第3話 とあるエピソード お灸
「お主はどう思う?」
レンゼストは伝令の報を受けてから、顎を二度三度撫でた後にファトストに尋ねる。
「最善の策は変わらず現状維持かと。しかしこの状況では、それも難しいかと思います。レンゼスト様のお考え通りに」
ファトストは卓上に地図を広げる。
「うむ」
レンゼストは顎を撫でるのをやめ、自軍を示す駒を手に取る。「動かぬのが最善。それは分かっておるが、じゃのお」
言葉尻に含みを持たせ、掌の中で駒を何度か遊ばせる。
定例報告の後に情報共有の一環としてとの前置きがあったが、先ほどの伝令は「コーライ様は兵の中に総攻撃の声が広がっている事を危惧しています」と、付け加えた。
「先の大勝で、我らが到着するまでの負けをもう忘れておる。あれも軍師殿が頭を擦り減らし白髪を増やしながら策を講じて得たものなのに、味方にはそれが伝わっておらん。まことに損な役回りよの」
「いえ、コーライ様の気苦労に比べたら微々たるものです」
ファトストは淡々と答えると、先の報告と斥候からの情報とを擦り合わせながら、地図上に駒を配置する。
指揮権を握るコーライとしても、現状維持が最善の策と分かっている。それでもレンゼストの元に知らせが届いたということは、人望の厚いコーライであっても抑えきれないところまできていることを暗に知らせている。
「伝令も帰った後じゃ、本音を言うたところで咎める者もおらん。愚痴の一つでも出そうなものだが、いそいそと働いておる。性分なのか我が信用されていないのか、どちらかのう?」
周りにいる兵達が笑い声を上げる。
「お戯を」
ファトストは小さく頭を下げる。「して、いかがお考えですか?」
「そうじゃのお」
ファトストの問いかけにレンゼストは直ぐに答える事をせずに、顎を摩りながら何度か小さく頷く。「ちと、灸を据えたいのお」
「灸、ですか?」
戦場で灸とはいかがなものかと、ファトストはレンゼストに向かって視線を投げる。
その顔を見てレンゼストは左の口角のみを上げ、少し意地悪そうに答える。
「兵というものは謙虚でなければならん。自らの考えが指揮官と違うからといって、癇癪を起こすような愚か者には灸が必要じゃろうて」
それを聞いたファトストはクスリと笑う。
「灸、ですね。それはいかほどの?」
「敵としても我らと戦うには十分な戦力が残っておる。膠着が長引けば長引くほど相手は兵糧の心配が大きくなる。相手の兵を減らしつつ兵糧攻めを仕掛けて敵を撤退させれば、背を打つ勝ち戦となるのに、なぜわざわざ相手の土俵に立とうとする」
レンゼストは駒をファトストの前に差し出す。「そんな勘違いを起こしたやつらの鼻っ柱が、ポッキリと折れるほどがいいのう」
ファトストはレンゼストのこういった一種の遊び心ともいえる、自分が持ち合わせていないものに心惹かれている。
それにより、自分の策が広がっていく不思議な感覚が心地良いとさえ思っている。
「どうじゃ?」
レンゼストは駒から手を離すと、手に取れと小さく顎をしゃくる。
「それでは」
ファトストは自軍の駒を敵の防衛陣地の東側に置く。コーライ本陣の駒を中央からやや後ろで待機させる。残りのハオス軍を二軍に分け中央と西側へと動かす。
「レンゼスト様は中央寄りに位置していただきます。総攻撃により、今の自軍の士気ならば防衛陣地内への侵攻は可能だと思われます。しかし、防衛に専念している帝国軍を殲滅することは不可能でしょう」
ファトストは次に、敵陣後方で沼や小川を渡河する橋を建設している敵部隊の駒を動かす。
「ここで重要になるのがこの隊です。自軍の総攻撃によりこの隊は作業を止め、予備兵力として後方に待機する可能性が高くなります。敵が防衛可能と判断したならば、この予備兵を使って東西に挟撃を仕掛けてくるでしょう。それを防ぎきれればそのまま勝利へと繋がります」
「それができれば苦労はせん」
レンゼストは鼻で笑う。
「おっしゃる通り。撤退用の橋が完成していない現状において、背水の陣ともいえる帝国軍が死に物狂いできた場合に、中央から西側は難しい戦いが予想されます」
「まあ、万に一の例外はなく、そうなるじゃろうて。平地のヤツらは厄介だからのお」
ファトストも賛同するように頷く。
練度の高い帝国兵をハオス軍が士気だけで打ち破る事ができるとは、先の戦いからして想像し難い。
「だからこそこうしておるのに、あの馬鹿者共は」
レンゼストは何かを思い出したように悪態をつく。
その仕草を見たファトストは、笑みを浮かべぬためにコホンと咳をする。
「続けてよろしいですか?」
レンゼストは何も言わずに顎をしゃくる。
「それでは」
ファトストはレンゼスト隊の駒を手に取り、中央へと進める。
「この状況になりましたらレンゼスト様は軍を超えて中央に入っていただき、西側の退却支援をお願いします」
「東側はどうする?」
「山を背にした私達に対し、敵が大軍を差し向けるとは思えません。それよりも、慣れている平地に力を注ぐのではないかと」
「ほほう、我が居ずとも防ぎきれるということか。良い心掛けじゃ。それならば退却せずとも我が隊がそのまま西側に入れば、そちらも防ぎきれるのではないか?」
「勝ちを望むのであればいくらでもやりようはありますが、ほとんどの場合こちらの損害の方が大きくなってしまいます。それでは勝ったとて後々に影響を及ぼしかねません」
ファトストは西側の駒を本陣付近まで下げてから、その駒を小さく振りレンゼストと目を合わせる。「それではお灸が効きすぎて火傷となってしまいませんか?」
ファトストはニカっと笑顔を浮かべる。
「そうであったな」
レンゼストは嬉しそうにファトストの肩を叩く。「勝ちに目が眩んで、遊び心を忘れるところじゃったわい」
ファトストはレンゼストの笑い声に対し、嬉しそうに頭を下げて応える。
「考え難いですが」
そう言うと、ファトストは敵の予備兵を西側へと進める。
「退却がもたついた場合に追撃の危険もありますが、それについては中央にいるレンゼスト様が重しになります」
「我に側背を突いてくれと言っている様なものじゃからな」
レンゼストはファトストが動かしている、中央から西側へと移動する自分を示す駒を眺めながら応える。
「はい。そして西側の退却を契機に、全軍戦線を離れていただきます」
ファトストは西側を空けた状態で、両軍の距離を離す。
「相手にとって平地が有利とはいっても、十分な兵糧が望めぬ状況で退路を築いている今の陣地を捨てての移動は、明らかな愚策と言えます。十中八九、再び膠着状態に持ち込めるのではないでしょうか。そうなればこちらの思い通りに戦を運びやすくなると考えます。もし、総攻撃時に兵糧を燃やすまで押し込めたならば、勝つ確率は格段に上がります」
「なかなか良い策ではないか」
レンゼストは満足そうに頷く。「それならば西側はルイゼあたりに任せるかのう。あやつのコーライ様に対する態度は、少しばかり良い気がせん」
「それについてはレンゼスト様のお考え通りに」
レンゼストはニヤリと笑うと、従者に声を掛ける。
その場にいた兵達により卓の上は片付けられ、従者が持ってきたグラスと酒が置かれていく。
レンゼストは瓶を手に持つと、置かれたグラスに次々と酒を注いだ。
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