第21話「不気味な影」

「わぁい!お散歩〜!」


「リルル、気を付けて走れよ?」


元気に返事を返すリルルは、野原を自由自在に駆け回る。両手を翼のように大きく広げてまるで鳥のように風を受けて走ることを楽しんでいる。


「しかし、いい天気だねえ」


ルークが額を拭いながら大地を照らす日の光を見る。雲ひとつない快晴、どこまでも青い空が続いている。鳥たちも優雅に飛んでいた。


「ルーク、あまり無茶はするなよ?

リルルのためとはいえ、陽避けの風を付与しているんだろ?」


「おかげであの子は暑さに倒れる心配はない。それに、遊びたい年頃でしょ?あの子はずっと、国に篭っていたんだから」


そうだ、あの子の祖母が言っていた。リルルはずっと国に篭りっぱなしで、どこにも遊びに行くことはなかった。いつも家族のお手伝いをしてくれたいい子なんだ、と

彼女の亡き祖母から聞かされたことがある。


「あの子が色々経験して、これからの糧にしてくれるなら、俺のマナなんて安いもんだよ」


「……そうか、ありがとう」


イングラムとルークはリルルの走る草原を見渡す。心地よい風がふたりを優しく撫でるように吹き抜けていく。


「おーいリルル、戻ってこい!そろそろ先へと進むぞ!」


大きく手を振ってそう叫ぶとリルルも同じようにして手を振り返した。そしてその後、すぐにこちらへ駆け寄ってくる。


「わーい!」


ぎゅっ、とルークの腰元に抱きついて上目遣いで見上げる。


「剣士様!どうもありがとう!」


「あぁ、どういたしまして。楽しかったかい?」


ワシワシと頭を撫でてやる。しかしまだ加減がわかっていないのか、リルルは少し身を引いた。


「さぁ、手を繋いで行こうか、離すなよ?」


「うん!」


リルルはイングラムの左手とルークの右手を握った。ふたりはその手を離さずに、時折持ち上げて空中浮遊を楽しませてやったりもした。


「ありがとうね!騎士様!剣士様!」


どういたしまして、と笑顔で伝える。リルルも笑顔だ。


「……?ねぇ、お空が曇っていくよ?」


「なに?」


ふとリルルがそんなことを呟いて戦士たちは空を見上げる。陽の光を遮るような分厚い黒い雲、そして即座に降り始める不気味な雨──


「ふたりとも、俺の近くに!雨除けの風!」


緑色のベールが全員を縁取るように出現する。外側に出来た風が、雨に触れないように屋根の代わりをしてくれるのだ。


「よし、今のうちにルシウスから貰ったものを出そう。手頃な場所は……と」


大きな木の下に十分なスペースがあった。

イングラムは電子媒体を起動して、家のマークをタップする。すると、その家が電子媒体から高速照射され家の形になった。


これは強制的に電子媒体が落ちたりイングラムが別のことに使用しなければ常に現存する家なのだ。


「よし、あそこに入って雨宿りだ」





中は広々としていて、空調も空気も完璧だ。人体に好影響しか起きない設計になっているらしい。リルルも目を丸くさせて驚いている。


「すごい!飲み物もあるよ!」


無数に用意されているドリンクバーを眺め、ぶどうジュースを手に取って飲み出すリルルは笑顔で美味しいと呟く。


「……すごいなぁ、さすがルシウスだ。日曜大工ってレベルじゃないな」


ルシウスは“作る”ことに関して凄まじい実力を持っている。老朽化した老人ホームを

瞬時に建設当時のレベルに修復するなど

離れ業が多い。


「しかし家をデータ保存して広い場所に照射することで実際に住めるようにするとはねぇ……」


しかも、電気ガス水道と設備も充実している。部屋にはひとつずつクーラーがあるし

加湿器だってある。お風呂は全自動式

洗濯機も自動式、レンタル製としては完璧な性能である。


「ルシウスに今度返礼をしないとな?」


そうだね、こくりとルークが頷いて、視線を窓へと送った。


「……なんだ?」


雨の音がひきりに大きくなっていく。そのなかで、ルークは何かの声が響いているのを聞いた。雨の中に浮かぶそのシルエットは甲羅の高い亀のよう見えた。


「イングラムくん、俺は少し外に出てくる。なにかの生き物が近くにいるかもしれないから、ちょっと見てくるよ」


「わかった、気をつけろよ」


ルークは自身に雨除けの風を発動させて、新たに拵えた剣の鞘に手をかけながら家を出ていく。それを見送るイングラムも、何やら不穏げな表情に苛まれていった。





不気味にゆっくりと、明かりのないこの雨の中でくっきりと、何かが動いている。

動くのと同時にしゃん、と神楽鈴のような美しくも不気味な音色が響く。正面を向いているのか、それとも別方面なのかはわからないが、ルークの背筋にはとてつもない悪感が生き物のように這い回っていた。


(なんだ、この得体のしれない嫌悪感は……)


雨は降っているというのに、それが地に落て吸い込まれる音は聞こえない。その現象は、その神楽鈴を聞いたときから起きていた。地面を引きずる様な音と、自分の心臓の音が強く聞こえているだけだ。普通ならばこんなことは起こり得ない。


(闇雲に攻撃するのは危険だ。まずは音の正体を————)


そう身構えた瞬間に、目の前の輪郭から

赤子の鳴き声が聞こえた。そしてモゾモゾと動く影は徐々に大きくなっていき、やがて正体を現した。


全身を覆う血のように染まった赤い布。

そしてそこから滴り落ち、地面に消える

血液のようなもの。


そして、被っているであろう能で使用する小面の目元から流れ落ちるのは血涙か。

赤ん坊の鳴き声も眼の前の“ソレ”が発していたものだった。


「貴様、何者だ!」


その言葉をソレは理解できたらしい。ルークの声を聞けば、赤子が笑うような声をあげて、腰をかがめながら突貫してくる。


「速いっ──!!」


反射的に抜刀する。垂直を描きながら不気味な敵の腕を斬る。斬り落とすとまではいかなかったが、かなりの深手は負わせたはずだ。


「霊の類か……?いや、それにしては生気を感じ取れる……こいつは、一体!?」


おぎゃあと泣き喚きながら斬られた部分を

抑え込んでルークを睥睨する赤い何か。

布が邪魔で本当に手で押さえ込んでいるのかは判断がつかない。ルークは跳躍し、剣に風のマナを集約し始める。


「吹き荒べ!我が風よ!」


剣を両手で突き出すと同時に凄まじい魔力量のエネルギー波がソレを叩き潰す。断末魔とも聞き取れるその声はノイズが走ったように、凄まじい嫌悪感をルークの耳に残した。


「ちぃっ、嫌な声だ……」


平常時であれば、赤子の声は愛おしいものだ。しかし今は恐怖を逆撫でするものでしかない。


ルークは警戒心を解かずにそのまま剣を持ちながら、立ち込める煙が消え去るのを待つ。数秒の時が経ち、それらが消散する。それと同時にぬっ、と能面のついた顔のみを、ろくろ首のよう長くに伸ばして微笑みながら、その口を大きく開いた。


「なにっ──!?」


歪な形に生え揃った無数の黒い歯は不気味さを増長させる要素には充分だった。だが、ルークは数々の人間や獣を相手取った戦士、これくらいでたじろぐわけはない。


高速でマナを集約して風の刃にてその首を断ち切る。大量の血液を吹き出しながら、首はドスンと音を立てて生首らしき部位が転がり落ちた。切断部位からはあり得ない量の鮮血が雨に混ざって地面に広がっていく


「ふぅ、心臓に悪いなぁ全く……」


しかし、気味が悪い。こんなものを子供が見たらトラウマものになる。大の大人でもそうなる。現にルークの肝は相対してからずっと冷えたままだった。


「ギ……ギキ……」


「……っ!?」


声がした、周辺の血みどろまみれになった地面から、機械音混じりの声がした。


「なんだ……何が————」


「ルーク……アーノルド、覚エタ。オ前ノ事、学ンダ」


ザブンと血の水面下から先程の能面と同じものが出現し、ケラケラと不気味に嗤いながらカラカラと音を鳴らす。目の前のそれは確かに斃れているのに。


「なんなんだよ!くそっ!」


感じたことのない恐怖が見えない襲ってくる。言葉にし難いこの感覚、ルークは思わず舌打ちをした。


「仲間、呼べ……サモナクバ、死」


(イングラムくんのこと知っているのか……?だが、そう易々と挑発に乗ってやるものかよ!)


ぼうっ、と凄まじい風力エネルギーが

ルークの全身を拭き荒ぶ。そして、剣を構え————


「刃風!斬烈波!」


地面に弧を描きながら深緑の刃を衝撃波と共に発射する。それはそれぞれの方向に直進し赤い怪物に急速接近する。

が————


「ケケケ」


怪物はその攻撃を、胴体を切り離すことで

躱した。


「ヤツヲ呼バヌナラ、オ前、死」


親指を突き立てくっ、と下に向ける動作をするとソレは凄まじい殺意をルークに向けていく。感情が可視化出来るほどの膨大な量が歪な幽霊のような形となって顕現する。


「ぐ……っ」


幽霊のようなそれは、両腕を引き伸ばして波動のようなものを放出した。無論、両断しようと剣を振るうが、それは虚空を斬るだけだった。


「な、に──!?」


突如ルークに襲いかかる強烈な疲労感、吐き気、嫌悪感。その他数多の負の感情が防ぎようのない猛威となってルークの精神をじわりじわりと追い詰めていく。


たまらずに膝を下ろして剣を地面に突き刺すルーク。その表情は苦悶に満ちている。


「ハァ……ハァ……!……これ……は」


赤い怪物はケケケと嗤いながら


「精神ヲ蝕ンダ、オ前、イズレ死ヌ」


「馬鹿なこと言うな……!綺麗な嫁さん娶るまで死ねるかっての、このブス!!」


精一杯の気力を保ちながらの渾身の力で剣を振るう。それが偶然、能面に直撃したのか赤い怪物はこれまでにないような凄まじい咆哮にも似た叫び声を上げて姿を消した。そして、降っていた雨も止んで、雲は胡散するように消えていった。


「へっ……相討ちだ、能面野郎」


衰弱しきったルークはその場に前のめりに倒れ込む。勝利した彼を優しく包むように、晴天の元、光のカーテンが降り注ぎ始めた。


「おい、おいルーク!しっかりしろ!何があった!」


「剣士様!」


(ふたりの声が聞こえる……なのに、とても遠くから叫んでいるように聞こえるのは、さっき受けた波動のせいなのか……

くそ、今の化け物の事を、どうにかして、伝えなけれ、ば……)


だが既にルークには言葉を発する力すら残っていない。イングラムに僅かに手を伸ばしながら、引きずり込まれるように意識を失った。


「騎士様!」


リルルが叫ぶが、それはルークには届かなかった。


「騎士様、剣士様はどうなっちゃうの?

死んじゃうの?」


「……絶対に死なせるものか、必ず助け出してみせる」


イングラムはルークを背負いながら前へ前へと進んでいく。リルルもその気に押されたのか、黙って後をついていく。


友を死なせるわけにはいかない。

強い意志を抱いて、ふたりはコンラへと進んでいくのだった。

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