25.Melia

 内戦により、ガイオンは実質的に最高権力者不在の状態となったが、すぐにヴォルテール侯爵が一時的な政権の舵取りを行った。この折、ガイオン王国国王ヘンリー十八世は、数年ぶりに政治の表舞台に姿を現し、生前退位の旨を発表した。

 これにより、ガイオンは王国制から共和制へと移行することとなった。

 国名は新たにガイオン共和国となり、ヘンリー十八世とその娘であるエレノア・ガイオンの推薦で初代首相に任命されたヴォルテール卿は、多くの国民の支持を得たという。

 それからヘンリー十八世はしばらくの療養生活の末、崩御したとのことだった。

 そしてさらに遅れること三年、クロネリア王国も、ついに共和制への道を歩むことを決めた。

 メリア・ランカストレ・ド・クロネリア女王陛下はこれを積極的に推し進め、夏も盛りの本日、生前退位式に臨むこととなっている。昨夜から身を清めて礼拝堂で祈りを捧げ、早朝より厳かに開始されたその式は、そのまま午後から共和制発足の祝祭へと移行するのだ。

 けれども、じきに午後の予定へと移ろうかという時になって、クロネリアの旧王宮内ではローザの慌てた声が響いていた。

「クロエ! クロエはどこなの?」

 その声に呼ばれて、廊下の角から慌てた様子で、一人の女が現れる。

「ロ、ローザ様! クロエはこちらにございます」

 やや及び腰の、気弱そうなその女は、かつての王宮召使い見習いのクロエだ。その丁寧な仕事ぶりを買われ、昨日までは王宮家令見習いとして職務に励み、ちょうど今日からは、メリアの付き人ということになっている。

 深々と恭しく腰を折るクロエに、ローザは尋ねた。

「メリア女王陛下のお姿が見られないの。マルガリタから、陛下のことはあなたに任せていると聞いたのだけれど」

「あ、はい……メリア元女王陛下のことでいらっしゃいますね。え、えっと……その……」

「何、どうしたの。とにかく早く陛下をお連れなさい。もう午後の祝祭まで時間がないのよ」

「それが、その……メリア元女王陛下から、ご伝言がございまして……」

 姿勢を低くしたまま、クロエがローザの近くに寄って耳打ちをする。するとローザは、その顔を召し物のドレスと同じくらい真っ赤にして飛び上がった。

「クロエッ! あなたってば、また陛下に逃げられたのね!」

「すみませんすみませんっ! すみませんローザ様。私では、メリア様をお止めすることなどできようはずもなく……半ば強引にこの封書を押しつけられて、出ていってしまわれたのです」

 平身低頭、クロエはひいひい嘆きながら、ローザに羊皮紙の封書を献上した。そこにはメリアの直筆で、こう綴られていた。


『退位式を無事終えたこの身は、これからしばし、私用の時間を頂きたく存じます。

 祝祭が終わるまでには必ず戻ります。祝祭の始まりに際して捧上する祝辞について、私からのものは同封しておきましたので、代役としてクロエにでも、読んでもらえればと思います。

 どうぞよろしくお願いします。』


 文面は初めて目にしたのだろう、これを読んだクロエは「ひゅ」と息を吸い、卒倒しそうになっていた。ローザもローザで、今度は顔を青くして悲鳴のような声を上げる。

「あの子……メリアったらまさかっ! このようなこと、クロネリア王国の最後の女王としての意気に欠けているわ! あの子は今日からの祝祭の始まりに、国の安寧たる未来を見て――」

 ローザが叫びながら放り捨てた羊皮紙を、床にへたり込んだクロエが読み進め、そして言う。

「あ、あの、ローザ様。恐れながら申し上げます。その、こちらに……」

 クロエが示した指の先にはこうある。


『追伸、クロエへ。

 もしお母様が「メリアは女王としてクロネリアの安寧たる未来を見なければ」というようなことをおっしゃられたら、こう伝えなさい。

「大丈夫。もう、そういう時代じゃあないのよ」と。』


 呆れるクロエも、怒るローザも。二人してその文面を前に黙りこくった。

 まるで、駆けていくメリアが振り返りながら笑って言う姿が、目に浮かぶようだった。



 メリアが退位式のあとすぐに出奔して向かった先は、クロネリアの西の端、ガイオンとの国境からほど近くの、サン・シャロン村だ。

 事前にゾエにだけは連絡を取り、これからメリアが向かう場のために協力を頼んでいた。

 メリアは晴れやかな真紅のドレスに身を包み、胸元には約束の込められた赤い花のロケット。背の下まで長く伸びた髪はゾエに美しく整えてもらい、村道を歩いている。

 目指すは丘の上に建つ、古びた教会。その道すがら、村の様子は次第に低く遠くなり始め、周囲はかつての記憶よりもいっそう立派な、花景色に包まれていった。

 赤も白も黄も紫も、満開のクロネリアの花が色とりどり。

 メリアは逸る気持ちを抑え、一歩、また一歩と目的の場所を見上げて歩いた。

 そんな時だ。メリアの左目に、母や、自らにも似た真紅の髪の後ろ姿が映り込む。まるで自身を導くように前を歩く、その朧げな姿を見て……メリアはたまらず、走り出した。

 そしてその姿に重なって、すぐに追い越して――。

 辿り着いた先、花々に包まれる教会の前に立っていたのは、白いジャケットに身を包んだシュテルだった。白銀の髪は美しい陽光を浴びて輝き、胸元には同じく白い、花の装飾。それはメリアが一心に待ち望んだ、ありのままの彼の姿だ。

「ああ、シュテル! 会いたかった!」

「メリア、待っていたよ」

 走る勢いのまま、メリアはその胸に飛び込む。

 シュテルは一度、思いきり抱き締め返し、やがて二人は、互いの姿にしばし見とれた。

 しばらくすると、シュテルは言葉もなく手を離し、メリアが一歩、前へと進む。

 踏み出した丘の先からは、教会の向こう側の景色までもがよく見渡せた。

 事ここに至り、メリアは不思議と、感じていた。今、自分がすべきと思うことは、かつて見た光景と同じなのだと。

 見上げる空は一面に青く、ところどころに綿のような雲が浮かぶ。

 吹き抜ける風が何物にも遮られることなく、夏の匂いと美しい花弁を運んでくる。

 村や、その向こうの国土から、今日の生活を営む民の声が遠く聞こえる。

 そう、これはいつか感じた景色だ。メリアは深く、息を吸い込んで言う。

「今日、この日をもって、クロネリア王国はその長き歴史に幕を下ろすこととなりました。ならば私、女王メリア・ランカストレ・ド・クロネリアも、すべからく死すべきでしょう」

 眩しい太陽の光を受け、頭上で何かがきらりと光る。

 メリアの顔に、降るように迫ってきたそれは、彼女の髪から生まれ出たような真紅の花びら。

 この瞬間、半神としてのメリアは、世界から消えた。

 そして残されたのは、生まれ変わり、もはやなんのしがらみもない、ただ一人の人間の女だ。

 メリアは満開の花さえ顔を伏せてしまうほどの、眩しい笑顔で振り返った。

「ねえシュテル。ようやく私は伝えられる。私は、あなた一人だけを選ぶ。シュテルのことを、愛しているわ!」

 それを聞いて、一方のシュテルは涙声だった。笑おうとして、でも、どうにも上手くいかず。

「ああ、メリア……僕も、ようやく伝えられるんだ。ただ君だけを、愛している」

 するといっそう、メリアが笑った。

 シュテルの手を取り、メリアはふと、考える。私は、ここまで導かれてやってきたのだろうか。それとも自らの意思で決めて、ここまで辿り着いたのだろうか。

 どちらでもいい。これからも、私の未来は私が決める。そう信じるのだ。

 いや――これから先はシュテルと二人で決めることも、あるのかもしれないけれど。

 とにかくそうやって進んでいこう。ずっと。

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