第12話 6月某日 honeymoon ~答え~
新婚旅行はどこに行くか。という問題に対し、二人が出した結論は北海道だった。
凪紗のように海外旅行という手もあったが、誠がパスポートを持っておらず、且つ、なんだかんだ言っても近場でのんびり派の二人は自然な流れで国内旅行の想定で話を進めていった。ビデオ通話でいつものように真面目なのか不真面目なのか分からない会話を交わしていた時、修学旅行に行きそこなった話になり、その二箇所が候補地として挙がったのだ。
共に暗く陰鬱な学生時代。
誠はそもそも修学旅行に行かせてもらえる環境にはいなかったが、中学二年の春に事件が起こってしまったため、皆が修学旅行に行っている間、警察署で事情聴取を受けていた。洋人の方は高校二年の秋。件の大事件により大怪我を負い病院で手当てを受けていた。
見回りにくる教師に隠れて夜更かしし、枕投げや恋バナなどという修学旅行にはお馴染みのイベントに参加する機会を逸してしまった二人は、誠が行けなかった『京都、奈良』そして洋人が行けなかった『北海道』という二者択一の中から、距離的により遠かった北海道に行き先を決めたのである。
ホテルとレンタカーがついた三泊四日のフリープラン。誠が動物園に行きたいと子供のようなことを言い出したので旭川から富良野へと下り、最後は新千歳空港で飛行機に乗るルートだ。
初日はホテルのグレードを落とし、中二日は奮発して豪華なホテルを選択した。いきなりの別居生活を強いられてしまった二人にとっては、ガイドブックを買っただの旅行の口コミを見ただの、小さなことを一つづつ報告できることにも幸せを感じなかがら準備は着々と進んで行った。
——結果。
新婚旅行は多少のハプニングはありつつも大成功で、二人は思う存分観光し、美味しい物を食べ、温泉にも浸かり、散々イチャイチャもした。
そして、出発地であった国際空港に降り立った四日目の昼下がり。ホームグラウンドに戻り、寂しいような懐かしいような気持ちを抱えていた洋人に、誠が突然「寄りたいところがある」とストップをかけてきた。
空港からは送迎用のリムジンバスが出ている。それに乗れば二時間もかからずマンションへと辿り着けるため、洋人は当然このままバスで帰るものだとばかり思っていた。誠の提案に少しだけ驚きつつも、淡々とした表情の中、僅かに浮かぶ躊躇いの気配を見つけて、何か事情があるのだろうと、洋人はそれ以上の質問をすることもなく二つ返事で承諾した。
移動手段を変更し、誠が買ってきた切符を持ってそのまま電車に乗り込んだ。どこへ行くとも言われなかったが、切符に記載された行き先を見る限り、一応帰り道の方角ではある。一時間半ほどかかって目的の駅に到着すると、誠は二人分の荷物をコインロッカーに預けて、今度はバス停へと向かった。
「良かった。あと五分だ」
「どこに行くんですか? いい加減教えてください」
どうやらここも目的地ではないらしいことを知り、流石の洋人も誠に尋ねた。コインロッカーに荷物は預けたので、それほど遠い場所に行くわけではないのだろうが、依然として誠の意図は見えてこない。
バス停のベンチに腰を下ろした洋人に、何とも言えない表情で振り返った誠は、
「墓参り。……ウチの親の」
と、ようやく行き先を告げた。
ちょっとした観光気分で誠の後にくっ付いていた洋人は、その瞬間軽いパニックを起こし思わず目の前の伴侶を二度見してしまった。
墓参り? 誠の親の?
洋人の脳裏を過ぎるのは、いつぞや誠から聞かされた、親の遺骨をゆうパックで業者に送ったという話だ。
「ちょ……ちょっと待っててください!」
何でもっと早く言わないんだ!?
洋人は叫んでベンチから立ち上がり、そのまま駅へと踵を返す。
「洋人!? どこ行くんだよ!」
「お墓参りならいろいろいるでしょう?」
「いいよ。そんなの」
「良くないですよ!」
「もう、バス来るぞ?」
「大丈夫です! すぐ戻ってきます‼」
洋人はバタバタと駆け出し、せめて花でも買おうと辺りを見回したが、悠長に花屋を探している時間すらない。目についた駅前の和菓子屋に向かうと、都合よくその一角に大判焼きの露店販売用の窓口が見える。窓から中を覗くと、丁度商品の入れ替え時なのか、甘い砂糖の匂いが漂う中、白い帽子を被った店主がリズミカルに大判焼きの記事を丸い型に流し込んでいるところだった。
「すみません。そこにある分全部ください」
「いらっしゃい。あと五分待ってくれたら、焼き立てが出来るよ?」
「いいえ。大丈夫です」
洋人が声を掛けると、店主は威勢のいい声で返事をしてきた。餡子好きの誠のことを考えると断然焼き立ての方が喜ぶだろうと思ったが、時間は刻一刻と過ぎてゆく。商品棚に残っていた二つの大判焼きを購入し、走って誠の元までまで戻ってくると、丁度バスがロータリーの中に姿を現したところだった。「どうでも良かったのに」と呆れている誠にブーブー文句を言いながら、洋人は最後尾の五人掛けの席に並んで腰を下ろした。
「何でもっと早く言わないんですか? ちゃんと準備したのに」
飲み物は自動販売機さえあればどうにでもなるが、墓参りには付きものの花も線香も準備できなかった。
洋人に叱られバツの悪い顔をした誠は視線を逸らしながらコツと頭をくっつける様にして窓に寄りかかった。
「前々から、行こうとは思っていたわけですね?」
「…………お前の家に挨拶に行った時ぐらいから。……いつか一緒に行けたらいいなとは思ってたけど、今朝、月命日だなって急に思い出して……」
「だったら、その時に言えばいいでしょう?」
「本当に行けるか分からなかったし……今でも少し迷ってる」
「もう……。本当に困った人ですね」
あっさりと弱みを吐露した誠の言葉に、洋人はそれ以上何も言わなかった。代わりに、誰も見えない座席の影で誠の手をそっと握った。
拗ねたような顔の誠がチラリと洋人を見る。
墓参りの計画に洋人の名があったことはもちろん嬉しかったが、誠本人も話辛いであろう母親の問題を打ち明けてもらえる関係になったのだと、洋人は家族としての役割と重みを実感し受け止めた。
膝に乗せた大判焼きの白い包みから、ほんわりとした温もりが伝わってきた。
誠が洋人の家を訪れたのは先月のことだ。
昨年、洋人が強制的に買わせた紺色のスーツに身を包み、お気に入りの和菓子屋で購入した菓子折りを携え、誠は満島家を訪れた。
所謂、結婚のご挨拶というやつで「お父さん、息子さんを嫁に下さい」という定番のあれである。事前に連絡を受けていた洋人の両親もその前提で二人を迎えたわけだが「洋人君と一緒に生きて行こうと思います」という話に加え、誠は自分の身に起こった事件のことも包み隠さず港一に話した。
星野家は警察沙汰になるような事件を起こした家であること、自分たちは頼れる身寄りがなく施設で育ったこと、そして、洋人も初耳だった加害者の男のその後についてもだ。
実刑判決は受けたものの、裁判では心身耗弱を理由に加害者は減刑された。男は事件当時の怪我が原因で身体に障害が残り、刑務所を出た後は、関西にある実家に戻ったという話だった。
『あいつがこれ以上危害を加えてくることはないと思います。……俺が気にしているのは、むしろ周りの反応の方で……。そういうの、どうしても気にする人間はいるから……』
洋人は話を黙って聞きながら、これまでの誠の行動を思い出していた。楽しく過ごしていたかと思うと突然人を突き放すようなことをしたり、セフレ契約を解消した時も、家族のことを考えろと諭されたり……振り回されてばかりの洋人はその度にジェットコースターのような気分を味わったが、こうして話を聞いてみると、誠がグズグズと煮え切らない態度を取っていたこともなんとなく理解できた。
『でも、何があっても洋人君は俺が守ります。俺にとっては、それだけ大切な存在なんです……って言っても、いきなり離れ離れで、説得力ないかもしれないんですけど……』
洋人はどうにもこうにも恰好のつかない誠の言葉を、半分笑いながらそして半分泣きながら聴いていた。
誠がここまで自分の意思をはっきりと示したのは初めてのことで、洋人の家族を前に堂々とそれを宣言してくれたことが何よりも嬉しかった。押し切るようにプロポーズの言葉を引き出した洋人は、優柔不断にしか見えなかった当時の誠の葛藤と、自分自身に向けられていた深い想いに今更ながら気付いたのだ。
「どこで降りるんですか?」
尋ねると誠は「終点」とだけ答えて洋人の手を握り返してきた。
****************
乗車時間四十分。小高い丘のバス停に降り立つと、どこからか潮の香りが漂ってきた。錆びついたバス停の時刻表は一時間に一本しか時刻が記載されておらず、一時間十五分後のバスが最終便だった。
海までの道を歩きながら誠はポツポツと事件の様子を話し始めた。今までの付き合いであらましだけは理解していた洋人だが、当時の様子は聴けば聞くほど悲惨なものだった。薬物を使った男が怒り狂ってこれまでにない程の暴力を奮い始めたこと。自分と母親が殴られ、
クリスマスアドベントの日に春日が言っていた『贖罪』という言葉が洋人の胸に重く伸し掛かった。
「昔からだったんだよ。親に暴力奮われてたの。……あんな酷いもんじゃなかったけど、その日の気分で無視されたり、折檻されたり……」
そして、誠は満島家でも語ることのなかった幼少期の話をし始めた。
「あの男が来てからは、酷くなる一方で……。だから母親を見捨てた時も、心のどこかでお互い様だろ、って思ってた」
誠がネグレクトだけでなく、暴力を振るわれていたことを洋人はその時初めて知った。血の繋がりがない由美からも沢山の愛情をかけてもらった洋人には、実の親に疎まれて生きて来た誠の話は胸が抉られるような思いだった。
「なのにさ、警察で『誰から暴力を奮われていたの?』って聞かれた時『あの男が全部やりました』……って。多分向こうは病院から報告受けて二人から虐待されてたって分かってたんだろうけど…………」
真裏の道を通り、バス停を迂回するように坂道を下っていくと、弓なりに続く砂浜が姿を現した。夕暮れ時、潮の引いた白い海岸には海からの涼しい風が吹いてくる。
心地よい風の中、砂浜に点々と足跡を残した誠は百メートルほど歩いたところで腰を下ろした。海岸の向こう側では犬を連れた住人の姿もチラホラ見えたが、こちらまでやってくる気配はない。
穏やかな海の風景が、何となく、コールセンターの真ん前にあった海岸の風景に重なった。そう言えば、誠はよくあの海岸でぼんやりと海を眺めていた。
「何回同じこと聞かれても、ずっと『母さんに殴られたことはありません』って……」
誠はそう言って、自嘲の笑みを浮かべる。
「どこかで、あの日のことを許してほしいって……そう、思っていたのかな?」
そう言った後、洋人が手にしていた白い袋を指さし、
「何買ったの?」
いつもの調子で尋ねてきた。
「大判焼きですよ。食べますか?」
洋人はすっかり冷めてしまった大判焼きを紙袋から一つ取り出して誠に渡し、もう一つは袋のまま砂浜の上に置いた。墓参りという割に、誠が全く手を合わせようとしないので、本人の分と思いながら洋人はこの海の沖に眠るであろう誠の母に手を合わせたが、何と言葉を掛ければいいのか全く見当もつかなかった。
「ああっ! ちょっと、一人で食べないでくださいよ」
照れ隠しなのかしんみりした空気ももろともせず、さっそく大判焼きにかぶりついた誠を見て、洋人はすぐさまその手からお供物を奪還した。
「お前のそこ、あるじゃん」
「これは誠さんのお母さん分です」
誠の口の形にへこんだ円形を半分に割って、大きい方を誠に渡すと、洋人は自分もそれに食らいついた。
「……白餡でしたね」
「白餡も好きだよ」
誠は笑いながらあっという間に大判焼きたいらげてしまった。手についた餡をペロリと舐めた後、夕日が沈んでいく海に視線をやり、「……そう言えば」何かを思い出したように、洋人の方に視線を戻す。
「一回だけあったわ」
「何がですか?」
洋人も小さくなった欠片をぱくりと食べた。
「大判焼き。二人で半分こしたこと。何で今まで忘れてたんだろう」
誠は自分自身に呆れたように笑いながら、話を続けた。
「財布の中に金なくて『誠、半分こしようか』って。いつもなら、何も言わずに自分が勝ってに食っちゃうのに。本当に、たった一回だけ。……あれ、何だったんだろう」
そう言って首を傾げる誠に、洋人は両手を広げて見せた。
「何それ? フリーハグ?」
「違いますよ。泣き顔見られるの嫌でしょう?」
「え? 俺が泣くってこと?」
いいから早く来てください、と洋人は誠を促し、大切な大切なパートナーの心と体を抱きしめた。
誰かと何かを分かち合いたい。
自分の物を分け合いたい。
そんな気持ちに、名前があることを洋人は知っていた。
「誠さん……それを愛って言うんです」
クスクス笑いながら、洋人の背中に腕を回していた誠の身体がピクっと止まった。
例えそれが、大判焼き半分だけの重さと、大きさであったのだとしても、誠の母にも子供に分け与える愛が存在していたのだ。
だから、これほど記憶力に長けた誠はその記憶を当時のまま記憶の奥底に仕舞い込んでしまったのかもしれない。その甘さと温もりが溶けて消えないように。
「…………ウチの親の愛情って、大判焼き半分?」
洋人の肩口に顔を埋めた誠はそう言って笑いながらズズッと鼻をすすった。
あるだけマシでしょ、と言っていいのかどうか洋人には分からなかった。何も分からなかったが、誠が警察署で母親のことを庇ったのもきっと、大判焼き半分ぐらいの理由だったのだろう、と思った。
夕日が傾いていく海岸で、神様でもなんでもなくなった誠は子供のように涙を流し続けた。
薄れゆく夕日と波の音が、抱き合う二人の姿を優しく包み込む。
神様がただの人間に戻った瞬間を見ていたのは、刹那の夕焼けとどこまでも続く海と、誰よりも強くて優しい悪魔だけだった。
(完)
【BL】神と悪魔の四方山話 畔戸ウサ @usakuroto
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