第5話 10月某日 等価交換
父が連れてきた……いや、母が引っ張ってきたカテキョーは超絶美形のお兄さんだった。
目の保養とはまさにこのこと。
こういうの、眼福の極みとか言ったりするんだっけ?
涼し気な目許に高い鼻梁。伏し目がちな視線を手元の本に向け、乾いた唇を真一文字に結ぶ青年の横顔は造形美の極地と思えるほどに整っている。
何をやっても様になる。息をしているだけで絵になる。父のようにむさ苦しくなく、クラスメイトのように幼稚でもない。それでいて、めちゃくちゃ頭の回転が早く、仕事もできて、料理もできるハイスぺ男子……。
外見の美しさだけをとっても奇跡と思えるほどなのに、このオールラウンダーぶりは、まさしく来未が常日頃から読んでいるBL漫画の主人公そのものだった。
BL界のメンズたちは浮気もせず、余所見もせず、周りから否定されても苦境に立たされても、ただ一途に相手を思い愛し続ける。まさに夢のような世界だと来未は思う。
愛の言葉の限りを尽くし、メロッメロに想い人を陥落する攻めキャラに誠の姿を重ねると、虹色の思考はどこまでも際限なく広がってゆく。
そこに輪をかけて、このハイスペイケメン王子の恋人が社内トップクラスのやり手営業マン、なんて話を耳にしたものだから、来未はもう勉強どころではなくなってしまった。
「はぁ……」
ヤバい。考えただけで萌え死にしそう。
しかし、一見非の打ちどころのない誠にも、大きな欠点があった。母も父もその能力の高さや諸々は認めつつ、誠の話をした後は、必ずこの言葉を口にするのだ。
——ただね。
そう、まさに『ただね』な欠点がこのスパダリ様にもあった。
そして、その欠点の比較対象として必ず話題に上るのが、誠の彼氏であるミツシマ君なのだ。『ミツシマ君の爪の垢を煎じて飲ませたい』『ミツシマ君の真面目さを見習わせたい』『ミツシマ君みたいに大人の対応が出来ないのかしら……』それは同僚に対する愚痴というより、やんちゃな子供に手を焼く親のような言いぐさだった。誠に失望し、見限ろうとしているわけではない。むしろ、ミツシマ君と比較しつつも、二人はじっと、それこそ親のようにスパダリ様の成長を願っている。
当初、目も眩むようなイケメンを前に舞い上がっていた来未は、徐々に心が落ち着くにつれ、両親の頭痛の原因を理解するようになった。
「おい、さっさと問題解けよ」
フワフワと浮かんでいた妄想の世界がその言葉に霧散し、来未は一瞬で現実世界に引き戻された。
「先生、夢を壊さないでくださいよ」
そこは『来未さん、手が動いていませんよ』と優しく敬語で諭すのが正解だ。伊達でもなんでも眼鏡をかけていれば尚申し分ない。
「はぁ?」
「そんな喋り方したらお里が知れちゃいますよ。せっかくの王子様キャラが台無しじゃないですか」
「勝手に変なキャラ設定すんな」
不埒な妄想のネタにされた誠の方こそ眉を顰める。
「つか、さっきから全然進んでないじゃん。その問題初歩中の初歩だろ。一分で解け、一分で」
「無理ですよ」
「この前教えた公式使ってみろって」
ほら、これこれ、と誠が捲ったページには蛍光ペンで大きく丸をされた公式がある。現役バリバリの教科書なのに、誠はそこに容赦なくボールペンでグルグルと花丸を書き足した。
「理数系の問題ってきちんと解き方があるわけ。それに気付くか気付かないかってだけの話なんだよ。まずは公式を覚えて自分の中に引き出しを作って、あとは問題のパターンを覚えてそれを引き出すだけ。な? 楽勝だろ?」
誠はなんでもないことのように言うが、それは赤い物が赤、青い物が青く見えている人間だからこそ出来ることである。公式を覚えて引き出しを作ったところで、来未にはテスト用紙に並ぶ問題の、どれが赤でどれが青なのか判別がつかない。全部が紫に見えるか、最悪真っ黒黒の黒で「何これ? カオス」みたいになるから困るのだ。
「グダグダ考えなくていいから、とにかく一回解いてみろって」
誠は面倒臭そうに言って、再び手にしていた小説に視線を戻した。
あーあ。勉強なんてちっとも面白くない。
来未の方も一度は教科書に視線を移したものの、すぐに誠の様子が気になってチラリとその顔を盗み見る。
「……その小説、面白いでしょ?」
超絶美形の彼が読んでいるのは、来未が所属する女子ソフトボールの部の間で流行っている今期一押しBL、その名も『秘めた思いは提案箱に』だ。
兄妹七人の貧乏学生の長男、
貧乏であるが故にイジメのターゲットにされる勇利。そして学園内でも一際注目を集める大財閥の令息
「つかさぁ……マジでこんなエロ小説が流行ってるわけ?」
来未の勉強に付き合う傍ら、家に来る度に少しずつ読み進めてきた誠は、既に四巻を手にしていた。
来未が絶対にここは感動するはず! と期待したページも淡々と読み進め、これと言った感情の起伏もないまま誠は気怠い様子でペラペラとページを繰っている。
「失礼なこと言わないでくださいよ! それ、泣けるBL殿堂入りの傑作なんですよ!」
最初にこの小説を発見された時は真っ赤になって慌てふためいていた来未だが、それが二度三度と重なると、諦めの境地に達したらしく、最近は平気な顔で家庭教師である誠にBL話をするまでになった。下手に隠すと誠が除けに面白がるということを短期間のうちに学習したのだ。勉強の方はてんで話にならないくせに、そういった順応性だけは抜群の来未である。
「……いやまぁ、一巻、二巻はともかくさ、三巻以降はヤリまくりじゃん。何この一日一エロみたいな。風邪ひいてんのにキスなんかしてる場合じゃねーだろ。挙句にモブキャラがどんどん湧いて出てきて、どいつもこいつも同性愛者って確率的にありえねーよ。どんな生徒会だよ」
聞き捨てならない誠の暴言に来未は気色ばんで顔を上げた。
「確率がどうとか、そんなリアル女子は求めてないんですよ! ヒメバコはいろんな種類のBLが楽しめる奇跡の小説なんです」
来未はそう言って、誠の手から小説を取り上げた。
「まず主人公の二人はスパダリ王道! でもって、こっちのレイジとイツキは主従関係下剋上、こっちの議長と顧問は年下ワンコ攻め!」
力説する来未の言葉に、誠の頭はオーバーフローを起こす。
「待て待て。そのスパルタ下剋上……」
「スパダリです。ス・パ・ダ・リ!」
来未の言葉が難解すぎて誠は全く理解が追いつかない。
「何だよそれ? PPPoEとか、IPoEの親戚か何か?」
記憶力も計算力も人並み外れて優れているが、誠の頭は興味のないことに割り当てるパーティションが存在しない上に、無駄と判断した情報は即座にゴミ箱に投棄される仕様になっている。そして、今まさに興味のない話が右の耳から入って左の耳へと抜けていったところだ。
「そっちこそ何ですか。お腹が痛くなるようなその名前」
「いやいや、これはネットワークの基本のプロトコル……」
「スパダリはスーパーダーリンのことですよ」
誠の説明には耳も貸さず、来未は外れかかった小説の帯を丁寧に表紙に戻しながら嘆息した。
「分かります? スーパーダーリン!」
握った拳を机に打ち付け力説する来未の勢いと、ドンと鳴った机の音に驚いて、誠は思わず顎を引いた。
「イケメンで、お金持ちで、育児もできて……非の打ちどころのないスペシャルなダーリンの総称です」
「そんな人間いねーだろ」
「いますよ」
来未はそう言って、背後の本棚から一冊の漫画を取り出した。
「例えば、このオメガバ作品は……」
「オメガバ?」
「そういう設定があるんです。男の人でも子供が産めちゃうっていう……一々難しく考えずに公式みたいなものだと思ってくださいよ」
的確な来未の言葉に、誠はなるほどと頷く。
来未は漫画のページを開いて誠の前に差し出した。
「このカップルは大恋愛の末に子供を授かったんですけど、受けが育児疲れで子供に当たってしまうんです。それで、落ち込んでたら……ほらほら! 仕事を切り上げて帰ってきた攻めが、ぎゅっとして……」
来未の説明通り、攻めと思しき白髪の男子が、子供を抱いている黒髪の男子の頭を撫でている。労りの言葉をかけてくれる攻めの優しさにキュンとする受けの背後には、流しに放置された食器の山が描かれており、なるほど確かに大変そうな状況は伝わってきた。しかし、どうにもこうにも誠には、来未が言うキュンポイントが分からなかった。
「『明日は有給取ったから、お前は一日ゆっくり休んでろ』って……分かります? この受けに寄り添う優しさと思いやり! こんなに素敵な男性に愛されるなんて、まさに女子の憧れじゃないですか?」
「いやいやいや」
ちょと待て、と誠は盛り上がっている来未にストップをかけた。
「家事とか子育てって、休日なしの仕事じゃん。生まれたての子供なんて、それこそ寝る時間削って育児してんだぜ? こんな、一、二回手伝ったぐらいでドヤ顔されたら奧さん可哀そうすぎるわ」
自身もヤングケアラーとして乳児の世話をしてきただけに、並々ならぬ思いがある誠に、この漫画の設定は全く響かなかった。
「有給取るより、食洗機とお掃除ロボ買う方が先だろ。つか、金持ちならシッター雇ってやれっつーの」
来未の母なら拍手喝采を送る意見であったかもしれないが、残念ながら子育て経験ゼロの高校生には、リアルな体験談は通用しなかった。
「先生、夢がない……。自分、ガチの人のくせに」
「俺がどうとか関係ねーよ。妄想が過ぎて全く感情移入できんわ」
「そんなに言うんだったら、先生が小説書いてみてくださいよ」
「何で俺がそんなもの……」
「だって、いつもお金欲しいって言ってるじゃないですか。上手く行ったらお金貰えますよ。……ほら」
すっかりやる気をなくした来未は、小説の巻末についていた小説の公募のページを開いて見せた。
「来年三月が締め切りだし、今から考えれば余裕で間に合うでしょう? 出来たら私添削してあげますから」
来未は教科書を引き寄せた後、シャーペンをカチカチ鳴らして、バカにしたようにフンと鼻で笑った。
「ま、女心の分からない先生には無理でしょうけど」
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