第4話 とあるエピソード 偵察

「やはりお主は面白いやつじゃ。戦場に暇というものは無いが、お主といると戦いというものを存分に味わえる」

 敵の野営地が望める高台に位置したレンゼストは、手綱を引いて馬を止める。

「あの軍様だとこちらが当たりという訳じゃな。これで海岸戦線は陽動というのがはっきりしたわい」

 レンゼストは己と隊との間にて、気配を消すように手綱を握る男に向かって振り返る。「しかし、ここまでくじ運の悪い奴は、お主以外に思いつかん」

 視線の先にいるファトストは軽く笑みを浮かべ、頭をゆっくりと下げる。

 敵との距離が縮まるにつれ、レンゼストの口から王の話は出なくなった。それに伴い王と同行しない策を示した、ファトストへの不平不満も自然消滅的に無くなっていった。軽口は相変わらずだが、その軽口の中に軍略を練るファトストへの気遣いも含まれる様になった。

「日頃の行いというものか、それともお主が好き好むためこのような事態を引き寄せるのか。全く運命というのは面白い」

 ファトストが横に並ぶと、同じように眼下に広がる大軍に視線を向ける。「どちらにせよ、昼夜問わず考え事をするのが趣味のお主にとっては眠れぬ日々が続きそうじゃのう?」

 レンゼストは顎先に手を置くとファトスト側の口角を上げ、悪戯な視線を投げかける。

 しかし、敵の兵から目を離さずにいるファトストが面白くないのか、ふんっと鼻を鳴らすと後ろに控えている隊の先頭にいるライロスに視線を移す。

「あれだけ見事な景色を見せつけられたら、股の辺りが寒くなるのう」

「将、気付かず失礼いたしました」

 ライロスは大仰に頭を下げる。「幾度となく戦を共にしましたが、いつの間にか高い所がお嫌いになられたようで」

「何を小癪な事を言っておる」

 レンゼストはさらに奥に控える兵達に視線を移す。「おい皆のもの、ライロスにはあの大軍が見えていないらしいぞ」

 冗談混じりの問いかけに、兵達から笑い声が聞こえる。

 レンゼストは口が立つ者を好む。智と武を兼ね備えたライロス同様、率いる兵達からは只者ならぬ気が感じられる。

 今回の隊は特殊で、ファトストから相手の兵を直で確認したいとの申し出により、急遽偵察用の小隊を組むこととなった。それならばと各隊の長にも敵の軍を見せさせる事となり、精鋭を選んでの隊である。

「それに比べてどうじゃ」

 レンゼストはファトストに視線を移す。「こやつのために皆が骨を折ってくれたというのに。全くつまらん男じゃ」

 ファトストは諦めたように口元を緩ます。

「私はそれを通り越して肝を冷やしております」

「ありきたりじゃのお」

「いえ、ありきたりなど。これから予想される激戦に対する本心からです」

 被せるようなレンゼストの言葉に、ファトストは困惑気味に返す。

「とは言うてものお」

 レンゼストは不満気にファトストの顔を見た後に、ライロスの方を振り向く。「もう少し何か、があっても良いのではないか?」

「お待ち下さい、将。それは仕方のないことです。わたくし共のために、軍師殿は頭の中で策を張り巡らしていらっしゃるのでしょう」

 ライロスは口元を弛ませながら二人の間を取り持つ。

「そうであったか。我は難しい顔をしておるだけの男だと思っておったわ」

 ライロスは静かに首を振る。

「何をおっしゃいます。ご存知のように、王と将の仲を引き裂く憎き存在ではありませんか」

「そうであったわ」

 ワハハと笑うレンゼストに、ファトストはますます顔を困らせる。

「それに、将のお戯れは頭を使いまする。それすらも策に使いたいのではありませんか?」

「我が軍師殿の邪魔をしていると申すのか?言いよるわい」

 レンゼストは先ほどより楽しげに笑う。

 ライロスはファトストに笑いかける。

 それを受けてファトストは、レンゼストというものを少し知る。

「それでは、失礼して。レンゼスト様にとってはあの程度の軍であれば、冷えるよりたぎられている様に見受けられます」

「それは無いわ」

 レンゼストは反応冷たく首を振る。「ねちっこいお主と違って、戦で興奮する事などない。そっちは何の面白味もない男でな」

「私の何をお知りです?」

「そう、それじゃ」

 レンゼストは笑顔を返す。

「何も知らんが、手順通りにそつなく事をこなして、頭の中では己の欲望をぶつけてそうだ。と思うての」

 ファトストが言葉を発する前に兵達が笑い出した。それを見たファトストは言葉を失う。

「己が皆にどう見られているか知れて良かったではないか。自分ではどう思っているのか知らんが、お主に畏まわれても違和感しかないわ。のう?」

「そうでございます」

 ライロスは「馬上なれど」と深々と頭を下げる。

「これで気が済んだわい。これより我はお主に命を預ける。後ろに控える者達も同様ぞ」

 兵達が笑いながら頷く姿を見て、ファトストはレンゼストに頭を下げる。

「さてと、これからが本番じゃ。あれほどの大軍を率いてきて、帝国は何を考えておる」

 口調を変えたレンゼストは顎に手を当て、敵兵を眺める。

 その言葉を受け、ファトストは手を胸の前で重ね体を倒す。

「兵の割合として、重装歩兵が多く次いで騎兵が多く見られます。将の中から考えますに、率いるのはアタランか最近名を聞く新しき将か。後者なら良いのですが、前者ですと少し面倒かと」

 抑えた口調で淡々と自分の考えを言った後に、ファトストはレンゼストと目を合わせる。

「兵のみでそこまで考えておるのか?王が面白がる訳じゃ」

 レンゼストはニヤリと笑い返す。「それより、アタランとな?それだと港の方も心配じゃな」

「おっしゃられる通り、対北戦の軍事訓練的な意味合いよりも、本格的な進軍の方が疑わしくなります」

「敵の将が誰かによると、な」

 レンゼストは隊の方へ振り返り、兵の顔をそれぞれ確認する様に眺める。

 兵達はしばらく向けられた視線の意味を即座に感じ取る。それにより隊全体の雰囲気が変わる。

「敵将の確認がてら挨拶でもしに行ってもよいが、いかがする?」

 それを聞いたファトストは隊の先頭にいるライロスの顔を見る。得意とする言葉ではなく、どちらでもお好きな方でとの顔が返ってくる。

 兵達は面白半分で、悪戯好きな御仁の思いつきに付き合うつもりらしい。

「ご冗談を。王国にとって大切な皆さまを死地に放り込むなど、私には到底できません。敵の将については斥候からの報告を待ちましょう」

 ファトストは慌てて首を振る。

 その顔を見てレンゼストは鼻を鳴らす。

「何だつまらん。お主ならこの人数で敵将を討つ策を捻り出すかと思ったがの」

 兵達もあわよくばなどと考えてはおらず、自信があるとその顔が物語っている。

「またまたご冗談を。そのようなことは、史に名を残す名将でなければ無理でしょう。私の策など、そのような方々には遠く及びません」

 ファトストは深々と頭を下げる。

「ふん、思いついてはいるが成功率が低いからやらぬといったところか。全くつまらん。ここにいる一騎当千のもの達を見ても心踊らぬとは、やはり変わった性癖をしておる」

 レンゼストにつられて兵達も控えめに笑う。

 ファトストが返答に困っていると、「この先の丘に拠点を建設中との報告あり」と、後方より兵の声が届く。

「こちらは予想通りじゃの」

 レンゼストはファトストの顔を見る。

 ファトストは静かに頷く。

「そろそろ頃合いじゃろうて」

 レンゼストはそう言うと、立てた手の平を元来た道の方へ二度ほど振り、隊へ帰還の意を示した。

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