17.Melia
メリアが求婚状を受け取ってから、早くも数日後にはガイオンへ入国する運びとなった。
そのための馬車や家財、礼装などは全てガイオンが手配し、クロネリアからは、メリアに対して付く数人の侍女だけが出る。このような条件は両国が対等な立場での婚儀とは言えず、ほとんど単身、人質になりに行くようなものであった。
本日快晴、ガイオン王国首都シティ・オブ・ロールズではメリアの歓待、およびグレイスターとの婚礼パレードが執り行われる。
石材の豊富なロールズでは石造りの建造物が主流で、屋根には赤煉瓦を、壁には白と黒の煉瓦を用いた家々で溢れている。さらに住宅に限らず聖堂、鐘楼、役所なども同様で、統一感のある景観が印象的だ。見所は、なんといっても王城から街の南門まで一直線に延びるメインストリート。この日はパレードのため、花や色布による装飾があちこちに施されていた。
集まる人々の前を進むのはガイオン兵装の歩兵、騎馬兵、そして旗手。続いて太鼓や笛の音楽隊。派手な踊り子たちもいる。
そうした行進の中心を、ひときわ大きな馬車に乗ってゆくのが、メリアとグレイスターだ。
グレイスターは婚礼用の正装に黒いマントを、メリアは裾に向かって大きく広がる純白のドレスを身につけている。頭からほぼ全身を覆うベールは、メリアの長い真紅の髪を白く染め上げ、その硬い表情を観衆から巧みに隠している。
メリアの隣で鷹揚に腰掛けるグレイスターが、こちらを一瞥しながら言った。
「いやはや、何度見ても晴れやかなこと。今日のそなたの美しさ、過ぎ去りしあの夏の日にでも、喩えたらよろしいか」
「……もったいないお言葉でございます」
対するメリアは、ほとんど表情を動かすことなく答えた。
「それにしても、これほど早くに色よい返事を頂けるとは思っておらなんだ。他国の王族や、クロネリア国内の有力な貴族からも、多く声はかかっていただろうに」
「だとしても、あなたほどのお方のお声がけを、無下にするはずがありませんわ。他ならぬガイオン王国の宰相閣下であらせられます、グレイスター卿」
「はは、そうかそうか。それがこの世という舞台の上でそなたに与えられた、クロネリアの女王としての役目であるか」
よく通るグレイスターの低い声は機嫌がいい。長身から降るその視線の中、用意されたブーケを持つメリアの右手に、わずかだけ力が入った。
その手の中にはこっそりと、古びたロケットが握られている。メリアが女王に即位して以来、片時も離さず胸元に潜ませていたものだが、婚礼の衣装にそぐわないと外されてしまったのだ。
「そのブーケは、お気に召していただけたかな? そなたの国の国花であるというクロネリアの花――それを模したものを色とりどり、ガイオン屈指の職人たちに作らせた。生憎と、生花の季節は終わってしまったようなのでな」
「素晴らしい出来でございます。まるで季節を超えて、未だここに咲いているかのよう」
「重畳、重畳。ブーケの他にドレスの装飾にも白い花を用いるよう、この私が直接指示をした」
「いかがかな?」と左手を広げて大袈裟に尋ねるグレイスターは、次なるメリアの「お気遣い痛み入ります」という返答まで予期していたように見える。
「ときに貴国では、クロネリアの花の中でも赤いものだけに、特別な呼び方があるそうな。なんでも、その時代の女王の名で呼ぶとか……とすれば今は、メリアの花と呼ぶのだろうか」
「おっしゃる通り、あくまでクロネリアだけの慣習ですが、非常に博識でおられますね」
「何、その昔、貴国に赴いた際に聞いた話でな。あれは……さて、いつのことであったか」
自らの顎に手を添えて首を傾げるグレイスターに、メリアはあくまで単調に返す。
「卿がいらした時であれば、八年前の、三国同盟会議の折でしょうか」
「ああ、そうだそうだ。あの時はちょうど花の季節で、移動中の座興に聞いたのだ。にしても三国同盟とは……随分、懐かしい響きであるな」
それを聞いて、始終淡白だったメリアの声が一瞬、少しだけ揺れた。
「懐かしい……そうですね。決してなくなるべきではなかった」
「まあ、何事にも終わりはある。その一角を担っていたアレイシアは、もはや我が国の属領だ。そしてあの時、アレイシアの末子と結ばれようとしていたそなたは今、こうして私の横にいる」
メリアは沈黙したまま、静かに奥歯を強く噛む。
「ああ、思い出したぞ。あの三国会議の晩餐会でのそなたらは、実に仲睦まじく見えたものだったな。皆の前で、拙くも愛らしいダンスを披露して……」
グレイスターは、さながら劇の台詞を述べるかのように身振り手振りを交えて続けた。
「はは、しかし、非情かな。恋は終わってしまう。音のように一瞬で、影のように素早く、夢のように儚く、真っ暗な夜の稲妻のごとく閃いて、ぱっと天地を照らすだけ。口にする間もなく慌てふためき、みるみるうち闇に飲み込まれる。美しきものはそうしてたちまち滅びるものだ。やがて時が過ぎ、十の少女だったそなたはもう、十八の立派な淑女。自身の結婚も政治のカードと考えられる歳になったわけだ」
グレイスターは口元をくっと引き上げ、しかしそれは、笑みというにはほど遠かった。感情の乖離した、粘土で作ったような顔だ。
「……そうすることでしか、ガイオンとクロネリアの衝突が避けられないのなら……」
「ほう……? 衝突とは、また穏やかでない」
その声色は落ち着いているのに、腹の底を撫でるような、どこか不気味な響きを孕んでいる。
メリアは短く息を吸い込み、この日初めて、グレイスターの顔を見て言った。
「随分前から、ガイオンの軍が国境付近で妙な動きをしているのはわかっています。その他にも、ガイオン側からクロネリアの貴族に、秘密裏に接触を試みた者もいるとかいないとか」
「ほほお、よく調べておいでだ。慎重はクロネリアという国の性かな?」
「身構えるのは当然です。そもそも八年前の、ガイオンとアレイシアの戦争は、あなたが始めたものだと聞いていますよ」
「あれか。まあ、否定はすまい。だが実際、当時のガイオン内ではそうするべきだという声も大きくてな。経済的な発展で後手に回っていたアレイシアが、ガイオンを差し置いてクロネリアとの関係を強めようとしていたのは、ある程度周知の事実でもあった」
「民が……戦争を望んだと?」
「ああ。どんな国も、自国が危ないとなれば、戦うのもやぶさかではないものだ」
そういうもの、だろうか。たとえ同盟関係にあろうと、国を導く者は他国を出し抜いてでも、自国の利益を第一に優先すべきなのか。それこそが、外交における適切な危機意識だろうか。
ひやりとした風が、メリアの頬から熱をかすめる。
「ただ、難しいのは一度危機が去ったあとでな。こうなると皆、安寧にあぐらをかき、新たに戦争を始めるにも、あれこれ理由を求め出す。はては税で軍備を整えるにも苦労する始末だ」
けれども、続けて聞いたグレイスターの言葉に、メリアもいよいよ違和感を覚えた。
「理由……戦争を始める、理由……?」
まるで……まるでそう、その理由を探しているような……。
「ああ。その点、一も二もなくこの場へやってきたそなたの慧眼には恐れ入った。この婚儀の実現かなわずば、私はそなた欲しさに色恋に狂ったふりをして貴国を攻めてもよかったのだが」
「何を、お戯れを……」
グレイスターの瞳には、冗談の色など欠片もなかった。その深い闇色をした双眸、薄ら寒さを覚える笑みに、メリアは息を詰まらせる。なんと……なんと底の見えない男か。
「そういえば、さきほど話したアレイシアの王家の末子……名をなんといったか? 確か、シュテルベルと……」
さらに無視できない名前が、グレイスターの口から発せられる。
「戦後処理で骸が上がらず妙に思っていたのだが、このガイオンで生き延びているらしいと聞き及んでな。どうやら殺し損ねていたようだ。まあ、狙い通りあの王家に伝わる半神の権能は途絶えたようだから、私としては特段問題はないのだが……かつての想い人が存命と伝えたら、そなたはいったい、どのような顔をするのかと思ってな」
足の底から寒気がせり上がり、けれど対照的に、メリアの頭に熱が駆け巡った。硬直した身体は、ほとんど無意識にまた、右手でロケットを握り締めている。
努めて崩さぬとしたメリアのその表情を、じっと眇めたグレイスターの目がとらえた。
「おや、意外にもさして驚かぬ。もしや既に知っていたか? とすれば、そなたはそのうえでここへ来たということだな。幼き日の恋心を捨て、なんと、王の責務に忠実であることか。いや? あるいは……とうに国土も地位も失い、あまつさえ半神にすらなれなかった男になど興味はないか。さしずめ、出番の終わった役者だものな」
「そんなことっ!」
ははは、と口だけで笑うグレイスターに向かって、メリアはたまらず立ち上がった。
同時に馬車が大きく揺れ、その拍子に、持っていたブーケを取り落とす。メリアの視線は一瞬そちらへ――ブーケと一緒に手放してしまったロケットへと流れたが。
「メリア殿」
すぐにまた姿勢を戻し、低い声の主を振り返った。馬車の庇の作る影が、目の眩むような昼の陽光からグレイスターを隠している。口元を明るいままに、目元から上を暗く切り分ける。
「急に立ち上がっては危険だ。さあ、座りなさい」
影の中で、闇色の瞳が囁いている。
その、まるで世の全てを睥睨するがごとき瞳に見つめられ、メリアは再び、息を呑む。
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