチングだ!」

 

 なんの根拠はない。でも、確信できる。先生は嘘を言っていない。映像が全てを物語っている。

 

「音楽の幅もかなり広がるし、曲を作れる子を手に入れられる。まさに一石二鳥。私天才!」

「でもさ……。この子、大丈夫なの?」

「……なにが?」

 

 空奏の言葉に先生の語気が少しだけ強まったように感じる。だけど、臆することなく空奏は続ける。

 

「ここまでの実力なら、当然拘りが強いでしょ。性格とか、空気感とか、そういうのは私達と合う感じなの?」

「まぁ、大丈夫だよ。多分……」

 

 当然の疑問に先生の声が急に弱々しくなる。

 けれど、当然懸念されるべきことだと思う。すでに出来上がっている関係に入り込むのは相手も怖いだろうし、こちらだって怖い。遊びではない。私達は本気で音楽に、ロックに取り組んでいるのだから。

 

「いや、急に自信無くすのやめてよ! まずはその子の気持ちとか確認してよ。顔もかなりいいし、この子には色々な選択肢があるはずでしょ」

「まぁ、面倒な子なのは間違いないよ」

「やっぱり、そうなんじゃん!」

 

 どこかしら問題を抱えているのは確からしい。

 何よりもこの先生が言うのだから、相当なんだろう。

 無表情でギターを抱える彼女の姿は、やけに印象に残る。

 

「だけど、さ」

 

 芝居掛かった前置きする先生の顔をみんなで見つめる。

 

「まだ十五歳でこれだけ弾けて作曲もできる。そんな女、大体はどっか狂ってるでしょ?」

 

 確かに空奏と遥が息を呑む音がした。

 

「……君たちと同じでね」

 

 二人とも苦い顔をしながら、先生から目を逸らした。

 

「まぁ、いいじゃん。とりあえず明日顔合わせってことで」

「いくらなんでも急すぎでしょ」

「でも、どっちにしろ君達には選択肢はないでしょ?」

「……まぁ、ね」

 

 先生がやってくれないなら、曲のことはどっちにしろなんとかしなくてはならない。

 

「だけどね。ひとつ大きな問題がある」

「まだなんかあるの?」

「あるよ。特大なのが、ね」

「で、なんなのそれ」

「それは……」

 

 先生の仰々しい態度に、私達も固唾を飲んで言葉を待つ。

 

「当の本人が、間違いなくやりたくないって言い出す」

「……は?」

 

 再度、数分ぶりに三人の声が重なる。

 

「いや、だからね。絶対に嫌々言い出すんだよ。本当に面倒だよね」

 

 この人は本当になにを言っているんだ?

 

「どうしろっての? 茜さん、まさかおちょくってる?」

「まさかっ! 大切な三人にそんなことするわけがないよ!」

 

 でたでた。この人はこれだから困る。本当にめちゃくちゃだ。まだ会ったこともない人の評価をどんどん下げてる自覚はあるんだろうか。

 

「アイツはやりたいって言わないだろうから、私が作戦を考えた」

「で……? 私達はなにしたらいいの? どうしたら一緒にやってくれる?」

 

 遥が私達の替わりに問いかけた。ここで騒いでもどうにもならない。これまでの経験で分かりきっている事実だ。とりあえず、聞くだけ聞いてみる。

 

「それはね……、とにかく煽ること!」

 

 その場の空気が一気に白ける。

 

「……いやいや、少しは真面目にやってよ」

「まぁまぁ、そう呆れるなって」

「だって、意味わからないし」

「え〜。長い付き合いなんだからわかるでしょ?」

 

 先生、それは無理があるよ。

 強張っていた肩の力が急速に抜けていく。

 

「とにかく音楽で煽ること。入りは言葉じゃないとノってこないと思うけど」

「とりあえず口で煽って、いつも通りに演奏しろってこと?」

 

 さすが、空奏は適応がはやい。私なんて困惑し続けているというのに、空奏は先生の意味不明な発言の意図を読みとっている。だからこそ、今の現状があるのかもしれないけど。

 

「遥と空奏はそうだね。プラス、言葉で煽ったらイチコロだよ」

「……ほんとかよ」

「とにかくストレスを与えて。私がいれば多少は手荒でも大丈夫だよ」

「その時はそれで良くても、後の関係はどうすればいいんですか……」

「恋青は元気に話しかけるだけでいいよ」

「わ、わかりました」

「おーい……」

 

 あのシリアスっぽい雰囲気はなんだったのか。突然、全てが緩くなる。だからこそ、私達はこの人を嫌いになれない。

 

「まぁ、後のことは知らんけど大丈夫だよ。上手くいったら遥と空奏はいつも通りに接すればいい。きっと、あの子とは相性いいよ」

「それ、信じていいの……?」

「ほんとほんと。私が保証してあげる」

 空奏がジト目で先生を覗き込んでいる。

「……本当にこんなので大丈夫? 何もかもが意味不明なまま、話だけは前に進んでるけど」

 

 遥は完全に呆れている。けれど先生は自信満々のようで、いつものように澄ました笑顔で言う。

 

「あまり深く考えなくて大丈夫。私よりも凄い作曲家兼ギタリストをこのバンドに紹介してる。ただそれだけ」

「へぇ……。でも、バンドはやりたくないんでしょ?」

「それは大丈夫。何よりも、恋青がいるし」

「えっ! 私……?」

「そう。だから大丈夫」

 

 急に話題が私へと飛んできた。

 

「ま、最悪の場合は最初だけなんとかしてあげる」

「どういうこと……?」

「言葉通りの意味だよ。彩白には無理矢理にでもやると言わせる。後は三人、いや四人次第」

 

 その言葉には、やけに気持ちがこもってると感じる。

 

「いつにも増して、てきとーだね」

「私はいつでも真剣だよ」

「ふぅん……」

「不良組、放課後だからな。遅れるなよ」

「わかってるよ。そっちこそ、今日みたいなのはごめんだからね!」

「あっ、やっときた」

「無視するな!」

 

 先生は空奏を無視して、半開きになった扉からビールが並々と注がれたジョッキを受けとり、私達に向ける。

 

「じゃ、カンパイと言うことで」

 

 この人は今までの話がなかったかのようにビールで喉を鳴らす。横目で見ると呆れて溜息をつく遥と空奏。

 この二年間どこを振り返っても、結局、私たちはこの人に終始振り回されてばかりだった。


「こないじゃん!」

 

 翌日、私達は遅れることなく部室にいる。ここは普段の校舎から結構離れてる。案の定と言ってはあれだけど現実として茜先生は来ていない。

 

「なんか、気合い入れてきたのが馬鹿らしくなってきた」

「……同意」

 

 気の短いリズム隊の二人は完全に苛ついてる。今にもドラムスティックを目の前に置いてあるスネアに叩きつけそうだ。

 

「恋青はどう思ってる?」

 

 空奏は唐突にこちらを向き、私に問う。

 

「どうって……?」

「昨日のことだよ。茜さんが作曲してくれなくなる事とか、新しいギターの事とか」

 

 空奏の問いから感じる気持ちは明確だ。私は納得していないと言いたいんだろう。それもそうだと思う。昨日は勢いに押されて何も言えなかった。けれど正直、私だって同じ気持ちだ。

 

「先生なりの考えはあると思うけど……」

「思うけど?」

「完全に納得はしてない」

「……だよね」

 

 今の気持ちをハッキリと口に出す。

 思ってること、全部をぶつける。

 

「結構長い間先生とやってきて、色々あったけど楽しくて……」

「うん」

「その思い出とか全部含めて、あんな言葉一つで納得しろって言われても無理だよ」

「……そうだね」

「しかも、次まで一カ月しかないし……」

「だーよねー」

 

 気持ちを落ち着かせるために、空気を吸って、吐いて、また吸う。

 

「……だけど」

 

 私から目線を切った二人が再度こちらを向く。

 

「あの動画を観て、彩白ちゃんって子に会うのが楽しみって思っちゃってる」

 

 これが嘘偽りない、私の本音だ。

 

 わかってる。私は既に音楽に取り憑かれているんだ。二年前はなんの目標もなく、ひたすらに勉強だけをして死んだ目をしていた。そんな私をを茜先生が引っ張り上げてくれた。あの瞬間から私はおかしくなってしまったんだ。

 

「……同じ」

 

 遥がすかさず同意してくれる。遥は私のことを全肯定気味だけど、いつもの適当な返事とは違う。

 

「ま、そうだよね」

 

 空奏も苦虫を噛み潰したような顔で肯定する。

 

「二人も同じでよかった」

「……うん」

「だね」

 

 これでバンド内の意思統一はできた。後は迎え入れるだけ。よし、大丈夫だ。この三人なら大丈夫。これからに必要だと言うならやってやろう。

 

「だけどその子、バンドはやりたくないんでしょ?」

「けど、それは茜さんがなんとかするって言ってた」

「あの人、信用できる? いつもより数段めちゃくちゃだったけど」

「ま、まぁとりあえずは言われた通りにやってみよう」

「私達が煽るってやつ?」

「空奏と遥は、もしかしたら悪役っぽくなっちゃうけど……」

「それがこはるの為になるなら、いいよ」

「私も! でも、後でフォロー入れてね」

「うん! ダメだったら、今度は私達なりにアプローチすればいいし」

 

 私達の音楽は遊びじゃない。だからこそ、二人の本音の部分はわかってる。先生から差し出された映像をみた瞬間から、三人とも真白彩白というギタリストをどうしたら手に入れられるかを考えていた。結局のところ私達はあの子がどうしても欲しいんだ。

 晴れやかな顔を見せる空奏がソワソワしはじめた。

 胸のポケットを弄っている。

 

「あーあ、スッキリした。どうせしばらく来ないしタバコ吸ってくるね」

「……私も」

 

 二人が部室を出ていく。これは帰ってくるまで相当時間がかかりそうだ。かなり苛々してたし、平気で三十分くらい吸ってそう。

 

「わかった! 私は片付けとかしとくね。このままだとマズいし」

「おっけ。恋青、ありがとー」

「こはる、あとで」

「うん!」

 

 笑顔で二人を送り出した後にアンプのスタンバイだけ押して、ちょっとだけボーっとした。相変わらず、この部屋にはモノが多い。演奏スペースだけは空いているが、普段弄らないところは物だらけ。

 

 今から全部を片すなんて無理だとはわかってるけど、できるだけ最初の印象は上げておきたい。

 何もかもがどうでも良くなりそうな気持ちを仕舞い込み「よしっ!」と気合を入れて余分な機材を持ち運ぼうとした時だった。

 

「なんで!」

 

 突然、大きな声が聞こえた。完全に気を抜いていたから、室内に誰か来ていることすら気がつかなかった。

 ドラムセットとアンプの間から声の方向を見るが、アンプ類が邪魔でよく見えない。入り口で何か話してるみたいだ。

 

「おーい」

 

 昨日ぶりの茜先生の声。やっと来たらしい。そして、誰かを連れている。候補に上がる人は一人しかいない。真白彩白ちゃんだろう。いい印象を持って欲しい。まずはできるだけ声を作ろう。

 いつもより半音程度、声の音程を上げる。

 

「あっ、その声は茜先生! と……、誰かいる?」

 

 お! かなり上手く行った。今日は喉の調子がいい。

 

「こはる、やっほー。ほら、昨日言ってた新入部員を連れてきたよ」

「えっ! ほんとですか?!」

 

 とりあえず立ち上がり、邪魔な物を避けながら入り口へと向かう。

 

「ほい、ほいっと!」

 

 自然とテンションが上がるのを感じる。バンド云々を抜きにしても一年生の後輩だ。普段は後輩から避けられてる感じもするし、真白彩白ちゃんとはいい関係を築いていきたい。

 

「ごめんねー。ちょっとだけ汚くて……、おぉう……」

 

 彼女の顔を見た時、驚いてちょっとだけ後ろに身体を引いてしまった。すごく可愛い。いや、可愛いというより美人。これを美少女というのか?

 事前に映像で見ていたとはいえ、生の衝撃は桁違いだった。

 私よりも少しだけ身長は高くて、肩にかかるぐらいの黒髪は見るからにサラサラ。端正な顔立ちに、そして、何よりも特徴的なのは左右で目の色が異なってることだ。あまりにも月並みな感想だけど、とても綺麗だと思った。

 

「あっと、えっと……」

 

 あまりにもいきなり距離を詰めすぎたのか、後ずさる彩白ちゃん。ここでビビってはダメだ。臆するな私!

 

「やっぱりね。そうなると思ったよ」

 

 茜先生が彩白ちゃんの肩を抱きながら、なんか意味深なことを言ってる。だけど、今はそれどころじゃない。こんな子と仲良くなれたら最高すぎる。

 

「ようこそようこそ! 昨日、先生から話は聞いてるよ!」

「いや、その……」

「私は日向恋青です! 真白彩白さん、これからよろしくね!」

 

 私は彼女に最高の笑顔で手を差し出すのだ。

 この出会いが、きっと素敵なものになると信じて。

 

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