幕後

幕後

 静寂の中、ゆっくりと幕が下りる。

 舞台の上、その中央に立つ立派な髭の似合う壮年の男が、鷹揚に礼をした。

「さて。古きよき神の時代、その最後を飾った、男と女の物語。いかがでしたでしょうか。こうして我ら人の時代が、真に始まることとなりました。かのお二方のご結婚からほどなくして、この美しき愛の物語がどこからともなく語り継がれ、市井を賑わせたのは、皆様もよくよくご存知かと思います。その人気は衰えるどころか広がるばかり。そして当劇団でも念願の上演となりましたこのたびの演目――『Fleurフルール de・ド・ Meliaメリア:女王の花』。これにて大団円の、終幕にございます」

 すると、一つ二つと拍手が起こり、まるで咲く花のように、すぐに満開の喝采が湧き起こった。

 舞台の男は喜びに震える様子でまた続ける。

「本日は我々、劇団カメラータ座のこけら落としに、これほど多くのお客様がお集まりいただけましたこと、劇団員を代表して団長ヴィンセント・カメラータより、深く、深く御礼申し上げます。お帰りの際は――」

 やがて観客が立ち上がり、劇団員の案内で外へと歩いていく間にも、会場は万雷の拍手に包まれていた。

 そんな観劇を、心ゆくまで楽しんだ一人の女が、胸躍る表情で、隣に付き添う男に言う。

「あー! もう最高よ! 最高! でしょ!?」

 劇場のエントランスを出た水運都市アントワープの往来で、両手を上げて伸びをする彼女に、男が答えた。

「ミア、君もよく飽きないものだなぁ。今じゃどの劇団に行ったってこの演目は日に何度もやってるし、僕が一緒の時だけでも……二、三……四回は見たよ」

 半ばうんざりしながら指を折る男。

「何言ってるの。今回は、新劇団カメラータ座のこけら落としよ! 女優さんもすっごく綺麗で、それはもう、メリア様によく似てて!」

 ミアと呼ばれた彼女の言葉に「まただよ」と男は密かに独りごちた。

 ミアは、クリネリア王国最後の女王メリア・ランカストレ・ド・クロネリアの、つまるところ熱心なファンだ。現在は共和国となったクロネリア出身で、今のようにアントワープに出てくる前は、生前退位されたかの人の講演会などにも、よく参加していたという。本人が言うにはとても親しく、何度も話したこともあるらしい。

 しかし付き添う彼としては、そんなことすんなりとは信じられないようだった。いくら王位を退いたとはいえ、王族であり歌劇の題材になるような人が、なんの地位もない娘と親しくなる意味がわからないのだ。

 ただその経緯については、当のミアから耳にタコができるほど聞かされていた。

「君の村って、サン・シャロン村だろ? クロネリアでも端の端、ほとんどガイオンって感じの場所だ。いくら視察でも、当時は即位前の王女様がお忍びで突然やってくるなんてこと、あるわけが……」

「何言ってるのよロラン! あなた信じるって言ってくれたのに!」

「いや、信じてないわけじゃないけどさ。信じてくれないと、君が付き合ってくれないって言うから……」

「信じるって言ってくれたからあなたと付き合ってるんじゃない! まさか本当は信じてないの?」

「いや信じてる、信じてるもちろん! まあ実際そうでもないと、あのメリア様がわざわざ君の村で式を挙げることにしたっていう、普通では絶対ありえないことに説明がつかないし」

「ありえなくないわよ! クロネリアとガイオンが手を取り合う未来を信じて、両国の中心で式を挙げるっていう、とっても崇高でご立派なお考えが――」

 こうなるともう、ミアはしばらく止まらない。彼女と付き合い始めて随分経つロランも、そのことは身にしみて知っていた。

 歩きながら熱が収まるまで、うんうんと相槌を打って待ち、上手く機を見てミアに尋ねた。

「で、君はこの夏は、村に帰るのかい?」

「え? うん、帰るけど」

「心配だなぁ」

 わかりやすく渋るロランに、ミアが唇を尖らせる。

「何が心配なのよ」

「だって、仮にも国境を超えるわけだし……」

「国境? って、ああ、関所のこと? 何よ、知らないの? もう前ほど厳しくないわよ。クロネリアとガイオンは、もうほとんど一つの国みたいなものじゃないの」

 時代が進めばその分、交通網は整備されるとはいえ、移動にはやはり危険が伴う。ロランの心配はもっともだ。

 しかしミアの意見についても、あながち的外れな楽観というわけではなかった。

 王国制時代の隣国としての二国の関係を、ミアがどれだけ知っているかは別として、その時と比べれば今の国交は驚くほど安定している。

 関所は、もちろん治安を守る場所ではあるが、国同士の出入りを妨げるようなことはほとんどない。特にアントワープはクロネリアに近い土地柄もあり、定期的に行き来する者も決して珍しくはないのだ。

 ロランはアントワープから出たことがない。そんな彼にとっては飛び上がるほど気軽に、ミアが訊く。

「なんなら見物がてら、家の宿の手伝いに来る? ここ数年で村も立派な観光地だから、繁忙期は男手が一つでも多くほしいのよね」

 気弱なロランに比べて、ミアはなんと闊達で勇ましいことか。そんなところが、彼にとっては魅力的に映ったものだ。

 しかしロランにはロランで、首を縦に触れない事情があるのだった。

「はは、行ってみたいのは山々なんだけど……僕もそろそろ、父さんから徒弟見習い卒業を認めてもらわないとだしな」

 ロランの実家は、織物の工房を営んでいる。聞けば、一時は食うにも困ったらしいが彼にはあまり記憶もなく、今では盛り返して何人も徒弟を抱えている。親方は、実子とはいえ丁寧な手解きなどなく、逆により高い水準を求めるという厳しい父だ。

「あらそう」

 ロランとしては、本当はもう少し食い下がって誘ってほしいところだが、ミアの返答はあっさりだった。

 彼は気落ちしたことを隠して尋ねる。

「うん。それで、いつ出るの?」

「んー、明日か、明後日にはって感じかな? もう荷物はまとめてあるの。ああ……ってことは、今日のデートが最後で、ロランにはしばらく会えなくなるのね」

 非常に残念なことなのだが、ミアはあっけらかんとそう言った。

 ロランは、本気でミアのことを好いている。しかし一方のミアは、まだ恋に恋をしている節が見て取れた。

 その温度差が、彼にとっては歯痒いのだろう。ロランはたまらず眉尻を下げる。

 それとは対照的に、ミアは明るい表情のまま両手を合わせた。

「そうと決まれば、じゃあいつもみたいに、あれを買いに行かなくちゃね!」

 そうして二人が向かったのは、街の花屋だ。

 ミアが『あれ』と称したのは他でもない、クロネリアの花のことである。

 先の劇のように、神の時代の終焉を駆け抜けた二人の男女の物語は歌劇となって残ったが、実はもう一つだけ、後世に残ったものがある。

 若い男女が別れる時には、再会を祈って男からは赤、女からは白いクロネリアの花を渡すという風習だ。

 赤い花は、かつては名変わりの花として歴代クロネリア王国女王の名で親しまれたが、今では正式に『メリアの花』と呼ばれている。これはその花に与えられた最後の名称で、もう、変わることはない。

 そしてこの風習を強く信じる者たちの間では、白い花の方も特別に『シュテルの花』と読んで区別するのが、粋な楽しみ方として流行していた。

 無事に目当ての花を二輪手に入れたミアは、くるりと綺麗に踵で回って振り返り、これから始める大切な儀式のために、わざわざ白い花を一度、ロランに持たせる。

 そして言った。

「じゃあロラン、感謝祭の頃に、また会いましょう」

「うん……」

「ちょっと、随分暗いわね」

 不満げなミアに、ロランは下を向いたまま小さく答えた。

「君と別れる時は、いつも不安さ。次に、ちゃんとまた会えるのかどうかって」

「何言ってるの。夏の間だけ、別にいつものことじゃない」

 そんなロランを、ミアはいつものようにと軽く励ます。

 しかし彼が一度では顔を上げないのも、同様にいつものことだ。

 だから仕方なくミアは、溜息を一つ落としてからロランの肩を優しく抱いた。

「あなたがどれくらい信じてるのかはわからないけれど……この約束はね、本物なのよ。違う国の、違う立場の愛する二人を、最後にはちゃんと結んだんだから」

 そうして手に持った白い花を、ロランの目の前に差し出す。

「じゃあ、はい」

 ロランは黙ってそれを受け取り、彼の手の赤い花は、ミアにひょいっと攫われた。

 満足げに目を閉じて、ミアが言った。

「これは、ただ再会を願うだけじゃなくて、あたしたち自身の意思で、そういう未来を選ぶっていう誓いでもあるの。あたしは誓うわ。必ずまたここに戻ってくる。あなたに会いに。だからロラン……ほら、あなたも誓って?」

 するとやがて、ロランはしょげた顔を上げて、ミアに釣られたように微笑むのだ。

「うん、わかった。僕も誓うよ。必ずまた会おう、ミア」

 これも毎年、もう何度、繰り返したことか。

 そして夏の終わる頃にまた、二つの花が、愛する二人を引き合わせる。

 彼と彼女が、今日の誓いを忘れない限り。

 そんな別れと再会が、きっとまた別の誰かの、出会いの物語に繋がるのだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Fleur de Melia:女王の花 りずべす @Lizbeth

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ