7話 『左』
1
サリーの左腕が、肘から先が半成体の
つまり、もう両掌から放つ魔法を放つ事は出来ない。
炎の火球はもう無いのだ。
「ツバキ!!毒は!」
「あと、ひとつ!!」
恐れを振り払うように残る二人は大声を張る。
サリーが庇い、吹き飛ばされたレィナータは畏れ、身体を震えさせて動けない。
咄嗟にツバキが飛び込んでレィナータを抱き締め、助け出す。
「待って、サリーが……」
ツバキの腕の中でレィナータが囁く。しかし、左腕を失ったサリーはそれを言い切る前に大声で遮る。
「当然!お嬢様を、お守りして!!」
その言葉に合わせるように、ツバキが強く抱きしめた。
ニコリ、と微笑むとサリーはゆっくりと気を失う。
サリーの左腕を食う半成体の壁猪にメリアスが飛び掛かる。
「返せ!!」
木剣で甲殻を打ち付けるも、幼体よりも甲殻は強く張り付き、剥がれない。
メリアスはさらに強く薙ぎ払うも、ついに木剣が折れる。
その一撃は不快であったようでサリーの左腕を口から落とし、今度はメリアスの左足に食いかかる。
「がッ、あ、あっ……!!」
メリアスは痛みから声を漏らすも叫ぶ事は無く、左足を口から振りほどこうとせず、背の甲殻に指を突っ込み、両手で強引に剥がし始める。
これには驚いたようでブゴゥ、と唸り声をあげる壁猪だが、メリアスは意にも返さずただ甲殻を剥がす事だけに注力する。
そして、剥がしきる。
「ツバキ!!毒瓶を!!」
その声に合わせ、ツバキは毒瓶を投げつけ、受け止めたメリアスが瓶の中身を壁猪の露出した肉にぶちまける。
壁猪はその激烈な痛みから怒り、さらに齧り付いた口の力を強める。だが、メリアスはそれにすら一切揺るがず、暴れる壁猪にしがみつく。
(この個体だけは、身体が大きい。)
(その分、力も強い。甲殻も頑強で、頭も回る。)
(だから絶対に逃さない。此処で殺す。)
(お嬢様に、レィナータ様に、手出しはさせない!!)
咄嗟に、先程扉を開けた際に投げ出した松明を拾い上げ、壁猪の背へと突き刺した。
その松明の炎が消えるよりも早く、半成体の壁猪は絶命した。
壁猪の命が、その身体から生気が失われていくことへ安堵し、気力のみで押し留めていたメリアスの意識はそこでぷつりと切れた。
メリアスの左脚は、膝の先から無くなっていた。
2
サリーとメリアスの奮闘で、
しかし、まだ一匹残っている。さらにもう、毒瓶は無いのだ。
幼体の残る一匹は、他の仲間が死んだ事に驚いたのか暴れ狂っている。
「ツ、ツバキ……。」
不安気な顔のレィナータをツバキは優しい顔でにこり、と話す。
「大丈夫。わたしに、任せて。」
震えるレィナータを優しく撫で、草陰へと隠す。
ツバキは荷車から包丁と油壷を出すと、包丁を構え、油壷を抱えて暴れる幼体の壁猪の元へと一気に走り抜ける。
壁猪はツバキに驚き、そのまま突っ込んでくる。
その壁猪に、油壷を投げる。仲間が死に慌てふためいている壁猪は、思わずそれを牙で薙ぎ払い、撃ち壊す。
そして油をもろに被り、油まみれになった壁猪は止まれず、そのまま屋敷の壁面に突っ込んでいく。
「今だ!!」
壁猪が屋敷の壁に追突した瞬間に飛び掛かる。
その瞬間、壁猪は暴れ回り、牙を大きく振り回し、ツバキの胸の中心に突き立て、そして右肩へ向けて突き抜けた。
鮮血が飛び散り、ツバキの顔が苦痛に歪む。
「っ、………………!!」
下がり、胸から牙を抜くと次はツバキの左眼を狙って突き刺し、躱す事も出来ずに深く突き刺さる。
「がっ、ううっ……!!」
その痛みにすらぐぐ、と歯を食いしばる。
だが、その際に勢い余って壁猪は転倒した。その隙を、ツバキは見逃さなかった。
壁猪の腹を、正確に心臓に向けてただまっすぐに突きたてた。
油まみれで滑るのに、心臓までは多くの硬い肉があるというのに、包丁は少しもずれずに差し込まれていく。さらに左手で押し込み、力いっぱいに全体重をかけて潰す様に押し込む。
今度はツバキのものではなく、壁猪の鮮血が撒き散らされ、一声鳴くと壁猪は絶命した。
ツバキは安心したように、後ろに倒れ込む。
はっ、はっ、はっ、と小さく息継ぎをしている。痛みに悶え、意識も朦朧としている。
こうして、三人のメイドにより、カルラシード伯が起こした壮大な暗殺劇は失敗に終わったのだ。
だが、倒れ伏している三人の従者という大きすぎる犠牲は避けられないものだった。
「あ、ああ…………。」
声を上げる訳でもなく。
ただ茫然と、声を漏らしてしまう。
違う。
此処でする事はそうじゃない。
ただ現実に打ちひしがれるだけでは、皆は死んでしまう。
「っ……ぅ。ふー……っ。ふー……!!」
「逃げるな、震えるな、ここで立ち止まれば、皆、皆死ぬんだ……!!」
涙をこらえて、声を抑えて。
レィナータはウズの村へと走り出した。
彼女達を助ける為には、立ち止まってはいられない。
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