第10話 助手メイドはセールストークを使わない/カイラ(好感度10)
たまに、無性に身体を動かしたくなる夜がある。
そういう時は、夜も更けて誰の気配もしなくなった頃を見計らって、寮の庭に出る。
そして、静かに降り注ぐ月明かりの中で、身体に染み付いた動きの型を再現するのだ。
昔、ある人に教えてもらったこの武術に、俺は何度も助けてもらった。
柄の悪い奴に絡まれた時とか、俺の出自を知って喧嘩を売ってくる奴が現れた時とかな。
しかし、この武術を使って人を殴って、物事が良い方向に進むことは一度もなかった。
だから俺は、学園の体術の授業においても、まだ一度もこの武術を使ったことがなかった……。
それでもたまに型をなぞらなければ気が済まないのは、結局のところ、頼れるものがこれくらいしかないからか。
何も手に入れることなく過ごしてきた今までの人生において、たった一つ身についたと言えるものが、これくらいしかないからか……。
一通りこなして、軽く息をつく。
シャワー浴びて、汗流すか。
そう考えながら庭から縁側に上がると、横からすっと白いタオルが差し出されてきた。
「どうぞ」
「ん、サンキュー」
受け取って額から流れる汗を拭い、
「ん?」
横を見た。
カイラが立っていた。
「おわっ!? い、いたのかよ!?」
「はい」
気配がしなさすぎる……。
メイドというのは仮の姿で、実はアサシンなんじゃないだろうな?
と思ったが、今のカイラは、その仮の姿でもなかった。
薄いピンク色のパジャマ姿だ。
メイド服を鎧のように着込んでいる普段と比べて、その小柄さや華奢さがダイレクトに伝わってくるような感じがして、どうにも落ち着かない気分になった。
「……見てたのか?」
「はい」
「そんなに面白いもんでもねえだろ」
「いいえ」
カイラは褐色の無表情をそのままに、まるで銃弾を打ち出すように言った。
「美しいと、思いました」
予想外の言葉に、俺は鼻白む。
美しい、だって?
俺が自分を守るために身につけた、ただの暴力の手段が?
「流れるように優美に動く手足、舞い散る汗の雫、真剣な不実崎さまの眼差し……そのすべてが、不実崎さまの生き方を表現しているようで……美しいと、思いました」
「……お前は、俺のことを何でもかんでも肯定するよな。言っちゃ悪いが、ちょっと軽々しいぜ。キャバクラやガールズバーのやり口だ」
「そういったお店を利用されたことが?」
「いや、ねえけど」
ネットの聞きかじりだ。
「わたしは、自分が感じたことを正直に口にしているだけです。この表情では、信じられないのも無理はありませんが」
と、無表情のままに言うカイラは、しかし少しだけ悲しそうな気配を帯びていた。
俺はちょっと焦る。
「いや、まあ、褒められて悪い気はしねえんだけどさ……そういうの、慣れてねえから、ちょっと戸惑うっていうか……」
誰も彼もに遠ざけられてきたし、誰も彼もから遠ざかってきた。
だから、困る。
こんな風に好意をぶつけられても……どうしたらいいか、わからない。
「別に、受け入れてもらえなくてもいいのです」
カイラは半歩だけ俺に近づくと、俺の左手をそっと手に取った。
「あなたのことを想わせてくれるだけでいいのです。ただそれだけでも、わたしにとっては大きな救いになるのです」
カイラの手は小さく、冷たく、どこか寂しげだった。
「カイラ……」
「ただ、願うことなら、たまには一緒に買い物に出かけたり、料理を美味しいって褒めてもらったり、メッセージをすぐに返してもらったり、抱きしめてもらったり、舐めてもらったり、同じベッドで眠ったりしてほしいだけなのです」
「結構強欲だな」
舐めてもらうって何だよ。
確かにチョコレートみたいな美味しそうな肌だけどよ。
「わたしがなぜこう思うのか、あなたはおわかりになられないかもしれません。ですが、わたしにとっては、推理を重ねるまでもない真実なのです」
潤んだ瞳が、俺の目を貫いた。
「ダメ……ですか?」
……ずるいな。
そんな風に言われて、拒否できる男がいるわけねえじゃねえか。
「……うまく処理できなくて、曖昧な態度になってしまうけど、それでもいいなら……」
「挙動不審になっている不実崎さまも、可愛らしくてよろしいかと」
「ますます落ち着かねえ~……」
俺がぼやくと、カイラはくすりと笑った。
……ん? 笑った?
「いかがしましたか?」
驚いて見直すと、いつも通りの無表情がそこにあった。
見間違いか……?
俺はしげしげとカイラの顔を見つめる。
すると、カイラはすっとまぶたを閉じて、何かを待つように軽く顎を上げた。
「……、何してる?」
「キスを待っています」
「そんな流れだったか!?」
そんな積極的な奴に見えたか? さっきまでの俺が!
カイラはまぶたを開けて、少し背伸びをしていた踵を戻す。
心なしか、『流れでいけると思ったのに』みたいな気配を感じる……。
この無表情メイドは、俺が思っているよりも、肉食系なのかもしれない。
と――
そんな気の抜けたやり取りの直後だった。
ギシ……ギシ……という足音と共に、廊下の奥から小さな人影が、月明かりの下に姿を現した。
「なんか話し声が聞こえると思ったら……お邪魔しちゃったぁ?」
どこか人を小馬鹿にしたような、甘ったるい声。
カイラよりもさらに小柄な、小学生のような体格。
しかしそれでいて、肩紐のずれたキャミソールから覗く胸元は、そんじょそこらの大人にも負けないくらい肉感的だ。
この幻影寮に住む、第四の住人。
「せっかくだから、フィオも混ぜてよ。ハーレムの方が気持ちいいよぉ?」
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