05.Melia

 通用門をくぐって王宮に戻ったメリアは、そこですぐさまマルガリタに捕まり、母のもとへと連行された。午後から始まる園遊会までもう間もないということで、何人もの侍女たちが駆り出されて、すぐにメリアの出席準備が始められる。

 土まみれのエプロンドレスを迎賓用のドレスに着替え、勝気な表情を控えめな白粉と紅で淑やかに彩り、頭上には一国の王女の証たる華やかなティアラを。

 こうして見違えるほど美しく着飾ったメリアは、母に連れられて会場である中庭へ向かった。

 中庭とはいえその空間は、民家の十軒二十軒ならば優に立ち並ぶほどの広さを誇り、白石の通路と新緑の芝が芸術的な対比を演出している。一角には王宮お抱えの大規模な音楽団が控えており、さらに会場に設けられたいくつものテーブルには、贅を尽くした料理の数々。

 参列者は思い思いに歓談し、会の始まりを今か今かと待ちわびている。

 母はその光景を見て、到着するなりいち早く前に出て挨拶をした。メリアも名目上の主役として一応、母の横に立って作り笑みの一礼を添える。

 そんな短い顔見せを終えると、再び母に手を引かれて会場を歩いた。さて、これからいよいよ婚約者を探して延々笑顔を振り撒く人形になるのかと、内心ではげんなりだ。

「じゃあメリア、次はあなたの婚約者になった方に会うわよ。失礼のないようにね」

「え?」

 しかし前を歩く母の言葉は、メリアの想像とは少し違った。

「お母様、あの、婚約って、これから決めるんじゃ……」

「いいえ、もう決まったわ」

「もう……決まった?」

 ああ、なんだ。思ったよりずっと、話が早いではないか。

 いや、でもどうせ笑顔で練り歩いたところで自分の意思は通らないのだ。ならば面倒が省けただけよしとするべきか。全てが自動的に決まっていくのは、何も今に始まったことではない。

 反発と諦念は表裏一体だ。胸の内に抱く王家や母への反発は、ひとたび裏返れば、そのまま同じ大きさの諦めに変わる。幼い頃からの王宮生活で、そういう感情は繰り返し味わってきた。

 メリアは俯いて、母の後ろ足だけを見ながらとぼとぼと追う。

「大丈夫よ、メリア。クローネ様がちゃんと、あなたにとって一番いい未来を決めてくれたわ」

 やがて辿り着いた先では既に人の輪ができあがっており、皆が喜ばしそうに話していた。

「クロネリアの王女とアレイシアの王子でご婚約とは、まことにおめでたいことでございます」

「聞けばこの縁談は、お子同士のかくれんぼがきっかけだとか」

「ええ。これも聖母アリア様と、両国の祖神クローネ様とアレス様のお導きでしょう」

 飛び交う声をよそにメリアが重い視線を持ち上げると、開かれた輪の中から、件の婚約者と思しき人物が姿を現す。

 瞬間、メリアの頭からは、それまで考えていたことが全部吹き飛んで、なくなってしまった。

 周りに見えるもの、聞こえるもの、何もかも消えて、意識の一切がその存在に強く集約されたのだ。まるで暗い舞台の上、彼だけが眩い照明に当てられたかのように煌めいて映る。こちらに歩いてくる足音は、自らの心臓の鼓動と重なって聞こえる。

 揺れる白銀の髪に、淡いスカイブルーの双眸。

 ついさきほど見知った姿――しかしそれが、よりいっそうの輝きとともに目前にあった。

「ああ、やっぱり。クロネリアの王女というのは君のことだったのか」

 装飾された白いジャケットにズボン。そこに浮かぶ優しい笑みを、既にメリアは知っている。

「あなた……確か、そう、シュテルベル! 私の婚約者って、あなたなの?」

「どうやらそういうことらしいね」

 驚き惚けているメリアを前に、シュテルベルはさらりと答え、続いて「ひとまずは、形だけでも挨拶を」と恭しく跪いてこうべを垂れる。

「お初にお目にかかります。アレイシア王国より参りました、シュテルベル・ヨーク・フォン・アレイシアと申します。古来よりアレイシアの王族は、自ら民を率いて戦う機会が多いことから、生まれながらにして騎士の称号を与えられます。メリア王女殿下、今日から僕は、あなたの騎士です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」

 そうして差し出された彼の手があまりに自然に見えたので、メリアもつられて片手を預けた。

 甲に優しく唇が落とされ、同時に周囲からは大きな拍手と、祝福の言葉の数々が湧いた。

 やがて、立ち上がったシュテルベルに向かって、赤らめた顔を誤魔化すようにそっぽを向いたメリアが言った。

「う、嬉しい言葉だけど……最初の一言目が大嘘だと、喜んでいいのか複雑ね」

「大嘘?」

「だって私たち、もう、お初じゃないし?」

 するとシュテルベルは少しだけ首を傾げたが。

「ああ、そこはほら、今はみんなも見てるし方便というか……いや、じゃあそうだな。王女としての君に会うのは、これが初めてという意味にしよう。川辺で会った時の君は、なぜか召使いの格好をしていたから」

「そう言われると……まあ、返す言葉がないんだけど」

「あの時僕は、こんなふうに君と婚約者同士になるなんて、想像もしていなかったな」

「わ、私だって……」

 そう、メリアもまったく、想像だにしていなかった。

 王家のためと、なんでも勝手に決められていく物事に頷くくらいなら、こんなところ飛び出してやる。そう思っていつも、逃げ回っていた。

 でも、結局のところは逃げられない。所詮自分は籠の中の鳥で、心の奥底には、密かにどうしようもなさが燻っていた。ならば好いた相手と結ばれるなんて、きっと夢物語なのだろうと。

 だけど。

「そうだったんだ。もしかしたらメリアのほうは、こうなる未来を知っていたんじゃないのかなって、考えたりもしたんだけど。何せ君は、半神クローネ様の末裔、クロネリアの王族だ」

「まさか、やめてよ。未来なんて、誰にもわかるわけないじゃない」

 だけど――とメリアは思う。

「だけど、そうね。誰にもわかるわけがないのだから、ならいっそのこと、言いたいように言わせてもらおうかしら」

 そう口にして、メリアは笑った。ここにきてようやく、本心から。

「この縁談は、お母様たちが決めた話。でも、そんなの関係なく私は、きっとあの川辺で出会った時に、あなたのことを選んでいたんだわ。だって私は確かにあの時、あなたとなら上手くやっていけそうって、どこかで感じていたんだもの」

 ああ、例えばそんなふうに考えたなら、これはなんという幸運か。

 自らが選んだこのシュテルベルという人を、母も父も同じように選んでくれた。でもあくまで、先に選んだのは自分なのだ。ならばこれは、政略結婚でも例外――有頂天外の特別例外!

 まるで踊り出してしまいそうな、とはこんな気持ちを言うのだろう。ダンスなんていつも稽古を抜け出してばかりだから、まともに足が動くかどうかわからないが、それでもメリアはすぐさま彼の手を取って、ステップを刻みたくなってしまった。

 お誂え向きに音楽がかかる。会場にいた人々が、あちらこちらで手を取って踊り始めた。

 メリアも勢いよく駆け出す。駆け出して、最初のターンでさっそく派手にこけそうになり、それをシュテルベルが先回りして華麗に支えた。まるで大人顔負けのリードで。

「ダンス、上手なのね」

「舞踏も武芸の一種だからね。半神アレスの末裔たるアレイシアの王族なら、これくらいはね」

「そうなんだ! すごいわシュテルベル!」

 すると彼は、ほんの少しだけ照れ臭そうな様子を見せ。

「っていうのは建前で、ごめん、本当はいっぱい練習したんだ」と苦笑いで言った。

 そうして二人は、夢中で踊った。メリアはいつになく舞い上がっていて時折突飛なステップを踏んだが、それでもシュテルベルが涼しい顔で合わせてくれるので楽しくてたまらなかった。

 相性良好。一曲終えても、続けて二曲三曲と。

 二人のダンスを微笑ましく見守っていた大人たちは皆、そこに明るい未来を見たことだろう。

 メリアの誕生会は誰の予想をも上回る大成功と言えた。そしてこれに倣うがごとく、以後の三国同盟会議もつつがなく進んだ。初日で気をよくしたメリアは二日目からすんなりと会議に出るようになり、本来は予定になかったシュテルベルの出席も、快く認められた。

 全日程を終え、さすがの最終日は夜遅くまで園遊会が続いたこともあり、参列者の帰国は翌日の正午近くから。晴れて婚約が成立し、これから未来の王配としてクロネリアの王宮で過ごす運びとなったシュテルベルも、ひとまずは正式な婚礼準備のために帰国となった。

 国と国を跨ぐ王族の婿入りとなれば、なにぶん物も時間も入り用だ。近い再会を約束した二人の、最初にして最後の、しばしの別れ。きっと誰もがそう、考えていた。

 しかし、その約束が果たされることはなかった。

 メリアがシュテルベルの帰国を見送って、十日ほどあとのことだ。

 アレイシア王国は、ガイオン王国による侵攻を受け、一夜にしてその名を地図から消した。

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