名探偵にラッキースケベは起こせない ~美少女探偵だらけの学生寮にありがちなこと~

紙城境介

第1話 名探偵にラッキースケベは起こせない/詩亜(好感度1)


  犯罪王の孫、なんて大仰な肩書きを引っ下げて、この真理峰まりみね探偵学園に入学したのが今朝のこと。

ちょっとした意見の衝突からとある名探偵と推理を戦わせることになり、あろうことか論破しちまったのが何時間か前の話。


 そして今。

 俺――不実崎未咲ふみさきみさきは、この学園での初めての夜を過ごそうとしていた。


 曰く、長者番付へのファストチケット。

 曰く、創立と同時に東大の合格点を何十点も下げた。

曰く、卒業することは弁護士資格を取ることよりも難しい――


 そんな風に噂される真理峰探偵学園のことである。

 学生寮もさぞ綺麗でお洒落なものだと思うだろう。


 しかし、屋根は隙間だらけ。

 電灯は安物で紐を引っ張ってオンオフするタイプ。

 壁は薄く、今もどこかの部屋から床がきしむ音がかすかに聞こえてくる。

 

 ここが、東京最大の学園都市、御茶の水の一角に静かに生き残っている古ぼけた日本家屋――幻影寮げんえいりょうの一室だった。


 このボロ屋敷で3年も生活するのか……。

 まあしかし、俺は小さい頃からいろんな土地を転々として生きてきた。

 隙間風が入ってくるようなボロアパートで暮らしたことも一度や二度じゃない。

 それに比べれば、電気や水道が突然止まったりすることがないだけマシだと言えるだろう。

 これでも天下の探偵学園がその責任において管理している学生寮である。


 むしろ問題は、同じ屋根の下で暮らしている、同居人の方だと言えた……。


「……えーっと、風呂はどっちだっけ?」


 埃っぽかった自分の部屋を掃除し終えた俺は、障子を開けて長い板張りの廊下を左右に見渡す。

 この幻影寮は東京のど真ん中にあるにしてはなかなかの広さを誇り、一回案内してもらったくらいじゃ何がどこにあるか覚えきれない。


 しかし、女子の部屋が集まっている区画に関しては、きっちり場所を覚えている。

 そっちの方向に近づきさえしなければ、滅多なことは起こらないだろう……。


 そうして、風呂場があるかもしれない方向へと歩き始めた。

 ギシギシと床をきしませること5分ほど。


「おっ、当たった」


 風呂場に続く引き戸を見つけた。

 確かもうお湯は張ってあるって話だった。

 掃除で埃っぽくなった身体からだをさっさと洗ってしまおう。

 そうして引き戸を開けて、一歩足を踏み入れたその時だ。


 足首に何かが引っかかった。


「――あ?」


 それが、敷居のところに張られたワイヤーであると気づいた時には、すでに後頭部に衝撃が走っていた。


「どわーっ!!」


 タライである。

 大昔のお笑い番組の映像でしか見ないような銀色の大きなタライが、頭の上から降ってきたのである。


 ガンゴンカランコロンとけたたましい音を聞きながら、俺は脱衣場の床にすっ転んだ。

 なんだこのブービートラップは……!

 ゲリラに育てられた少年兵でも住んでんのか、この学生寮は!


「――どうやら、ネズミが引っかかったようですね」


 風呂場特有のよく響く声が、脱衣場の先にあるすりガラスの向こうから聞こえてくる。


「推理していましたよ、不実崎さん。あなたが思春期特有の欲望を持て余すであろうことはね!」


 得意げな声が響き、すりガラスのドアが内から開けられる。

 現れたのは、バスタオルを胸から下に巻いた、妖精のような美貌の少女だった。


 後光のような輝きを放つ金色の髪から、ポタポタと水滴が垂れる。

 得意満面のドヤ顔が、人形のように整った相貌に浮かぶ。

 その少女――詩亜しあ・E・ヘーゼルダインは、しなやかな脚を動かして、うつ伏せに倒れた俺に近づいてきた。


「犯罪王の孫とは言っても所詮は思春期の男子。頭の中身は、下賤で卑賤で卑俗で惰弱な欲望でいっぱいのようですね。ああいやらしい!」


 あどけなさを多分に残した美貌に、詩亜・E・ヘーゼルダインはなぜだか少し嬉しそうな微笑みを浮かべた。

 

 こいつこそ、この寮に住まう3人の同居人のひとり――

探偵王と呼ばれる名探偵の、たったひとりの養女。

〈探偵王女〉の異名を持つ、探偵界のいと尊きお姫様である。


 つい何時間か前、俺がうっかり負かし、衆目の中でべそかかせて逃走させてしまった相手でもある。


「残念でしたね。私のような美少女と同居することになったんです。『ついうっかりお風呂場で鉢合わせ!』というシチュエーションに期待するのも無理はありませんが、私、これでも探偵ですので。その程度の状況は当然、推理のうちです」


 お姫様は小柄な身体をしゃがませて、倒れたままの俺を楽しそうに見下ろした。


「どうですか? 汚らしい妄想を見抜かれた気分は? 恥ずかしかったら言ってもいいですよ? 犯行を見抜かれた犯人はおとなしく自白するものですからね!」


 とりあえず、俺から言えることは三つある。

 一つ、俺は別にうっかり鉢合わせシチュエーションを期待してなんかいない。

 二つ、だとしてもそんなに嬉しそうに言うことではない。

 三つ――


「……じゃあなんで、バスタオル姿をサービスしてくれんだよ?」


 折りたたまれた膝があった。

 バスタオルの裾から伸びる太ももがあった。

 小柄な体格には釣り合わない豊かな胸の膨らみが、白いバスタオルから溢れそうだった。

 そしてそのすべてがお湯に濡れて、生々しく照り輝いていた。


 はっきり言うぞ。

 エロい。


「……………………」


 お姫様は少し沈黙すると、すいっとわずかに目をそらした。


「別に……この程度、私は気にしないだけです。サービスなんて、あなたに都合のいい解釈はやめてもらいましょうか」


「でも、せっかく俺を撃退したのに、わざわざ見せつけるみたいに――」


「心外ですね。それでは私が、同年代の男の子に思春期らしい視線を向けられるのを喜んでいるようじゃないですか。いくら私のスタイルが魅力的で、できることなら写真集でも売り出したいからと言って、そうそう簡単に見せびらかすわけがないでしょう。そんなことをしても、私がちょっと気持ちよくなるだけですし」


「そ……そうだよな」


「そうです」


「……ちなみに、すげえ綺麗だと思うぞ」


 試しに言ってみると、お姫様は口の端をひくりと動かした。


「それはどうも。その正直さに免じて、今回だけはセクハラではなく、褒め言葉として受け取っておきましょう」


 お姫様は畳んでいた膝を伸ばして立ち上がる。

 そしてきらびやかな金髪を揺らしながら、優雅に浴場へと戻っていった。


 再び締め切られたすりガラスのドアを見ながら、俺は考える。


 もしかして――

 あくまでもしかして、の話だが。


 承認欲求に負けたわけじゃないよな?

 不意打ちで裸を見られるのは嫌だけど、それはそれとして自分の抜群のスタイルを同年代の男に見せつけて、その純情をもてあそびたかったわけじゃないよな?

 何時間か前に俺に論破された腹いせを、そうやって果たしたかったわけじゃないよな?


 ……まさかな。

 世界中で賞賛され、世界中にファンがいる探偵王女様が、まさかそんな裏垢女子みたいな真似をするわけ――


「……………………」


 ――ない、よな?

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