第98話  小川理沙

 小川理沙という女性を覚えている方はいるだろうか。

 ドラゴンが地球を襲ったときに、一番最初に異常を発見した女性である。

 E-2Dホークアイに乗っていた二等空曹だといえば、思い出す人もいるかも知れない。


 ドラゴン襲来の時、空を飛ぶドラゴンを直接目撃した数少ない人間の一人でもある。

 理沙の乗っていたE-2Dは、オペレーター席には窓がない。コクピットとの隔壁を開けて、初めて外が見える。

 ドラゴンが目視された時、機長が判断する脳を増やすためにオペレーターを一人ずつ呼び、ドラゴンの姿を見せていたのだった。


 ドラゴンはあまりにも雄大で、美しく、そして不思議であった。

 ドラゴンが羽ばたく。バッサ、バッサ、バッサ……ぐらいなイメージで羽ばたく。

 測定すると一周期が2.7秒である。正直、ゆったりと動いている様にも見える。


 これで翅がとても大きかったりするならば、ああなるほど……となる。

 しかし、思ったほどのサイズ感ではないのだ。


 小さな小鳥ですら、翼の大きさは身体の数倍にも達する。

 しかしドラゴンの翅は、せいぜい体長と同程度。下手をすると体長より短いかも知れない。

 見ているだけでも、とてもじゃないが飛べるとは思えないバランス感なのだ。

 なのに飛ぶ。果てはホバリングの様な動作もする。

 羽ばたきによるホバリング中は、翼の揚力に頼ることができない。翼の生み出す推力を下方に向けることが必要なのだ。

 しかし、ドラゴンはそのまま羽ばたいている。素人目にも有りえない。

 

 理沙の乗るE-2Dはドラゴンが撃墜され、発電所へと墜落する直前まで詳細にレーダーで捉え続けた。

 LCDモニタに映し出される飛翔体が、フラフラと高度を落とし、地面に着くところでレーダーから消え、猛烈な電磁波を浴びて一瞬レーダー画像がホワイトアウトした。

 対電子戦装備の新型アドバンスドとはいえ、電磁波を浴びてる最中は何も見えなくなる。


 発電所で大量のスパークを誘ったドラゴンが息絶えるころ、回復したLCDモニタを見ながら、理沙はこの謎の現象に迫りたいと考え始めていた。


         ♦︎


 タイミングは悪くなかった。

 高卒で航空自衛隊に入隊して五年。二度目の任期満了を迎える直前だ。

 ただ、あの現象と関わるためにはどうすれば良いのだろうか。

 このまま自衛隊でオペレーターを続けても、おそらく関わることはできない。

 ジャーナリストになって事件を追いかける……アリかもしれない。

 最初にあのドラゴンを見つけた人間が書く記事なら、少しは興味を持ってもらえるだろう。

 その他は? 研究者?

 ドラゴンがどこからきたのか。どうやって飛んでいたのか、あの鏡みたいなのやファイヤーブレスの秘密はなんなのか、わからないことだらけだ。きっと、学者の先生でも同じだろう。


 理沙は高卒で自衛隊に入っている。成績は悪くはなかったが、国立大学目指せる様な頭でも無かった。だから学者の線は捨てようと思っていた。

 テレビに出ていた沢井博士を見るまでは。


 沢井琴博士。数年前から、天才物理学者として色々なメディアで見かける様になった人。そして、殉職された沢井一尉……二佐の実の妹。


『お兄ちゃ……兄の行方不明現象を解明するため、全力でこの謎に立ち向かいます』


 何このかわカッコいい博士。思わず『お兄ちゃん』とか言いそうになってるあたりがらぶりぃじゃない?

 そう思って調べてみたところ、なんとも凄い人だった。

 今までは大した興味も無かったので『天才美人物理学者』と聞いても、へぇ……としか思っていなかったのだが、調べれば調べるほど凄い実績。

 そして、調べているうちに物理学にも興味が湧いてきた。


「だったら、沢井博士のいる研究室目指してみるかぁ!」

「いやいやいやいや、あの博士、帝大の博士よ?」

 幼馴染のミッちゃん、美智子が突っ込んでくる。まぁ、公立高校を出てそのまま自衛隊行った理沙が帝国大学目指すとか、なんの冗談? と思われても仕方がない。

「いや、今決めたね。あたしゃ帝大目指すよ。しかも理学部だ。尊敬しろ」

「また無茶言い始めたよこの娘は。いきなり空自行くって言い出した時もどうかと思ったけどさ!」

 ノリと勢いで空自に行くと言い出し、本当に入っちゃった理沙である。

 配属先がいきなり沖縄だったのには面食らったが。


 理沙は生まれも育ちも東京下町であった。スカイツリーのほど近くで育ち、あれが倒れてきたらうちは下敷きだねーとか良く話していた。

 幼稚園から高校まで、全部墨田区立。学校帰りに隅田公園で遊んでいて、美智子と一緒に痴漢を撃退して警察に引き渡したのは中学一年の時。

『ポロリん』とまろびだした痴漢の『もの』を綺麗な前蹴りで蹴り潰し、悶絶して倒れている痴漢をバックに自撮りしていたところに、美智子からの通報を受けた警察官に取り押さえられた。

 一体どちらが悪者かわからない。

 あとで警察署に呼び出され、感謝状かと思ったらお説教だったのも良い思い出?


「ほら、うちからなら帝大って遠くないっしょ。通学も楽だと思うのよね」

 全線徒歩でも小一時間でついていしまう。

 なんなら自転車通学もバイク通学も認められるだろうし、雨が降ったら直通バスだってある。


「いや、あんたが心配するのは通学じゃなくて、学力だろ!」

「そこは努力でなんとでも」

「なるかーっ! そんな簡単な努力で済んでたら『帝国大学物語』とかのお話関係がみんな根底から覆るわっ!」


 なった。


 いや、本当に努力したのだ。

 英語は問題ない。これは高校時代から割と得意だったのと、自衛隊でも普通に使われる上に、那覇基地は周りが英語圏なのだ。国内留学してる様なもんだった。


 数学。高二ぐらいからやり直しが必要。とりあえずあれだ。美智子巻き込んで勉強する。予備校も行く。

 理科。これにいきたい。これ突き詰めたい。興味のあることは、人間どんどん吸収できるもんだ。やるだけやってみるさ。

 国語。本好きだったから多分……多分……が、がんばる。

 社会。自衛隊員なめるな。え? 情勢以外の問題もたくさん出るんですか、そうですか……頑張ります……


 それでも、その年の受験はダメだった。そりゃ、準備期間半年やそこらで入学されたら日本一の看板が廃るってものである。

 あ、奏とかは別ね。奴は受験勉強とか、琴に教える以外のことしてない。


 二年目。更に猛烈に勉強した。勉強して勉強して、もひとつ勉強したら、なんか受かった。理科一に合格した。

 そして、シャレで受けた美智子も合格したのはどうしたものか……

 

「いや、ほんとわたしの人生どうしてくれんのっ!」

「帝大受かればキャリアウハウハじゃね?」

「いや、もう二十五だからっ!卒業したらアラサーよ、アラサー。そこからどうしろってのよ」

「ここで将来性ありそうなの引っ掛ければ?」

「それだっ!」

 美智子も一緒に通うことになった。


 帝国大学に入って二年目。ここからは理学部へ入ることを前提に日々の学習を続けていく。

 沢井博士のいる物理学専攻を目指す予定だったのだが……


「え? 沢井博士が……行方不明?」

 あの四国沖で沢井二佐がレーダーから消えたポイント。理沙もその瞬間のモニタを見ていたので覚えている。

 沢井博士が四国沖鏡しこくおきかがみ研究のために鏡の前に立っていたところ、突然膨張した鏡に飲み込まれたとの報道があった。

 一般には出回っていないが、その瞬間の映像も残っているという噂がネット上に溢れていた。


 沢井博士とともにドラゴンの謎に迫りたい。そう思ってやってきたのだが、その沢井博士と巡り会うことができなかった。

 これからどうしよう……落胆する理沙に、美智子が言う。

「最初はドラゴンが不思議だったんでしょ? なら、一緒にドラゴン調べない? わたしもちょっと興味出てきたし」

 ちょっとの興味で帝大入れる人とか、あんたもまさか奏並みの天才ですか?


 それまで物理専攻へ向かう予定だったのを、急遽生物科学へと進路変更することになった。


 三年生になり、入り浸っていた研究室にそのまま所属することになった。

 生物系の研究施設としては、今の日本で一、二の人気を争うのではなかろうか。

 そう、対ドラゴンの最前線である。


 初めて電子顕微鏡で見た半導体組織は、とても興味深いものであった。

 螺旋の体をくねらせ、移動しようとする。

 実際、水の中に入るとかなりの速度で移動することがわかっている。

 移動も、蠕動であったり、回転移動だったり、なんなら螺旋運動だったりと一つの半導体組織が色々な手段で移動しようとする。

 この行動に意味があるのかすら、まだわかっていない。それをこれから調べるのだ。他の誰でもない、わたしたちが。

 と言っても、教授やら准教授やら家事手伝いやらたくさんの先生方が調査していくお手伝いなのだが……


「小川くん、明日、神戸行くから。生命機能科学研究センターで、ドラゴン半導体の親玉の調査だ」

 いわゆる理研である。分子生物学がらみなら、絶対に外すことのできない組織だ。

 神戸だと新幹線か。新神戸から三宮に出てポートライナー。よし、迷わない。


 美智子はここしばらく、核磁気共鳴やら質量分析器やらの前から動かない。分子生物学の先生と、ひたすら試料を分析しまくっているため、同行はできない。


          ♦︎

 

 神戸の研究センターには、ドラゴンの内臓の一部が保管されている。

 特にあの半導体組織が詰まっていた部位は大半がここ、神戸にあった。


 その部屋の扉にはBSL2の文字とバイオハザードマークが表示されていた。

 バイオセーフティレベル2の試料管理室だ。二重扉ではあるが、エアシャワーなどは設置されていない。

 

「これが……」

「ああ、半導体臓器だ。もう大半が半導体っぽい何かでできている」

 今日の主幹である岩本教授が答えてくれた。

 

 安全キャビネットのガラス越しに見えているのは、ドラゴンから取り外してきた臓器である。

 室内に入って、すぐに目につく正面にででんと設置されていた。

 これがもう、見た目からして生物の臓器に見えない。

 一部にカット部分があるが、金属的な光沢に見える。

 ネット等で囁かれる『サイボーグ説』もあながち間違いではないのか? と思うぐらいには人工的だ。


 今日はここから新たな試料を譲ってもらい、研究室のある本郷キャンパスではなく、定量生命科学研究所のある弥生キャンパスに運び込む。

 もう、研究室の垣根とか縄張りとか言ってられないほど、わからないことだらけなのだ。


 これまたBSL2の文字のついたコンテナを肩から下ろす。

 不織布製の防護服を羽織っているため、肩に擦れないように気をつける。


 研究所の担当者が安全キャビネットのグローブボックスから手を入れ、試料の一部をステンレス瓶に移し、二重気密扉の中へと入れた。

 気密扉内部を排気、殺菌した上で取り出し扉をあけ、ステンレス瓶を受け取る。

 コンテナ内でひっくり返ったりしないように、慎重に固定してから蓋を閉じた。

 

「はい、ありがとうございます。じゃ、わかったことがあり次第また連絡入れます」

 岩本教授と研究員さんが挨拶をし、再び東京へ蜻蛉返りだ。

 これでまた、新たな知見が得られると思うと妙な笑顔が浮かんでくる。

 教授がなんとなく引いていくのが感じられた。


          ♦︎


 理沙はその後も研究室に残り、博士課程へと進んでいた。

 美智子も、男を捕まえ損ねてそのまま残っている。

 二人とも想像以上に優秀だと言うことで、非常勤研究員の立場をもらい、それでなんとか生活を営んでいた。


 数年前に新たなモンスターが出現して以来、世間では生物科学分野がもてはやされ始めてきている。

 そんなおり、理沙と美智子の元に引き抜きの話が来た。


 引き抜き先は内閣情報調査室。親方日の丸である。

 内調の異世界生物対策室から、この生物の専門家として招かれたのだ。

 これに参加すれば、更に色々な研究ができるかも……あと、学費の心配しなくていいの助かる……微妙に切実な理由により、二人とも移籍を決めた。


 内調は、とても忙しかった。飛ばされた、本当にあちこち飛ばされた。

 グリーンランドに雪蛇の牙を取りに行った翌日にはホンジュラスで巨大な穴熊の爪を調べてる。

 そしてまた日本と飛んで帰って、試料を古巣の生科研に届け、次の週には理研で分析器に張り付く。


 毎日毎日、休む間も無く飛び回っているある日のこと、思いもかけない仕事が舞い込んできた。


 その日は朝から区役所前まで歩き、上野行きのバスに乗った。

 上野駅から常磐線で石岡駅へ。石岡駅からバスに乗り換えて、茨城空港へと向かう。


 茨城空港。ほんっとに交通の便が悪い場所である。

 空自時代には『関東に有るとか、めっちゃ恵まれてね?』とか言っていたが、誰だよそんなこと言ったやつは。

 上司からはヘリ飛ばしてもいいよ? とは言われたのだが、自宅から市ヶ谷も微妙に面倒な経路なのだ。

 でも、これなら普通にヘリ乗せて貰えばよかった……


 茨城空港からはタクシーを使う。ここから目的地までも、空港をぐるっと回り込むために距離があるのだ。


 それでもものの十五分で到着した。

 そう、ここは……


「初めましてだね、響ちゃん。わたしは小川理沙だよ。よろしくね」

 

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