04.Sterbell

 シュテルベルの手は淀みなく動き、ほどなくして集めた全ての花が輪に編み込まれた。仕上げに余計な茎や葉を取り除いて形を整えると、隣では既にメリアが目を輝かせていた。

「わあ! すごいすごい! ほんとにできた!」

「うん、できたね。失敗しなくてよかったよ」

「途中からなんて私、全然わかんなくて、まるで魔法みたいだったわ!」

 そこまで言われれば悪い気はしないものだ。シュテルベルは「ありがとう」と微笑むと、いつしかぺたんと地面に尻をついて座っているメリアの頭に、完成した花冠を載せてやった。

 美しい真紅の髪の上に映える真紅の冠。たったそれだけで、身につけていたエプロンドレスの野暮ったさなどどうでもよくなってしまうくらい、垢抜けて見える。

「とても似合うね。なんだか、まるで本物の王冠みたいだよ」

 ところが、だ。シュテルベルとしては純粋に褒めたつもりが、途端にメリアの表情が曇った。

 ついさきほどまで、それこそ花のように嬉しそうな笑顔を咲かせていた彼女。なのに、何か、よくないことに気づいてしまったかのようにしゅんとする。しばらくすると、頭上の花冠を自ら外してぽつぽつと口を動かすのだった。

「ねえ……変なこと、言ってもいい?」

 変なこと、か。わざわざ断らなくても、彼女はわりと初めから変な召使いではあるが。

「ん、いいよ」

「あのね。私、花は好きなの。だってとても、綺麗だもの。昔からそれに喩えて褒められたら、ちゃんと嬉しかったわ。でも最近、思っちゃう。花は……自分で咲くところを選べない。それってちょっと、可哀想じゃないかなって」

「可哀想?」

 こくん、と首だけで頷いてメリアは続ける。

「だって私も、生まれる場所を選べなかったわ。今日なんてね、ひどいのよ。私の婚約相手を、お母様が選ぶって言ったの。婚約って、結婚の約束でしょ? それってつまりあれじゃない、政略結婚っていうやつじゃない」

「政略……結婚」

「そう。お互いが好きかどうかじゃなくて、立場とか家柄とか、そういうので相手を決めるの。えっと、なんだっけ……家を存続させるため、とかで」

 もちろん、シュテルベルも言葉を知らなかったわけではない。彼女の口からそんな言葉が出たことに驚いたのだ。

 政略結婚などというのは基本的に、王族や貴族たちの間で行われるものだ。少なくともただの召使いには縁遠い言葉のはず。そう思い、内心では首を傾げる。

 けれどメリアは当たり前のような声音で尋ねてきた。

「ところで、あなたも貴族……なのよね? 家とか結婚とか、こういう話ってされたことない?」

「ああ、えっと……」

 シュテルベルは迷ったが、ひとまずは話してもよさそうな範囲で話すことにした。

「僕には、兄が二人いてね。家についてのことは長兄の役回りだと思うけど……でも結婚は、もちろんしないわけにはいかない。そのうち父上と母上が僕の縁談を決めるだろね」

「やっぱり……どこもそういうものなのかしら」

 メリアは真剣な表情で呟き、そしてつんと、唇を尖らせる。

「もう本当、本人の気持ちなんてお構いなしね! そういえばお母様とお父様なんて、生まれる前から結婚が決まっていたっていうくらいだし」

 しかしシュテルベルにしてみれば、それは怒る意味がわからないような話だった。

 どこもそういうもの――その通りだ、おそらくは。

 親の決めた相手と結婚するという未来に疑問に感じたことなど、今の今まで一度もなかった。

「生まれる前から、か。なんだかそこまでいくと、いっそ運命的に見えたりもするものだけど」

「運命?」

「うん、運命。別に結婚だけじゃなくて、こういう言い方は、いろんなところでされるみたいだけどね。いつ、どこに生まれて、誰に出会って、どんな道を進むのか。人によって未来は初めから決まっている……みたいな。僕の母上は、聖母アリア様と祖神アレス様のお導き、なんて言うこともあったかな」

「お導き……かあ。なんか、まあ……そう言われると、聞こえはいいけど……」

 実際、耳当たりのよい言葉には違いないだろう。こうした表現が広く用いられているのは、その考え方を好意的に思い、信じている人が多いことの証とも言える。

 いつどこで、どのような境遇にあろうとも、未来に不安を抱かないなんて人間はいない。そうした毎日を生きるうえで、信仰心を持つ自分こそ人智を超えた力によって幸福に導かれるはずだと信じることは、いくらかの心の支えになるものだ。

「でも――」と隣からぽつりと聞こえた。シュテルベルは呼ばれたかのように振り向く。

「でもね、たとえ導かれている、決められているのだとしても……私は自分で選びたいの。ううん、自分で選んだって、思いたいの。だって未来なんてのは、誰にもわからないはずでしょう? なら、この先私が進むのが、どんな道だったとしても、それはどこかの誰かじゃなくて、私自身で決めたんだ。そう思えるかどうかで、その道を進む気持ちは、全然違うはずだもの」

 力なく俯いていたはずのメリアは、どうしてか今は、そういうふうには見えなかった。

「だからね。きっと未来ってのは、導かれるものじゃないわ。自分で決めて、目指すものよ」

 表情には強い意思がこもり、声は凛とした、芯のあるものに感じた。

 シュテルベルは両目を、少しだけ見開く。

 いつからだろうか、シュテルベルにはもう、目の前の彼女がただの召使いには見えなくなっている。振る舞いも、話すことも、明らかに召使いのそれとは違う。そう、もっと自分と、近しい立場にいるような――。

「あの、メリア。君は――」

「姫様」

 その時、頭上から声が聞こえた。

 声の主は知らぬ間にすぐ真後ろにいた、いかにも好々爺然とした風体の老人だった。

「これはこれは、いつになく珍しい格好をしておいでですね」

「あ、爺じゃない。よくここがわかったわね」

 爺、と親しげに呼ぶその人に向かって、メリアは首を反らして垂直に振り向く。

「ほほほ、何をおっしゃいますやら。姫様に昔、この場所をお教えしたのは、この爺ですぞ」

「あれ、そうだっけ?」

 すると爺はまた「ほほほ」と心地よくしわがれた声で笑った。

 ややあって、爺がメリアの手元を気に留める。

「おや、それは……立派な花冠でございますね」

「あ、うん、そうでしょ。これは全部ここに咲いてた花だから、前に爺から言われた通り、王宮の花壇の花は摘んでないわよ」

「わかっておりますよ。爺の進言を覚えていてくださって、光栄にございます。ところで……」

 そこまで言いかけると、爺は腰を曲げたまま王宮の方を振り返る。

「そのご様子ですと、姫様は随分と前からここにおられるご様子。今、王宮では姫様の姿が見つからないと、ちょっとした騒ぎになっておりますよ。なんでも召使い見習いの少女が、姫様を探してくれと大人たちに泣きついておられたとか」

「えー。もう、クロエってば、秘密にしてってちゃんと言っておいたのに」

「下々の者に、あまり無理をおっしゃってはいけません。これ以上の大事になる前に、戻られたほうがよろしいかと。そろそろ姫様のお誕生会も始まる頃合いですしね」

 爺の言葉に、しかしメリアはぷくっと頬を膨らませた。

「違うわよ。あれは、三国同盟会議の園遊会よ」

「そうではありますが、姫様のお誕生会であることもまた事実です。主役がおられませねば、集まった皆様も残念がりますよ」

「もしかして、爺も会に出るの?」

「いえ、爺は……陰ながらお祝いしております」

「出ないんじゃない」

「ですが、気持ちに変わりはありません。この爺だけでなく誰もが、姫様の十歳を迎えられた今日という日をお祝いしたいのです。姫様は、クロネリアの民、皆の、王女様なのですから」

 穏やかに諭す声だ。白い簾眉の影で優しく細められた目が、まっすぐにメリアへ向いている。

「何よ……爺まで、お母様みたいなこと……」

 メリアは、たっ、と飛ぶように立ち上がって振り向き。

「だってお母様ったら、会で私の婚約者を選ぶって言ったのよ。そんな会に出てどうするの! みんなに片っ端からごきげんようって挨拶して回るの? 婚約相手探してますって書いた笑顔貼りつけて? 馬鹿みたい。そんなの、考えただけで息が詰まりそう。ものの数分で窒息死よ!」

 けれど爺は、深刻そうに訴えるメリアを前にしても動じなかった。わずかに芝居がかった所作で、痩せた顎に片手を添え。

「ふむ……これは爺の勘なのですが……おそらく、そのようなことにはならないでしょう。ええ、長ーく生きておる分、爺の勘は当たりますぞ。それに姫様もよくおっしゃるではありませんか。先のことなど、誰にもわからないはずだと。まだ見ぬその婚約者様も、一度お会いしてみたら、素敵なお方かもしれません」

 そして最後には、よりいっそうの優しい声で「そうでございましょう?」と重ねた。

 メリアは変わらずむすっとしたまま爺の顔を見つめていたが、しばらくしてぽつりとこぼす。

「じゃあ爺も……爺も私と一緒に来て、会に出ていってよ。そうしてくれるなら……戻るわ」

「ほほほ。では少しだけ、陛下にお頼みしてみましょうか」

 微笑むと、爺は王宮へ続く道を譲るように数歩、横へと退いた。

 渋々歩き出そうとするメリア。けれど同時に、手に握る物に気づきシュテルベルに向き直る。

「ごめんなさい。私、もう行かなきゃ」

「あ……うん」

「だから、これあげるわ。あなたが来てくれて楽しかったし、そもそも作ったの、あなただし」

 メリアと爺のやりとりを前に思案顔をしていたシュテルベルは、半ば惚けたまま、差し出された花冠を受け取っていた。

「あーあ。せめて私の婚約者が、あなたみたいに素敵な人だったらいいんだけどね」

 去り際、メリアは名残惜しそうな表情を、曖昧な笑顔で取り繕って離れていく。

「……さすがは半神クローネ様のお血筋でしょうか。権能をお継ぎになる前から、早くもご自身の未来には敏感でいらっしゃる」

 そばでは爺が、独り言をこぼしながらメリアを追って歩き始めた――と思ったのだが、意外にもそうではなく、シュテルベルの正面まで来て立ち止まる。そうして深く、深く、礼をした。

「どうか姫様を、よろしくお願い申し上げます」

 シュテルベルはただ黙したまま、突然のことへの驚きもあってか、すぐには答えを返せない。

 やがてゆっくりと顔を上げた爺は、それでも不服そうな様子など欠片も見せず

「ああ、それから、王宮ではあなたをお探しの方々も見受けられましたよ」

 と残し、踵を返して今度こそ王宮へと戻っていった。

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