第3話 名探偵はラブコールを求めない/詩亜(好感度3)

 

 今の時代、探偵が動画サイトで配信をすることは、プロゲーマーがそうするみたいに当たり前のことである。


「――……ですね。この記事の……ると……」


 あくびを噛み殺しながら、幻影寮の廊下を歩いている時だった。

 しとしととした静かな雨音に紛れて、遠くからかすかにお姫様の声が聞こえてきた。


 珍しいことじゃない。

 多くの有名探偵がそうするように、探偵王女こと詩亜・E・ヘーゼルダインもまた、動画サイトを通じて発信活動をしている。

 世間で話題になっている事件に私見を述べたり、視聴者からの相談を受け付けたり、あるいは新聞やネットの記事から情報を拾って即興推理を披露するなんてこともある。


 ただでさえ名探偵の配信は注目されるのに、お姫様の場合、容姿が反則みたいな整い方だ。

 事件や推理にも興味はなく、その見た目が目当てという視聴者も多いはずだった。

その結果、このボロい日本家屋の一室で行われている配信に、毎回のように万単位の視聴者が詰めかけているのである。


 部屋には防音材を貼ってるらしいが、限界はある。

 たまにこうして配信中のお姫様の声が聞こえてきて、そのたびに俺は不思議な気分になっていた。


 この声が、何万人っていう人間に聞かれてるんだよなあ……。

 俺にとっては雨音に紛れてしまう程度の環境音でしかないのに……現実でのあいつの距離と、世間でのあいつの価値のギャップに、実感が追いつかなかった。


 でもまあ確かに、お姫様の声は可愛らしくも透き通っていて、聞き心地がいい。

 探偵なんてのは、人前でペラペラしゃべるのが仕事みたいなもんだし、声質も才能のうちなのかもな……。


 そんな風に思っているうちに、俺は居間でうとうとしてしまっていた。

 それから何分経ったのか……眠りに沈みかけていた意識に、ギシギシと、板張りの床が軋む音が、聞こえてくる……。


 ぼんやりとまぶたを上げると、かすんだ視界に人影が見えた。

 見慣れた金色の髪の女の子が、俺から3歩分ぐらい離れたところで立ち止まっている。

 お姫様……?

 黙って立ち止まって、何をしているのかと思えば、開けっぱなしの障子から廊下に出ていった。


 ギシギシギシ……――

 ――……ギシギシギシ。


 足音が戻ってくる。

 再び金髪の少女が現れる。

 その腕にはベージュ色の、おそらくは毛布が抱えられていた。


 お姫様は俺のそばにそっと膝をつくと、抱えた毛布を広げて、俺の身体の上にかける。

 ここまでされてようやく、彼女の行動の謎が解けた。

 俺は口を開ける。


「……さんきゅ」


「うわっ」


 お姫様はびくりと肩をはねさせる。

 その反応に俺はくっくと笑いながら、ゆっくりと上体を起こした。


「お、起きてたんですか……」


「ついさっきからな。……気づかなかったのか? 名探偵」


 少しからかうと、お姫様はすねたように唇を尖らせた。


「……居眠りしている人の意識の有無をいちいち確認するほど、悪趣味ではありませんので」


「そりゃ見上げた性格だ」


「生死は確認しましたが」


「世界観どうなってんだお前」


 職業病というやつか。

 不意に死体に遭遇することが日常化すると、ただの居眠りにも警戒してしまうらしい。

 ちょっと哀れだ。


「……、配信終わりか?」


 一瞬生まれた沈黙を埋めるように、俺は質問した。

 お姫様はフリルのついた白いブラウスにコルセットスカートを合わせた、フェミニンな格好だった。

 配信でよく見る衣装だ。

 普通の女子が着ればいわゆる地雷系っぽく見えるんだろうが、彼女が着ると大昔のヨーロッパからやってきたような、大時代的な印象を抱かせるんだから不思議だ。


「……ええ、まあ」


 お姫様は胸の前にこぼれた髪を、耳の後ろにかきあげた。


「ご協力のおかげで炎上することもなく、稼がせてもらっていますよ」


「嫌味なやつだ。配信中に声かけて彼氏バレさせてやろうか」


「そうなったら私の探偵能力のすべてを駆使して、あなたが私の恋愛対象たりえないことを証明してみせますよ」


 お姫様は悠然と微笑んで、少し首をかしげる。


「それとも、彼氏になりたいんですか?」


「はっ、冗談やめろ。……でもまあ」


 俺は膝にかかっている毛布を軽く持ち上げて言う。


「いつもこんな風に素直で優しく甲斐甲斐しいんなら、喜んで告白するけどな」


「うっ……」


 お姫様は痛いところを突かれたような顔をして、少し顔を赤らめた。


「こういう気が利くところもあるんだな。いつもメイドに全部任せてぐーたらして、口を開けばマウント取ってくるようなやつがさ」


「……もう二度としません」


 不服そうに頬を膨らませて、お姫様はそっぽを向いた。


「あーあー、悪い悪い。ちょっとからかっただけでむくれんなよ」


「いつもと違う行動をからかうことは相手から主体性を奪います」


「育児論かよ……」


 どうやらお姫様的には、ちょっと勇気を出した行動だったらしい。

 そういえば毛布を取りに行く前、結構な時間、立ち止まって考えてたな。


「まああれだ……。俺としても、褒めたつもりではあってだな……。ただでさえ、その……可愛い、やつが、優しくもなってくれたら、好きにならない奴はいないだろっていう……」


「いつも私に意地悪なことばかり言うあなたが?」


「……まあ」


「私のお│義父とう様の宿敵の子供の子供であるあなたが?」


「ほとんど関係ねえよ、そこまで経由したら」


 世間は無関係だとは思ってくれないけどな。


「それではひとつ、試しましょう」


 お姫様はその場で横座りになると、スカートの上から自分の太ももをぽんぽんと叩いた。


「どうぞ、こちらへ」


「……………………」


 それは……もしかしなくても……。

 膝枕をするってことか?


「……それがお前の思う『優しさ』なのか?」


 解像度低くね?


「いっ、いいでしょう! 優しい女の子しかしてくれませんよ、こんなこと!」


「それはまあ、確かに……」


 さすが名探偵、一理あった。


「いいからさっさとしてくださいっ!」


 お姫様の手が俺の肩をぐいっと引っ張り、無理やり太ももに俺の頭を収める。

 後頭部に柔らかな感触を感じながら天井の方向を見上げた時、『うおっ』という声が出そうになるのをかろうじてこらえた。


「どうですか。優しさを感じるでしょう」


 お姫様のドヤ顔が、白いブラウスの稜線から覗く。

 その二つの山の正体は、お姫様の胸だった。

 大きく前に張り出した丸い膨らみのせいで、お姫様の顔が半分くらい隠れていた。


 俺は気づく。

 膝枕というのは、優しさではなく、エロさを感じる行為なのだ。


「おやおや? ちょっと顔が赤くなってませんか、不実崎さん?」


 と言うお姫様の顔も、うっすらと赤くなっているように見えた。

 わかっている。

 こいつ、すでにわかっている。

 やってから気がついたのか、やる前からわかっていたのか、それは定かではないが、ともかくもこの瞬間、この女は俺にエロい目で見られているのをわかった上で、それを利用することで俺に負けを認めさせようとしているのだ。

 何の勝負かわからないが。


 こうなっては俺も後には引けまい。


「い、いや? 気のせいだろ。この程度の優しさで俺が陥落すると思うなよ」


「い、いやいや。お顔に出てますよ? 私の母性にオギャりまくってますよ?」


「観察眼が衰えたな名探偵。お前のどこに母性があるって?」


「どの口が言いますか! ずっと私の母性の象徴に目が吸い寄せられて――」


「っていうか、そんなに俺に好きになってほしいのか、お前?」


 とっさに滑り出した言葉に、お姫様が硬直した。


「確かに優しくなったら喜んで告白するって言ったけどさ。そう聞いてこんなことまでするってことは、つまり――」


「あ……穴だらけの推理です! 私は別にっ――!」


 お姫様は顔を赤らめて、


「――そん、な……」


 目を泳がせ、


「こと、は……」


 手のひらで口元を隠し、


「期待、して……」


 語尾をしぼませる。


 いや……お前。

 図星のやつやめろ。

 こっちは反論されるの前提で言ってんだよ。なに脈あり感ビンビンの雰囲気醸し出してんだよ。


 わかってる。

 俺ももうこいつとは数週間の仲だ。

 多分こいつは俺に限らず、他人に好かれるのが好きでたまらないタイプの人間で、俺のことを男としてどうこうとは考えていないのだ。

 配信のリスナーに微笑みかけるのと同じようなノリで、俺に膝枕をしているのだ。


 わかってる。

 そうに違いない。

 じゃないと……。

 ……どうすればいいか、わからなくなる。


 しとしとと、静かな雨音が、古びた木の天井に染み入ってくる。


 俺はお姫様を見つめていた。

 お姫様は俺を見つめていた。


 雨音と、時計の針の音。

 それだけが、時代に置き去りにされたような畳敷きの居間に漂っていた。


 俺たちが、本当に時代に置き去りにされたなら。

 犯罪王の孫と探偵王の娘、なんて面倒な関係性から解放されたなら。

 俺もこの、妖精のような美しい女の子に、ただ見とれていられたのかもしれない。


 だが、現実はそうではなく。

 だから俺は言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。


「その……悪い。ちょっと……からかいすぎた」


 二度目のセリフなのは自覚しつつ、


「お前が俺に好かれて嬉しいわけないよな。入学初っ端からケチをつけた張本人だし」


「え……いや、それは……」


「俺なんて、出自がちょっと変わってるだけで、見た目は普通だしさ。勘違いして悪かった」


 そう言って――

 俺はお姫様の太ももから頭を離した。


 とにかく、これで変な雰囲気は終わった。

 俺はさっさとこの場を立ち去れば――


「――あ、あの!」


 立ち上がろうとした俺の腕を、お姫様がつかむ。


「見た目は、別に……」


 慌てた様子で、俺を見つめて、


「結構、かっこいいと……思い、ま――……うああ……」


 最後まで言い切れずに、後悔のうめき声を漏らした。


「いっ、今のなし! 聞かなかったことにしてくださいっ!」


 そして俺の腕を離すと、立ち上がりながらバタバタと居間を飛び出していった。


 開けっぱなしで放置された障子を、俺は呆然と見つめる。

 さっきつかまれた腕のところが、熱を持っているように感じた。


 ……あいつ……。

 あいつさあ……。


「……勘違いしそうになること、すんなよ……」


 喜んで告白、しそうになっちまったじゃねえかよ。

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