私は、音の中で生きている

qay

プロローグ


「私達が一緒にいる。私が……、あの子を幸せにする」

 

 目の前で私に言い放った少女の姿には少しだけ覚えがあった。そして、少女の言葉とその姿で過ぎ去ってしまった筈の過去を鮮明に思い出す。とても大切なあの子の顔が何度も通り過ぎていく。

 

『双葉彩白です!』

 

 あの子を連れてきた父親の顔は、日本人というよりも外国人に近い感じだった。そして、本人は目の色が左右で違っている。どこまでも特別そうに見えて、だけど、どこにでもいそうな子供。

 それがあの子への第一印象だった。だけど、いつの間にか。

 

『あかね!あかね!』

 

 こんな私に懐いてくれる可愛い子供に変わっていた。

 学校が終われば迎えに行って、楽しくギターを弾いた日々。

 楽しかった、満たされていた。歳の離れた妹ができたみたいで、楽しかったんだ。このまま、何もかもが上手く進んでいくと信じていた。

 そして出会って、大切になって数年。

 

『パパ、死んじゃった』

 

 元気で明るくて、パパと、ママと、ギターが大好きな普通の女の子は気づけばどこにも居なくなっていた。

 

『どうして? なんで?』

 

 解決する事のない疑問を私に投げかけて、ただ震えて、だけど泣くことはない。感情を何処かに無くしてしまった可哀想な子。

 だけど、諦めたくなかったから。大切で大好きだったから。失ってしまった感情を取り戻せるように、元に戻れるように、私が側に居てあげると決めた。

 この子を守ってあげられるのは私だけ。そう、勘違いしていた。

 

『私も、あかねみたいになりたい!』

 

 月日が少しずつ彼女を癒して、徐々に取り戻せた日常。

 思いの外生意気に育って、だけど、甘えてくるのは変わらない。私には、私にだけは、あの頃のように接してくれる。

 だけど、そんなある日。私にとっては、なんて事のない普通の日だった。

 

『怖い……、怖いよ』

 

 彼女は突然逃げてきた。追いかけてきた彼女の母親。そして、隣に立つ見知らぬ男。詳しく話を聞くと、どうやら再婚するらしい。

 この子のためなんだとか、この子のことを考えてとか、彼女の姿すら見ることなく、べらべらと喋る母親をみて心底吐き気がした。

 だから、言ってやった。

 

『彩白は、貴方達の人形じゃない』

 

 そう言って、身勝手な大人を睨みつけたんだ。

 それは遠い遠い、過去の記憶。

 だけど、今の私はその逆だ。

 隣にいる? 幸せにする? 笑わせるなよ。まだ子供のお前に何ができる?

 目の前の光景をみて、そんな事を考えている私は大人になってしまったんだと思う。

 どうしようもない程、軽蔑していた大人の一員に私も染まっていた。

 きっとあの時の二人も、当時の私を見て、今の私と同じことを感じていただろう。

 気がついたら、大人の気持ちを理解できる人間に私はなってしまった。

 

『私がいる』

 

 誰でもよかった。大切なこの子を救ってくれるなら、私じゃなくてもよかった。そう、心の底から思える。

 だけど、隣にいるべきなのは私じゃなかった。この事実が、こんなにも虚しいとは思ってなかったよ。

 先を歩くあの子と、停滞する私。気づけば背中は見えなくなっていて、何を考えているのかすらも理解できなくなってしまった。

 私の携帯の中に残っている、録画されたあの子の顔は全く笑っていない。それが私とあの子の間に残ったモノ。

 目の前の少女を、勝手に私と重ねる。少しだけ離れた距離に見えるのは、力強い目と根拠のない自信。

 

 正直、鼻で笑ってしまいたくなる。バカにしたくなってしまう。お前はあの子を何も知らないだろって。

 何も知ることができなかった立場で、他人よりもほんの少しだけ多くの時間を重ねただけで偉そうに思えてしまうんだ。

 そうか、変わってしまった。私は大人になって失ってしまった。だから、もう、隣にはいられない。

 いや、違うな。そうじゃない。

 最初から私ではなかった。ただ、それだけの事。

 だから、あの子の隣に相応しい少女を送り出す為に口を開く。

 

「きっと、そうだった」と。

 

 そう言って、笑って、私は見送ることしかできない。

 ただ黙って、二年間を共にしてきた他人に託すんだ。

 だって、私は、大人になってしまったから。


 

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