22.Ster
今しがた灯りの消えた一室に、シュテルは窓から静かに侵入した。微かに残る人の熱を感じ取りつつ視線を巡らすと、部屋の隅に白いドレスの人影があった。
すぐに駆け寄って抱き起こすと、目覚めてこちらの顔を見るなり、驚いて叫んだ。
「シ……シュテル!」
「ああ、メリア! よかった、無事で何よりだ」
しかし彼女は数秒硬直し、はっきりと意識を取り戻すとやや決まり悪そうに距離を取った。
「え、ええ……えっと、助けにきていただいたようで……あ、ありがとうございます」
シュテルとしては聞き慣れないその言葉遣いに「……ん?」と首を斜めに捻る。
「何か、おかしいですか」
そしてたまらず、口を抑えて吹き出した。
「ぶっ……おかしいですか、だって! あのメリアが! あはははは!」
「っ! どうして笑うんでっ……!」
彼女はもちろん顔を赤らめて怒ったが、やはり違和感に耐えきれなかったのか言い直した。
「どうして笑うのよ! だって、もう昔とは違うのよ!」
かつてのメリアはシュテルに対し、とても丁寧とは言えないこうした勝ち気な態度だった。
「あなたってば、私のこと勝手に村に置き去りにしていって、それっきり、どれだけ経ったと思ってるのよ! 姿を見せるどころか便りもないし、生きているのかもわからなくて……私は国王になって、何もかも変わって、時間だけが過ぎていって……あなたとどんなふうに喋っていたかなんて、とっくに忘れちゃったのよ!」
半分強がり、もう半分は本音といったところだろうか。気づけばもう、メリアに女王としての振る舞いが染みつくくらいには、時が経っている。
「ははは。いや、立派に女王をやっているんだなって、よくわかるよ」
「言葉遣いだけで何がわかるのよ」
「わかるよ。それくらい、気苦労の多そうな喋り方だったからね」
半分冗談、もう半分は本音だ。クロネリア王国新女王としてのメリアの手腕は、シュテルも各地で耳にしている。
「それにしても、女王の君をこんな扱いなんて、グレイスター卿は不敬罪に処されるべきだね」
シュテルとしては、これには一も二もなく同意の声がもらえると思ったのだが。
「ねえそれ……もしかして私の真似?」
「え? まあ、うん、そうだけど」
「じゃあそれ、二度としないで。もうやめたから」
意外にも返答は芳しくなかった。かわりに苦々しい顔で、非難たっぷりの視線を向けられる。
「もしかして誰かに笑われた?」
尋ねると、メリアは視線を左下に投げて黙りこくったが、しばらくするとよほど嫌そうに、思い出したくないのでのあろう過去の出来事を語った。
「笑われたわけじゃなくて……女王になって少しした頃、議会で大臣と、ちょっと言い合いになって……その時、弾みで言ったのよ」
「不敬罪よ! って?」
「そう。そしたら近衛兵がぞろぞろ出てきて、法廷とか、査問会議を開くって話になって……」
なるほど、とシュテルはその先をだいたい予想する。
「誰も止めないんだもの。子供の頃はみんな相手になんかしなかった癖に、急に、真剣な顔して……私はそこまでしなくていいって言ったの。でも、それでは他の者に示しがつきません、とか言っちゃってさ。だから、私のほうが縋りついて止めたの!」
「あ、ああ……それは……気の毒にね」
もちろん、被告になった大臣がだ。
「でしょ。ほんと、驚いたわよ」
一国の君主の言葉は、それほどに重いということだろう。この場合は事態がやや珍妙だが、それでも正しいのは周囲の者たちだとシュテルはわかる。メリアもこの時、それを知ったのだ。
ともあれ、彼女がすこぶる元気そうで、シュテルとしては安心だ。引き攣った笑みをしまい込み、短剣でメリアの足枷を外して立ち上がらせる。
「さあ、長居は無用だ」
シュテルが出口の扉を見据えるが、同時にメリアが駆け寄ったのは、逆方向の窓だった。
「ちょっとちょっと!」
「え?」
驚いて止めにかかった時、既にメリアの片足は窓枠にかけられていたのだから、まったく肝を冷やしたものである。
「もう、君はいくつになっても窓から飛び降りようとするなあ!」
ここは三階だ。よしんば着地できたとしても、彼女のドレスで雨の中の潜行は難しい。
逃げるなら、ここは室内から。シュテルはメリアの手を取って部屋を出た。
二人は石階段を使って一階まで下ると、ほどなくして大きな広間に出くわした。
その時、暗がりから鋭利な光が飛来する。シュテルは即座に短剣を取り出し、これを弾いた。
「ほう、随分と立派になられたが……幼い頃の面影もよく残っているな」
声と同時、闇が滲むように姿を現したのはグレイスターだ。
メリアの前に立ち、身構えるシュテル。そうしてやや声を高くして飄々と言う。
「これはこれは、たまたま忍び込んだ野党崩れに、何やらたいそうな人違いをしているご様子」
しかしグレイスターは、すげなく一笑に付した。
「はは、下手な芝居はよしてくれ。野党とは、己の命が最も惜しいと思うものだ。こんな場所で、逃げるには足枷にしかならぬ女を連れて……その姿は野党どころか、おお、まるで騎士」
仰々しく饒舌な口上に反し、しかしその目は細く鋭い。
「知っているぞ。祖神より受け継ぎし誉れ高き白銀の髪を黒く染め、卑しく生きながらえる亡国の王子がいると聞く。なあ……シュテルベル・ヨーク・フォン・アレイシア?」
どうやら、素性は割れているようだ。白々しくも家族の仇に呼ばれた旧名は、シュテルの口をきつく引き結ばせる。
「本来ならば、敬意を払うべきは俺のほうだが、どうせこの場は、歴史に残ることのない戦い。騎士道も礼節も必要なかろう?」
「なるほど、今宵は無礼講というわけだ。ルーファス・グレイスター」
その時、さきほどシュテルが弾き飛ばした光が、闇に紛れて奴の手に戻る。吸い寄せられるようにしてグレイスターが握り直したのは、身の丈の半分ほどもある長剣だ。
「それが……お前の権能か」
「ああ。俺は、出し惜しみは趣味ではない。しかし、存外飲み込みが早いな」
「こちらも無知ではないのでね」
「ほう。まあお前の主人、ヴォルテールは、こそこそ嗅ぎ回るのがお得意だものな」
グレイスターはシュテルを睥睨し、挑発するように言った。
「さて、では今一度、問おう。お前は野党か、それとも騎士か? 卑しく生き延びるならば、この場は見逃してやろう。一人でどこへでも逃げおおせ」
……一人で、か。
「もちろん、女は置いてゆけ。そやつは大事な大事な花嫁……いや、俺の未来への礎だ」
シュテルは、答えなかった。かわりに再び武器を構えた。メリアを柱の陰に隠れさせ。
ややあって、先に仕掛けたのはグレイスターだった。
前傾姿勢の接近から、目の前で大きく振り上げられた剣を、シュテルは双剣を交差させて受け止めた。その一撃は、十分重い。相手の体躯とリーチから見ても、あまり何度もまともに受けると、こちらの得物がもたないかもしれない。受け流すほうが賢明だ。
「ほう、耐えるか。父より継いだ、細身に似合わぬその強腕の為せる技だな」
シュテルは瞬時に力を抜いてグレイスターを前方に誘い、そのまま一歩、前に踏み込む。順手の右で繰り出した突きをわざと弾かせ、逆手の左で喉元を狙う。
しかし相手の反応も随一だ。身体を反って難なくかわし、そのまま逆袈裟で斬り上げてくる。
シュテルは左に半身で逸れて、これをいなした。
「機を逃さぬとして前に出る度胸は母譲りか」
すぐに体勢を戻して反撃に出る。小回りの利く短剣のほうが、剣戟においては先手を取りやすい。ただしそれは、互いに近い間合いにあればの話だ。
グレイスターはシュテルの攻撃に対して、身体ごと弾き返すように大振りで応じ、適度に長剣だけが届く間合いを作り出している。
「だが惜しむらくは、権能に恵まれなかったお前の運命か」
グレイスターの渾身の斬り込みを双剣で横に受け流し、シュテルは一度大きく距離を取った。
すると奴は振り抜きざま、右足を軸に回転し、その手に握る長剣を――投げた。
シュテルは目を見開き、一直線に向かってくるそれをなんとか弾き返す。宙に跳ね上がった長剣は、しかしあろうことか回転したまま独りでに方向を修正し、再び頭上から狙ってきた。
剣の不自然な挙動は、グレイスターの権能によるものだろう。それを考慮していなかったわけではない。距離を取れば、必ずこうした戦法を使ってくると予想していた。
シュテルは前方に回避をし、背後で剣が床に突き刺さる音を聞くと、グレイスターとの距離を急激に詰めた。奴が丸腰のこの瞬間は、またとない好機だ。
が、シュテルが駆けるのと、グレイスターが剣を呼び戻すのはほぼ同時だった。
グレイスターはシュテルの一撃目を靴裏で弾き、再び手にした剣で次撃を受けた。そこから繰り出される反撃の中段蹴りを、シュテルが膝で防御する。
お互い、体術もお手のものだ。
ただし、グレイスターのほうが膂力では勝る。そのうえ、シュテルの攻撃の合間や軸足の移り変わる隙といった嫌なところで、的確に間合いを詰めてくる胆力は侮れない。
強者の条件を、よくかなえていると言えた。違うのは、少々口数が多い点くらいだろう。
「おおっと!」
シュテルの低い足払いを、グレイスターが飛び上がってかわす。さらに着地の隙を狩ろうとする動きを感じ取るや、剣を手放して権能で操って足場にし、二段飛び。
そうして大きく後退したグレイスターが口元でニヤリと笑った時、突如シュテルの想像もしなかった方向――右後方から刃が飛んできた。
「なっ!」
完全な奇襲。辛うじて右で受けたが、衝撃を殺しきれない。シュテルの短剣はその手から離れ飛び、二階ほどの高さにある窓の下に突き刺さった。
その後も追撃の飛刃が一、二、三回。残りの短剣を駆使してなんとか防ぐ。それらは、おそらくは広間の壁に掛けられていた長剣だった。室内は暗く、シュテルは失念していたが、戦場になることを想定した城内には、どの部屋にもこうした汎用の武具が備えられているものだ。
数は全部で四本。グレイスターが直接握っているものも含めると、敵の操る長剣は五本だ。独りでに――いや、奴の意思に従って動く剣が、かわるがわるシュテルを襲う。
防戦に徹しても、短剣一本で捌ききれる数ではなかった。次第に手傷を負い始める。
「やはり、この程度か。権能を持たぬお前ごときでは。もとより、俺は疑問であったのだ。なぜお前はここへ来た? 八年前、せっかく拾った命ではないか。目的は復讐か?」
「復讐? いいや、違う」シュテルは上がる息を努めて隠し、冷静に答えた。「僕は、かつて守ると誓った人を、助けるために来ただけだ。別にお前なんかに用はないさ」
「言うではないか」
「ああ。ついでに言わせてもらえれば、お前は国政には不向きだ。人の上に立つ器じゃない」
「……なんだと?」
その言葉に、グレイスターは笑みを隠す。
シュテルは頬に滴る血を拭って、低い声で問うた。
「お前は、この国の民の顔を知っているか。その暮らしを見たことがあるか。お前は一度でも彼らの声に……無用な戦いを望まぬ声に、不当な課税を嘆く声に、家族で穏やかに生きたいと願う声に、耳を傾けたことがあるのか」
「はは、本当に言うではないか。祖国を失い、哀れにも半神になれなかったお前が。もはや王族でも貴族でもない、ただの男でしかないお前が! 半神である俺に向かって!」
グレイスターが再び笑った。しかしその笑みは、苛立ちによって歪んだ笑み。
「俺は半神。王たる存在。それがこの世での揺るがぬ宿運――そう、配役なのだ」
奴はここにきてさらに大袈裟に、身振り手振りを交えて言う。
「おお、つまり、この世は舞台。生きとし生ける者は皆、役者だ。役者はすべからく、筋書きには従わねばならぬ。お前は敗国の騎士。もはや、死から逃れることはできぬぞ」
声を上げながら、グレイスターは長剣をくるりと回して、切っ先をシュテルへ向けた。
一気に距離が詰まる。刃の合わさる瞬間、短剣を握るシュテルの手が、強く痺れた。
「その心もとない得物でよく受けた! 腐ってもアレイシアの武人だな。だが、一つ教えておいてやろう。これは俺の用意した剣の劇。この舞台に、観劇者はいないのだよ」
「何?」
その時、グレイスターがふいにシュテルの背後を見た。
「もう一度言おう。皆、役者なのだ。今、お前の後ろで守られているあやつも――」
ほとんど同時、シュテルはグレイスターから飛び退いて、メリアの方へと駆け出す。けれども宙を舞う剣には追いつけず、彼女の隠れた柱の影で大きな音が響いた。
それは、金属音だった。弾かれた剣が床に転がる。
「シュテル、私は大丈夫! これがあれば平気よ!」
遅れて顔を見せたメリアは、あろうことか、兵士の用いる大盾を両手に持っていた。彼女にとっては相当に重いのだろう、半ば引きずるようにして持つそれは、おそらくは広間の壁にかけられていたものだ。グレイスターの操る長剣と同じく。
平気……かどうかは、いささか怪しいところだが……まさか持ち出したのだろうか。
「これはこれは……想像以上のお転婆と見える」
それだけはグレイスターの言葉に同意だ。
メリアは、身を覆うほどの大盾を引きずったまま、けれどしかと胸を張って、奴に言った。
「宰相殿。私とて、観劇者のつもりはありません」
「おお、左様か。ではメリア殿、そなたがこちらへ戻るのであれば、この男の命は救われ、クロネリアと戦争をする必要もない。そなたの役目は、祖国の平和を考えることではないか?」
対しては、メリアが答えるよりも早く、シュテルが割って入ってグレイスターを正視した。
「聞く必要はないよ、メリア。確かにあいつの言う通り、僕はもうただの男だ。けど、それでも……この先君の隣に立つのは、ただ一人の民を選ぶことのできない王である君を、ただ一人選んでくれる人であってほしい。そしてそれは、あの男ではないと、僕は思う」
するとグレイスターはまた、傲岸な笑みをシュテルへ向けた。
「止めるということは、引き続きそやつを守りながら戦うということ。その分、わきまえた立ち回りが必要であろうな」
「わきまえた立ち回り、か。そうだな……」
このままでは埒が開かないというのは事実だ。双剣の片方を失って防戦一方。いずれは自分か、あるいはメリアが、致命的な傷を負う。そうなっては終わりだ。そうなる前に――。
「僕のことをアレイシアの武人と言ったな。だがお前はアレイシアの武人を甘く見すぎている」
「ほう……」と目を細めたグレイスターは、床に散らばる長剣の一つを手元に引き戻し、あえてシュテルの正面から飛ばした。すぐ背後にいるメリアも同時に標的とした攻撃だ。
当然、シュテルは避けようとはしない。そのまま一歩前へ出て、短剣を強く握り振りかぶって、向かいくる剣を思いきり叩き落とした。
轟音が反響する中、すぐさまその柄を握って拾い上げ、深く深呼吸をしてこれを構える。
「おお、そのような長剣を携えると、ますます騎士に見えるものだ。しかしよいのか? 普段の得物とは違うようだが」
「外で目立たないように動くには、ああいう小さな武器のほうがいいってだけさ。今は……観劇者はいないんだろう?」
「騎士の剣を振るのはいつ以来だ?」
「さあね、最後に握ったのはもう随分前だ。けれど生憎と、片時も忘れたことはないんだ。父の教えも、兄弟との鍛錬の記憶も」
忘れられた日などない。シュテルの中から、消えはしない。
もちろん、この血に受け継ぎし武芸の才も。
シュテルの構えは、柄を握った両手を右側頭の位置まで上げ、切っ先を牛の角のように相手に向ける。小柄だった彼が上背のある相手と戦うために、よく用いていた上段の構えだ。
「祖国の武を、見せてやろう」
「強がるな。お前に似合いの、負け犬の台詞を用意してあるぞ」
グレイスターの操る三本の剣が、かわるがわる宙を舞った。
対してシュテルは、一本目を叩き落として足で踏み、他は左右に分けて弾き飛ばした。いずれもグレイスターからは距離のある位置を狙って、だ。そうして言った。
「お前の権能は確かに脅威だ。だが制約もあるのだと、戦っていてわかった。お前から離れれば離れるほど、飛んでくる剣の威力は弱くなる。そして操作できるのは一度に一つ、一方向だ」
「ははは、ご明察だ。だが、それを知ったところでどうなる」
「種がわかれば、対処法も自ずと見えてくるものだ」
グレイスターは、向かって右側の剣を一度宙に浮かせ、狙いを定めて飛ばす。その一連の動きは、都度剣に加える力の強さや方向を調整しながら操作するという、意外にも繊細なものだ。
弾き返す時は、できるだけ奴から離れたところを狙う。するとその位置から直接飛んでくる剣は脅威にならない。踏んでいる剣については、奴との距離がある以上は、こちらの体重を跳ね退ける力はない。
やがて、再び正面から剣が飛んできた瞬間を見計らい、シュテルは大きく前に駆けた。
一度構えを解いて片手を自由にし、飛剣の軌道を読み切って紙一重でかわす。そしてすれ違いざま、的確にその柄を握って勢いを御し、投げ返した。
「なっ!?」
グレイスターは驚きつつも手の剣でこれを弾いた。そこに生じた隙にシュテルが斬りかかる。
「ぐっ……!」
辛うじて受けきったグレイスター。そのまま、至近での鍔迫り合いとなった。
だがその鍔迫り合いとは、拮抗を意味するものでは、断じてない。シュテルは体勢で優位を取り、ジリジリと刃を押している。一方のグレイスターは、防戦で手一杯のようだ。
「知ったふうな口をききながら、自ら近づいてくるとはな。忘れたのか、お前の後ろには――」
「わかったことはもう一つある。視認だ」
シュテルの後方には、さきほどまで踏んで動きを止めていた剣と、メリアがいる。しかしこれも計算のうちだ。
「お前は権能で何かを操る時、必ずそれを視認しなければならないんだ。でも、この状況でそんな余裕は与えない。僕の背中を狙うか、あるいはまたメリアに剣を向けるとしても、お前がそのために視線を逸らせば、お前の剣が届くよりも早く、僕の剣がその首を落とす」
本来、息つく間もなく互いを睨み合う剣のやり取りにおいて、たとえ一瞬でも、相手の視線が自分から外れることがあれば、それは存外に目立つものだ。
「ぬう……なんたる……!」
「戦争をすれば……どれだけの犠牲が出ると思っている。お前はいったい、どれだけの人間を殺そうと言うんだ」
「ふっ……興味がないな。死ぬ奴は死ぬ、それだけだ。俺が王になるために致し方ないことだ」
苦し紛れであろうか、事ここに至っても、グレイスターは不敵に笑った。
その口から吐かれる理外の愚言にシュテルは憤る。
「馬鹿を言うな。民を失い、荒れ果てた地の王になったところで、いったいなんの意味がある!」
「意味はある。俺が王になる。半神は、王となって然るべきだからだ。俺は半神の子として生まれ、権能を継いだ、全ての人間の王たる存在!」
笑みを崩さぬグレイスター。その剣を払い退け、シュテルはいよいよ戦いを終わらせに出る。
「お前の狂言には付き合いきれないな。戯れの舞台は、どうか一人でやってくれ」
「――一人ではありません!」
しかしシュテルの一撃は、受け、弾かれた。突如飛来した黒衣の女の剣によって。
「レド……!」
グレイスターの呼びかけに答えるのは、喪服のごとき黒いドレスを纏った淑女。長い黒髪には壮麗なヘッドドレス。足にはヒール、手にはグローブ。携えるは闇に光る長傘の刺突剣。
生じた隙で、レドと呼ばれた女とグレイスターは、シュテルから距離を取った。
「申し訳ありません、主様。戦況報告に戻ったのですが、賊と戦われるお姿をお見かけ致しましたので、勝手ながら加勢を」
「……いや、よく来た。ちょうど役者が足りていなかったところだ」
答えつつ、グレイスターは体勢を立て直す。
「正門の敵軍勢、想定以上。味方の貴族たちがいくらか、ヴォルテール卿に根回しされていたようで寝返りました」
「ふん、相変わらずやり方が姑息だな。何、ここを片づけて俺たちが向かえばすぐ済むことだ」
するとレドが、シュテルの方へと視線を向けた。
シュテルはすぐさま顔を背ける。彼女の瞳の光を目にすると、姿が消えてしまうからだ。
レドは言った。玉のように澄んだ、しかし芯のある声で高々に。
「狂言上等。おっしゃる通り、ここは舞台。今は、主様が主役の演目の真っ最中。無論、あなた方も役者ですから、筋書き通りに演じてもらわねば困ります」
「何が筋書きだ。そうやってお前たちは、他人を振り回してきたのだな。懸命に生きる多くの人々の運命が、お前たちの言う下らない筋書きに従わされることなど、あっていいはずがない」
「いいえ、従っていただきます。弱者が強者に従うこと、それは世界のルールなのです。盤上の駒の価値がそれぞれに違うように、命には初めから優劣がございます。主様はその頂点、すなわちキング。幸運で当然、恵まれて当然、優秀で当然、特別で当然。望むものを、全て手にする権利を持つ。そう、我が主様は世界でもっとも優れた存在――半神、でございますゆえ」
「聞くに堪えない妄言だ」
盾に隠れるメリアの様子をうかがえば、現れたレドの方を落ち着きなく見回している。姿が見えないのだろう。どうやら既に、彼女の権能を受けてしまっているようだ。
シュテルが改めて剣の柄を握り直すのと、レドが踏み出したのは同時だった。
高速の刺突剣を最小限の動きでいなす。しかし、時折防御をすり抜けて生き物のようにシュテルの首を狙う太刀筋には、以前にも増して独特の恐ろしさがあった。
そのうえレドとの剣戟のさなかにも、前後左右からグレイスターの操る剣が飛来する。
レドの投擲するナイフが、グレイスターの権能の手駒をさらに増やす。
飛び回るレドの姿を直視できないため、グレイスターの視線を追うのも難しくなる。
もしレドがメリアを狙えば、姿を視認できないメリアは自衛などできない。
「レド! ナイトとクイーンのフォークを狙え!」
その指示に従い、レドはあえてシュテルの正面に回って攻撃を行った。メリアの位置を背負わせ、シュテルにかわすという選択肢を与えないためだ。
「いや? 一国の君主という意味では、後ろで守られている女王はクイーンではなくキングと言うべきか? はは……まあ、どちらでもよいか」
「聞き及ぶところによりますと、クロネリア産のチェスではキングとクイーンが反対だとか」
「ほお、そうかそうか。女性君主国家ならではだな。この先、そうした工芸品が作られなくなるのだと思うと、惜しくもあるな」
目まぐるしい剣の応酬だ。手数では、圧倒的に、シュテルが不利。
しかし、それでも……シュテルは二者からの攻撃に、一本の長剣と身のこなしだけで全て対処してみせる。それは凄まじいまでの順応能力だ。幼い頃に培われた剣の扱いが今、シュテルの奥底から急激に蘇り、成長した体躯と合わさって驚異的な水準に達しつつあった。
事実、レドの矛先がメリアへ向かないのも、攻勢が一瞬でも緩まればシュテルはすぐさまグレイスターへと詰め寄り、致命的な劣勢を招くと感じていたからだろう。まるで揺れる天秤のような、寄せては引く波のような、どちらにも大きく傾くことのない形勢。
その時だ。おそらく屋外では霧雨が止んだのだろう。高窓から淡い月光が差す。それは、この闇の中においては十分すぎるほどの光源として、突進するレドの影を床に浮かび上がらせる。
シュテルの反応が、わずかに早まる。
迫りくる刺突剣を完全に見切って足で踏みつけると、その剣身が根本から折れ砕けた。シュテルはそのままレドの背後に回ってすれ違いざま、素早い斬撃を振るう。
「くっ!」
レドは体勢を大きく崩すのも構わず回避に専念した。それでも剣先が彼女の首筋にうっすらと赤い筋を作り、ヘッドドレスと長い黒髪は、大きく斜めに斬り落とされる。
この気を逃すまいと、シュテルは前方を真っ直ぐに見据えた。
「グレイスター!」
今、奴が応戦に使えるのは、その手に握る一本の長剣のみだ。
シュテルは詰め寄り、上から斬りつけると見せてすっと刃を下方へ流し、グレイスターの剣を下から跳ね上げる。そしてほとんど無防備となったところへ、切っ先を向けたその刹那――。
奴の懐から出てきたものに、さしものシュテルも驚いた。出し惜しみは趣味ではないと、そう言っていた先の笑顔が脳裏をかすめた。
鳴り渡るのは、耳をつんざく発砲音。
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