第4話 9月某日 I want a ring
天井から零れ落ちる温かみのある光が、白いテーブルとウォルナットの床材をほんのりとオレンジに染めていた。
部屋の中心に設けられた大きなテーブルの上には所狭しと料理が並び、皆思い思いの料理を皿に取りながら、笑顔でグラスを傾けている。
洋人も十分程前にそこから幾つかのピンチョスを皿に乗せ、自席に戻ったのだが、どういったわけか食事を摂っている最中に女性の集団に声を掛けられ、如才なくあしらったつもりが、そのうちの一人がくっ付いて来てしまった。それまで話をしていた友人たちもそれで一区切りついたと思ったのか席を異動し始めたので、仕方なく彼女に付き合って顧客対応さながらに彼女のおしゃべりに付き合うことにしたのだ。
二次会の会場として選ばれたこの店は、テラス席が着いた趣きのあるバーだった。幹事たちが必死になって盛り上げてくれたお陰で、二次会は大いに盛り上がりあちこちで交流する男女の姿が見られた。女性達は綺麗に髪をまとめ、華やかなパーティードレスに身を包み、それを囲む男たちもまたスーツで盛装している。部屋のそこかしこに同じ店のロゴが描かれた大きな紙袋が置いてあり、いかにも結婚式という光景がそこに展開されていた。
「へぇー。じゃ、満島さんもインターネットには詳しいんですか?」
「会社のサービスぐらいは一応……でも、僕なんか全然ですよ。詳しい人は本当に何話してるんだろうってぐらい解らない話していますからね」
「それでもすごいですよ。私、そういうのいっっ切ダメで」
フフフと笑った女性が、カシスソーダを飲みながらチラと上目遣いに洋人を見る。洋人は口元だけの愛想笑いで応じながら、自分のグラスに手を伸ばしてその視線をやり過ごした。
パフスリーブの七分袖に、くるぶしのあたりまであるダークグリーンのワンピース。彼女の格好は他の女性に比べて極端に露出が低かったが、こなれ感があり、黄色味がかったローヒールのパンプスも綺麗に映えていた。これだけの人数の中にあっても静かに存在感を主張する、洋人好みのファッションである。話した感じも気さくで、顔もメイクも申し分ないのだが、残念なことに男子としての食指は全く動かない。それどころか、何の気なしに自分で口にしてしまった『詳しい人』に触発されるように誠の顔が浮かび、洋人は雑念をはらうようにそっと首を振った。
今年に入って自分には無縁の、しかし、社会生活を送る上では避けて通ることのできないイベントの知らせが洋人の元にも届くようになった。これから数年間は誰かの式に招待され、或いは突然手紙やSNSで『結婚しました』報告を聞くことになるのだろう。俗に言う結婚ラッシュだ。
独り身の男女にとって二次会は新たな出会いの場であり、何とかしてこの流れに続こうと必死になる気持ちは洋人にも分かる。
昼間、式場で見た新郎新婦は本当に幸せそうで、そこには一点の曇りもなかった。人生の中でこんなにもたくさんの人に喜んでもらえるのは、自分がこの世に生を受けた瞬間と、この日ぐらいしかないのではないか、と錯覚するほど、それはそれは素晴らしい式だった。
「満島さん、次何か飲みますか? 私、取ってきますけど……」
「まさか。僕が行きますよ」
「大丈夫ですよ」
「いいえ。僕に気を遣う必要はないですよ」
さらっとグラスを奪って行動を制すと、彼女はほんのりと頬を染めて洋人を見た。
「では……お言葉に甘えて。……同じ物を」
「カシスソーダですね。かしこまりました」
底の部分に朝焼けのような美しいグラデーションが残るグラスを持って、洋人はバーカウンターへ向かった。男の色気が漂う黒シャツのバーデンダーにカシスソーダとスパークリングワインを注文し、店内を見渡すと大小様々あちこちで男女のコロニーが出来上がっている。会場全体が合コン状態で、そこから洩れた……或いはそんな活動が不要なメンバーたちは同窓会さながらに窓際の席に集まり、新郎新婦も交えて話に花を咲かせていた。洋人も不毛な婚活より、そっちのグループに参加したかったが、彼女を放置するわけにもいかない。
大きく口を開けて笑っている新郎の手に真新しい指輪が見えて、洋人は思わず「いいなぁ」と声を漏らしていた。
紅葉にはまだ一足早い大安吉日の今日この日、二人の結婚式は緑が生い茂る森の中の教会で執り行われた。
小ぢんまりとした式場は厳かな空気の中にも懐かしさを感じるレトロな造りで、木製の長椅子が祭壇まで等間隔で並んでいた。椅子の上には讃美歌が書かれた式次第とフラワーシャワー用の小さな花かご。ハープの生演奏が流れるアットホームな空間で、二人は家族や友人に見守られながら指輪の交換を行い、一生を誓いあったのだ。祝福と感謝に満ち溢れ、キラキラ光る宝石のような瞬間を詰め込んだような一日だった。
洋人は純粋に友人のことが羨ましかった。唯一無二の存在を手に入れた彼は、洋人の記憶にあるどんな表情とも違い、誇らしげで、凛々しい顔つきをしていた。
会社では保守グループに『悪魔』と恐れられるほど存在感のある洋人であっても、結局は何かが欠落しているのだと実感する。どんなに持て囃され、賞を貰っても、当たり前の物を当たり前に手に入れられる友人とは、同列に並ぶことすら出来ないのだ。
「満島」
バーテンダーからグラスを受け取り、席へ戻ろうとした洋人に友人が声を掛けてきた。大学時代、いつもつるんでいたメンバーの一人だ。
「ああ。どこにいたの?」
「あっち。副島たちと飲んでた」
友人はカウンターにグラスを置いてビールを注文した後、洋人の方に視線を向けた。
「調子どう?」
「まぁ、それなりに」
「お前、本当モテるよなぁ。あの子、皆狙ってたのに、吸い寄せられるみたいにお前の方に行っちまったもんな……どんなフェロモン出してんの?」
「そんなの出てるとは思えないけど……。むしろフェロモンなんて出てないところがいいんじゃないの? 女性からは紳士的だってよく言われる」
本当に紳士かと問われれば、決してそういう訳でもないし、どちらかと言うと、したい時は自分から誘ってしまう淫蕩な質だと思うのだが、何しろこんなだから女性からは紳士で大人な男と思われている節がある。優等生とか、真面目とか、誠にも良く揶揄われているので、そんな諸々もきっと影響しているのだろう。
「丁度いいや。お前も来いよ。彼女に紹介するから」
「え? マジで?」
「そっちの方が僕も助かる」
二つのグラスを持った洋人は友人を連れ立って踵を返す。
「満島、今付き合ってる人いるの?」
ポロっと背後からそんな質問を受け、洋人は何と答えていいものか悩んだ。
大学時代の友人は皆、洋人が性的マイノリティであることを知っている。
当然、今日の主役である新郎も、ゲストの中にいる洋人の友人も、皆洋人がそうだと周知の上だ。
過去に失敗した経験から、洋人はある程度近しい関係になるであろう『友人』にはその旨を伝えてきた。慎重に人選は行ったが、それで嫌われてしまうのなら、それまでだと覚悟して打ち明けたところ皆驚いた様子ではあったが、意外にもあっさりとそれを受け入れてくれた。揶揄うでもなく、周りに吹聴するでもなく、中には『あー、前にもいたいた』と洋人が初めてではないと話してくれる友人もいた。
お陰で洋人は高校時代のような轍を踏むこともなく、楽しい学生生活を送ることができ、大学を卒業してからも友人関係が続いているのだが。
「いない……と思う」
「え? 何それ?」
「何なんだろうね。僕の方が聞きたいよ」
間違いなく付き合ってはいるのだろうが、あれを……あの関係を『パートナー』として良いのか。
「なんだ。いるんじゃん」
「付き合ってるって言ってもピンキリだろ?」
そして、誠がピンなのか、キリなのかが洋人にはいまいち分からないから困っているのだ。
「僕のことよりそっちは?」
「彼女がいたら、好みの女の子と話してる友人にわざわざ声掛けたりしないよ」
明け透けな友人の言葉に洋人は思わず笑った。
洋人が戻ってくると、彼女は笑顔で二人を迎えた。友人は洋人が紹介するまでもなく、自ら名乗って空いている席に腰を下ろしたが、彼女はどうも、と頭を下げただけで洋人の方へと体を向けた。
「満島さんのスマホ鳴ってましたよ」
そう言って椅子の背もたれに掛かったままの洋人の上着を指さした。洋人はこれ幸いと、上着を腕に引っ掛けてテラス席へと出た。
夜になってぐっと気温が下がったので、スーツを着るぐらいが丁度良い。スチール製の椅子に腰かけスマホを確認すると、誠からの着信が入っていた。洋人は連絡先から誠の番号を検索した。人気のリゾート地とは言え、山間にあるせいか無料通話では何となく心許なく、しっかり繋がりたいという思いが滲み出てしまったのかもしれない。誠のこと間近に感じたら、それまで気にも留めなかった淋しさが思い出したかのようにぶり返した。
友人を祝う心は本物なのに、自身にそれを置き変えることが出来ず、どうしても場違いな自分を意識せずにはいられない。誰に何を言われたわけでもないのに、付きまとう劣等感に足を取られ、自ら掘った落とし穴に落ちてしまうのだ。
自分の意識を変えるしかない。マイノリティがマジョリティの中で生きるというのはそういうことだと分かっていても、孤独感に苛まれる瞬間はある。
「どうしたんですか?」
プツッとコール音が途切れた後、洋人は名乗ることもなくいきなり本題を切り出した。
『いや。お前今長野だろ?』
「そうですよ」
前に説明しましたよね? 友人の結婚式で泊まって来ますね、って。
今更何を言っているのだと不思議に思っていると、誠は嬉々とした声で土産物のリクエストをしてきた。蕎麦かリンゴか野沢菜かと洋人はこの付近の名物をあれこれ思い浮かべていたのだが、誠がリクエストしたのはキーホルダーだった。
「え? 何ですか?」
『だーかーらー、キーホルダー買ってきてって。ご当地キャラの。ゲーム機入れる袋のファスナー壊れてさぁ……』
正規の電話回線を利用しているのだ。音声も良好で誠の言葉が聞こえない訳ではない。わざわざこんな時に電話を掛けてきた用件が余りにも馬鹿馬鹿しい内容だったのでイジワルをしてみたのだが、誠には通じなかったらしい。
「……新しいポーチ買えばいいじゃないですか」
『これが使いやすいんだよ。仕切りあるし、カートリッジも収納できるし。壊れてるのファスナーだけなのに、もったいないじゃん。それに、いつでもお前と一緒にいられるし』
「取って付けたような言い訳はいりませんよ。……お土産にかこつけて僕に強請ればタダで済むって寸法でしょ?」
誠はイケメンには違いないがダメンズでもある。
ゲンナリしながら洋人が言うと、電話の主はケラケラと声を上げて笑い始めた。発想が小学生レベルなのだ。本当にしょうのない男だ。
『百均で済ませようかと思ったんだけど、ネットで検索したら、何気に可愛かったからさ……』
「まぁ、別に構いませんけど」
クスクス笑う誠の声がくすぐったくて、洋人の口元も自然に綻ぶ。怒りを通り越してやれやれと空を見上げたら、街に居る時には見えない小さは星明かりまでクッキリ見えた。
「キーホルダーの他には何かあります?」
特に無ければりんごのお菓子でも買って行こう。そう思っていた洋人に誠は「蕎麦まんじゅう」と即答した。誠が甘党な事は、以前から何となく分かってはいたが、洋菓子よりも和菓子派らしい。なかなか渋い好みだ。
「キーホルダーと蕎麦まんじゅうですね」
分かりました、と誠に伝えると、電話の向こうから『うん』と満足そうな返事が返ってきた。
「明日、午後にはそちらに着くと思うので」
『着いたら連絡ちょうだい』
「はいはい。じゃ、切りますよ」
用件を聞き出し、洋人がスマホを耳から離した時、
『ああっ! 洋人!』
慌てたように引き留める誠の声が聞こえた。
洋人はスマホを再び耳に当てる。
「何ですか?」
『運転気をつけろよ……距離長いし。寄り道して遅くなっても俺、待ってるから』
先程までとは打って変わって、月の光ように静かな声がした。
「……はい。分かりました」
洋人は頷いて電話を切った。
ほぅ、とため息を吐いて夜空を見上げる。
今すぐ誠の元に飛んで行きたい。洋人はそう思った。
「馬鹿め……」
柄にもなく、ホームシックにかかりそうだ。
洋人がスマホに視線を落とすと、何の輝きも持たない自分の左手が見えた。
「……まぁ、リングと言えば、
慰める様にそう呟いた。
このままどれだけ頑張っても、友人のように、指輪を手に入れることは出来ないのかもしれない。しかし、洋人には帰るべき場所があり、待っててくれる人がいる。
それで充分じゃないか。
合コンはともかく、どこに行けばご当地キーホルダーを手に入れられるのだろう?
さっきの女性は地元の子らしいし、何か聞けばわかるかもしれない。
彼女狙いの友人には申し訳ないが、ほんの少しだけ邪魔をさせてもらうことを決め、洋人はスーツのポケットにスマホを仕舞って立ち上がった。
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