12話 宿痾たる狂気
1
“鎌鼬”を追い、レイとツバキは裏山の頂上に辿り着く。
そこには、一人の少女が立っていた。
吸い込まれるような黒い瞳。
月光に艶めく黒い髪。
白いドレスは返り血に塗れ、肩にはマルアードの付けた傷が残る。
「こんばんは、レィナータさん。」
シーニャ=クルス。
魔法学の授業ではレイとラミュマに続いて優等生とされた、平民生まれの少女。
昼にレイが出会ったときは、あどけなさが残りながらも勤勉な子だ、という風な印象を抱いていた。だが、今は違う。強化魔法による斬撃で肩を負傷しているのに、まるで恍惚とした表情で佇んでいる。返り血を指の腹でなぞり、それを人並み以上に長い舌で舐め取った。
「シーニャ……!なんで、なんでこんな事をしたんだ!ラミュマと一緒に居る時の君はあんなに楽しそうだったじゃないか!!」
「ふふ……。なんで?うーん……なんででしょう。
虫は光へ向かわねば生きていけない生き物です。私も、それと同じどうしようもない本能、サガなんです。」
「……話を、する気はあるか。」
レイは駄目元でシーニャに言葉を投げかける。
対話の道が残されているとは思っていないが、それでも言葉を交わした事実が欲しい。だが、その答えはあまりに想定外のものであった。
「えぇ、いいですよ。」
なんとシーニャは、レイの問いに素直に答えると返したのだ。
昼と変わらない、優しげな表情にころりと切り替わって。 隣で警戒していたツバキも、それには驚いた様子だった。
2
「シーニャ。君は何故こんな事をした。いいや、そもそも何故此処に居る。」
「境界を越えるため。魔物と出会う為。」
「何故だ?魔物に心酔したのか、それとも知的好奇心か。」
「魔物と、殺し合いたいから。」
考える様子もなく、するすると流暢に、何一つ躊躇いなく答えていく。
トチ狂った答えに淀みの無い様は、彼女の歪みを感じられた。
「聞かせてくれないか。なんで、そんな事をしようかと思ったのか。」
「はい。良いですよ。」
企みがあれば本来濁すような質問でさえ、シーニャは一切ニコニコとした表情を崩さずに話し始める。
「私、クルスの村っていうところの出身なんです。
そこは田舎でありながら、多くの食べ物を作っては王都へと輸出する大切な役割を担っています。私も、農家の子供です。」
フーニカール王国は王都周辺に大侵攻がやってくる都合上、国内での食糧を自給するには魔物が襲来しない王都より離れた場所で酪農を営む傾向にある。中でもクルスの村は有数の大規模農村として知られていた。
「ある夜、畑の様子を見に出ると痩せ細った狼が2頭、畑を荒らしていたんです。
ああいえ、魔物ではありません。ただの獣です。それに気付いた狼達は逃げる訳でもなく私に襲い掛かりました。」
「その年は寒波で例年よりも冷え込んだ冷夏となり、山や森も食べ物が少なく、獣害も多かった。私達もまた、畑の農作物の3割が不作になる大被害を受けていました。」
「それは……。」
その年には覚えがある。レイが辺境伯として就いた3年後のことだ。
ウズの村でも農業はしていて、本来作られていた農作物の成果が芳しくなかった事を覚えている。レイは近くを流れる大河を利用して流通を発展させる事でどうにか解消したが、それは偶然にも立地が良かっただけに過ぎない。
「狼達は、必死だったのです。本来肉食であるのに穀物を食う。ああしなければ死んでいた。
私は大怪我をしました。右足の肉を噛み千切られ、死ぬ一歩手前に村の自警団に助けられ、一命をとりとめたのです。」
「それは気の毒だったが、それとこれにどう結び付く。寧ろ、戦うのが怖いだとか、そういうのになるんじゃないのかい。魔物は単なる獣以上のバケモノだぞ。」
「違います。」
「違う?」
思いがけない返答に思わず聞き返す。
違う、とは何が違うのか、その対象が何なのかが分からない。
「狼たちは、生きる為に畑に忍び込んで貪り食い、私に見つかったから襲い掛かった。穀物よりも私の方が栄養価が高いから。そこにあったのはただ、生きるという意思であり足掻きでした。」
「そう、美しかった。」
「ただ、生きるために死と生態にすら抗うその様を、そして私自身の死が直ぐ其処にあり全てが無くなってしまう破滅感と、その死が他者により齎される興奮、そして死に向かい行く自分自身!!」
「それから私は、死に近付く限界ギリギリの境界線こそが生物にとっての最も美しいものであると感じ入り、私は再び殺されたかった。それに抗う為の術を磨いた。
私にとってそれは魔法でした。風魔法に適性があったお陰で、魔物とも戦える。だからハーヴァマール王立学院への招待を受けた。」
シーニャはすらすらと自分の境遇を、思いを語る。レイに一切たじろがず、まっすぐに目と目を合わせて話していた。
「私は魔物と殺し合い、死ぬ為に此処までやってきたのです。」
彼女はこの世界の価値観において、どうしようもない程に狂い果てていたのだ。
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