6話 波乱の呼び水
1
「クレイザイン。回復術士を呼べ。
特に上級のだ。怪我を理由に負けられては敵わん。
褒賞は俺の金から好きなだけ出して構わない。だが、必ず1時間以内に此処に連れて来い。出来るな?」
「はっ。畏まりました。」
執事長クレイザインは性根こそ悪いが、命じられたならば行動は的確な物だった。一礼するとくるりと翻り、屋敷の方へと早歩きで向かい、馬を駆り王都へと駆け出す。その行動の速さには思わずレイがおお、と声を上げてしまうほどであった。それと同時に、この朝早く、まだ朝五時前であるというのにも関わらず叩き起こされる哀れな回復術士に心の中で小さく謝罪をした。
自身に向けられた期待をひしひしと感じ、ここぞとばかりにレイは兄へと尋ねる。
「兄上。ご質問宜しいでしょうか?」
「なんだ。」
「兄上は、このカルラシード家において私を毛嫌いなさらないのですか?
姉や父は、そうではないでしょう。」
母の死は、レイを産んだからだとアリェナ達は糾弾している様子であるのに、ロウェオンは到底そうは見えない。その問いに、ロウェオンは珍しく武にまつわらない事であるのに長くの言葉を紡ぐ。
「母は強かった。それだけの事だ。
そしてお前を虐げるのは、母の死を未だ受け入れられぬ父とアリェナの弱さだ。
屋敷の中でお前を嫌う者が他に居れば、それは父らと同じ弱さを持つ者達なのだ。弱さに囚われた者と、そうでない者でこの家は割れている。」
「お前が強ければ、俺の所まで上り詰める。放っておいても良い。」
それを話すと、押し黙った。もう十分だろう、というような表情で顔を逸らす。
レイは驚いていた。興味もなく、一蹴されると思っていたからだ。
(どうやら、僕の兄は性根の優しさと自らを含めた全てへの厳しさが等価であるらしい。)
レイは心の中で小さくそう呟いた。
完全な味方ではないけれど、敵でない人物がカルラシード家に居る。それだけで、心持ちは随分と穏やかであった。
忙しなく湯を浴びて汚れを落とし、正装に着替え、切れた口の中の痛みに耐えながら食事をしているとクレイザインが本当に一時間で回復術士を連れて来た。成程確かに、彼は間違いなく有能であるのは違いないらしい。ただ、らしくなく肩で息をしていたのだから相応以上の労力を払ったのだろう。それにはメリアスが思わず、
「クレイザイン殿は執事の鑑ですね。」
と言った時、その瞬間に兄が少し嫌そうな顔をしたのを治療されながら見過ごさなかった。
かくして、朝七時にはつい先程まで泥臭い鍛錬を繰り返していたとは思えないほどに完璧な状態で屋敷を出る事が出来た。疲労こそは回復しないが、それでも身体の傷は漏れ無く完治している。
2
ハーヴァマール王立学院の戸を叩く。
レイは入った瞬間から、それは悪評か、それとも好評か。いずれについても注目を集めているには違いなかった。目立つ風貌をしているし、服装も敢えて衆目を引くよう男装じみた恰好をして、この国においては異例な短髪の女だ。
だが、今この場においては衆目とは民衆を指すのではない。彼らは殆どが貴族出身の令息・令嬢、ともすれば後継ぎであり次代を担う嫡子すらも居るだろう。故に、ここでこじんまりと収まる訳には行かなかった。
胸を張り、わざと左脚のグリーブと右脚のブーツを鳴らしながらがちゃ、がちゃ、こつ、こつ、と歩いて往く。正面玄関すぐ、事務室に受付を済ませる。書類の記入は侍女であるサリーが行う。
「第二試験は、模擬戦闘で頼むよ。」
敢えて口にして、周囲に知らしめる。周りがざわめくのを感じる。
それでいい。
僕が勝ち、それだけの力があると周囲に知らしめさせる必要がある。例え勝利しても目を集めなければ意味が無い。そういう意味では、このような恰好は正解だったと言えるだろう。
ほどなくして筆記試験をそこそこに終え、第二試験・模擬戦闘へと進める。ここからが本番だ。兄上の期待に応えよう、と気を張りながら、武舞台へと歩を進めていくのだった。
3
第二試験・模擬戦闘試験。
ハーヴァマール王立学院の入学試験は、昨晩アリェナが語っていたように一般にも開かれる祭事となっている。
これは貴族の素養と力を示し、民衆らにもその権威を示す事を目的としているのだ。という名目をよそに、王都の民はこれをお祭り騒ぎとして楽しみにしているし、出店すら出ている有様であるとか。事実、民衆の目に曝す事で貴族らが権謀で不正を行う事はほぼ不可能に等しい。その為、この形式に対して反対意見はほぼ無い。反対をするという事は自分が恥を晒す、即ち自信が無い事を知らしめす事に繋がるのだから。
こんなものを見せて守秘すべきものは無いのかと不安になるところではあるが、第二試験はあくまで外で学んだ技術を入学時に披露するだけであり、学院のものはせいぜい武舞台に観客を招く程度しか見せていないのが上手いやり口だ。
これは模擬戦闘試験と魔法披露試験の二つに分かれ、観客もそれらに分かれる。民衆からすれば魔法は滅多に目に罹れないものながら、魔力を込められた魔道具自体は目にする事は多い。何より派手だし、貴族の娘は見てくれも良い。そのため、毎年これらは3:7ぐらいの割合で魔法発表試験の方に観客が詰めかけるそうだ。だが、今回はそうでなかった。
「ひ、ひえ……なんか凄い人数が居るぜ。」
誰ともなくそう零した男子生徒が居た。
いつもは空席が目立つという模擬戦闘試験は、観客席は満員で、立っている人間すらも多く居た。それらの目当ては、間違いなくひとつ。
辺境の英雄。
今や、レイはそんな過ぎた名で呼ばれているらしい。民衆の関心もその英雄に向けられているのも当然であった。もう五年も前の事にはなるとはいえ、その第六王女が男装然とした服装に身を包み、そして本来男ばかりの模擬戦闘に参加しているともなれば、興味も持つだろう。果たして彼女の噂は真実なのかと野次馬気分で参加する者が来たというのか、簡単に推し測れるというものだ。
それに気付いた周囲の男達が恨めしそうな表情をしてレイを睨む。彼らにとっても晴れ舞台なのだから、自分達でない、それも女が注目されるというのは面白くないだろう。この為に入学までに特訓する事だって少なくないのだ。
(少しばかり、悪い事をした。)
注目されていなくては自らの目標は果たされない。だがそれにしても、彼らにだって大事なイベントだったのにそれをかすめ取ってしまったのはなんとも罪悪感があった。彼らだって親や従者たちの期待を背負ってきた者達であるのに。だが、首をすくめたりはせず、その視線に真っ向から立ち向かう。
そんなレイの前に、デカブツが現れる。
身長は長身であるレイよりさらに高く、筋肉質な体つきをしている。赤茶けた髪に、三白眼の目つきが特徴的な青年だった。
「面白いじゃねえか。
普段よりも人が居るなんて燃えるだろ!俺達貴族が人の目で恥ずかしがって動けねえ奴なんて居るもんか!?
それに、これは寧ろ俺達の力を見せつけるチャンスじゃねえか!なあ!」
そう一喝すると、じろりとレイを見つめていた連中は目を逸らす。彼のよく通る一声はその場の空気を一変させ、レイに対して敵を見る目から張り合う必要のある好敵手であるのだ、と認識が変わったように見えた。
彼に対し、レイは感謝を述べる。
「ありがとう。君のお陰で助かったよ。
好奇や敵意の目で見られるのは慣れてはいるが、やはり気持ちのいいものではないからね。」
「ああ?
何言ってやがる。俺は思った事を言っただけだ。
女の身で此処に居るんだ。強いんだろうな?」
青年の殴りつけるような大声にも、レイは怯まずに目を見据えて返す。
「強いよ。」
「へえ。」
その言葉に青年は嬉しそうに返す。随分と血の気が多いが、この国はつい四半世紀ほど前にも大きな戦があった。武勇こそは貴族の誉れであり、武功を立てる為に能力を鍛える事は推奨されているからだ。それでも、兄・ロウェオン程にストイックな人間は珍しいが。
「俺はバリガン=シグジル。シグジル家嫡子。この学年で一番になってやる男だ!」
シグジル家。サリーのアトリーズ家と同じく、領土を持たない貴族のひとつだ。
彼らは領土を持たない代わりに王都やその付近に居を構えている。王都の防衛ラインでもあり、貴族でありながら軍人でもある。『戦貴族』と呼ばれる事もある者達は、特に戦に必要な技術を子に叩き込むと言われている。目の前のバリガンも、その巨体と剛腕から同じくしてその結実が伺える。
「僕はレィナータ=フォン=カルラシード。宜しくバリガン。」
「カルラシード家の……ああ、辺境の英雄とか言われてるのがアンタか!よろしくな!
言っとくが、王族でも手加減なんざしねえんで。」
「当然だよ。もし当たったらお互いに全力を尽くそう。」
握手を交わす。学院に来て初めて見知ったのは、随分と気持ちのいい青年だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます