第17話「天から降りた少女」
「スクルド様。本当に、ありがとうございました」
王室で、イングラムとルークは皇女に頭を下げて礼を述べる。スクルドは首を横に振って笑顔を浮かべた。
「気にしないで、私も楽しめたし……久々に闘いたくなったし!」
「「えっ」」
思わぬ一言にハモってしまう。まさかと思いふたりとも得物に手をかける。スクルドから凄まじい闘気が放出され、ふたりは思わず気圧されてしまった。
(これが、神の力か!)
「なぁんてね、ジョークよジョーク。エルフジョーク」
「がはははは!お茶目ですなぁ!皇女ぉ〜!」
「ふふふ、相変わらずですねぇ」
わははと豪快に笑うブルッグとくすくすと静かに笑うフィル。彼らには皇女様式ジョークが通じるようだった。まあ何百年も一緒にいるのだから当然なのだろうが
「俺たちは冷や汗をかかされましたがね……」
額に溜まった汗を腕で拭う。戦闘直後で疲労も溜まったのか、無意識にため息が多くなる。
「あら、回復球でも疲労が全快しないなんて珍しいわね…あ、ツボマッサージしてく?心地いいわよ?生きながらにして極楽浄土に行ったような気分に————」
「そのお誘いは嬉しいのですが、今は時間も惜しいのでまたの機会に————」
しゅん、と高揚した表情から一気に悲しげな表情へと変わる。年頃の女性のようで、わかりやすい。
「そ、そう……残念ねぇ。あ、でもルークの剣はどうするの?」
ルークはそう言われて思い出したように鞘に手をかける。折れた後だと抜刀する感覚が鈍るので彼は腕を組み考えた。
「んー、それはどれくらいの時間を要するのですか?」
「30分くらいね」
「そうですか……ではすぐにお願い出来ますか?」
その声はイングラムのものだった。急ぎ戻らなければならないのに彼はルークの件を優先したのだ。
「いいのかい?」
思わず聴いてしまうがイングラムは肯定する。それくらい構わない、と。振るうための剣が折れているのでは次の戦闘で満足に戦えないだろう。
風の刃も無尽蔵に振るえるわけではない。
マナには限りがあるのだ。
「ありがとうイングラムくん
恩に着るよ」
「気にするな」
肩をポンポンと叩いてやる。
「じゃ、剣と鞘を貸してちょうだい。
最高の鍛冶屋に新しく作ってもらうから!
イングラム、ついでにあなたの槍も貸して
見たところ刃こぼれしてるみたいだし
ルークのようにいつ折れてもおかしくないわ」
「スクルド様がそうおっしゃるのであれば、お願いします」
ルークは鞘を腰元から外して、イングラムは背中から槍を顕現させて皇女に差し出す。スクルドはふむふむと剣を観察したあと片手で剣と槍を持って指を鳴らして鍛冶屋に転送する。
「それじゃ、武器が新しくなるまでゆっくりしていってちょうだい!部屋は用意してあるわ、仮眠くらいしてもバチは当たらないわよ」
「しかし、いくらなんでもそこまでしてもらうというのは————」
イングラムが申し訳なさそうにそう言うと
スクルドは微笑みながら言った。
「私がそうしたいからそうするのよ。
人には無限の可能性があるんだって、オーディン様や姉さんたちも言っていたし」
「ウルズ様とヴェルザンディ様ですね…?
その方々はどこに?」
過去の時間を司るウルズ、現在の時間を司るヴェルザンディ、未来の時間を司るスクルド。この三人はそれぞれの時間を司る三女神ノルンと呼ばれる存在なのである。
「ふぅん、イングラムは本当によく知ってるのね…?姉さんたちはまだソラリスにいるわ。暇になったら下界に降りてくると思うのだけど……」
「ソラリス……?」
「あっ……」
聴き慣れない単語に首を傾げるイングラム
そして言ってしまったといわんばかりの
あっ、と言う言葉、両手で小さく口を隠す。だがしかし、もはや遅すぎた口隠しである。
「そういえばなんで北欧の女神様が今の時代にいらっしゃるんです?」
「え〜……っとぉ……」
ルークの純粋な疑問にも言葉を濁すスクルド、どうやら謹言だったらしい。
「皇女様、そういや俺たちも聞いていませんでした。ご説明を」
「ん〜……あのぉ……」
口籠る皇女にイングラムやエルフたちの視線が向けられる。それは槍のように深々と突き刺さり、どうやら聞かれたときのセリフの用意はされていないようだ。
「三女が困ってるようだし!私が教えてあげるわよ!!」
少女のような高い声が響いたと思うと、上空に眩い光が現れ、それは空から地上へと続く螺旋階段となり、その一番上に一人の少女が小さな両翼を羽ばたかせ、緩やかに降り立った。スクルドはその少女を見上げて叫んだ。
「————ヴェルザンディ姉さん!」
「ふふん!今から降りてそっちに————」
えへんと胸を張った少女。ヴェルザンディと呼ばれた少女は突然としてプルプルと全身を震わせ始めた。
「……あの、ど、どうされたのです?
ヴェルザンディ様は」
ブルッグが見放さないまま
言葉を紡ぐ。
「姉さんはね、手すりがないと降りれないのよ……あの階段」
天使が降り立つあの輝かしい階段に手すりなんぞあれば、神秘性が損なわれてしまう。ヴェルザンディと呼ばれた少女は足元を震わせながら、視線を階段に下ろしてゆっくりと一段下る。
「ひいっ!怖い!」
両手を限界まで広げて、手すりがないかを探るが、長い鉄棒のような冷たい感触はない。安全綱はここにはないらしい。
「ね、姉さん……私、手伝おうかしら?」
我が子を見守る母親のようにそわそわして
姉を気遣うスクルド。しかし彼女は————
「馬鹿にしないで、ひとりで降りれるわよ!」
子どもの第一次反抗期のような反応が返ってくる。スクルド以外のエルフは彼女を初めて見るのだろうか、頭に疑問符を浮かべている。なんで頼らないのか、と。
そう吐き捨てた当の本人であるヴェルザンディは、顔全体に大量の汗をかきながら一段一段を数分かけて降りる。
「スクルド!手すり作って置いてって言ったわよね!ねぇ!!!!!」
怒りを孕んだ声で不出来な妹を叱る。
と————
「うわぁぁぁ!!!!!」
スクルドを見ながら叱ったのが祟り、階段を踏み外して転がり始めた。千段近くはあるだろう、神といえども全身打撲は免れまい。
ひぃんと声を荒げながら転がること5分。
女の子、いやヴェルザンディはようやくその身体をファクシーの大地へ下ろしたのだ。
「いっ……ぐっ、ゔぅ……ぉっ」
頭を押さえて涙を目元に浮かべる。即座に駆け寄るスクルドがよしよしと頭を撫でてやる。妹と姉なのに、これでは立場が逆だ。
「ううっ、ひっぐ……」
「よしよし、痛かったわね姉さん」
「約束を忘れた三女が悪いっ!!」
ごめんなさい、と両手を合わせて謝るスクルドに対して、ヴェルザンディは未だに消えない涙を目元に溜めて、頬をフグのように膨らませて怒った。
「あ、いや……忘れてたわけじゃないのよ?こっちも忙しくて……」
「言い訳ご無用!」
ぺちん、と小さい手で頭を撫でてくれていたスクルドの手を叩く。地味に痛くて、手に赤い痕が付くほど赤くなってしまった。スクルドは痛みを紛らわせるために叩かれた箇所をブンブンと振っている。
「ぐすん……あなたたちが愚民の二人?」
「えぇ、そうです。俺たちが愚民……え?」
「愚民は愚民よ、ふん!」
むすっとした態度で立ち上がってふたりを見上げる。身長は125cmくらいで着ている服装はスクルドの物よりも豪華絢爛で、肌の色は褐色、髪の毛は赤いショートポニーテール。瞳の色はスクルドと同じ琥珀色だ。見てくれは将来有望の美少女といったところだ。
「姉さん、また愚民て言ったわね……?
私のことは気にしなくていいから……」
「ダメよ三女。あんなの認められない。
あなたは私たちと同じ泉から出てきたんだから……あんなの、絶対ダメ」
イングラムはその一言で、なぜヴェルザンディが人間を忌み嫌うのかわかった気がした。それは、スクルドの出生が一因しているのだ。
ノルンの三神。長女ウルズ、次女ヴェルザンディ、三女スクルドは共にウルズの泉と呼ばれる神聖な泉、そのほとりから姿を現したのだという。彼女ら三人の登場によりアースガルズの時代は終わりを迎えたとも言われているのだ。しかし、スクルドに関しては、出現の理由がもうひとつ存在する。
その一説とは、彼女の父とされるデンマーク王ヘルギの存在があった。。かの王はエルフ一美しい美女を凌辱した。諸説ではあるのだがスクルドとヴェルザンディの反応を見るに後者の方が辻褄が合う。
「……あ、そうだった。ソラリスについてだったね、教えてやるわ愚民ども」
思い出したようにヴェルザンディはその単語を呟く。両手を後ろで組みながら、トコトコと静かに歩き始める。階段の痛みはもう気にしてはいないようだった。
「ソラリスは簡潔に言えば、かつて地上で覇を競い合っていた神々の国なのよ」
「……」
「姉さん、本当に言ってしまうなんて……いやでも、口止めされてたわけではないし……」
「ヘマしたのは三女でしょ?」
「うっ」
痛いところを突かれたようにスクルドは
言うべき言葉を見失った。
「でも、半端者は例外。神の血を引きながら人の血を引いている混血児とかあの国にいる掟に反するの」
「……半神半人の“かつての英雄たち”はこの地上で暮らしているということですか?」
「ふん、そこまで応えてやる義理はないわ。さあ三女、あなたのフォローはこれで済んだし、帰るわ」
ぷいっ、と顔を横に振ってヴェルザンディは帰国するために指を鳴らす。
しかし、何も起こらなかった。
静寂が王室、いや、ファクシー王国全体を包みこむ。
「な、なんでよぉ……!」
パチン!パチン!何度も何度も指を鳴らすが、やはり天へと登る階段は現れない。
ヴェルザンディはまたもや泣きそうな表情を浮かべて苦言を溢す。
パチン
スクルドの指鳴らしで、天からヴェルザンディを照らすように神聖な光が降り注いだ。むすっとした表情でスクルドを睨む。
「あんな、あんな奴らの力さえ無ければ
私だって……!!!」
「……ごめんなさい、ヴェルザンディ姉さん」
「三女は悪くないわ!元はと言えば人間たちが悪いのっ!」
スクルドの心からの謝罪に、少し戸惑ったのだろうか。そんなことないとヴェルザンディは首を横に振り、また人間を嫌う言葉を紡いだ。、仄かな光に包まれたヴェルザンディは優雅に上へ上へと上昇していく。
「あ、愚民共!『今死んでるみたいだなぁ』って思ったでしょ!違うからね!ソラリスに帰るだけなんだから!そこ勘違いしないで!」
あっかんべーの仕草をしてヴェルザンディはついに雲の上にまで上り切って、そして消えていった。
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