4話 レィナータとメリアス

 メリアスは苛立っていた。


 貴族であるのに爵位を捨てるというのか。

 貴族であるのに自治権を放棄するというのか。

 貴族であるのにメイドなぞに媚を売るのか。


 メリアスの中の貴族たらんとする価値観とは、レィナータはまるで真逆の存在であった。

 夢を砕かれた自分が、彼女に仕えているのに彼女は貴族らしくあろうとしない。

 ましてや彼女は、王侯貴族の中でも頂点に近しい存在であるのに。


 二ヵ月が過ぎた頃。日課である修練を終えた後、庭にレィナータがやってきた。


「お嬢様。お体はよろしいのでしょうか?」


「うん。なんだか、凄く楽なんだ。」


 レィナータはそう答える。やせ我慢でも無さそうだ。

 本当に身体の動きから緩慢さは消え、青白かった肌は血気を取り戻している。


「この村の環境が良いからかも。村人皆と、メリアス達のお陰だよ。」


「そう……ですか。喜ばしい事です。」


 メリアスの心中は複雑であった。

 今はカルラシード家に仕える身だ。そして、カルラシード家の主人よりレィナータに仕えよと命じられている。

 即ち、彼女が死ぬまでこの辺境の地からは離れられない。

 彼女の身体が十全となるにつれそんな事を考えてしまい、仮にも王に捧げる騎士を志していた自分に嫌気が差してしまう。尤も、騎士という道はとっくに断たれたのだが。


「メリアス。メリアスは、剣が上手いよね。」


 その言葉にびくりとする。

 彼女は、自分の処遇を知っている筈なのだ。いや、知らない訳がない。


「ねえメリアス。聞かせて。貴女はなんで、此処に居るの。」

「ゲイルチュール家の娘でしょう。」


 心拍が早まるのが分かる。それは自分にとってどうしようもなく知られたくのない弱所であるのだ。

 いや、彼女の聡明さはこの二ヵ月でメリアス自身も痛感している。

 だから、知らずに聞いている訳がない。

 不興を持たれる事を承知で告げる。


「……お嬢様は、知っている筈です。」


 メリアスの捻り出すような言葉に対し、ぴしゃりとレィナータは言い切った。


「メリアスの言葉で聞きたい。」


 その言葉を告げる時、レィナータの青い瞳は真っ直ぐとメリアスを見つめている。

 訴えかけるような、飲み込まれそうなほど美しい瞳は拒絶の言葉を打ち破った。


「……わた、し、は。」


 ぽつりぽつりと語り始める。

 王宮騎士団の入門試験で圧勝し、入団した事。そして、王子の暗殺を目論む国家反逆罪で捕まった事。それを王子殿下の温情で死罪となる所を見逃され、カルラシード家に仕えよと命じられた事。

 何故、分かり切った内容を言わせるのか。屈辱で仕方なかった。身体は震えていたし、動悸が激しく止まらなかった。


「違うよ。」


「えっ。」


 素直に、神前裁判にて罪を独白したそのままを語ったというのに、レィナータはそれを違うと言い切った。

 メリアスは混乱し、天地がどちらか分からぬほどにめまいがした。


「そんなのを聞きたい訳じゃない。」

「メリアスは、どう感じたの?本当は何があったの?」


「それ、は。」


 神の前での独白は、自らの罪の贖罪だ。

 王の前で吐いた言を翻すという事は王の言葉に歯向かうという事にも等しいのだ。

 だから、例え真実がどうあれどメリアスはこの言葉を真実としてレィナータに吐いたのだ。これは嘘ではなく、メリアスなりの真摯さ、ひたむきさであった。

 にも拘わらず、目の前の少女はそれを違うと切り捨てた。


「違うよね。」

「メリアスは、無実でしょう?」


 身体がぞくぞくと震えた。何を言っているのかこの少女は。

 王の決定に歯向かうとでもいうのか。

 彼女が、知らぬ事を言い放つ無能でないと知っている。彼女は聡明であるとは嫌という程に知っている。


「教えて欲しい。何があったのか。メリアスは、その時何を思ったのか。」


「~~~~~~~っ。」


 メリアスの身体は震えていた。溢れそうになる涙を堪えた。

 そしていずれ、ぽつり、ぽつり、と話し始めた。


 私は、暗殺を手引きなどしておりません。

 私は、国家を転覆させようなぞ思ってはおりません。

 私は、生かされている事実が屈辱でなりません。死罪にせぬのはこう生きれば同じ目に遭うぞ、という生き恥でしかないのです。

 私は、それでも生きねばならないのです。王子殿下が諮っていたとしても、ゲイルチュール家が温情を受けた事実は確かなのです。それを反故にしては、私のせいで家そのものを取り潰す事になるのです。


 最後の方は感極まり、泣きながら話していた。

 嗚咽だった。誰にも言えぬ弱さだった。

 それを、年端も行かぬ少女に全て吐き出していた。


「そっか……うん。辛かったよね。」

「ここは、王都じゃない。王国領ではあるけれど。」


 レィナータはそう言うと、メリアスが振るっていた練習用木剣を手に取る。


「騎士メリアス。」


「!!」


 今、レィナータはメリアスを騎士と呼んだ。

 廃嫡され、家名も今や失い、立場もなく、見逃された罪人でしかない自分を騎士と呼んだのだ。


「汝、天上におわす戦が神ハールバルズへと宣誓するか。」

「騎士として、我が身元へ誓いを立てる事を。」


 バカげている。

 メリアスは罪人なのだ。なのにも関わらず、レィナータはメリアスへ騎士の誓いを立てさせようとしているのだ。

 正式な場であれば王にも歯向かう行いだが、レィナータであれば違うだろう。

 謂わばこれは、『ままごと』だ。


 主は僅か十歳。

 剣は木剣。

 場所は庭。

 騎士は罪人。


 『ままごと』と言うしかない。だが、『ままごと』である以上、これを弾劾した者が居たとして、恥を被るのは弾劾した側だろう。

 メリアスは十歳の主に跪く。


「――誓います、我が主よ。」

「私は、国に奉仕し、臣民を守り、友を援け、悪の暴虐を挫き、そして主に我が身命を賭すことを。」


 木剣で肩を叩く。

 左手をメリアスの眼前に差し出し、その左手にメリアスはキスをした。

 本来の締めくくりである最後の文面は、「神の御元において汝が罪は濯がれ、騎士として遍くを守護せん」であった。だが、違った。


「『我が』御元において汝が罪は濯がれ、騎士として遍くを守護せん。」


 メリアスは神に許されぬ。されど、自分の前でだけは赦されると言い放ったのだ。

 メリアスは最早、隠す素振りもなく泣いていた。レィナータの左手には大粒の涙が落ちていた。

 そして、誓った。


(何があろうと、私は貴女を最期まで守り通します。)


 それは騎士として、メイドとして、神に誓うでなく、主に誓った言葉であった。

 今この時を以て、彼女の主はカルラシード家でなく、王国でなく、レィナータ=フォン=カルラシードとなったのだ。

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