第5話 匂いフェチ

 そんな板倉は、

「臭いのトラウマ」

 として、子供の時の、

「交通事故」

 そして、中学生の時の、

「生理の女の子」

 という意識があったのだ。

 それから、自分が少し変な性癖になったということに、ウスウスながら気づいていたが、なるべく自分の中で否定するようになっていたのだ。

 どうしても忘れられない臭い、それが、

「酸っぱいのだが、鉄分を含んだ、血の臭い」

 という一見、共通性のないものが、自分にとっての正当性というような感覚になってしまったのだ。

 だから、

「臭いが混じって、まったく違うものになった時、そして、その中には、血を思い起こさせる、トラウマのようなものが頭の中にある」

 というそんな状態になった、性癖を感じるのだ。

 だから、一般的に言われる、

「匂いフェチ」

 とは違っているのだ。

 あくまでも、

「いい匂い」

 というものではなく、本当であれば、嘔吐を催すかのような臭いでないといけないものであるはずあのだが、実際にはそうではない」

 というものになっているといっても過言ではないだろう。

 そんな中において、臭いを持った人が好きであり、他の人であれば、嘔吐を催すような臭いであるもの、どうしても、

「血の臭い」

 というものを想い起こさせるものが、どうしても、必須だということであった。

 しかも、汗の臭いなども、必須ではないだろうか?

「酸っぱい臭い」

 というのが、汗の臭いだということを感じると、

「生理の臭いの時、あの子は運動をしていたので、汗を掻いていたのは、間違いのないことだ」

 ということである。

「汗を掻いたり、汗が、酸っぱい臭いになるという時は、どこか切羽詰まったような、そんな感覚が残るのではないか?」

 ということが考えられた。

 汗を掻いた時の臭い、これは、今でも、好きだった。

 ただ、どうしても我慢ができないのが、その汗を隠そうとして、香水をまき散らしている連中である。ただ、普通の女性であれば、それほどのことではないのだが、外人などで、

「あまり風呂に入る習慣のない国の連中が、香水などで、臭いをごまかそうとしている時の臭いは、たまったものではない」

 あの連中に関しては、弁明の余地はなく、許されることではない。

 特に、都心部に行けば、コンビニ、ファーストフードなどで、従業員というと、そのほとんどが、

「外人どもだ」

 と思うと、コンビニで買ったり、ファーストフードの店は控えようと思うのだった。

 外人ばかりが、優遇されるという考えは、これ以上嫌なことはない。

「なぜ、日本人がいないのか?」

 ということを考えると、悪いのは政府の政策なのかということ以外に、何が考えられるというのか、妄想になってしまう。

「日本人の女の子の素直な臭いというものを、フェチとして愛でているということになるのだ。

 そんな彼女への、

「臭い」

 というものが、時には、フェロモンのように感じられることがある、

 板倉は、つかさの中に、独特の匂いを感じていた。

 それは、決して、

「鼻を衝く」

 というような、強烈なものではなく、まさにフェロモンを感じさせるもので、

「これこそ、女性というものの匂いなんだ」

 という思いであった。

 つかさにも、何か、男に対して感じる、

「臭い」

 というものがあったようだ。

 確かに、いつも、きれいにしてから行こうとは思っているのだが、どうしても、店に通う途中で、汗を掻いてしまうこともあるだろう、

 自分ではその臭いは分からない。

「ごめんね。臭うだろう? 先にお風呂にしようか?」

 というと、

「いいえ、いいの」

 と言って、抱きついてくるのだ。

 それは、服の上からであるが、相手との空間を少しでもなくそうというような気持ちがハッキリと現れているのだった。

「まさか、何かの匂いフェチなのかい?」

 と聞くと、

「ええ、お父さんの匂いを思い出すの」

 というではないか?

 いろいろ話を聴いてみると、

「私は妹がいるんだけど、普通だったら、姉の方を普通は可愛がるでしょう? でもうちは逆なの、私よりも妹の方を可愛がって、どうしても、姉の私には、愛情を注いでくれなかったの」

 というではないか。

「じゃあ、妹さんを恨んでいるの?」

 と聞いてみると、

「いいえ、妹に罪はないと思っているんだけど、親に対しては、当然恨んでいるわ」

 という。

「親って、どういう人なの?」

 と聞いてみると、

「私の親は、お父さんが学者なの。そして、家系には、学者や医者が多くて、まあ、エリートの家庭という感じなのかしら? でも、うちの代になると、どうしても、男の子が生まれないので、そのジレンマのようなものがあったのか、妹が生まれた時、なぜか、妹にばかりかまって、私には構わないというおかしなことになったのね」

 という。

「妹が知能が発達していて、それで、贔屓したとか、そういうことなのかな?」

 と、言ってすぐに、

「あっ、しまった」

 と言った。

「こんなことを言ってしまってはいけなかったのかも知れない」

 と思ったのだが、それは、知らず知らずに、つかさをディスっていたのかも知れないからだ。

「そうかも知れないわね。私もそれほど成績が悪かったわけではないけど、妹のIQはmとんでもなく高かったようなの、だから、両親は、

「男の子ではないけど、妹を後継者に選ぼうと思っていたのかも知れないわね」

 という。

 そんなことを聞くと、

「妹の旦那になる人は大変だ。下手をすれば、種馬にされてしまわないとも限らない」

 と思った。

 そういえば、昔、喜劇映画のようなもので、

「女性が強い家系で、男が種馬にされている」

 というような内容だった。

 最後は確か駆け落ちをしていたようだが、少し、センシティブな内容だったような気がする。

 そんな家庭だったようだが、

「それにしても、こんな話をよく俺にしてくれたものだな」

 と思ったが、それが、

「俺だからしてくれたのか?」

 それとも、

「お客さんには皆にしているのか?」

 と思ったが、こういう接客業で、皆にこんな暗い話をしていたら、指名件数は一気に減っていくことだろう。

 それを考えると、

「俺だけじゃないとしても、できる人はちゃんと見極めているんだろうな」

 と感じるのだった。

 さすがに、いくら話しやすい板倉であったとしても、さすがにこんな話を聴かされると、少し重たい気分になるのは、当然であった。

 だから、しばらく、つかさのところに来なかったというのも、納得できるものだった。

 そういうこともあってか、ソープ自体にいかなかった。

 精神的にも、癒しを必要とするというよりも、仕事が忙しくなって、体力的に、きつかったこともあり、

「癒しよりも、休養」

 ということで、

「休養こそ、癒し」

 ということになっていたのだ。

 そんな時、ソープというのは、却って体力がいるということで、下手に行くと、あまりそれまで感じたことのなかった。

「賢者モード」

 に陥ってしまいそうで、

「これでは、本末転倒になってしまう」

 と考えるようになったのだった。

 そんな状態であったが、ソープにいく代わりに、アルコールでの、

「癒し」

 を求めるようになった。

 週に2回くらい、バーに行くようになっていた。

 そのバーは、取引先の方に教えてもらったところなので、その人は来るかも知れないが、少なくとも会社の人が来ることはない。

 その取引先の人も、今ではほとんどたまにしか来ないということだったので、

「この店は、俺が常連になっても、別によさそうだ」

 ということで、よく行くようになったのだ。

 マスターと話が合うということもあったし、何よりも食事がおいしかった。

「おいしい料理を食べながら、カクテルをゆっくりと呑む」

 実に請託な時間の使い方だった。

 実は、

「馴染みの店を持ちたい」

 という気持ちは、結構昔からあった。

 その気持ちは、学生時代からあったのだが、学生時代には、近くにいい店というのも見当たらなかったし、就活などが、思うようにいかなかったので、

「呑みに行こう」

 という気にならなかったのだ。

「呑んで忘れる」

 というのは、ストレスが溜まっている時であろうが、この時は、ストレスだけではなく、リアルに悩んでいたので、そんな時にアルコールに走ると、自分でもどうなるか分からないと思うようになっていたのだった。

 そんな馴染みのバーで、時々一緒になる女性がいた。

 彼女は、板倉のことを意識しているようで、最初は分からなかったが、さすがに、その視線を感じるようになった板倉も、彼女を意識するようになった。

 というのも、

「何か誰かに似ているような気がするんだよな」

 という思うがあったからだ。

 それは、雰囲気を感じるというよりも、顔が何となく似ているという感じであった。

 むしろ、雰囲気が違っていることで、すぐには誰に似ているのかが分からない感じだったのだ。

「一体誰に似ているというのだろう?」

 と思っていたが、何度か会っているうちに分かった気がした。

「そうだ、つかさに似ているんだ」

 と思ったが、何かそれだけではないような気がした。

 そう思ってみると、

「ゆかりにも似ている」

 と感じるようになった。

 もっとも、ゆかりとは、相当会っていないし、何よりも、もう二度と会えない相手ではないだろうか?

 それだけに、一度、

「ゆかりに似ている」

 と思ってしまうと、その思いを拭い去ることはできない。

 なぜなら、その思いを拭い去ろうとするならば、それは、

「ゆかりとも再会」

 でしかないはずだ。

 しかし、そんなことは、もうありえない。

 だとすると、ゆかりへのイメージを一掃することはできないということで、

「ゆかりに似ている」

 という印象を消すことはできない。

 そのイメージの中で、それでも、最初に感じた、

「つかさに似ている」

 という思いは、さらに強くなってくる。

 なぜなら、消せない思いがある中でも、消えない印象なのだから、それは、相当なものであることは分かり切っているようなものだった。

 彼女がなぜこちらを意識するのか分からなかったが、

「もうそんなことは、どうでもいい」

 と思うようになった。

 この思いは、

「徐々に膨れ上がってくる、自分の中の想いのたまもののようなものだった」

 そのうちに、

「俺は、この人に会うために、今ここで存在しているのではないだろうか?」

 とまで思うようになっていた。

 話をするようになったのは、いつからだったのか、店で会うようになって、一度話しかけようと思ったが、勇気がなく断念したのだが、すぐに、その気持ちが解消され、今度は普通に話しかけることができたのだ。

 普通であれば、一度勇気が出ずに、引き下がったのであれば、次の機会まで、しばらくかかるはずだ。

 それは、まるで、

「賢者モード」

 に近いのではないか?

 と思ったのだ。

 一度、自分の中で、絶頂の気分に達した時、それが成功してもしなくても、その後に訪れる倦怠感は、ハンパではない。

 これは、女にはなく、男特有のものだった。

 この性欲に関しては、

「男が圧倒的に損だよな」

 と感じるものだった。

 ただ、中には、この賢者モードをほとんど意識することもなく、快感を保ったまま、復活も結構早い人はいるだろう。

 どちらかというと、板倉もそのタイプだった。

「ひょっとすると、つかさのおかげかも知れないな」

 と思っていた。

 実際に、彼は、女性というとつかさしか知らない。

 いわゆる、

「素人童貞」

 だったのだ。

 つまりは、ゆかりとも、結局一度もしていなかった。そのことが、自分にとって、

「よかったのか、悪かったのか?」

 どっちなのか、自分でも分からない。

「下手をすると、一度でもしていて、心の中に、そのゆかりとの快感が忘れられないでいたとすればどうだったのか?」

 そんなことを考えると、複雑だった。

 もう、二度と会うことのない人のことを考えても、仕方がないということは分かり切っているはずなのに、何か、板倉のなあで、どこかおかしな気分になっていたのだった。

「確か、ゆかりという女は、何かコンプレックスのようなものを抱いていたような気がするんだよな」

 ということを思い出していた。

「そうだ、確か、ゆかりには姉がいて、姉と比較されることを嫌っているというようなことを言っていた」

 のを思い出した気がした。

 それが、どんなコンプレックスだったか、聴いたような気がするが、思い出せなかった。

 すると、ゆかりのことを思い出しながらカクテルを呑んでいると、何か、鼻腔をくすぐるような感覚があった。

 思わず、鼻がムズムズして、くしゃみが出てしまった。

 すろと、一回だけでなく、何度も出るのだった。

「誰かが、板倉さんのことをウワサしているのかも知れませんよ?」

 とマスターは言ったが、板倉は苦笑いをするしかなかった。

 なぜなら、

「俺のウワサをするのが、ゆかりだったら、そのゆかりは、もうすでに、この世の人ではない」

 ということなので、

「ありえない」

 のであった。

 というのは、

「揺るぎようのない事実」

 ということであり、

「むしろ、ウワサをするのはこの自分で、ゆかりではない」

 と言ってもいいだろう。

 ただ、ウワサではなく、

「自分が抱えていた思い」

 というものを、弾き出しているという感覚だったのだ。

 そういえば、最近は、時々何か夢を見ていると思う時がある、

「夢を見た」

 という感覚はあるのだが、目が覚めたその時には、

「どんな夢を見ていたというのだろう?」

 ということを忘れてしまっているのだ。

 というのは、

「夢は目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」

 という意識があるので、別に、いまさら驚くようなことではない。

 だから、

「お約束」

 と言ってもいいことなのだろうが、それよりも、

「その夢が怖い夢だということではない」

 ということだった。

 そして、思うこととして、

「そのうちに、覆い出せそうな気がする」

 という、根拠のない感情であった。

 一度見た夢で、起きてしまったことで忘れてしまう夢は、

「思い出すことはない」

 と思っている。

 というのは、

「思い出した夢」

 というものは、

「いつ見た夢だったのか?」

 という関連がまったく分からないからだと思っている。

 それが、夢というものの、

「関連感覚」

 と言えるのではないか?

 と思っているのであって、見た夢が、印象が浅かったり、怖い夢にあらずの場合は、

「この関連感覚は、薄いのではないだろうか?」

 と感じるのであった。

 だから、

「ゆかりと一緒にいた時の印象が、今では完全に薄れてしまっている」

 ということを思うと、

「俺は本当にゆかりのことが好きで付き合っていたのだろうか?」

 とも思うのだ。

 別れた原因は、ずっと、

「自然消滅だった」

 と思っていたが、いまさら、ゆかりのことを考えると、

「それが、ウソだったのではないか?」

 という思いを抱いてしまいそうで、おかしな気分になってくるのだった。

 だが、このような思いが、

「もう二度と会えない」

 という事実が、いかに夢に対しての影響を与えているのかということは分からない。

 遭えないという思いが、

「さらなる彼女への想いに至るというのか」

 あるいは、

「会えないことで、必要以上な感情を持つ必要などなく、辛い思いが、心の中に漂っているということになるのだろうか?」

 ということであった。

 ゆかりのことを考えていると、いつも、

「まるで寝落ち状態だ」

 と思うようになる。

 ゆかりのことを考えていた時間が長かったのか、短かったのか、それが自分でもよく分かっていないのだった。

 そんな中において、先ほどの鼻の通りのよさと、くしゃみが出る感覚で、不意に感じてきた匂いがあった。

「これがゆかりの匂い」

 と、そう思うと、

「なるほど、だからゆかりのことを思い出したんだ」

 と、いまさらながらに自分が

「匂いフェチ」

 であるということを思い出したのだった。


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