第87話 超音速機を作ろう
超音速。音よりも速い速度。
1947年にチャック・イェーガーが人類初の超音速水平飛行を成し遂げてから六千八百万年。再び人類が音速を目指す。
大気中での音速は気温によって大きく変わる。
気温は高度によって左右され、高い場所であればあるほど気温が下がる。
地上で20℃である時、高度10,000mでは-40℃にまで下がるのだ。
地上付近での音速は、およそ340m/s程度である。時速にしたら 1,200km/hを超えるぐらいか。
これが高度10,000mだと300m/s、1,080km/h程度まで下がる。
更に、空気が薄くなる分空気の抵抗も小さくなるので、音速を超えるためには高空である方が有利である。
しかも、魔導ジェットは酸素量に左右されない。燃焼という過程を経ないために、酸素の少ない高空でも出力を出しやすい。
どちらかというと、問題は人間側にあった。
操縦者は当然ケイを想定している。というか他には考えられない。
となると、男性の能力で地上の四分の一しかない気圧に耐えなければならないのだ。
当然酸素マスクは用意するし、コクピット内も与圧はする予定だが、予定でしかない。何かで気密が確保できなくなったら死に直結してしまう様な環境である。
「最優先が安全性の確保。ここは譲れない」
コトがケイに意見するとか、珍しいシチュエーションである。
「つーてもさ、空飛んでる以上ある程度の危険はいつも……」
「認めない」
コト、今日は頑張ってる。
けど、ケイとお話しできてニヨニヨ気味なのはちょっとどうよ? いや、真面目に話してるのはわかるんだけどさ。
「わかったわかった。んじゃ、その上でだ、超音速機を作る上での問題点の洗い出しをもう一回してみよう、ね。それならコトも文句ないでしょ?」
カナがケイに助け舟を出していく。
カナだって安全最優先と言いたいところだが、そっちはコトに任せることにした。
あらゆる方向から煮詰めるためにはあらゆる立ち位置から目を向けないとならない。
ケイは訓練で超音速を何度も経験している。洗練されたF-15Jならば、なんの苦労もなく……いや、ちょっとした苦労で音速の壁を破ることができた。
ちょっとした苦労。主に訓練計画の書類とか燃料の調整、整備との連携、年間予算……
兄妹のやり取りを傍から見ているしおりん。実は音速経験者だ。
しかも、ちょっとだけ操縦桿にも触っている。
兄妹の家の近所の百里基地。あの場所で超音速体験をさせられているのだ。
当時はまだまだ現役だったF-4EJ戦闘機の後席に乗せられ、茨城沖の太平洋上で一瞬とはいえマッハ2を経験している。
マッハ2なんて、ケイですら数えるほどしか超えたことがない速度域だ。
警察庁はしおりんを……幸田巡査を一体どうしたかったのだろうか。
実は、あれだけの訓練を受けた人間は、公安にも内調にも他にはいないのだった。
「エンジンは割とすんなりできると思うのよ。機体はチタンとカーボンの複合材として、音速を狙うだけの機体にするのか、兄の足代わりに使える実用機にするのか、はたまた軍用も視野に入れるのか」
「将来的には軍も欲しがるかもしれないけど、今の所対抗する組織が全くないからね。今は俺の足代わりで」
もう、乗り回す気満々である。
「となると一発勝負の構造は却下。まぁ、シミュレータ回しまくるか」
このシミュレータ、使ってる間にバンバンとパラメータ変えられるのでとても捗る。翼断面とか翼形状とか飛んでる最中に変更できてしまう。
とっても便利でキュートなスクロール魔法さんなのである。
カナとコトにちょっとだけ冷たい理由がまだわからないが。
それともしおりんが特別なのか?
『そうです』
あ、そう……
エンジンの仕様も実は簡単には決まらなかった。
音速付近になると、どうしてもファンの効率が出ない。低バイパスとはいえターボファンエンジンだ。ファンが推力に寄与する部分は少なくない。
ポクポクポク、チーン
「アフターバーナー作りましょう」
「いや、何燃やす?」
「水に決まってるじゃないの」
ジェット戦闘機のエンジンと言って最初に思い付くのは何であろう。
あの伸び縮みするコンダイノズル? 大きく口を開けたエアインテーク? いや、やはり離陸の時に目を引くアフターバーナーの光ではないだろうか。
オレンジの炎の中に輝く青いショックダイヤモンドの光。夕暮れの空に上がっていくあの幻想的な光。
あれは
「暖めりゃなんとかなるわよ」
コトがやさぐれてる? あ、お兄ちゃんが心配なのね。
試してみた。
最初と二回目のシミュレーションは、エンジンが吹き飛んだ。いや、ここまでの盛大な爆発は初めてだわ。シミュレータで良かったよ、ほんと。
次からのエンジンテストは、耐爆壕作ってやらんとダメかもしれない。
原因は割とあっさり判明した。
「はぁ、話には聞いたことあるけど、こんな激しく爆発したりするのねぇ」
アフターバーナーの背圧による閉塞。アフターバーナーによって出口を塞がれたジェットエンジンが、圧力に負けて水蒸気爆発を起こした。
圧力は全てを均等に押し広げ、応力は弱い場所へと集中する。エンジン前方のコンプレッサブレードを吹き飛ばし、エンジン後部のタービンブレードを爆砕して、エンジン本体は前後の抜けた筒だけが残った。
このあと、水の噴出位置、加熱ポイント、加熱温度、圧力の制御、色々探ってやっと見つけたスイートスポット。手を叩いて喜んでいたらコンダイノズルがバナナの皮を剥くように割れた。
結局、水を三方から噴出しつつ、四段階で加熱してエンジンの送るガスをかわしつつ、そのガスをシールド替わりにしてコンダイノズルを保護するという、割と綱渡りな方式をとることになった。
「その割には、うまく動いてるね。これ」
「とにかくトラブったら即止める方向の制御だし。安全第一っ! あとは運用してみてどうなるか。これで試作エンジン作ってもらお」
機体はもう、ケイの希望で
「いやもう、まんまじゃないですかこれ。マクダネルダグラスにお金払わないとならないレベルですよ……」
「飛行機知らない人ならミグ 25だって同じに見える。大丈夫っ! それに、実物より大分小さいのよ」
全長も全幅も実物よりも三割ほど小さくなった。推進システムがただの水とは言っても、やはり熱量制限無しというチートが効いている。エンジンに余裕ができたのだ
防弾装置や防火装置の事を全く考えないで済むのも大きな要因だ。
それらを置く場所も節約できるし重量も軽くなる。軽くなれば翼面積を減らせる。
ただ滑走路が未舗装なため、当初は降着脚が不自然に長い仕様であった。
万が一滑走中にタービンが小石でも吸い込んだら……
舗装された滑走路ですら、毎朝、端から端まで皆で小石を拾い清めるのだ。全長3,000m、幅60mの長い滑走路であっても。
ポクポクポク、チーン
「離陸までは、虹色さんに守ってもらおう!」
急遽、虹色膜ならぬ虹色ネットの開発が行われた。
網戸の網が虹色膜になった様な代物だ。速度が上がると吸気抵抗になるので、離陸したら消えてもらう。魔法様々である。
エンジン単体の試作も完成し、試験を行う。
「うおお、こいつは腹に響くなぁ」
テストベンチに固定したエンジンが全力で回っている。防爆壕からリモコンで操作しているケイが楽しそうだ。
「レスポンスもめっちゃいい! って言うか、これになれたらケロシンのジェットに戻れないかもしれない」
そう、燃料を増やしても回転が上がって空気を吸い込むまで出力が上がらないジェットと比べて、水を増やしたらその瞬間には流量が増える魔導エンジンのレスポンスは桁が違うのだ。
機体の試作も上がってきた。エンジンを積み、艤装を整え、スクロール魔法さんの最終シミュレータ試験を実施する。
そのデータを元に、今度は訓練シミュレータに機体挙動がコピーされ、ケイが訓練を始めた。
機体のテストも同時に進めていく。
昨日は滑走試験まで行った。コト発案の虹色網も順調に動いている様だ。
今日から五日間は学校なので、ケイは帰ってからシミュレータへ。三人娘はエラー試験を繰り返していく。
エンジンが二発とも止まったらどうなる? エルロンが動かなかったら? ラダーがなくなったら? エレベーターは? 胴体着陸の挙動は?
こうして、飛行試験の日を迎える。
今日は上がって降りるだけ。脚も出しっぱなしの離着陸試験みたいなものだ。
ただ浮くだけならアフターバーナーもいらない。推力は十分にある。よし、行こう。
機体に近づくと、やはり小ささを感じる。乗りなれていた
機体に取り付き、ステップを上がる。右足から機内に入り込み、シートに腰を落ち着かせた。
シートベルトを締めるのをポーリーに手伝ってもらい、ヘルメットを手渡される。
そう、やっと満足のいくヘルメットも作れる様になってきた。目を守るためのシールドも、バイオマスプラスチックで少量なら作れる様になったのだ。カナ愛してる!
チェックリストに従って点検をしていく。と言っても、この機体はエンジンが掛からないと点検できない部分も多い。
ポーリーからエンジン始動の指示が来た。右エンジン、左エンジンの順に魔石への回路を開き、温度を確認、水バルブを開く。
ドーンドーン……この辺りは今までの魔導エンジンと変わらない。
タービン回転数が上がっていくのを感じながらコンソール魔法を立ち上げる。
視界が拡張され、見えない場所も意識すると見える様になるとか超技術すぎる。
エルロンラダーエレベーターの点検、フラップの動作確認。ポーリーがオールクリア、離陸ヨシとジェスチャーする。
「行きます」
スロットルを押し出し、一気に加速する。レバーはアフターバーナー手前までだが、それでも従来機の何倍もの加速力に感じる。
テストのため水も少なく、100ノットほどの速度で離陸できてしまうはずだ。軽いのは概ね良いことが多い。外乱などには弱くなるが、運動性は高くなる。
離陸決心速度をすぐに超え、ローテーション。脚が地面から離れ、離陸完了……あっさりと地面が離れていく。
脚もフラップも降りたままなので運動性は判らないが、今の所変な癖は感じられない。
トラフィックパターンに乗るために左へ変針、機体の感触をたしかめながら
「かっわいいかっわいいイーグルくん、ごっきげんいっかが」
ケイが壊れた。
今まで、頑なに飛行機に名前をつけなかったケイが、愛称で呼んだ。
「さぁ、今日はここまで、一度帰るよ」
機体に声をかけ、ベースウインドへ舵を切る。
再び視界に飛行場が入ってきた。
♦︎
今日はついに、音速チャレンジである。
初飛行から二ヶ月、毎日飛んだ。学校早退して飛んだ。
不具合もいくつも出たが、優秀な整備士と迅速なシミュレートによる設計変更で日々進化していった。
機体はもう滑走路端についている。最近はギルドカード通信も安定したので、音声による管制を受けることができる。
「ユアクリアードフォーテイコフ」
なんとなく教えた古語で管制してくるあたり、ポーリーだなぁって気がする。
「アファーマティブ」
日本語にしたら、はいはいはーい! ぐらいの勢いで返事を返し、スロットルを押し出す、押し出す、アフターバーナーの線を超えて押し出す。
ズドーン、アフターバーナーの排気速度が音速を超え、轟音を響かせた。
ケロシンを使ったジェットエンジンのアフターバーナーと色が違う。
ノズル付近で超高温に加熱された水が、酸素のピンクパープル色をしたプラズマの中に、水素のグリーンでできたショックダイヤモンドを輝かせ、幻想的な排気炎を伸ばしていく……いや、炎じゃないけど。
一瞬で離陸速度を超えた『イーグル』は、脚を仕舞うと同時に一気に機首上げをして、
正直、推力が有り余っているのだ。
このエンジンのアフターバーナーを開発したのはコトだそうだ。コト、愛してるぜぃ!
コトが聞いたら脳死しそうなセリフを叫びながら高度を上げていく。
高度15,000ft付近でピッチを戻していき、通常の上昇に移る。
それでも従来機では考えられないほどのレートで高度が上がっていった。
高度25,000ft。すでに偵察機でも飛ばない高さである。気温はすでに-25℃を切り、ジリジリと下がり続けている。
高度30,000ft。もう、この時代の高度記録を塗り替えた。テスト高度まではあと少しだ。
高度35,000ft。メートルに直すと10,500m。気温は-45℃。音速は300m/s丁度ぐらいだ。ノットで言うなら585ノット。キロなら1,080km/hである。
これを越えれば音速突破だ。
海の上に出たところで大きく旋回し、機体を水平に保ったまま、再び全開運転である。
タービン回転数が規定上限に近くなり、アフターバーナー加熱開始。ドーンと響く点火音が背中を押してくる気がする。
コンソール魔法に表示されるマッハ計の数字が上がっていく
0.90...0.95...0.98...0.99...
背後から轟轟と聞こえてきていたアフターバーナーの音が消えた。
エンジンの振動音は響いてくるが、他の音がほぼ聞こえない。コクピット内部の音は聞こえるはずだが、これも空気が薄いせいで音が小さいのだ。だから、やたらと静かに感じる。
「コントロール、こちらツインケイ、今、音速を超えた。繰り返す、今、音速を超えた」
♦︎
『コントロール、こちらツインケイ、今、音速を超えた。繰り返す、今、音速を超えた』
うわっ!
管制室からの拡声音を聞いていたギャラリーが騒然となった。
と言っても、超音速がなんなのかを理解している人間は限られている。
「お兄ちゃん、おめでとう……」
コトが泣いてる。
カナも泣いてる。
しおりんは、泣いてはいないけど感動している様だ。
リンダもポーリーも泣いてる。
なんならギルドのサンディおばあさまも泣いていた。って、しばらく見ないうちにめっちゃ若くなってるし! もう五十代どころか四十代と言われても不思議じゃないレベルです。数年で三十年分ぐらい若返った気がします……
さぁ、テストの後はちゃんと
この日、ケイは最大でマッハ1.21を記録して戻ってきた。
『イーグル』は終始安定した飛行を提供してくれた。問題といえば、ケイが機体を撫で回す姿が全年齢で見せられない様な姿だったことぐらいだろう。
ケイの夢がまた一つ叶った。
また、コトとカナ……としおりんが叶えてくれた。
俺は妹たちに何をしてあげられるだろう。
妹が喜ぶことってなんだろう。
でも、もう少し
ケイはやはり、ケイだった。
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