第2話 名探偵はチラリズムに揺らがない/詩亜(好感度2)

 

 探偵学園にはさまざまな特殊な授業があるが、その中でも全国の探偵ファンたちが憧れる授業がある。


〈体術〉の授業である。


 憧れられる理由はひとえに、探偵用格闘術〈バリツ〉を教えてもらえるからだ。

 だが、まだ入学したばかりの俺たち1年生が、そんな専門技術を教えてもらえるわけがない。

 今の体術の授業は、基礎的な体力の向上と、一般的な格闘技――特に柔道に重きを置いて行われていた。


「どうしました? 来ないんですか?」


 頭脳の性能だけが名探偵の条件ではない。

 体術の授業でも探偵王女、詩亜・E・ヘーゼルダインは、クラスの中心にいた。


「ヘ、ヘーゼルダインさん……さすがにこれは……」


 お姫様の正面に立っているのは、身長180センチ以上はあるだろう大柄な男子生徒だった。

 お姫様との身長差は、30センチはあるか。

 それだけでも看過できない階級差だが、それよりもなによりも、お姫様は女子であり、男子生徒は男子だった。


 お姫様は黒いインナーの上に白い道着を着ている。

 長い金色の髪はポニーテールにまとめ、いつもよりも活動的な雰囲気だった。

 しかしだからと言って、その華奢な腰つきや道着を盛り上げる胸の膨らみがなくなるわけじゃない。

 襟をつかんだりすれば、たちまち彼女の柔らかいところに手が触れてしまうに違いなかった。


 辞書でも興奮できるエロガキなら鼻息が荒くなるところだが、そんなアホはこの探偵学園には入学できない。

 彼女の正面でおどおどしている男子生徒も、体格こそ体育会系のそれだが、常人以上の真面目さと勤勉さを持った、日本最高レベルの優等生なのである。


「ヘーゼルダインさん……さすがに男子と女子で試合するのは……」


「対峙した犯罪者が女性であっても、同じことをおっしゃるつもりですか?」


「いや、しかし……」


「ご心配なく」


 誰もが見とれて、脳がとろける、上等なショートケーキのような微笑みを浮かべて、お姫様は言った。


されているようなことには、なりませんので」


 男子生徒は朴訥そうな顔を赤く染める。

 それから覚悟を決めたのか、目つきを鋭くしてお姫様を見据えた。


「はあっ!!」


 巨大が鋭く駆け出す。

 どんどんどん、と畳を踏み鳴らす音が響く。

 スイカくらいなら片手でつかんでしまいそうな大きな手がお姫様の襟に伸び、




 金色のポニーテールが、軽く揺れた。




 ダアンッ!!

 と。


 すでに男子生徒は、背中から畳に叩きつけられていた。


「一本!」


 審判が叫ぶ。

 辞退を見守っていた生徒たちは、唖然として口を開けていた。


 ……お姫様の指先が、男子生徒の襟から離れていくのは、かろうじて見えた。

 つまり、投げたのだ。

 リーチで勝る相手の懐に一瞬で飛び込み、襟をつかみ、相手の突進の勢いを利用するようにして投げた。

 結果として男子生徒は、お姫様に指一本触れることができなかったのだ……。


「ふう」


 短く息をついて、お姫様は遠巻きに見守っている生徒たちを見渡した。


「次はどなたが相手してくださいますか?」


 名乗り出るわけもなかった。

 誰が好き好んで、あんなわけのわからん投げを食らいたいと思うのか。

 俺ももちろん黙って遠巻きにしている生徒の一人だったが、探偵王女の観察眼は、そんな俺の思惑を見透かしたようだった。


「不実崎さん」


 何人もの生徒の肩越しに、正確に俺に視線を投げ、お姫様は意味ありげに微笑んだ。


「お相手してくださいますか?」


 道場中の視線が俺に集中する。

 まったく迷惑な話だった。

 入学初日に負かしたことをまだ根に持っているのかもしれない。


「……なんで俺なんだ?」


「お暇そうでしたので。……それと、この中では一番、鍛えられていそうです」


 まったくもって鋭い。

 諸事情あって、俺は武術をかじっていたことがある。

 制服の上からだとほぼわからないが、その辺の体育会系高校生よりはずっと鍛えられているはずだ。


 なんだかろくなことにならなさそうだな、と思った。

 しかし、こんなにも注目された上で断ったりしたら、ブーイングは避けられないだろうな。

 まあ罵倒されるのなんか今更の話だが、自ら進んで批判の的になろうとは思わない。


「仕方ねえな……」


 俺は小さくため息をつきながら、生徒たちの間を抜けて、お姫様の前に立った。

 お姫様は不敵な笑みをたたえて、俺の顔を見上げる。


 こうして正面に立ってみると、本当に小さい。

 身長は多分150センチ台の前半くらいか。

 しかし子供のように華奢な肩周りが、実際の身長よりも彼女を小さく感じさせる。

 それでも存在感だけは人一倍なんだから、不思議な話だった。


 俺とお姫様は、静かに構えを取る。

 いきなり距離を詰めれば、さっきの男子生徒の二の舞になるだろう。

 わざわざ投げられてやる義理もないし、少し慎重に立ち回るか――


「――――ッ!」


 ――と思った瞬間、お姫様は俺の懐に飛び込んでいた。

 今度はそっちから速攻かよ!


 ギリギリ反射神経が間に合う。

 お姫様に襟を取られるが、逆に俺もお姫様の襟をつかむ。

 俺の道着の襟が強く引っ張られた。体幹が崩れる。その前に足を踏ん張り、かろうじて耐えた。


 初撃はしのいだ……!

 対等に組み合えば体格に勝る俺の方が有利――


「……………………」


 そこで、お姫様の様子に気づいた。

 俺の目を見ていない。

 さっきまでの戦意がない。

 代わりに、


 じーーーーーーーーーーーーー…………っと。


 襟を引っ張られたせいで大きくはだけた、俺の胸元を。

 普段は制服に隠されている引き締まった大胸筋を。

 食い入るように、見つめているのだった。


「……………………」


「あ」


 その間に、俺は投げた。

 すてーんと、お姫様はあっさり畳の上に転がった。

 見物している生徒たちから、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。


「……お前……」


 俺はひっくり返ってお姫様に、複雑な視線を送った。

 お姫様はそれに気づくとハッとした顔をして、


「な、なかなかやりますね」


 まるでギリギリの激闘を演じた後みたいなセリフをのたまいながら、すっくと立ち上がった。


「私の速攻に反応するとは、なかなかの動体視力です」


「いや、胸板……」


「そこからの素早い反撃。機を見るに敏な決断力は賞賛に値します」


「いや、大胸筋……」


「やはり私の目に狂いはありませんでした。よく鍛えられていますね。特に大胸筋の間に走る目立たない程度の谷間がセクシーです」


 やっぱり筋肉フェチじゃねえか。


「今回私が一本取られたのは、あなたの細マッチョに気を取られたから――ではなく、少々油断したからだということを忘れずに。次に手合わせする際にはもっと気合いを入れて臨みます」


「何に気合いを入れるつもりだ、何に」


「もちろん道義の襟を乱す――ではなく、あなたを投げ飛ばすことにです。次こそ不覚は取りません。次こそは!」


 もう1回見たいらしい。

 身の危険を感じたので、勝ち逃げすることにした。


 まったく、真剣勝負の最中におかしなことに気を取られやがって!


 お姫様から離れながら、俺はこっそりと右手をさする。

 ……おっぱい、当たった……。

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