第8話 助手メイドはワークライフバランスを整えない/カイラ(好感度5)


 幻影寮の廊下を歩いていると、後ろからギシ……と音がした。


「不実崎さま」


「ん? カイラか」


 振り返ると、メイド姿のカイラがそこに立っていた。


「洗濯物をお忘れです」


「あ、わりい」


 カイラからシャツとズボンを受け取る。

 洗って干した後、回収を忘れていたようだ。


「それではわたしはこれで」


 しずしずと一礼すると、カイラは俺に背中を向けて、ギシギシと板張りの床を鳴らしながら去っていく。


「……ん?」


 その背中を――いや、音を聞いて、俺は違和感に気がついた。

 足音を立ててる?

 いつもは幽霊みたいに音もなく歩いてるのに。


 それからもカイラの違和感はいくつも目についた。


 卵を買い忘れたり。

 掃除機のコードに足を引っ掛けたり。

 果てには俺とお姫様の箸を間違えて配膳したり。


 普通だったら誰にでもあるミスだが、ことカイラに限っては、ありえないと言ってもいいような異常だった。


 俺はひとつ思い出したことがあって、夕飯後、端末を見ていたお姫様に質問する。


「なあ、最近、帰りが遅くねえか? 夕飯の直前に帰ってくるよな。引きこもりのくせに」


「最後の一言は余計です」


 お姫様はぶすっとしながらそう言って、


「ちょっぴり厄介な事件を抱えていまして。時間を食わされているんですよ。カイラにも協力してもらって進めているんですが、これが面倒で面倒で……」


「お前がそう言うってことは相当だな」


 殺人事件の一つや二つは、パソコンの前から一歩も動かず、ゲームのマッチング時間にでも片付けてしまうような奴だ。

 そんな探偵王女が日が暮れるまで外を走り回らなければならないとは……助手の苦労がしのばれる。


 ……もしかして、そういうことか?


 その翌日、昼休みに通常教室棟の裏庭に行くと、カイラの姿を見かけた。

 端っこの方にある東屋あずまやでノートPCを広げて、なにやら作業をしている。

 何だってこんなところで……。

 さすがに気になって、俺は遠慮がちに話しかけた。


「……カイラ。何してんだ? こんなところで」


 カイラは一瞬だけ俺の顔を見上げると、


「……事件のレポートです。助手の役目ですから」


 真理峰探偵学園の生徒は、学園が仲介する調査依頼を受注することも多い。

 しかしそういった外部の事件の調査には、解決後に調査レポートを提出する義務が存在する。

 そして調査レポートを書くのは、基本的に助手の仕事である。

 カイラは別に、学園の制度上の助手ってわけじゃないけどな。


 そのレポートをこんな辺鄙な場所で書いているのは……周りに人がいるとあまり集中できないのだろうか。

 考えてみれば、カイラがこの手の事務仕事をしているのをあまり見たことがない。


「お姫様が手こずってるって言ってた事件、解決したのか」


「手間がかかるだけで、そこまで難解な事件ではありませんでした」


 答えながら、カイラの手は止まらない。


「それでも苦労はしたんだろ? お前が頑張ってたって聞いたぜ」


「それが役目ですので」


「そのレポートが書き終わったら、少しは休めるのか?」


「いえ、お嬢様はすでに次の事件に着手されています」


 バイタリティどうなってんだ、あの探偵王女は。

 あるいは、あの生粋の名探偵にとっては、事件捜査なんてゲームでランクマッチに潜るのと大して変わらないのかもしれない。

 だが……それについていく助手の方は、そんな超人じゃない。


「……もう飯食ったか?」


「いえ、先にこのレポートを完成させなければ――」


「じゃあこれだけでも飲めよ」


 俺は購買部で買ってきたフルーツ牛乳を、カイラに差し出す。

 カイラは再び、俺の顔を見上げる。


「いえ、ご厚意はありがたいですが――」


 俺はカイラの隣に座ると、フルーツ牛乳のパックにストローを突き刺し、その先端をカイラの口に突っ込んだ。


「――んっ!」


「これなら作業しながらでも飲めるだろ」


 こくりと、褐色の細い喉が動く。


 俺はこの少女が働いていないところを見たことがない。

 家ではメイド、外では助手。

 まるでロボットのように働き続けている姿しか、見たことがない。

 カイラはきっと好きで働いているんだろうが、だからって休まないでいいわけじゃないはずだ。


 フルーツ牛乳をごくごくと飲み続けているカイラに、俺は言う。


「もし疲れた、休みたいって思う日があったら、家事当番くらい変わってやるよ。そのくらい甘えてもいいだろ? 俺はお前のご主人様じゃないんだからさ」


 カイラはストローから口を離す。

 それから、逡巡するように俺の顔を見て、あらぬ方向を見て――


「……ありがとう、……ございます」


 いかにも言い慣れてない風に、小さな声でそう言った。



 そして、それから10分後。



「……すう……すう……」


 カイラは俺の肩に頭を乗せて、小さな寝息を立てていた。

 ……まさかこうなるとは思わなかった。

 銀髪の下の、あどけない寝顔を見下ろしながら、俺は微妙に緊張する。


 カイラの寝顔を、初めて見たかもしれない。

 それ言ったらお姫様とか、他の寮生の寝顔だって、別に見たことなんかねえんだけど。


 こうして見ると、やっぱりメイドでも助手でもない――ただの女の子だ。

 ……可愛い、をつけるほど、俺はチャラい男じゃない。


「……んっ…………」


「……………………」


 でもまあ……ちょっとは役得と言えるかもしれない。

 午後の授業が始まるまでは、枕になっておいてやるか。

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