桜という景色に動かされ。
僕という人間は、その時まで「好き」という感情がわからなかった。もしかしたら知ろうとしていなかったのかもしれないが、その真偽は定かではない。自分でもわからないのだ。
季節は世の中的には桜と騒がれるとき、僕が住む北海道稚内市ではそんなことはなかったので、テレビ越しの夢物語だった。入学式にはよく桜をイメージした飾りつけをされるが、僕の感覚的には「ああ、これが大勢の感覚なんだな」と勝手に納得し、それを結論付けた。笑えるのが、僕の住む地域の入学式では入学生が歩く花道に、桜の木を模した結構大きな置物がおかれる。これは傑作だなと思った。
日本人はよく四季に美観をもつといわれる。実際そうであり、外国から来た人が「日本人はなぜこんなに整った自然にこだわるんだい?ほかにもすごいところがたくさんあるのに」と言われることがあるくらいに、だ。それくらい、異国の人からしたら不思議なことなのだろう。
僕自身もすごく自然に対する意識が強い。というか、自然と僕の人生と思い出を結びつけることが多い。僕の人生を日記だとすると、ほとんどが絵日記みたいなものだろう。そのくらい、視覚に助けられてきた人生だったのだろう。今も変わらない。
僕の好きという感覚は、この桜の季節に生まれたものだった。これが初めてだ。
新学期が始まって間もないころ、書道の授業があった。僕はあまり時が得意ではなかったので、こっぱずかしい字を書いていた。今にして思うと、別にその時初めて汚いのを自覚したのではなくて、ずっと前から、アダムとイブからもう僕の字は決まっていたんじゃないかと。そういうくらいにはずっと汚かった。だからそんなに思うことはなかったのではないのか、そんなふうに思っていたりする。
小学生のときは席がくっついていたりしたなと思い出した。今やテストのためなのかわからないが、左右は離れている。しかも、男女をジグザグに挟んで席を構築するということもあったな。到底僕には理解できない。どんな意味があるのか、まあまあ成長した今、当時の先生に問いただしたいような気もする。
そんなわけで当時は机が横にあったわけだ、僕の横には僕とは違う性の女の子、内心「はぁ...。」と思っているのは内緒である。僕はとても女の子が苦手なのである。それは好きな子ができた後でも、一緒だ。僕が今男だらけの高専なんてところにいる理由もわかってしまうくらいには、な。
隣の女の子の字を見てみると、すごくきれい筆が動いていて、そこには何だろうか。彼女のことは何も知らないながらも、これは彼女自身が埋め込まれているんじゃないか、というほどの特別な字だった。彼女がそういう風に思って書いていたのかはわからないが、そうでなかったとしたら「僕にとって特別な字であった」そうでいい。あれは誰が何と言おうと、特別な字なのである。
そんな風に考えている僕は、案の定彼女の字にくぎ付けだった。考えているというかは、妄想のほうが適しているだろうか。なんにせよ、頭の中で彼女に対するものを考えていた。
隣のやつがいきなり自分の字を見てきたらふつうは怪訝な顔をしてくるだろう。当時の僕はそこまで考えるほどオツムが追い付いていなかったのか、それとも彼女の字に見惚れてしまい余裕がなかったのかわからないが、とにかく周りから見たら変な奴だっただろう。今頃になって考えてしまうが、なぜ当時の自分はそう思わなかったのか。まだ自分自身が未熟だったんだなと自覚させられる。
一生彼女の字を見ていたい、そのくらいの勢いで集中して見ていた。ゆえに目の前の彼女という人間は動かないでまるで時が止まっている世界に僕という人間がただ一人いるものだと、なぜか勘違いをしていた。いや、どちらかというと勘違いではなく、妄想の域なのかもしれない。僕のその勘違いもしくは妄想を打ち破るように彼女は動いた。僕は自分の予想を打ち破ってきたことに驚いたのか、ノックバックを食らうかのように首を後ろに下げた。
しばらく首を後ろした後も、彼女の顔を見続けた。これは、先ほどのような「字がきれい」というものではなく、「なんだこいつ?」という感情が主である。自分の予想を超えてきた事象について自分自身一生懸命分析をしていたのだろうとは思うが、きっと分析しきれず彼女の顔をただぼーっと見続けるように、黙っていたのだと思う。今思うと、先ほどのも会いまってかなりの変人だとは思うが、彼女は何も言わなかった。よくあるの若い女の子がしているようなのドン引きをしている顔もしなかった。一体彼女が何を考えているのか、俺には全く分からなかった。
僕がそうやって黙り込んでいること十数秒、徐々に正気に戻っていたのか夢から覚めるような感覚が僕を現実世界に引き戻そうとする。この表現が正しいのかわからないが、少なくとも身近な感覚的なもので形容しようとするとそういいう風になると思う。
そのとき、この不意をつくには最適だと思われるこの時に、彼女は僕のほうを向き、
笑った――
その時、僕の心臓が、僕の心が、僕の脳が、バグを起こしたかのように黙り込んだ。まるでゲームでクラッシュしたかのように。
よくパニックで頭が真っ白になったと表現するときがあるが、今回はそうではない。どちらかというと、真っ青、うすい碧に包まれていたと思う。
彼女の笑顔はすごかった。きっと彼女にしたら、いつも皆にしている笑顔なのだろう。だけども、何か違うものを感じた。これこそ思い込みかもしれないが、絶対そうではない何か違う「感覚」が僕に与えられた。人の笑顔というのには、社交辞令や思い合いなど、笑顔そのものに抱かれる感情とは別な「いらないモノ」が入ってるだろう。上司が一発ギャグをして鼻で笑うわけにはいかない。盛大に笑ってあげるのが大半の人々だろう。そのような笑顔そのものではないものが含まれている笑顔と比べると限りなく透き通った、彼女の笑顔はすごかった。きっと限りなく透き通っているからこそ、僕の頭の中、というか僕のすべてが白い世界に包まれるのではなく、碧く染まったのであろう。
このとき、僕の中で恋に落ちるというその言葉を身をもって理解した気がしている。この時に恋しなければ、いつするんだ。そういうレベルの衝撃であった。
恋というものは、案外予想していないときに来るものである。僕は、恋をすると思ったときに来るものだと思っていたが、どうやら世の中はそうではないようだった。
僕は、この恋を大事にしたい。さっきから僕の予感や予想というのはどうにも外れている気がするが、これは実力でどうにかできるのではないかと思っている。運や他人任せにして何とかなるものではない。きっと、自分の力でその想いをかなえ、自分の手で理想を創り上げるのだ、と。彼女に恋した僕は決して一時的な、たった一瞬で終わるようなチンケな恋じゃない。中高生カップルが「わたしたちこのままけっこんだよね」とか言うのと今は同じだろう。だけども、僕はこの恋にこの人生を
笑った彼女の後ろには中庭を望む窓。うちの中庭は凸凹してきれいなわけではない。
けど春になったら少し印象が違うんだ。一本の桜の木が「今年も咲きましたよ」と言わんばかりに主張してくる。そこに聳え立っているのはソメイヨシノ。樹齢は約50年ほど。そこらのソメイヨシノにしては若いほうではないだろうか。だけども、50年もそこにいれば、僕たちのような人間ももういくつか見てきただろう。
その経験で教えてほしい。
「僕の恋はいったいどこに向かっていくのだろうか。」
あまりにも無茶な質問だっただろうか、質問した後に少し反省をする。が、それでも答えてくれんではないのか、という淡い期待を抱きつつ
もちろん僕は彼女の顔にフォーカスがあっている。だけども、その後ろに静かにたたずむソメイヨシノ、キミがいてこそ、僕の恋が成り立つのかもしれない。
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